「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

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「批判(4)20180723」

 
  批判(4)20180723
 
 この世の自由と神さまが容認する自由
 
https://blogs.yahoo.co.jp/tenzinkuoshi/64555578.html
 2018/7/21(土) 午前 2:57
 
 

ギャーギャー騒ぐひとがいても 好きにさせている教会が
私は 好きだった。
お利口さんだけが集う教会より 問題がある人が制限なく、
伸び伸びとして居られる教会が私は良いと思っている。
この世の 規範で 大罪を犯さないかぎり 赦すまではいかないが 
容認する場所があっても良いと思う。

 
記事の流れからの推測ですが、
教会で、何らかの理由で、おとなしくできない人を、
自分の自分勝手の正当化に使っていませんか。
だとしたら、卑怯ですね・・。
 
しかも、記事タイトルを思うに、
それを神様が容認する自由だと言っているなら、
自説に神の容認を決めつけている。
だとしたら、それこそ自分信仰ですね・・。
 
>天の国で 罰を受けるそういう違反者の居場所もある、
>ちゃんとそういう場所は用意されているから。
 
しかも、そういう人は罰を受けるのだと
それこそ、自分で決めているように見受けられます。
 
>教会は罪びとが救われる空間であってほしい。
>もう そんな 教会は 無くなってしまったのだろうか、、。
>私のブログでは 自由にさせておきたい。
>多少の事は 容認が良いと思う。
 
多少のことではなく重大だと思うから批判しています。
 
社会にも、信仰にも、
言論の自由はありますが、
言論の自分勝手はありません。
 
 
 イエス様は、おっしゃった。
  
https://blogs.yahoo.co.jp/tenzinkuoshi/64553791.html
 
>イエス様は癒しの権能を弟子に与えた。
 
「マタイによる福音書/ 10章 1節
イエス様は十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。」
 
>再び来るメシアは、この時のように 選んだ人に権能を与えるかもしれない。
 
「マタイによる福音書/ 10章 41節
預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。」
 
自分の解釈の正当性を、可能性ではなく、聖書で答えた、神が教える、と言って、絶対化しようとしているヨシュア氏の別の記事ですが、
杞憂ならいいのですが、
ひょっとして、自分は預言者だと言いたいのではないか、と疑ってしまいます。
 
ヨシュア氏が、自分を預言者だと暗示したいのならば、
それは、私の疑問と批判に何一つ答えられなかったことで、否定されています。
 
 
(2018年07月23日)
 
杞憂(きゆう)
 
 
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