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分からないで終わる? 説明しても分からないこと https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28710165.html by shalom (以後、シャローム、シャロム、彼、あなた) シャロームは、性懲りもなく、また、ニコデモの話を書いてきました。 もう批判されないとでも踏んだのでしょうか。 シャロームが書けば、そこには必ず矛盾や無理解や狡い詭弁が表れてくる、という、今までの6年間の経験から、批判が止むことはないのです。 >こと神の国のことについて、 >イエスは分かりやすく説明して分からせようとしておられません。 >新しく生まれていない人には、いくら説明しても分からないことだからです。 切実でないときや、正直でないときには、説明されても分からないことがあります。 しかし、いつも全く分からないわけではないでしょう。 シャローム氏は、正直であったことがないし、切実に信仰を求めてもないので、いかなる説明をしても分からない人ですが、偽善者なので分かったように見せかけて書いてしまいます。 > 聖書に精通し、人を教え、導く、教師であり、人々から尊敬されている すべて申し分のないニコデモでしたが、 < キリストの使命を理解していない、つまり、本当の信仰を持っていないニコデモは、申し分のない人ではないのです。人々から尊敬されていれば申し分ない、というシャロームの考え方なのでしょうか。それで、シャロームは、世辞と社交に堕落した話をするだけになり福音伝道をけがしてきたのでしょうか。 > どうしても聞きたいこと、教えてもらいたいことがあってイエスさまを訪ねてきました。 イエスさまはそんなニコデモの心の願いをご存じだったようです。 そんなニコデモに、イエスさまは言われたのです。 “だれでも新しく生まれなければ神の国を見ることができない”と。 < 新しく生まれるということは、はっきりとはしないまでも、今では、信仰によることだと、分かることなのです。そして同時に、どうすればよい、というような単純なことではないのだな・・くらいのことも分かるはずなのです。次にシャロームは、驚くべきことを言います。 > イエスさまは教えることの下手な人のようです。 もっと、親切に、丁寧に、わかりやすく説明すれば、ニコデモならずとも、 だれでも、理解でき、納得できると思うのですが… < 呆れたことに、キリストは教えることが下手だと言っています。 シャローム自身はどうなのでしょう。世辞以外何も教えられない人です。それだけでなく、多くの求道者や信仰者を欺いてきた人です。話をすることも、さらに話を聞くことも出来ない人です。彼の言う親切と丁寧は、世辞のための丁寧語に過ぎません。シャロームの話を聞いて分かったと思った人は、まさに、彼の丁寧語と聖書語の罠にかかって騙されている人なのです。 > そんなイエス様ですが、“神の国は・・・”とよくたとえ話をしておられます。 そんな回りくどいたとえ話ではなく、はっきりとと思うのですが、 ところが、イエスさまのたとえ話はいつも、だれもが、身近で、日常生活で 見聞きし、体験していることによって神の国は・・・と話しておられるのです。 < 身近で体験して見聞きしていることから神の国を語れるでしょうか。 シャロームの信仰と神の国についての理解の底が知れる話です。ここで、シャロームは、自分が日常的に超常を身近に体験しているとでも言うのでしょうか。 > 私たちも、同じようなことを、いつも見聞きし、体験しているはずですから、 見えているはずの神の国のようですが、見えていないようです。 イエスさまは神の国は霊的で、超自然的なことだから、 “だれでも新しく生まれなければ神の国を見ることは出来ない”と言われたのではないようです。 < キリストは、霊的、超自然的、つまり超常でなければ分からない、と言っているわけではないのでしょう。キリストは、人間性に訴えて教えることが上手だからです。それゆえに、私のようなものも、キリスト者になっているのです。 > そういえば、イエスさまはよく、耳のある人に、耳ある者は聞くがよい、と言われます。 また私たちは、自分には見える目があるから見えると思っています。 でも、音声は見えない音波のたすけがなければ聞くことは出来ませんし、 言葉は聞くことが出来ても、聞く心がなくては聞こえないし、 心次第で、人の言葉がいろんな意味に聞こえたりします。 見える目も光の助けがなければ、見ることもできないんですね。 > ここで、耳と聴覚と音波のことや、目と視覚と光のことを語っても、信仰理解の助けにはなりません。大切なのは、言葉を聞く心です。しかし、シャロームは、自分と同じ心以外、信仰と認めたことはないのです。つまり、シャロームにとって、信仰とは、シャロームの言説に賛同することに他ならず、彼は、批判を理解もしないし、許容もしません。シャロームの言説以外は、口汚く罵るだけなのです。 シャロームは、恐らく、前に言っていたことですが、 > 神の目で見ることが礼拝であり、人の信仰のあるべき姿なのです。 ・・・ イエスさまの口に注がれ、満たされた、聖霊の働きによって 私たちの目を神の目で見ることのできる目と変えてくださるのです。 https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27813976.html < というようなことを言いたいのでしょう。 そして誰よりも自分は神の目を持っているという超常的優越意識で物を言いたいのです。 その思い上がりが、まさに、シャロームの言う聖霊であり神の啓示なのです。 > わたしは遠視ですから、夏のつよい光には弱く、すぐ疲れます。 サングラスの助けが必要です。必要ですが、見える色のすべてが違って見えてしまうのです。 もし、私の心にサングラスをかけると、きっと人の心の色も変わってしまうのですね。 < シャロームは、当然のように自分に寄せられた疑問や批判を、理解できないばかりか、その傲慢によって短絡的に不当な誹謗中傷と見なして削除してきたのです。体質的に色眼鏡でしか人を見ない人なのです。しかも、それで、神の目を持っているなどと思い込んでいる人です。 そのように心に色眼鏡をかけて、心の色を一変させて、敵意と悪意をもって、自分でコメントを削除しておきながら、そのことを、神に任せるのが一番です、などと言う人なのです。彼は、そのことについて、謝罪も訂正もしていません。もはや、たとえ謝っても、到底、本気とは取れないほど月日が経ってしまいました。 https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18423721.html シャローム独自の色眼鏡は、彼の内部に組み込まれ、彼を、正常から遠く離れた偽善へと変色させています。その結果、目明きでありながら盲目であり、いつも上から見下ろして教える視線であり、色を変え形を変えて、社交の薄笑いの裏で、近寄る反対者に対して目を吊り上げ、舌打ちをする調節不可能で訂正不能の色眼鏡です。 なお、今まで書いてきた批判記事は、多くのシャロームの記事を対象にしていますが、今見てみると、かなりの記事を、シャロームは削除しています。彼は、そういう都合の悪い証拠を、裏で削除して消してしまう隠蔽操作を、コメントという証拠を削除したのと同様に、当たり前のように平気でやってしまう習性を持っている人です。 シャローム氏は、どんなに説明しても分からない人です。なのに、分からないとは決して言わない人です。そして、いつも薄笑いを浮かべながら、教える立場にいて、心の弱い人が引っかかるのを待っているのです。彼の丁寧語と聖書語に騙されないでください。そして、批判的に見る以外、彼に関わることだけは決してしないでほしいと思います。 (2018年09月09日17:12) 狡い(ずるい) 欺く(あざむく) 罵る(ののしる) 目明き(めあき) (2018年09月10日アップ、同日一部修正) にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
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