「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「火花で飾る」

 
  火花で飾る
 
 その名は不思議
 ハンドルネーム:shalom
 人生で、イエスさまと出会う
 2017/5/14(日) 午前 8:30
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28084146.html
 
 過去記事:
 だれと出会ったか
 2015/1/27(火) 午後 10:22
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/26345101.html
 
 転載元:shirasagikaraの日記
 転載元記事:2014-06-30 人生で、イエスさまと出会う
 
http://d.hatena.ne.jp/shirasagikara/20140630
 
 
不幸な事情を抱えていたサマリヤ人の女性が、イエスに出会い、イエスがキリストであると告げられる話です。聖句を抜粋して引用します。
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
4:7
ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。
4:8
弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。
4:9
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。
4:10
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
 (ヨハネ書4:7―10、新約聖書)
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
4:25
女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
4:26
イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。
 (ヨハネ書4:25―26、新約聖書)
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
4:28
この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
4:29
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
 (ヨハネ書4:28―29、新約聖書)
 
イスラエルから蔑視されていたサマリヤ人の中から、イエスの話を聞いた女性が、また、女性から話を聞いた人々が、キリストを信じるようになる話です。この段階で、女性は「この人がキリストかも知れません」と推測を語っています。神の世界を知らない人間らしい発言だと思います。このようにして、信仰は、超常奇跡ではなく、人間の中に生まれる必然として育ってゆきます。この女性の発言から、彼女が神という恐るべき相手に対して、一貫して、人間らしい低さを保っていることが分かるでしょう。
 
>「彼らは女に言った。『わたしたちが信じるのは、
>あなたが話してくれたからではない。
>自分で聞いて、この方が救い主であるとわかったからだ』」
>(ヨハネ4・42)
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
4:42
彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。
 (ヨハネ書4:42、新約聖書)
 
記事の中の引用と、聖書の言葉と、違うところがあります。
 
引用:あなたが話してくれたからではない
口語訳聖句:もうあなたが話してくれたからではない
 
「もう」の有無です。他の訳を見ても、「もはや」「今」といった言葉が付いているようです。
 
>魂と魂がスパークして火花が散って、人生がぐう〜と変わるのを
>「出会い」といいます。
>すごい先生や友人と出会えた人は幸せですが、
>そういう出会いがなくとも、
>イエスさまとはだれしも出会えるのです。
 
キリストに出会ったサマリヤの女性は、スパークするように一瞬にして信仰者になったでしょうか。引用29節には「この人がキリストかも知れません」と書いてあります。上のほうに書いたように、決めつけるだけの確信の乏しさが推測として語る人間らしい低さなのです。確信して揺るがず訂正不能なのが、奇跡をありがたがって人間を疎かにするシャローム氏などの自分信仰者なのです。成り立つ何の根拠もなく、言動が明らかに矛盾していても、どんでん返しの奇跡を今も待っているのでしょう。
 
人から聞いて、または、聖書を読んで、私たちは、キリストに出会う経験をするわけですが、最初は、興味本位に過ぎないけれど、その経験を重ねるごとに、聖書に書かれているキリストとに去り難い縁のようなものを感じて、さらに聖書を読み、経験を重ねることを希望するようになります。聖書は、書物ですが、そのような深い中身を持っているということでしょう。
 
しかしながら、私などは、イエスは、キリストなのだろう、つまり救い主なのだろう、という思いにとどまっています。しかし、その思いは、もしなかったら、生きる気にならない、というほどの思いです。私の信仰は、そういうものです。
 
その最初を、キリストとの出会いと言うことは、よくあります。それは、霊的または精神的な出会いです。しかも、出会いの始めからキリスト者ではなく、そこには経過があります。魂の奇跡は、人間の感動や縁のようなものを経ているので、魔術のように突然起こるのではなく、分かる程度にも、一生涯を通じて、成長があるということです。
 
ところが、普段から、自分とキリストの一体感を主張し、聖霊体験によって現実に超常を持ち込もうとするような、人間としての節操を超えた振る舞いをしている者は、だんだんという人間らしい理解のステップではなく、出会った途端に、火花が散るように、すべて分かった、という超常奇跡の話を言いたいがために、最初から分かった、という話に持ってゆくようです。
 
それで、意識的にか無意識的にか、自分には瞬間的に分かったと、最初は違うが・・という意味の「もう」「もはや」「今は」という経過を表す言葉を無視してしまうのでしょう。このように、超常信仰などの自分信仰は、いたるところで、神が、と同じように、自分が、と目立つことを好み、自分を高めようとするので、馬脚を露すことになるようです。誰かから聞いたのではない、自分は神から直接受けた、という証拠を自分でこしらえようとするのです。それによって、むしろ逆に、私たちは、自分が超常信仰者ではなく、人間であることを確認するべきだと思います。
 
信仰によって、人間は、人間としての経過で、キリストとの縁に気づいて行き、またそう望むようになり、祈るようになり、それゆえ、超常については、ますます、自分を超えた大きな存在として、口を慎み、大仰なることを控えるようになります。
 
それが、神を恐れることであり、敬虔なのです。それは、神、キリスト、聖霊、奇跡、といった超常を否定することではなく、超常に対する自らの身の程を弁えることです。信仰は、超常なる神に仕えることであって、超常として神の世界に参加することではありません。神を信じることと、神と同じようになることとを混同するのは、絶え間なく訪れるところの、悪しき誘惑であります。
 
 
(参考までに)
新共同訳1987
4:42 彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」
新改訳1970
4:42 そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」
前田訳1978
4:42 そして女にいった、「われらはもはやあなたがいったから信ずるのではない。自ら聞いて、彼こそ真に世の救い主とわかったからである」と。
文語訳1917
"430442","かくて女に言ふ『われらの信ずるは、汝のかたる言によるにあらず、親しく聽きて、これは眞に世の救主なりと知りたる故なり』"
 
私たちが、神を、キリストを信じるのは、聖書を読んだ途端、とか、話を聞いた途端、とかではありません。そのとき、何かの衝撃を受けることは、あるいは、あるかもしれませんが、それは、信仰ではなく、まだ未熟な心が揺さぶられたと思ってください。出会った途端、という言い方には、勘違い、幻、思い込み、妄想が、まさに本人の心の闇から取り憑きやすいのです。み言葉に触れた途端、雷に打たれたような衝撃を受けて自分はキリスト者になった、などと言う者を警戒してください。その人は、信仰に、愛の恵みではなく、魔術の恵みを求めています。
 
 
(2017年05月15日、同日一部修正)
 
 
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