「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「絶句と呆気」

 
  絶句と呆気
 
 絶句するバイオリン(2006.4.29)
 2017/4/12(水) 午前 11:57
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28035883.html
 
 転載元:shirasagikaraの日記
 転載記事:2006-04-29 絶句するバイオリン
 
http://d.hatena.ne.jp/shirasagikara/20060429
 
 
シャローム氏は、より高齢のシラサギ氏の記事をしばしば転載しています。その度に私は批判しています。シャローム氏は、反論しませんし、反論できません。批判を削除しているだけでした。今はコメント欄さえありません。
 
シラサギ氏が、シャローム氏にとって師と仰ぐ説教者であるならば、反論できないのに、批判されるままに転載することは、師と仰ぎながら、自分の失敗と不備を、師のせいにして、自分は転載しただけだから、と知らぬふりをすることになりますが、記事を書くたびに、ふつうは感じる罪悪感とか責任を、シャローム氏は、自分は感じないと、宣言していることになります。これは、無恥の無知と言うべきでしょう。転載者が転載することに対する責任とは、そういうものになるでしょう。賛同して転載して、知らぬふりは出来ないのです。転載元の了解は取ってあるのでしょうか。
 
>きのう横浜・本牧のバイオリン製作者・中村良樹さんが、修理に預けていた
>バイオリンを持って来宅、103歳の母の枕元を見舞ってくださった。
>その良樹さんの家庭集会に、私は1982年から12年間毎月うかがった。
>その前10年近く父が集会をしていた。
>そこで良樹、安樹、若樹の三兄弟夫妻と妹のくららさん、
>それに小さいお子さんも全員父から受洗した。
>良樹さんは若い日イタリアのクレモナで修行して、
>バイオリン製作の大賞をもらい帰国。
>近年はその作品コンクールの審査員を
>クレモナでつとめたバイオリンづくりの名手。
 
次の引用から、転載元はバイオリンが弾けないのだから、修理に預けていたのはバイオリン製作者、いや、バイオリン製作者がバイオリンを修理に出すと言うのも変ですから、やはり転載元がバイオリン製作者にバイオリンを修理に出したのでしょうか。よく分かりません。
 
>良樹さんが新しいバイオリンを持ち出し「f 字孔をごらんください」という。
>中を透かしてみると
>「Yoshiki Nakamura/per Masahito Fugio/Fatto in Hon Moku/Anno 1994」と
>手書きされている。
>わたしは絶句した。わたしはバイオリンが弾けない。
>それを百も承知でこれを作ってくださっていたのだ。どうしてわたしにと驚く。
 
ぽんぽん固有名詞を出していますが、いいのでしょうか、有名人なのでしょうか。
 
>キリストの恵みがわかったとき、わたしたちは絶句する。どうしてわたしをと。
 
神の恵みが「(キリストの恵みが)わかった」と言っています。見える、分かる、と言ったしまう人々。・・前にも書きましたが、
 
 私の「静かなる情熱」2017/4/10(月) 午前 0:51
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/19109776.html
  から引用
 前に書いたことですが、試練と導きは同値です。そのときの、試練だ、または導きだ、という人の判断は、人の都合によって決めていることが殆どでありますが、試練と思うことが恵みのために必須であったり、導きで救われたと思って安穏としているうちにアリ地獄に陥ることもあるということです。同値ということは、つまり、神と違って完全無欠の判断が出来ない人にとっては、試練は導きであり、導きは戒めであり、恵みは戒めと期待を伴わないことはないということです。
 (引用終わり)
 
>そのバイオリンで「バッハ・パルティータ組曲 サラバント」を
>良樹さんが父の遺影の前で弾かれた。聴衆は家内とわたし。
>のどかな春の午後だった。
>「なんという恵み、なんという祝福」(詩篇133・1)
 
1:詩編/ 133編 001節
(新共同訳)
【都に上る歌。ダビデの詩。】
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
 
同じところを口語訳で引用すると、
 
詩篇第133篇
(口語訳)
ダビデがよんだ都もうでの歌
133:1
見よ、兄弟が和合して共におるのは
いかに麗しく楽しいことであろう。
133:2
それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、
アロンのひげに流れ、
その衣のえりにまで流れくだるようだ。
133:3
またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。
これは主がかしこに祝福を命じ、
とこしえに命を与えられたからである。
 
私としては、「いかに」を「なんという」に言い換えたところで、分かりやすくなることはなく、他の形容詞まで変わってしまって、「恵み」という検索では口語訳に出てこないという有り様で、検索を難しくしているだけのように思えます。秘伝にしたい?新共同訳を買わせたい?・・愚痴でした。
 
讃美だけしておれば、神が、この者は讃美を大いにしているので義と見なす、と思うのでしょうか。こういう人は、少なくないだろうと思います。その中で、最も酷いのが、人に隠して神を真っ向から裏切っている、彼、シャローム氏です。もはや、彼と話し合うことは、私のほうも、したくありません。
 
この年月の継続した無反応と隠蔽は、彼、シャローム氏が、彼の信仰によるのではなく、神か悪魔かの定めによる役割を果たしているとしか思えません。ちょうどそれは、カインやユダのように・・。彼らは、内省することが出来ませんでした。
 
多くのキリスト者および偽キリスト者の不適切な信仰の思いがあります。それは、まず、信仰について述べ伝えるときに、幸いと災いを自分で決めてしまうことです。
 
そして、幸いなることは大きく人に伝えます。今回の記事のように、たちまち、キリストの恵みに結び付けて、感謝し讃美するのです。
 
そして、災いについては、試練だと思うことは、立ち直ってから、幸いと同じように大きく感謝し讃美するのです。
 
そして、災いとしか思えないことについては、悪魔か批判者のせいにして、言わないように、言わせないようにします。
 
こうやって、見事に、ご利益宗教の完成ということになります。
 
前にも書いたように、恵みと試練は、神の分別を知り得ない人にとっては同値でしかありません。導きの因果は、神のみがご存知のことです。神の因果を、人の快楽原則で、安易に判断して、差別して、よい記事を書こうとするのは、人がその浅ましさによって信仰を支配する行為です。
 
神は全能だから自分がそうすることを百も承知なのだ、という、思いつきのような、反論があるかもしれません。しかし、神がご存知だから、上のようにしていい、と言うのは、祈りは、正直な気持ちでなければならないのに、人に伝えるときには、神はご存知だから正直でなく作為的にやれ、と言っているようなものでしょう。さらに恐ろしいのは、このような作為は、長いこと続けていると、習慣となり、常習となり、作為という自覚さえ失ってしまう、ということです。それはそのまま、人に対して、限りなく胡散臭くなる偽信仰者の誕生です。
 
感謝や賛美は、いくらしてもよい、怪しまれることもないし、信仰が厚くて熱心だと思われるからだ・・というような考え方が、彼、シャローム氏のような、自己中心の無罪妄想信仰者である偽善者を、牧師になるまで見過ごす結果となっています。
 
苦しいこともあることを、なぜ、苦しいままに叫ばないのか、このことが、信仰を社交の世辞に変えてしまうのです。失われてゆくのは、信仰者の真実と事実です。
 
見える、分かる、知っている、と言いたがる信仰者、あるいは、言わないといけないと思っている信仰者が多すぎます。
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
9:41
イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。
  (ヨハネ書9:41、新約聖書)
 
人の意見を受け付けず、愚にもつかぬ自分の意見を、神の啓示だと偽って、だらだら一方的に言い続ける、彼、シャローム氏のような人が相手だと、また書くことになりました。呆れるほどの無理解と盲目に対して、キリストが言った言葉です。大袈裟でも何でもない、信仰者は、自らの信仰についての、盲目を知るべきなのです。
 
逆説的な真実の言葉として、人間ならば分かるはずですが、この私の「分かる」は、逆説表現が言わんとしていることについて、人間について、また、人間として、感じて同意するところがある、という意味です。そういったことを、一切、意に介さずに、すでに破滅的な状況なのに、神の領域について、分かる、見える、知っている、を振り回す人々がいます。彼らの思い込み信仰は不遜から邪悪まで、伝道ではなく、一記事一記事を批判とともに広く敷衍して戒めの糧とするべきだと思います。
 
 
(2017年04月13日、同日一部修正)
 
呆気(あっけ)
唖然(あぜん)
敷衍(ふえん)
 
 
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