「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「因縁付けと良心」

 
  因縁付けと良心
 
 
人について語ることは、その人の目に見えるもの、表したもの、そこからの感情と思想など、目に見えないものとしても具体的なことが多くあるだろう。
 
神について語れることは、絶対を表す言葉ばかりで、地上を生きる人間にとっては、そうですか、そういう解釈ですか、という感想以上を持ちえないことが多い。
 
にもかかわらず、神を信じる人は、しばしば、人について、事物について、神への因縁付けをしたがる。多くは讃美のつもりだ。
 
自分が受けた幸いを人に伝えたいというのは、信仰者が伝道を志す原初的な動機として正当だが、その際、神について多くを語りたい気持ちが、因縁付けに走ることを危惧している。
 
自分と他者の信仰に関わる人間としての気持ちと経験を中心に語るべきところを、知りもしない神の御心を語ることは、神の言葉としても人の言葉としても危ういと知るべきだろう。
 
聖書の解釈を語るにしても、超常言葉の連発で決めつけられたら、信仰の幸いは伝わらない。反応してくる人は超常趣味の人だけだろう。
 
自分が言っている言葉が、神との関係を装いながら、実際には神の行為と自分の行いや成り行きを結び付けてしまっていることに気づく必要がある。
 
神は、人によって結び付けられるような御方ではない。神の意志と行為を決めつけて、この地上との間に因縁付けを決めつけて教条とするような解釈は、神の絶対性を侵している。
 
 
どんなに、一見、矛盾がないように見える解釈も、考えてみて、人間の良心に反する結果が常に予想されるならば、それは、その一点において、既に、退けられるべきものです。
 
そのような解釈は、さらなる冷静で賢明なる思考と感性によって、欲望や、自尊の高ぶりや、非人間性や、偽りや、詭弁などの、人間の良心に対する敵である恣意の成分が見つかるでしょう。
 
そしてそれは、人間をこよなく愛し、善き人間性を育てるところの、神への敵対でもあります。
 
何故なら、罪人とはいえ、人間の良心は、神が、人間のために与えた善きものであり、不完全ながら、人間は、良心によって、罪に対抗しなければならないからです。そして、完ぺきではない人間の良心が健全に育つように、人に、神の愛によって与えられるのが、信仰だからなのです。
 
良心は信仰によって成長しますが、良心を無視した信仰?は、真実の信仰も、良心も愛も、蝕んでゆくでしょう。愛は、良心という名の人間性に注がれ、それは信仰と不可分であります。
 
愛がなければ信仰が無意味なのは、愛が信仰を支えるからであり、そこを人間の良心から離れた魔法にしてはいけないということです。
 
神の愛が、人の愛を生かし、人の愛もまた、人の愛を生かします。愛の感受と施しは、神と人の、人と人の、良心の共鳴であります。喧しいシンバルとは全然違うものです。
 
おかしい者たちは、おかしいことに、人間の良心を信仰の敵とします。
 
人間が、良心において感受し考えたものに対して、おかしいと判断することは、神由来の直感かどうかは分かりません。しかしながら、人間は、おかしいと感じる教えとともに生きることは出来ません。
 
人の不完全な良心の判断においては、完全に良いという判断は神への冒涜であり、おかしいという疑問か部分否定の判断は、良心に照らして可能な判断であります。
 
完全でないと気が済まず、思考不十分のまま、完全の教えを見つけたという短絡が、自尊の欲望からの非人間性によって、良心によらない詭弁を作り出すのでしょう。
 
恣意による解釈は信仰を装う超常の言葉と理屈の決めつけに溢れ、愛を欠いています。
愛は良心の原動力であり、良心は愛の内なる住まいとして営まれ続けることが必要です。
 
実際、私たちが、信仰によって愛を思うとき、働いているのは、聖霊であれ、導きであれ、私たち人間には、内在する良心が目覚めて働いていると感受されるものなのです。
 
自ら恥じて祈るとき、また反省するとき、信仰に生かされて目覚めた良心の働きがあり、恥ずかしい気持ちでありながら、諦めも少し含んでいるようでありながら、悲しみに気づくことが愛の感受であるかのように、瑞々しく優しく、愛を感受するときと同じような、潤いと温もりが与えられることがあるでしょう。
 
真実の信仰は、ある種の逆説をもたらします。恥と屈辱を、愛のような恵みに、硬く強張った緊張を、砕かれた魂の緩やかな流れに、どうしようもない弱さを、静かな勇気に、変えてくれる時があるでしょう。
 
まさに、その時、人は、神の御前にいるのです。
 
 
(2018年02月05日、同日一部修正)
 
恣意(しい)
喧しい(やかましい)
蝕む(むしばむ)
諦め(あきらめ)
瑞々しい(みずみずしい)
 
 
 
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