「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

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「人の夢・・?」

 
  「人の夢・・?」
 
 批判対象ブログ:その名は不思議
 批判対象記事:人の夢と神の救い
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27338806.html
  のコメント。・・悪夢に思えます。
 
 
>イエスは弟子たちの弱さと失望を理解し、
>そのありのままの姿を受け容れてくださり
 
弟子たちは勘違いしていたけれども、裏切ったけれども、パリサイ人のような偽善者ではなかった。弟子たちは思っていたのと違ったことで、失望し落胆したけれども、イエスを忘れることはできなかった。
決して、失望や落胆を隠してごまかして、自らを大丈夫と見せかけて、宣べ伝えることはしなかった。
 
ありのままが、神の前ではなく、
人の前での体裁や体面であっても信仰の義と言えるのか・・ということをずっと問うているのです。 
2016/3/21(月) 午後 1:16 [ st5402jp ] 返信する
 
神の前に隠すことの空しさを知っている者は、少なくとも信仰に関わることついては、神が見ておられることを知っており、人の前での恥になることであっても、人の前でも隠すことはしないでしょう。
個人の秘密はあっても、信仰について、私は、私のブログにおいて、恥をさらしています。あなたに対する辛辣な批判を私のブログに書くときに、手加減しないのと同様に、興奮気味に辛辣で要注意な自分を隠したりはしていないつもりです。
 
2016/3/21(月) 午後 1:23 [ st5402jp ] 返信する
 
ペテロの裏切りのエピソードや、パウロが迫害者であったことが、聖書に明記されていることが証拠であります。
 
2016/3/21(月) 午後 1:27 [ st5402jp ] 返信する
 
 
(※ これに対するシャロム氏のレスは
  支離滅裂で恐ろしいものになっています。
  こういうキリスト教の記事やコメントは、さすがに見たことありません。)
 
 
stさんへ
【新共同訳】
ロマ
2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
 
 恥をさらし、自分を隠したりしないことを悔い改めとすり替え、自分を義としているからこそ、他の人の罪が気になり、他の人を裁かずにはおられないのは霊的な防衛機制なのです。かつてのサウロがそうでした。罪には悔い改めない黒い罪もありますが、悔い改めを装う美化された白い罪もあります。それは自らの心を偽る罪の美化、隠蔽なのです。「あなたも人を裁いて、同じことをしているからです」の意味です。
イエスはすべての人の、すべての罪を負われましたが、すべての人、すべての罪を裁くことのできるご自分の父なる方にゆだね、決して、自分を裁きの座にはおかれませんでした。
 
2016/3/21(月) 午後 3:29[ shalom ]返信する
 
マタイ13章24節〜で、イエスは
毒麦のたとえ話でも、主人は毒麦を抜きたがる僕たちを戒められています。麦と毒麦を見分けることができる方はただひとりなのです。
あなたはまるでそのおひとり(または代行者)のようです。
 神から賜物として与えられた悔い改めには、悔い改め?をした自分を他の人に誇ることがないのです。だから誇る者は主を誇れとサウロからパウロに変えられたパウロは言ったのです。
 弟子たちの勘違いや裏切りとパリサイ人の偽善の罪は人の目には違いがあると思われますが、神の前には同じ罪です。
 義人はいない一人もいないのです。
 
もちろんstさんには反論、批判があることでしょうが、stさんと私の間に考え方の一致も解決も必要ではありません。
あなたがあなたの生き方をされるのはあなたの自由です。
 
2016/3/21(月) 午後 3:30[ shalom ]返信する
 
stさんの身内に心を病んだ方がおられ、ご自身も疾病不安があり、医者になるために頑張られたということには私なりに共感することがありますが、私には私の単なる苦労話ではなく、心の病に苦しんだ家族があり、自分もいつか…という不安を抱きながら生きた日々があり、人との出会いがあり、その現実の中で、イエス様との出会いがあり、だれが何と言おうと、イエスに支えられ、導かれ、今日まで生かされてきたのです。
 
 人と向き合わずに、イエスと向き合い、出会い、ご自分と出会うことにしか救いはありません。
 
2016/3/21(月) 午後 3:41[ shalom ]返信する
 
 
(※ シャロム氏に対する私の指摘コメントです。
  たぶん削除されるでしょう。日時は省略します。)
 
 
>恥をさらし、自分を隠したりしないことを悔い改めとすり替え、自分を義としているからこそ、他の人の罪が気になり、他の人を裁かずにはおられないのは霊的な防衛機制なのです

 
罪を隠さず恥をさらすことのどこが防衛機制なのですか。「すり替え」と言う根拠が全く示されていません。では逆に、罪を隠し恥を曝さないでいることが、どう正当化されるのですか、どこが御心に適うとあなたは言いたいのですか。詭弁もいい加減にしてください。
 
>それは自らの心を偽る罪の美化、隠蔽なのです。「あなたも人を裁いて、同じことをしているからです」の意味です

 
罪を隠さないことで、何を偽り、何を美化し、何を隠蔽しているというのですか。あなたは、罪を隠すことで、罪の美化も隠蔽もしていないとでも言うのですか。罪を隠せば、美化も何もないでしょう。最低限の理路も分かっていないのですか。
あなたは、まだ、話にならない詭弁をもって、自己を正当化し、相手を裁いています。人間の言葉とは思えません。
 
>悔い改め?をした自分を他の人に誇ることがないのです
 
私は誇っているのではなく、卑怯なあなたに怒っているのです。努めて冷静に書いてみれば、これですか・・それであなたは、偽善の罪を犯しながら、自己正当化に必死になっている自分を、罪も偽善もないと言うつもりなのですか。
 
>弟子たちの勘違いや裏切りとパリサイ人の偽善の罪は人の目には違いがあると思われますが、神の前には同じ罪です

 
神の立場で断定しましたね・・私は人間の立場で言いますが、偽善者と罪人とどちらが神の義を与えられたとキリストは言っていますか。(※※参照)
 
>stさんの身内に心を病んだ方がおられ・・
 
また人間の気持ちを失っていますね・・他のところで私が書いたこういう個人情報を、遠慮もなく当ててくるというのは、人間としての配慮を欠いているということです。私は別にここで言われても構いはしませんが、一方で、あなたには、もう他者への配慮とか、そんなこと、どうでもよくなっているようです。人間ではなくなってきていると思います。これは、宗教が非人間性もたらすという最大の害悪と悲劇です。
 
>だれが何と言おうと、イエスに支えられ、導かれ、今日まで生かされてきたのです
>stさんには反論、批判があることでしょうが、stさんと私の間に考え方の一致も解決も必要ではありません

 
あなたは、自分絶対信仰の最終的な、問答無用の、言い逃れを用いました。
今は、あなたの、その、支えられ、導かれ、生かされてきた信仰が、危機を迎えている・・ということが、人間レベルでも、分かるからずっと書いているのです。
 
>人と向き合わずに、イエスと向き合い、出会い、ご自分と出会うことにしか救いはありません
 
これは、私がイエスと向き合っていないという断定が前提になっていて、あなたが私を、神の名によって、裁いていることになります。あなたが、私を責めるためにあげたこれらのことは、みな、あなたに当てはまることになっているということ、気づかないのですか。
 
「人と向き合わず」、つまり双方向を否定し無視して、「イエスと向き合い」、これは自分はイエスを知っているから、人など関係ないという自己絶対の確信になります。
その結果、あなたは、自分が見えなくなっています。
 
聖書は、迫害の時代背景の中で、人つまり迫害者を恐れるな、また世を恐れるな、とは言っていますが、人などどうでもよい、人など聞かなくてよい、神のみを見ておればよい、などとは言っていません。人は神のみを見て生きることは出来ないからです。あなたは、それが出来ると言い、それをしているつもりなら、あなたの神は、あなた自身に過ぎないです。
 
 
※※
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
18:10「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。 18:11パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。 18:12わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。 18:13ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
 (ルカ18:10−14、新約聖書)
 
罪人は、この取税人のように罪を告白して、赦されます。
彼は、なおも、福音伝道と称して、彼の何でも赦される信仰を宣べ伝えるつもりなのでしょうか。
 
今日は、少なくとも前半では、私は努めて、辛辣にならないような書き方をしたつもりですが、
もう・・手遅れなのでしょうか・・
 
 
(2016年03月21日、同日一部修正)
 
 
 
 

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