「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

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「偶像と祈り」

 
  偶像と祈り
 
 
超常を信じ込めば
必ずどこか何か
超常を思い描き
思い込むことになる
 
神の御姿
キリストの顔
救いの現れ
ストーリー
成り行き
奇跡
 
思い込みは
信じ込むことにつながり
神の意志と行為を決めつける
 
神の民として
それではいけないと思う者は
心掛けだけは持っていて
 
超常ではなく
日々訪れる現実においては
自分の心と成り行きを思い
 
超常の奇跡は分からない
 
成り行きの決めつけもしない
 
心の奇跡だけはと祈る
 
しかし実際には
祈るとき
キリスト像
つまりキリストのイメージを
やはり思い浮かべている
 
偶像は至るところにあって
実際
心を一時的に奪っているのだ
 
排除しようとしても出来ないなら
排除しようとすることの限界を知り
 
正直な祈りの信仰は
そのことも祈りにおいて
神に捧げて罪の赦しを乞う
 
いたるところに
偶像と先入観と思い込みがあり
そこに安住したい自分がいる
 
偶像はいけないと
人に言うほどに偶像は強くなるだろう
偶像を人が戒める程に
本物を探そうとするから
本物らしいものを描いてしまうからだ
 
偶像想起が避けられないなら
努めて
偶像崇拝を避けることが必要だ
 
心の偶像が暮らしの中にあっても
偶像崇拝にならないようにするには
偶像が生まれやすいことを
祈りによって告白し
それこそ神と共有すること
 
神はあらゆる偶像を
既にご存知である
 
告白によって
偶像は
神と人の関係において
すなわち信仰において
そのとき既知となる
 
隠し事の赦しはあり得ない
 
気づかないのと隠すのとは違う
 
背きも罪も偶像も持ちうる人として
弁えるべきことは
精いっぱいの正直と本音である
 
精いっぱいの正直
これを神様に捧げて祈る
 
人が神に祈るのに
ほどよい祈りを繕ってはいけない
 
私たちがなすべきは
正直かどうかの判断である
 
善さの程を
自分で決めつけるのではなく
善悪の結論と結果は
いつも神に任せるのが信仰である
 
 
(2018年06月13日)
 
繕う(つくろう)
 
 

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閉じる コメント(3)

確かに祈る時イエスさまをイメージしているかもしれないと思いました。
やはり その事も偶然にあたるかもしれませんね。 正直に祈る! そうですね。
納得させられました。感謝します。

2018/6/13(水) 午前 7:30 [ pcl***** ] 返信する

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> pcl*****さん

コメントありがとうございます

2018/6/13(水) 午前 7:33 st5402jp 返信する

偶然ではなく偶像です。すみません。

2018/6/13(水) 午前 7:34 [ pcl***** ] 返信する

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