「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

全体表示

[ リスト ]

「目を覚まして」

 
  目を覚まして
 
 
神は人に
この世界の片隅に
神由来の部屋を作って
ひねもす聖書語を思って過ごすために
信仰を与えるのではない
 
この世の荒波の中で
神様の用意する避け所は
時々の
祈りの時と場所であって
そこで暮らせという意味ではない
 
神は人に
人の世界を離れて
神の世界の超常ばかりを思って
人の汚れを憎むためだけに
信仰を与えるのではない
 
信仰者も
地上に生きる間
この世の人であり
汚れていることに変わりはない
それゆえ信仰が与えられるのである
 
鏡を見よ
自分自身を見よ
どこが神聖に相応しいと言うのか
そのとき知るべきは
自他の汚れと罪である
 
この世に生きて疲れたときの癒し
という働きを信仰は持っているが
間違っても
この世を離れて思考停止することを
信仰は勧めていない
 
思考停止してよいのではなく
考えあぐねるのに疲れ果てたとき
時宜に適った機会があり
疲れたことを告白する所があり
祈りに答えて休息が与えられるのである
 
したがって
いつも安らかで揺るがない信仰などはない
信仰は
心が揺さぶられるためにあるのであって
思考や情緒が停止するためにあるのではない
 
ペテロもパウロも聖徒たちも
どれほど揺さぶられたかを
聖書を読んで知るならば
平安と呼ぶ安穏の沼を自ら作って
信仰と呼ぶ者を警戒するべきだ
 
警戒するべき者たちは
赦しと癒しと導きと救いの成り行きが
まだ終わっていないうちから
辻褄を合わせた話を作って
悟りに見せかけた自らの既製品を売るだろう
 
信仰者は神の定めた役割を持つために
この世を生きる人間の一人として
キリストに縁付いて呼ばれた者であり
信仰が特別な人に与えられるのでないことは
選ばれた人々の低い位置から明らかである
 
「目を覚ましていなさい」
安楽を片手に盗人のように近づいてくる者は
高い値札から服従を求めるだろう
 
「目を覚ましていなさい」
平安を与えに来る救い主は
遜る正直以外の値を求めない
 
 

 
気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。
(マルコ13:33、新約聖書、口語訳)
 
この聖句は、たぶん、終末のことを言っているのだろうと思います。
しかしながら、不眠症になれと言うのではなく、心の目を覚ましているべきだと思うのは、
正当化、辻褄合わせ、隠し事、人に対して、神に対して、
というカルトが潜んでいるのを、それこそ自らの内外に感じるからです。
そしてそこに満悦して不変不動になることが最も信仰を害すると思っているからです。
 
 
(2018年03月07日、同日一部修正)
 
 
聖く(きよく、清く)
時宜(じぎ)
適う(かなう)
安穏(あんのん)
値(あたい、価)
遜る(へりくだる、謙る)
 
 
 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]  
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
 

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事