「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

全体表示

[ リスト ]

 
  「目標と達成」コメント(2)
            ・・続きです・・
 
 
私の批判は真実を知らず語る人に
対して、、です。
 教えには信じられない矛盾はないのです。
 至ったあとの境地だけは経験しないと
味わえませんが、学びに矛盾はありません。
 自己の行いが蒔いた種に花が咲き、
 結果となるように、因果も説明がつきます。
 今誰かを殴れば殴り返されるか、
 怨みを買うでしょう。
その怨みがいつ返されるかで
認識できるかできないかであって
 やられた方は忘れず、怨みは消えません。
それは時を超えると教えられています。
だから、何故?という理不尽なことも起こるのだと。
それを信じさせられたから 私は教えを聞き切れたのです。
 
2018/4/14(土) 午後 5:37[ こうさん ]返信する
 
 
>私の批判は真実を知らず語る人に
>対して、、です。
 
こうさん様は真実を知っているのでしょうか。
ここは、私との立場との違いになるでしょう。
私は、人間は真実を知ることは出来ないと思います。
部分否定ですが、大方は知らないと思います。
 
>教えには信じられない矛盾はないのです。
>至ったあとの境地だけは経験しないと
>味わえませんが、学びに矛盾はありません。
 
矛盾がないのに、学ぶというのが分からないのですが、
 
あえて補足するなら、
学ぶのは正しい、
しかし、到達するべき正しさはこれから
ということでしょうか。
 
2018/4/14(土) 午後 9:35 [ st5402jp ] 返信する
 
>自己の行いが蒔いた種に花が咲き、
>結果となるように、因果も説明がつきます。
>今誰かを殴れば殴り返されるか、
>怨みを買うでしょう。
>その怨みがいつ返されるかで
>認識できるかできないかであって
>やられた方は忘れず、怨みは消えません。
>それは時を超えると教えられています。
 
恨みは消えないということですが、仮にそれを是としても、多くの場合、仕返しをせずにいる、ということも言えるのではないでしょうか。また、まれではあるでしょうが、恨みが消えるほどに、相手が悔いている場合もあるのではないでしょうか。
 
2018/4/14(土) 午後 9:36 [ st5402jp ] 返信する
 
問題は、恨む主格の相手でしょうか、恨まれる対象の自分でしょうか。私は両方だと思うことがあって、どうにもならない相手より、まず自分を何とかしようというつもりで書いていますし、それを伝えようと志しているわけです。
 
人の受ける報いというものは皆、人の絡みで起こると考えておられるのでしょうか。
私の立場からしか言えないので申し訳ないですが、例えば、神の導きとして与えられる懲らしめ、試練といったものはどうでしょう。
 
2018/4/14(土) 午後 9:36 [ st5402jp ] 返信する
 
人の絡みも、神のかかわりも、人には知り得ないことが殆どですから、私には信仰が必要です。
 
>だから、何故?という理不尽なことも起こるのだと。
>それを信じさせられたから 私は教えを聞き切れたのです。
 
私は、人間は不完全で、神のなさることが、神の側で矛盾がなくても、この世では理不尽にしか思えない、ということもあるだろうと思っています。人の恨みだけではなく、自分の未熟と本質的な不全性もあるだろうということです。
 
今回、なんだか断定がきつかったです。否定も肯定も「全」の確信がつきそうな筆致です。
 
2018/4/14(土) 午後 9:37 [ st5402jp ] 返信する
 
 
怨みの有無は犯した時点で罪なのです。
その罪は消えません。
また、善もしかりです。
 善因善果、悪因悪果と言われるのは
 それか故なんですよ。
 
2018/4/14(土) 午後 9:56[ こうさん ]返信する
 
私はこう考える、こう思うと語ってはいません。
こうであったと、語るのです。
 真実、真理、悟りと言われますが
何を知るか、知らされたか、というのは
自分の本当の姿、心を知らされただけなんです。
 学ぶというのも、学べない私であったと学んだのですよ。
 至れる私ではなかった、至れぬ私であったとね。
だから救いがあるのです、仏様がいらっしゃるのです。
 至れる私なら仏は私に用はありません。
 
2018/4/14(土) 午後 10:05[ こうさん ]返信する
 
そして私は独りで教えを味わってはいません。
 幾人かの人を導き、私と同じ境地へと案内し
 またその方達も同じように法を味わってられます。
 独り盲信しているわけではないのです。
 
2018/4/14(土) 午後 11:15[ こうさん ]返信する
 
 
>怨みの有無は犯した時点で罪なのです。
>その罪は消えません。
 
恨みではなく、罪が消えないという意味なら、
赦していただくしかない、という意味で同意ですが・・
 
> 善因善果、悪因悪果と言われるのは
> それか故なんですよ。
 
善は善として返り、悪は悪として返ると?
そうでもない場合もあるような、でもそれは自分の勘違いでもあるような、
いずれにしても、総ての因果を考えることは出来ないでしょう。
総じて、人が知るところはわずかでしょう。
 
2018/4/14(土) 午後 11:57 [ st5402jp ] 返信する
 
>私はこう考える、こう思うと語ってはいません。
>こうであったと、語るのです。
 
であっても、
人間の不完全性は生きている間ずっと続くだろうと考えると
自分を語るにしても、他者を語るにしても、
「と思う」はついてくると思います。
 
2018/4/14(土) 午後 11:57 [ st5402jp ] 返信する
 
> 真実、真理、悟りと言われますが
>何を知るか、知らされたか、というのは
>自分の本当の姿、心を知らされただけなんです。
 
ですから、そのとき、自分はいかにあり、
自分に必要なことを思いつくことはあり、
それを一般に、分かる、理解する、と呼んでいると思いますが、
今でも私は、
自分の本当の姿が自分には分かったとは言えません。
 
> 学ぶというのも、学べない私であったと学んだのですよ。
> 至れる私ではなかった、至れぬ私であったとね。
>だから救いがあるのです、仏様がいらっしゃるのです。
> 至れる私なら仏は私に用はありません。
 
至れる私は地上では存在しないことをもって同意します。
 
2018/4/14(土) 午後 11:58 [ st5402jp ] 返信する
 
>そして私は独りで教えを味わってはいません。
> 幾人かの人を導き、私と同じ境地へと案内し
> またその方達も同じように法を味わってられます。
> 独り盲信しているわけではないのです。
 
独り盲信と言った覚えはないですが・・
こうしてここに書き込んでおられますから。
 
私は、ほぼ一人で考えています。
招くことも導くことも出来ませんけど
独り私の意見だけが私の頭で回っているのでは何にもならないから
せめてネットで発信して、コメントにレスしているところです。
 
2018/4/14(土) 午後 11:58 [ st5402jp ] 返信する
 
 
(2018年04月20日)
 
 
 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]  
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
 

この記事に

閉じる コメント(4)

今晩は!◯です!^ ^

「幾人かの人を導き」の箇所(フレーズ)が◯的にも引っかかるんですよねぇ…。ボキャブラリーの違いかもしれませんが…。

「私を通して幾人かの方が導かれ〜」的表現なら私はシックリきます^ ^

おじゃましました〜m(_ _)m

2018/4/20(金) 午前 0:26 [ ] 返信する

顔アイコン

仏教では、導き、という言葉の意味が違うのでしょうかね・・、私は私で、信仰に導くのは神だから、という違和感があります。

2018/4/20(金) 午前 3:31 st5402jp 返信する

顔アイコン

> tensobaさん

異教となると信者ではないのだから本質を知らない、尊い教えなのだろうけれど、たぶん自分のほうには伝わってきていない、逆にまた、こちらが伝えても伝わっていかない・・だろう、肩透かし透かされの、なんとも進まない感じ、あります。(苦笑)

2018/4/20(金) 午後 3:00 st5402jp 返信する

顔アイコン

確信ということですが、
こうさん様は確信を持って語っているようです。
言葉で言うなら、私は現時点の判断を語っています。
修正可能の一点をもって確信ではない、ということですが、何らかの行為に結び付くときには、他に今はないという一点をもって確信に近くなる、という微妙さであります。

2018/4/20(金) 午後 6:34 st5402jp 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事