「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「信仰メモ」

 
  信仰メモ
    かなり断片的な、まとめのようなもの
 
 
神を信じる、キリストを信じる、と言っても、実際、何を信じているかは、とても不気味です。誰もが信じることとして、神の正義と愛と救済の意志がありますが、人は無限の時間と空間を知り得ないので、どのように成就するかは、厳密には分からないと言うべきでしょう。
 
罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくてよい、などという、とんでもない妄想を信じている者もいます。その妄想が教えとして広まったら、何をしても無罪だから好き勝手に振る舞う者たちだらけになるだろう、という必然が、すでに人間を生かす信仰ではないことを示しています。私が名付けたところの、無罪信仰というものです。
 
神が、人間の世界で人間を駄目にするような信仰を与えるとは思えません。
 
そこまでいかなくても、似たようなこととして、過去、現在、未来の、すべての罪が、既に赦されている、などという信仰観も、似たようなものです。神の生命保険にかかっているから安心と言っていた者もいます。私が名付けたところの、予定調和の信仰というものです。
 
神は、人が、神の意志と行為を決めつけることを是とするとは思えません。。
 
これらは、既に、救いによって導かれる人生を、前もって、人が、バラ色に染めてしまっている考え方です。したがって、このことから、赦し救い恵む神を信じても、戒め懲らしめる神を信じなくなる傾向が強くなります。また、話が、神の世界のことばかりになる傾向があり、お伽話や夢物語や空約束の話になりやすく、そのため、陶酔気分や多幸気分を聖霊体験や神の奇跡と見なす誤謬に陥りやすくなる可能性もあります。
 
神が、人に対して、どう導くか、何をなさるかは、人には分からないので、異言、預言、聖霊体験、奇跡などの、超常体験がないとは言い切れませんが、超常体験はカルト的偽信仰の根拠となりやすい、ということを忘れてはいけません。推測として、超常体験者は、神の領域に直接触れたのだから、恐れのために慎み深くなるはずですから、聖体験を振りかざすようなことはしないでしょう。超常体験を唱える者に対しては、人間の間で、それに相応しい信仰者の言動であるかどうかを見てゆかなければなりません。
 
 
信仰の恵みで、人間が了解できるものとしては、祈りによる恵みとして、他者からの自由、祈りによる絶対孤独からの自由、といった解放があります。それは、神の下にいるという価値基準の自覚によって、目先の利益のために右往左往することからの解放とも言えるでしょう。気分的なものだろうと軽んじる人もいるかもしれませんが、祈ることを知らなかったら、その解放気分もないのです。さらにそれが、一生を支えるとしたら、決して気分と見なして済ませたり軽んじたりしてよいものではないはずです。
 
信仰は、ときに被害的また他罰的な念慮を伴うことがあります。これは意識して、克服してゆく必要があります。嫌いな人への復讐を神に祈ったりすることも含めて、私が名付けたところの、呪いの信仰というものです。
 
呪いの信仰は、キリストまたは神が自分を愛してくれる、という確信から、いつの間にか、自分だけを愛してくれる、と誤解するところから、自分に冷たい人や、自分より能力や財産が勝っている人を救いから除外して、信仰者である自分への神の愛を偏愛のように思い込むところから生まれます。
 
真実の神は、与える使命によって人により導きが異なりますが、依怙贔屓をするとは思えません。信仰者が敵意を持って他者を呪うのを是とするとも思えません。
 
これら、片寄った、というか、曲がった信仰は、いさかいや、敵意の原因となり得るものです。神は、いさかいを是とするとは思えません。
 
信仰は、気合いもろとも、否をゆるさず、信じ込むことではありません。このような信じ方や、信じさせ方は、カルトによく見られるものです。そのような信じ方では、誰かの信仰観や解釈を鵜呑みにしてしまうことになるでしょう。
 
神は、人が、神の意志と行為を決めつけることを、是とするとは思えません。
 
 
神を信じる信仰とは、神の存在と導きを、それなしでは生きていけないほど、強く待ち望むことであります。キリストを慕いキリストを信じることをキリスト信仰と言います。その際に、人が取れる唯一の手段は、祈りであります。キリスト信仰は、祈りの信仰であり、待ち望む信仰であります。ゆえに、祈りにおいて神に対して偽ることは大罪であります。神に祈るときには飾ることなく正直に祈るべきです。
 
キリスト信仰は、罪を認めて悔い改め、赦しと癒しと救いと導きを祈り願う信仰です。悔い改めと祈りなしでは、キリスト信仰ではありません。人は神の民として神の下にあるべきです。それは、人は、神と違って不全ゆえに、罪を犯すからです。ゆえに祈りの信仰は、罪を犯しても、神によって赦されて立ち直るためであります。
 
人間がいかなる罪を犯し得るかについては、数えきれないほどの様々な罪になるでしょうが、上に述べたことからも、少なくない罪を考えることは出来るでしょう。
 
 
以上、まとめとして、今のところ、重要なキーワードとして・・、待ち望む、祈り、罪を認める、悔い改め、赦し、癒し、救い、導き、乞い願う、人は神の下にある神の民、正直、神への偽りは大罪、・・というところでしょうか。神の、不可知だが完全なる正義、人の、知的だが不全なる正義、と付け加えておきます。
 
注意するべきこととしては、長く使われてきた「信じる」という言葉は、極めて誤解されやすいと言わざるを得ません。廃止するべきとまでは言わないが、十分、その弊害に留意して誤解を避ける必要があるでしょう。
 
神は、人が、神の意志と行為を決めつけることを、是とするとは思えません。
 
 
神を信じる信仰者とは、姿は見えなくとも、理解は出来なくとも、父なる神が、また、キリストが、絶対の正義と永遠の愛をもって、自分を見ていてくださる世界でなければ、生き甲斐を感じることが出来ない者のことを言います。
 
絶対の正義と愛が見えない世界だからこそ、まやかしの教えや、目先の利益に、惑わされないために、神の民の、キリストの群れの中に、何も携えずに、受けて反応できる心を目いっぱいに広げて、導きを待ち望みたいと思っています。
 
自分を見ている御方の厳しくも温かい視線に包まれていながら、しばしば、その視線を忘れるけれども、祈りの時と場において、それを思い出し、正直な自分を日々捧げることで、傷から立ち直り、人間として、神の民として、どんな状況でも絶対孤独ではなく、告白する相手が救いの御方であることに希望を持って生きる人々の一人でありたいと願っています。
 
嘘や偽者が蔓延り闊歩している今の世でありますが、自分の至らざるを知るように導かれた幸いをもって、余計な持ち物に煩わされることから解放され、人間としての共感と共有によって福音を伝える道も開かれるだろうと祈り願っています。
 
ときに背き、ときに怒り、ときに死を夢見るときも、孤独のうちに、悲しみのうちに、聖なる御方に祈る道が与えられていることの幸いを知ることが出来ますように。これからも、嘆き悲しむならば、主の導かれる道において、癒しと慰めが与えられますように。
 
結びに、私の愛する聖句です。※は私見です。
 
 
わたしは、わが魂をみ手にゆだねます。 (詩篇31:5より)
 
 ※ 究極の避け所
 
主は心の砕けた者に近く、
たましいの悔いくずおれた者を救われる。 (詩篇34:18) 
 
 ※ 救われる必要十分条件
 
あなたのいつくしみは墓のなかに、
あなたのまことは滅びのなかに
宣べ伝えられるでしょうか。
あなたの奇跡は暗やみに、
あなたの義は忘れの国に知られるでしょうか。
しかし主よ、わたしはあなたに呼ばわります。
あしたに、わが祈をあなたのみ前にささげます。
主よ、なぜ、あなたはわたしを捨てられるのですか。
なぜ、わたしにみ顔を隠されるのですか。 (詩篇88:11−14より)
 
 ※ 人の信仰が成長するためには
   神の前で、何らかの時に
   悲しみの共感が必要である。
 
わが目はあなたの救いと、
あなたの正しい約束とを待ち望んで衰えます。 (詩篇119:123)
 
 ※ 人の信仰が成長するためには
   神の前で、何らかの時に
   悲しみの共感が必要である。
  
   人が信仰を必要とし
   信仰を知り
   成長するのは
   喜びではなく悲しみの時である。
 
 
※ これも私見に過ぎませんが・・。
 
ペテロとユダの違いは何でしょう。ワンポイントだったかもしれません。ペテロは愚直だったが、いちばん大事なところに気づくことが出来たので、裏切りから悔い改めることが出来ました。ユダは頭のいい人だったが、いちばん大事なところに気づくことが出来ず、裏切りから悔い改めることが出来なかったのです。その差は、わずかかもしれません。ただの従順ではありません。ペテロは弱いがゆえに揺さぶられ、ゆえに恐怖からも思い込みからも立ち直ることが出来ました。ペテロは、知力ではなく、受けて反応する器が豊かだったのです。
 
 
(2017年04月29日、同日一部修正)
 
依怙贔屓(えこひいき)
神の下に(かみのもとに)
蔓延る(はびこる)
闊歩する(かっぽする)
宣べ伝える(のべつたえる)
陥る(おちいる)
お伽話(おとぎばなし)
 
 
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