飛行艇

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]

イメージ 1

飛行艇という言葉も「Flying Boat」の直訳であろう。
飛べる艇である。

このブログの主旨に反するかもしれないが、飛行艇と言えばやはり紅の豚かもしれない。
ただ、この映画の設定時代の1930年代は飛行艇全盛期でもあった。

飛行艇の歴史

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

日本で始めての飛行艇は、1914(大正3)年に飛行家海野幾之助がアメリカから持ち帰った、65馬力、最大速度96km/h、乗員2名のクリストファーソン飛行艇でした。日本海軍における始まりは1917(大正6)年にフランスから研究用に購入した200馬力双発、最大速度145km/hのテリエ飛行艇でした。1921(大正10)年にはイギリス ショート社から技術者を招き、横須賀海軍工廠においてショートF.5飛行艇製作の指導を受け、国産化を実施し海軍初の制式飛行艇として60機が生産されました。一方、操縦など運用教育についてもイギリスから教官を招き、霞ヶ浦において訓練が行われました。1925(大正14)年に海軍はドイツ ロールバッハ社から全金属製飛行艇を技術導入し国産しました。運用上は問題の多い機体でしたが、先進的なジュラルミンの構造様式は日本の航空機設計、製造技術のベースラインを確立し、近代化に大いに寄与しました。1930(昭和5)年には日本人が始めて設計した広廠90式1号飛行艇が完成しまた。本機は日本人の手になるはじめての全金属製で、日本海軍で始めての単葉機でもありました。
1934(昭和9)年日本海軍は、南洋諸島を哨戒、偵察するために、長距離飛行が可能な哨戒偵察飛行艇を川西航空機に発注しました。
海軍初の4発機で、当時の世界各国の水準を超えた傑作機が誕生しました。1936(昭和11)年に初飛行、川西97式飛行艇(97大艇)として179機が生産され、約5,000kmと言う航続性能により、哨戒飛行を主に大活躍しました。他に97式輸送飛行艇として38機が生産され、そのうち18機は川西式4発型輸送飛行艇(川西大艇)として、大日本航空により、サイパン〜パラオなど、南洋諸島の定期航路で運行されました。1938(昭和13)年に97大艇の老朽化にともない、海軍は高性能飛行艇を川西航空機に発注しました。
1号機は1940(昭和15)年に初飛行、川西2式飛行艇(2式大艇)として制式採用され、8,000kmと言う航続性能にものを言わせて大活躍をし、131機生産されました。他に、輸送機型の2式輸送飛行艇晴空が36機生産されました。以前、船の科学博物館に展示されている2式大艇は、終戦後米軍が評価試験のために本国に持ち帰った機体が返還されたものです。当時米海軍の同クラス機であるコンソリーテッドPB2Yと性能を比較した結果、速度が100km/h早いなど、すべてに勝っていました。その技術は現在まで継承されていて、海上自衛隊の新明和US-1水陸両用飛行艇は世界に例を見ない3mの波高においても着水可能な性能を持ち、遭難船の救助などに活躍しています。現在本機は、US-1A改として近代が進められています。

参考 http://www.shinmaywa.co.jp/about/museum_flying_boats.htm 新明和工業HP 飛行艇物語

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事