「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

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「無罪信仰」

 
  無罪信仰
 
 
聖書の中の奇跡物語だけに焦点を当て、奇跡によって救われることのみを讃美するような信仰は、救われる側の人間の問題、特に自分自身の問題に対して鈍感になるのでしょう。いつのまにか、悍ましい偽善者になっていても、気づかないのか、無視しているのか、救いのための要素に過ぎなくなった罪について、人ごとのように、ああ、人は罪深いから、キリストを信じて赦してもらいましょう、という説教話を仕立てて、いい気持ちになるようです。
 
偽善者に堕ちてしまっても、まだ教える立場で記事を書けると思っているようです。ずっと書いてきたように、今まで批判されたことを無視して忘れる才能を持っているだけの人は、批判に答えられないのに、批判されたあとも、批判される前と同じことを、繰り返し書いてくるのです。
今回は、キリストの直弟子でもあるかのように、大言壮語して、教えを垂れています。いつものように、すべてを解決するためには、キリストを信じることだと、現実から遠く離れたことを書いて、悦に入り、彼に、よしよししてくれる神を讃美しています。こういう人が、教会にいて、一見まともなクリスチャンのふりをしているのが、現代のキリスト教の有り様なのです。
 
>私たちは自分のことを気にし、また回りの人にどう思われるかを心配します。
 
こういうことを一番気にして、よく見せようと手段を選ばないで、偽善の振る舞いを続けている人が、そのために毎日、コメントを不可視化したり、削除したりで、自分のブログを、瑕疵のない整ったブログであると、懸命に見せかけようとしている日常です。偽善者が、一部の人に偽善を見られて、することは反省ではなく、信仰の教師の立場を保身だけに励みます。それだけが至上命題であり、教師の立場に立っても、罪びとの立場を微塵も持たないのです。それで、日々、キリスト信仰とは真逆の自説を言い張ることだけは忘れず、批判を不可視化したり削除するという偽善を施して、読者を惑わしているのです。どういう神経をしているのか、それでも、自分はキリスト信仰者として、説教の記事が書けると思っているのです。彼の記事を読み、彼の名前を覚えてください。一つの偽善の典型になるでしょう。
 
>自分を見失い、自分でない自分を演じていることが多いようです。
>私達が自分を好きになれないのはそのためです
>私たち日本人は特に世間体を損なうこと、恥をかくことを恐れるようです
 
このことは、まさに、他者の荒らし的応援を喜んだりなど手段を選ばない偽善によるブログの体裁だけで成り立っている者にこそ、ぴったり当てはまることなのですが、彼は、訂正や謝罪を書くのではなく、逆に「私たち」と、自分という個人の責任と罪と偽善に総ての人を巻き込んで、その上で、自分こそがキリストの救いの道を教えるという筋書きを描いています。罪を認めず、罪を感じることが出来なくなると、こういうことを言うようになるのです。裏と闇があり、それを知っている私から見ると、毎日のように驚き呆れるしかなく、そういう者が、いかに、信仰を語り教えるに欠格であるかを書き続けざるを得ないのであります。
 
危機が迫ってきたときに、警鐘を鳴らす、ということがありますが、偽善の言説も警鐘みたいなものを鳴らします。これは煽りの一種のようです。そして、自分の言うことを聞け、聞かないと大変なことになりますよ、と何々詐欺に似たようなことを言って脅しながら、実際は、ますます自分が警鐘を鳴らされる危険な存在になってゆくのです。
 
>取り込まれた戦後の急ごしらえのうわべだけの個人主義と民主主義が破綻し、
>今日の社会は、教育も、家族も、企業も健全な秩序意識が崩壊しているようです。
 
民主主義においては、批判を受け、それに答えることは、必須だと言われています。ところが、上のことを書いている者は、批判を承認制でブロックし、ときには削除して、批判を拒み、批判に答えることせず、たまに答えると、批判者を病気だと言ったり、荒らしだと言ったり、という陰湿な攻撃しか出来ない精神の貧困さでありながら、人ごとのように、日本や社会や民主主義の破綻や秩序崩壊を主張して、自分と同じ信仰を持たないことが原因で、持てば解決する、というような社会を論ずるには、あまりにも短絡した非現実的な結論を、預言者であるかのように、金科玉条として、平気で主張します。もちろん議論も共感もする気はないので、言い張るだけです。それ以上、話を掘り下げることもなく、修正する必要も感じることなく、成長も改善も期することなく、ただ言い張るだけです。だから、言い張ることだけで出来ている宗教を警戒してください。
 
キリスト信仰は、少なくとも人間的共感を求めます。
 
 
>決してキリスト教という一宗教ではなく、イエスご自身によるのです
 
よほど、特別に救世主と親しいようです。こういう言い方、警戒してください。
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27441040.html
(私のコメントは、削除か未承認です)
 
思い込みの強さの分だけ、それに劣らない油圧で、人間の良心を圧搾します。
 
>神の平安がありますように!
 
こういう人の、平安は、恐怖です・・!
 
 
(2016年05月09日)
 
厚顔無恥(こうがんむち)傍若無人(ぼうじゃくぶじん)
という熟語を本文に入れようと思ったが、控える・・・
 
直弟子(じきでし)
微塵(みじん)
警鐘(けいしょう)
 
 
 
 

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