「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「口臭の息抜き」

 
  口臭の息抜き
 
 教会の息抜きと成長
 2016/10/19(水) 午前 9:39
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27753213.html
 
 
(あなた=シャローム氏)
 
>やがて「教会での教職中心派」が広まると、
>それら教会では、上手に信徒の「しんどさ」のガス抜きをしてくれた。
>だから「しんどい」人は教会に身をおくといい。
 
彼、シャローム氏は、まんまと、それに乗っかっていたというわけです。
 
>キリストの福音が「うれしくて」、「しんどい」どころでなく、
>主のため働くのは「楽しく」「いや、喜びです」。
 
主のために、彼、シャローム氏は、自分に反対する者のコメントを、ブロックし、削除して、自分の体裁を守るために利用し、隠蔽した、と言っているわけです。真実の御方である主イエスが、そのようなことを喜ぶはずはないのです。偽善者の言というのは、恐れを知りません。
 
>私も一時無教会主義を自認していましたので、少しは理解できます。
 
あなたは、無教会、無信仰主義でしょう。プロの宗教詐欺師よ。
 
>無教会主義は教会という拠り所がないので、信徒の聖書信仰の熱意によって維持されますが、
 
あなたの主義は、あなたの悪意のみによって支えられています。
 
>教会の教職制という支えのない、信徒の責任だけで続けるのはしんどい。
 
とんだ見当違いですね。信仰の支えは、キリストだけで十分です。こういうことを考えるところに、彼、シャローム氏のような、偽者が蔓延ってゆく隙があるのです。こういうことを言い出す教職を追放し、決して教会を作ることのないように、監視しておく必要があります。
 
信徒がしんどい?・・冗談じゃない。教会が、不可避的にこういう事態を招くなら、教会など、ぶっ壊れたほうがよいのです。信徒に無理が来ているのではない、教会という組織に無理が来ているのです。それを偽善者が庇って隠しているだけなのです。
 
>しかし、教職制に支えられる教会にはまた別のしんどさもある。
 
あなたは、その、しんどさの、根源です。
 
>どういう形であれ、目に見えない生ける神を信じる信仰の支えは人にあるのではない。
 
最も赦し難いことをしている、彼、シャローム氏とその言説が、改まることが第一歩です。どういう形であれ、あなたの言説に頼れば、人間性を破壊されます。あなたの言説は、一見、まともなように見せることで、何も実のない、虚偽に満ちています。隠し事と偽装のプロが、彼です。
 
>しかし、この世にある限り、どのような形であれ、
>教会は神に召されたものの群れとして存在しています。
 
いいえ、あなたのような者によって、人も神も欺いて、バレなければいいという人を、まんまと、許容してしまったのも教会です。
 
>しかし、信徒の交わりである教会のガス抜き、成長も人のなせるわざに頼っていては
>教会のいのちの息吹である聖霊という息抜きになってしまうこともあるようです。
>呼吸は吐く息と吸う息がありますが、やはり人の嫌な口臭でよく息苦しくなることもある。
 
彼が下品な譬えで語ろうとしているのは、成長は神の為せる業と言いたいようです。そのことから、真っ向から背くだけでなく、そのことを利用して、人の為せる業を、くそみそに言って、自分以外の人を貶め、自分の言うことを信じさせようと働き、その悪霊の目的を、ある程度、達成してきたのが、彼、シャローム氏です。呼吸は、吐く息と吸う息がありますが、彼、シャローム氏は、吐く息だけで出来ており、吸う息がありません。臭いのは、当然です。彼の息を吸い続ける人は、人間性が死にます。
 
>トイレ、特に魚釣りした後の車、教会には脱臭剤が必要ですが、
>あまり便利な人為的な脱臭剤に頼り、慣れてしまうと、臭気に鈍感になるかもですね。
 
トイレの悪魔が、彼、シャローム氏ですが、その根拠は、今までに、してきた、キリスト者とは思えないこと、即ち、一方で、神に隠して悪さと卑怯さと神に代わり裁きを働きながら、一方で、神を大仰に讃美しまくって、信仰者から好感を得るという詐欺行為です。下種の極みは、トイレから湧いてきます。脱臭剤は無効で、偽善者は、暗いところ、人に見えないところを好みます。
 
あまり人為的な彼の詭弁に頼り、慣れてしまうと、臭気に鈍感になるだけです。臭いは、元から断たなきゃダメです・・と、きったない比喩に返します。
 
>教会の息抜きと成長は
>イエスキリストの血潮とみことばと聖霊様の新鮮な息吹ではないでしょうか。
 
「ではないでしょうか」という、彼の臭い臭い言い方ではなく、個人も教会も、成長は、キリスト以外からは、もたらされません。奇跡の成り行きなどよりも、私たちが強く意識するべきことは、信仰は私たちの人間性を支えるということです。
 
彼、シャローム氏という、大仰な弁士は、その詭弁を弄して、イエスキリストによって、人を切り捨て、聖霊様の息吹と称して、彼の口臭に会わせ、それに慣れさせつつあるのです。臭い講習会の講師でもやりたいのでしょう。
 
彼は、純粋な悪として、結晶化しつつあります。それは力を見せつけているということです。悪者ではなく悪として、偽善者ではなく偽善として、既に人間性を失った彼に、「者」はありません。偽善信仰の冷血は、もう誰に求められないほど、巧妙な手口で、人を操ります。本当は、今の彼、シャローム氏に、一言も言わせてはなりません。
 
彼のふてぶてしさは、人を欺く悪と偽善を働きながら、一方で、平気で神は偉大だと讃美できることです。こういう真似は、キリスト者には決して出来ません。純粋に、悪意を100%心に満たし、良心を100%殺し尽くしたものでなければ、こういうことは出来ません。これが、彼が信仰と呼ぶものの正体です。直接闘うのは、私だけでたくさんです。
 
純粋な悪に、人間は敵いません。彼、シャローム氏の、不感不応と、真っ向から戦うと、私のように、発狂します。書く以外何も出来なくなります。シャロームは、冷血病ですが、私は、心の熱病です。彼は、人を騙し、人に気に入られる術を、プロとして学習していますが、私には、正直以外に、神の前に捧げるものがありません。人間性を捨てた信仰は、人間性を限りなく破壊してゆきます。
 
 
信仰は何よりも人間性を支えます。奇跡の成り行きなどと言う超常信仰にこだわっていると、むしろ人間性を損なってしまいます。神しか知らないものを人が決めてはいけません。後ろめたい信仰を持っている者ほど、自他の人間性を考えず、神の啓示や聖霊を押し出して言い逃れようとします。
 
私は、自分には人間性が欠けていると感じることがあってから、長いこと、それまで以上に信仰のことを考えています。私は、人間性を、信仰に求めています。人間性は、求めるものであって、持っているものではありません。今は、求めているのだから、はっきりとは分かりませんが、
 
・・何か温かくて好ましいもの、心に働いて、獣性から、氷点から、様々な暴虐から、人間を救ってくれるもの、しかも、きっぱりしていて、勇気に結び付くもの、・・そういう意味で、分からないまま、人間性という言葉を使っています。
 
私たちに必要なのは人間性です。人間性は、当たり前に持っているものではありません。人間性は、生まれ持った人格を、生かし、鍛えながら、ときに理性的にも感性的にも修正し、求めてゆき、ときに悲しみからも、学んでゆく道であり、それこそが信仰です。人間性を軽視する者は、人間性に軽視されるモノになります。
 
 
(2016年10月20日、同日一部修正)
 
 

 

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超おはようございます
10時3時の休みも返上のウルトラ多忙
それも持病の高所恐怖症のため、耐え切れぬ恐怖の高所作業の連続。
でぇ、精神不安定でブログ維持定刻アップできず
ご迷惑かけております
お許しください

日向路、曇時々晴
27℃[+2]
21℃[0]

よき一日を

2016/10/20(木) 午前 3:28 [ sekiyann ] 返信する

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おはようございます

高所恐怖症で?・・ビックリ

お体を大切に、よき一日でありますように、拝。

2016/10/20(木) 午前 4:02 st5402jp 返信する

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