「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「偽信仰」

 
  偽信仰
 
 
シャローム氏は、今まで数々の詭弁を弄して、自己正当化の言い逃れをしてきました。罪は悔い改めなくても赦され救われるから気にしなくていい、という、無罪信仰であることが分かったのは、まだコメント欄があった頃です。彼が、うっかり、本音を吐いたので分かったことです。最近も、彼は、うっかり、キリストの言葉を、遺言だと言いました。
 
こうして、彼が、反信仰者である証拠は、少しずつだが、積み重ねられてきたのです。批判をしなかったら、これらは明らかにならず、彼は、今でも、元牧師として、偉そうにゴタクを並べて満悦し、それに影響される読者も、さらに増えたことでしょう。
 
今でも、ネットでは、たまたま訪問した人が、影響を受ける可能性があります。すでに取り込まれたと思われる者と、彼の師ではないかと思われるほど似たような主張をしている者がいます。彼は、超人間的、超現実的な、悪魔的な解釈で、これからも影響を及ぼし続けるでしょう。
 
彼は、無罪信仰者であり、言説がまとまらず矛盾や破綻の目立つ人で、人間の理路や情感が理解できないので対話が成り立たず、聖書も思想も政治も理解できていないという印象が強いのですが、無罪信仰の修正不能な精神生活のせいもあるのでしょう、そのことを全く自覚しない人であります。彼は、本心では、全く反省せず、非を認めないの人なので、社交の世辞以外で、本気で、謝罪したことがなく、反省を書いたことがありません。これは、反省したなら、それが文章に表れるはずですが、全く表れなかったという経過から判断していることです。
 
彼の有り様を想像すると、恐らく、自分が理解できないことを、自分に神がこの世の知恵ではなく神の知恵に頼ることを教えてくださった、とでも解釈するのでしょう。また、キリストの言葉を遺言と言った、などの失言については、失言を反省するのではなく、このようなことを言う自分でさえ、救って無罪としてくださるとは、神は偉大なり、と讃美するのでしょう。そこに悔い改めはなく、過ちを犯さないように努める糧すら何もない無罪化処理をするのです。
 
ここに共通してみられる信条は、どこまでも、自分は救われるという前提で、神のほうを曲げて解釈し続けている、ということです。ここにおいて、祈りは、彼にとって、何の意味もなくなっています。自分自答の啓示を捏造し敷衍しようとして、そのために、コメント欄を閉鎖しています。どう考えても、この脳天気な厚顔は、へらへら笑っているとしか思えないのです。彼は、まさに、あらゆる善の良識を、あざ笑って、なぎ倒して進むでしょう。
 
このような、どこまでも、自分は救われる、という前提に立つ者は、この世界では、多くの齟齬を来たすけれど、それらを全部、自分のために、オートマチックに信仰讃美に変えてしまうのです。これは自分信仰であって、決してキリスト信仰ではありません。
 
信仰に、自分の欲だけがあり、自分を引き締める何の戒めも、何の節操もない、というのが、彼の信仰です。彼に対しては、もはや、説得するのではなく、キリスト教やキリスト信仰という名前で広まることのないように、彼の矛盾と齟齬を捉えて、周りから言論の圧力を加え続けるしかないのです。
 

 
こみいった思想や論理が理解できない人は、たくさんいると思います。私も、学問的なについては、詳しいことは知らずに、感想を書くにとどめています。例えば、神学、哲学、思想、政治、などです。私も含めて、多くの人は、専門的に、例えば聖書の解釈を、原語をまじえて書くなどとということは出来ません。
 
しかし、信仰については、信仰者として生きており、また、それを求める立場からは、言えることがあるのです。専門知識ではなく、そこに暮らしていることから、つまり信仰者の自覚で明け暮れていることだけから、言えることを考えて書いています。
 
 
(2017年05月19日)
 
齟齬(そご)
捏造(ねつぞう)
敷衍(ふえん)
捉える(とらえる)
 
 
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フォノン通信なるブログをやっているJ.Katoというものです。ときどきブログを訪問いただき、ありがとうございます。突然ですが、コメント(質問)をさせていただきます。多分ですが、シャローム氏という方は、私が時々、コメントのやり取りをしているshalomさんと同じ方と思われます。まず、私はキリスト教徒ではありません。精神は仏教を追い求め、魂は神道寄り添うています。
引用「罪は悔い改めなくても赦され救われるから気にしなくていい、という、無罪信仰」あつかましいのですが、この部分の意味をキリスト者ではないものに解説していただけないでしょうか。

2017/5/21(日) 午前 10:17 phononjk 返信する

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まず私の解釈を書きます。「罪」は、キリスト教では「原罪」と言われるものである。神によって創造された人間は、そのときから「罪」を背負って生きてきた。その「原罪」のことである。この罪を悔い改める、この悔い改めるとはどういう意味か?「私は罪深い人間であるから、常にこれを自覚し、神にその姿を見ていただかなければならない。そして、深き罪を負っていることを反省していかなければならない」ところが、元牧師であるシャローム氏はそうしなくてもいいのだと述べている。ここを読んだ時になぜか浄土真宗の開祖「親鸞」の教えを想起しました。たとえ悪人であっても成仏できる。阿弥陀如来に向かい「南無阿弥陀仏」を唱え続け、浄土を信仰することで、浄土へと行けるのだいう教えを想起したのです。阿弥陀如来をキリストに対応させれば、浄土真宗は、キリスト教に似ている。「無罪信仰」とは、ヒトには「罪はない」とする立場のことである。
以上が、門外漢である私の解釈です。

2017/5/21(日) 午前 10:37 phononjk 返信する

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コメントありがとうございます。
仏教のことは勉強不足で、ちょっと分からないのですが、キリスト信仰は、罪の自覚に始まらなければ信仰ではないと思います。悔い改めるとは、後悔して、罪を認め、それを祈り、神に告白することで、神に対する態度を改めることで、新しくする、これは、新しくしていただけるように、祈り願う、ということです。そこに、既に、少なくとも、いつまでも自責する病からの救いが既にあるわけです。絶対孤独からの解放と私は書いていますが・・。

2017/5/21(日) 午後 0:47 [ st5402jp ] 返信する

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誤解してほしくないのは、キリスト信仰が罪を強調すると私が思うのは、罪を意識する必要は、人間が罪を何とかするためではなく、神の前に、人が不全の立場の罪人である証拠だからです。罪を意識しなくなったら、シャローム氏のように、自分に都合の良いように働いてくれる神?のみに感謝し、その神?のみを讃美するだけになるでしょう。

シャローム氏は、キリスト信仰の福音と称して、この悔い改めをしなくても救われる、と言っていました。もし、彼の言う通りなら、それを信仰と呼ぶ必要はないでしょう。罪を意識することもなく、自動的に救われるなら、信仰の意味がありません。罪など気にせず、好きなように振る舞うわけですから、絶対自己中になると思います。

2017/5/21(日) 午後 0:47 [ st5402jp ] 返信する

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シャローム氏とコメントの遣り取りをしておられるとのことですが、気をつけてほしいのは、彼のコメントには、賛同者〜脅威にならない者に対しては、社交の世辞として、分かっていなくても、彼は、受け入れるような書き方をしてきたということです。信仰について、正面からの遣り取りは出来ない人です。あとで、全然違う、ということが明らかになったことがあります。あとで、分かっていたんだ、ということが明らかになったことは一度もありません。相手によって、好きなように、やり方を変え、嘘も吐くし、感謝も詫びもしますが、それは、本心ではありません。私は、それに6年前に気づいて驚き、ずっと批判を続けています。

2017/5/21(日) 午後 0:56 [ st5402jp ] 返信する

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丁寧なご返答、ご助言、ありがとうございます。
Shalom氏が、ゲストブックを開設していないことをいぶかしく思っていました。彼のゲスブに行って、いろいろ話したかったのですが、結局、私のゲスブのみで長々と話してしまいました。私が「1」の量のコメントを書くと彼は「3」の量のコメントを返してきます。
まず、私と語りたいならば、shalomさんは、ご自分のゲスブを開くべきなんです。
私は、キリスト教やユダヤ教の「God]を日本語で「神」と翻訳し、それを定着させてしまったことが、日本人が一神教の「神」を理解できない理由のひとつになったと思います。(この事は、多くの方が指摘したことだと思いますが。)
かつて、「天主」、「上帝」(平田篤胤が使用)と呼んだ時代がありました。GODと日本人がいう神とは、まったく違うもの(存在)であると、この歳になってようやく納得できた次第です。

2017/5/21(日) 午後 11:27 phononjk 返信する

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あなたさまに申し上げたいことがあります。私のブログ内のゲスブにおいてコメントをshalomさん宛てに書くときは、まず私に断ってから、コメントを始めるのが筋ではないのですか。
何の断りもなく、書き込むのは無礼でしょう。

2017/5/22(月) 午前 10:06 phononjk 返信する

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失礼しました。ここに書かれたことから、シャローム氏のコメントで困っている、という意味かと誤解したようです。違ったのですか。3倍書いてよこす、と書いておられるから、困ったもの、という気持ちと察したのですが。

・・でも、コメントを書くときに、コメントを書きます、とコメントに書いて、断ってから書くものでしょうか。転載依頼などなら分かりますが。それに、どこに書いてあっても、シャローム氏のコメントには、私は、批判コメントを、やはり付けるでしょう。

2017/5/22(月) 午前 11:32 [ st5402jp ] 返信する

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今は、あまり使わなくなったかもしれないが、横レス、という言葉もあります。また、あなたさまが、それが嫌だとおっしゃるなら、こちらは、考えるでしょうけれど、それは、あなたに対して、無礼ではいけないと思うからで、礼というのは相手を思いやる気持ちですから、シャローム氏に対しては、彼からの思いやりを感じたことがないので、彼の礼はうわべに過ぎなかったから、彼に対しても礼を整える気はありません。

2017/5/22(月) 午前 11:39 [ st5402jp ] 返信する

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11:32のコメントは訂正します。開かれたコメント欄に書き込むために必要なのは、真面目に書く意志だけだと思います。
三つ巴以上の複数での議論が、一人のコメント欄で展開されることもあります。私は、大真面目にそちらに書き込んだつもりです。

2017/5/22(月) 午前 11:55 [ st5402jp ] 返信する

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> st5402jpさま
。「三つ巴以上の複数での議論が、一人のコメント欄で展開されることもあります」・・・これはよくあることだと認識しています。
ゲストブックというのは、他のコメント欄とは違っていますよね。ゲストブックは、私にとっては「自分の家にお客さんを迎えて話す場」であると思っているわけです。
Shalomさんは、外部からのコメントを受け付けないようにしていますから、戸田さまが、必要ならば私のゲスブを使っていただきshalomさんに語りかけてかまわないのです。ただ、いきなりゲスブに書き始めたので、それはないでしょと感じたわけです。許されるならば、私もお二人の対話に加わりたいと思うくらいです。
「私は、大真面目にそちらに書き込んだつもりです。」そう感じております。
私も「無礼でしょう」という表現は強すぎたと反省しています。

2017/5/22(月) 午後 7:33 phononjk 返信する

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レスありがとうございます。お気遣い、感謝いたします。

2017/5/22(月) 午後 8:21 [ st5402jp ] 返信する

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