「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「善くない」

 
  善くないと思う
 
 
  (テサロニケ人への第2の手紙、口語訳)
2:16
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、
わたしたちを愛し、恵みをもって
永遠の慰めと確かな望みとを賜わる
わたしたちの父なる神とが、
2:17
あなたがたの心を励まし、
あなたがたを強めて、
すべての良いわざを行い、
正しい言葉を語る者として下さるように。
  (第2テサロニケ2:16−17、新約聖書)
 
この聖句は祈りと願いの言葉です。
 
当為(「べき」の付くこと)と事実を
祈りと成就を
願いと現実を
混同してはならないと思います。
 
>自ら進んで善い働きをし、
>善い言葉を語らせて下さるというのですね。
 
>偽りのない愛によって、悪を憎み、善に親しみ、
 
>人を自分よりもまさっていると思うようになるのだそうです。
 
>絶えず、神である主と語らうようになるのだそうです。
 
>旅人をもてなし、迫害する者を祝福し、
 
>互いに一つ心になり、高ぶった思いをもたないで、
 
>復讐は神の怒りに任せ、
>善をもって悪に打ち勝つのだそうです(ロマ12章)。
 
>聖である霊と呼ばれる方が
>心に置いて下さった思いに従って行った結果なのだそうです。
>実を結ぶのですね。ねがっていけば。
>今日も。
 
説教に食傷する
・・とは、このこと・・
 
恐らく「罪は処刑済み、完了」
という信仰からは
現実に正面から向き合う話も
罪を認める話も出来なくなっているのでしょう。
 
いつも話が
陶酔感と夢想に過ぎなくなれば
その分、真実からは遠ざかるでしょう。
 
聖霊が自分の心に思いを置いていて
自分は聖霊と一体という信仰だから
相変わらず、いつそうなるか
ということを書けないようで
今日そうなっているという印象の
偽善的で罪深い文章になり
今日も成就するという自分の境地の自慢話に堕ちています。
 
完全なる善の成就を書いたつもりのようですが
完全は人の手に負えないことを前に書きました。
 
むしろ欠陥だらけの自分の現実から語るべきなのです。
神の前に美辞麗句を並べても
善い働きにも良い言葉にもならないのです。
 
人の前に白々しいだけでなく
自分という人間が美辞麗句でないことは
神の前に既に明らかなのです。
 
少しでも実のあることを考えれば
むしろ上の否定形を神の前に捧げるべきでしょう。
 
 
自ら進んで善い働きが出来ず
良い言葉を語れず
偽りだらけの愛によって
自らの悪に気づかず
善に親しまず
人を自分よりも勝っていると思わず
しばしば神のことを忘れ
旅人を邪険にしていることに気づかず
迫害されたという思い込みで他者を呪い
一人一人ばらばらで
思い高ぶり
復讐を神に願い
悪に打ち勝てない私をお赦しください
 
欠点や思わしくない出来事や罪を告白し
赦しを乞い願う祈りのみが信仰者の希望だと思います。
 
 
(2015年04月09日、同日一部修正)
 
 
 
 

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