「ウソの国―詩と宗教」戸田聡ブログ

自由にも不自由にも首を絞められそうになってる糞爺のブログ (偽サイトにご注意!)

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「嘘と詭弁」

 
  嘘と詭弁
 
   アドラー心理学 by 自由
   
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41368232.html
    におけるシャロームのコメントと私のコメント
    一部編集してあります。
 
 
(シャロームのコメントです。)
 
> 自由さん おはようございます
人は神が存在しているのか、存在していないのかすら証明できないのですから、人が有限で、相対的で、死すべき人としての自分を足場にしていては「正直、考えは中々まとまらない。自分にとってこれはけっこうな難題」ですね。それは私にとっても同じです。この難題に誠実に向き合い、迷い、葛藤しながら生きていくことが大事だと思います。
ありがとうございました。
 
2018/9/29(土) 午前 9:45[ shalom ]返信する
 
 
(私のコメントです。)
 
> shalomさん
 
 あなたは、「人が有限で、相対的」を認めながら、なぜ、十字架の贖いによって罪は赦されるから気にしなくていい、などと言うのでしょう。また、そう言ったことを、なぜ、ここに書かず、体のいいことばかり書いてくるのでしょう。
 
2018/9/30(日) 午前 2:30st5402jp返信する
 
そして、なぜ、あなたは、訂正不能なのでしょう。また、迷い、葛藤しながら、生きていくことが大事だなどと書いていますが、なぜ、あなたは、誠実に向き合い、などと言いながら、おびただしいコメントを、日々、自分で削除しておきながら、神に任せるのが一番、などと白々しい嘘を言ったのでしょう。
 
2018/9/30(日) 午前 2:36st5402jp返信する
 
> shalomさん
 
息を吐くように嘘を吐く、というのは、あなたのこと。
 
2018/9/30(日) 午前 2:40st5402jp返信する
 
私の「いのちのパン?」に
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18423721.html
その一部を書いています。
 
2018/9/30(日) 午前 2:46st5402jp返信する
 
人が有限で相対的ならば、人は絶対を持ち得ないはずです。つまり、時々に、修正可能で、成長可能でなければいけないはずです。シャロームには、そういうところが、微塵も見られません。このことから、シャロームは、受け入れられるために、口から出まかせを言っているだけだと思います。
 
 
(シャロームはリベラルなのか、ということについて、私のコメントです。)
 
私が、シャロムを自由というより放任、と言ったのは、シャロームが、相手を、間違っていると思うけど批判しない、あるいは、する勇気がない、ということではなく、シャロムは、自分が正しいということについて無条件に神の啓示?を根拠していて、そこで無思考であるということで、人それぞれと言って、他者のことなどどうでもいい、というのは、やさしくもなく弱くもなく、しばしば嘲笑いを感じるほどに、バカにしているということです。
 
つまり、敬虔の反対、信仰上あってはならない傲慢に当たります。自由でもなくリベラルでもなく、何も自覚できないまま、考えないまま、ふんぞり返っていられる、ということです。
 
シャローム氏が、他者に何の影響も与えないのであれば、彼が自己中心に思い込み信仰であっても、批判する必要はないのです。
 
シャロームが変なことを信じているから批判するのではなく、彼が変なことを言って人に影響を与えようとしているから批判しています。
 
 
(シャロームのコメントです。)
 
キリスト教のリベラル派とは?
 自由主義神学についてを読んでみますと、
どちらかといえばリベラルではないと思います。また自由主義神学の立場でもないと思います。だからと言って、聖書の一言一句が逐語霊感説をとるものでもありません。
 聖書は決して、歴史的、科学的なことを証ししているのではなく、神と被造物である人間と自然との関係、交わりの在り方を神によって神の民とされたイスラエルの歴史を通して証しされた信仰告白としての記録の言葉であると考えています。超越的な生ける神がイエスをマリヤによって受肉された神の子として、この世に遣わされ、神ご自身を証しされたように、有限で、相対的で死すべき人の知性や理性、経験によっては理解することができないことが書かれているとしても、聖書の言葉によってご自身の証しとしての啓示を記録として、神に対する信仰の基盤として私たちに与えられたことを信じています。
またその言葉が神に対する信仰告白の言葉であれば、信仰告白へ導き助けられた聖霊の助けなしには神の言葉として理解することも困難であると思います。それが自由主義神学の立場をとらない理由だと考えます
 
2018/10/1(月) 午前 11:47[ shalom ]返信する
 
しかし、聖書がイスラエルの歴史における記録である以上、またすべての原書が残存しているわけでもありませので、批評研究の対象とされることを否定するべきではありませんが、文言として矛盾し、理解できないことがあるとしても、神の言葉であることを否定するものではないとも考えています。
 聖書の言葉は生きていて力があるという聖書の言葉、証言は決して虚しい言葉ではありません。私の60余年の信仰の歩みによって私に与えられた確信です。
 
2018/10/1(月) 午前 11:48 [ shalom ] 返信する
 
 
(私のレスコメントです。)
 

聖書の一言一句が逐語霊感説をとるものでもありません。
 聖書は決して、歴史的、科学的なことを証ししているのではなく、神と被造物である人間と自然との関係、交わりの在り方を神によって神の民とされたイスラエルの歴史を通して証しされた信仰告白としての記録の言葉であると考えています。

 
科学的でないのは言わなくてもいいことです。その後、神の民であるイスラエル人たちの問題点を書いていません。それが旧約聖書の核心であり、キリストの登場の必然性であります。
 

超越的な生ける神がイエスをマリヤによって受肉された神の子として、この世に遣わされ、神ご自身を証しされたように、有限で、相対的で死すべき人の知性や理性、経験によっては理解することができないことが書かれているとしても、聖書の言葉によってご自身の証しとしての啓示を記録として、神に対する信仰の基盤として私たちに与えられたことを信じています。

 
神、受肉、神の子、証、という超常、まるのままという説明です。極めつけに、知性や理性や経験で理解できない、そして、シャロームの自己正当化の便利ツールであるところの、啓示を持ち出しています。彼が正当化したいのは、神ではなく、彼自身なのです。
 

またその言葉が神に対する信仰告白の言葉であれば、信仰告白へ導き助けられた聖霊の助けなしには神の言葉として理解することも困難であると思います。それが自由主義神学の立場をとらない理由だと考えます

 
そして、もう一つの、シャローム教の根拠として、彼がでっち上げたのは、聖霊です。前から、私が言ってきたことです。その助けなしには理解できない、つまり、自分は聖霊の助けによって理解できるというわけです。人間を不自由に縛り付けるシャローム自己中心の神理解の立場が明らかになっています。
 

聖書がイスラエルの歴史における記録である以上、またすべての原書が残存しているわけでもありませので、批評研究の対象とされることを否定するべきではありませんが、文言として矛盾し、理解できないことがあるとしても、神の言葉であることを否定するものではないとも考えています。

 
まわりくどい。神の言葉だ従え、ということを、シャローム特有の、柔和気取りの、気色の悪い書き方です。真に受けないでください。
 

聖書の言葉は生きていて力があるという聖書の言葉、証言は決して虚しい言葉ではありません。私の60余年の信仰の歩みによって私に与えられた確信です。

 
シャロームは、聖書の言葉を、奇跡が起こる根拠としてのみ受けて、現実の、生きる心の魅力を全く無視して、伝えようとするのです。それが、シャローム60余年の反信仰の歩みによる訂正不能の確信すなわち妄想となっているのです。
 
以上、シャロームの社交的詭弁教室の正体です。
ペテン師のインテリ気取りの文章に騙されないでください。 
 
アップ予定の私の記事がどんどん増えてゆきます。
 
シャロームは、本当に気持ち悪い詭弁家です。
 
このような、シャロームの、柔和と丁寧に見せかけた、とても回りくどいがゆえに詭弁だと気づきにくい詭弁は、ときに反対者への侮辱や嘲りに形を変えて、シャロームの自己愛と正当化のために使われてきました。今後、ぜひ、信仰では全く通じない言説の悪い見本として「シャロームの詭弁」を語り継ぐべきと考えます。
 
2018/10/1(月) 午後 2:01 st5402jp 返信する
 
シャロームの社交と世辞は、それが全く必要のないところでも、使われます。彼の体質かもしれませんが、長い間に処世として身についたものでしょう。
 他のコメント欄での「ご自由に」「ざんねんですね。」「stさんへの神の素晴らしいみこころ、恵みが無にされている」「自分のブログでの批判だけでは足りないのですか。」「(批判は)あなたの生きる証しでしょうから、これからも元気で続けられたらいいでしょう。」
これらは、対立している者に、そういうコメントの流れで、言ってはいけない、そしていう必要もない、相手を軽く見ている揶揄の言葉になります。ぶん殴るより悪いこと、になりうるのです。
 
 
(以下は、その後のコメントの遣り取りです)
 
> st5402jpさん
 
失礼しました
 
2018/10/1(月) 午後 4:45 [ shalom ] 返信する
 
 
このシャロームのレスの意図は、その場しのぎのような気もしますが、まだ不明です。
今後のコメントや記事に表れるものよって判断する必要があります。
 
2018/10/1(月) 午後 5:01 st5402jp 返信する
 
なお、私は、謝罪を求めてはいません。一連の批判の目的は、シャロームの信仰の誤りを指摘し、それをもって、シャロームが、キリスト信仰の名を用いて、自説を伝道することに、広く一般の読者が感化されないようにすることです。
 
キリスト信仰の伝道のあり方の問題ですから、シャロームが詫びを入れることで収まるような簡単な問題ではないです。シャロームが本音で議論が出来るとは思えないので、悔い改めるか、記事やコメントを控えるか、という問題になるでしょう。
 
2018/10/1(月) 午後 5:10 st5402jp 返信する
 
 
(厳しすぎるという意見に対して)
 
書いたことは、6年前に批判を始めてから、今までの積み重ねですから、厳しいと言われるくらい言っておかないと、柔和でありたいと思っている求道者や信仰者が、ふら〜っと、言いくるめられることを恐れています。
 
実際、最初から厳しかったわけではないが、はぐらかし、ごまかし、侮辱、などを経て、何を言ってるんだ、何を言ってるんだ、の繰り返しで、呆れ果てた末に厳しくなってきたのです。
 
基本的に、彼が言ったことを、謝罪であっても、そのまま信用するということはできません。
 
2018/10/1(月) 午後 7:05 st5402jp 返信する
 
自由さんは、自由さんのやり方があるんだろうと思いますけど、
私としては、今まで、社交の慇懃な謝罪はあっても、それで済ませて、何の改善もない人でしたし、深い意味など分かっていなかったし、本気で弱みを一度も見せたことがないのですから、私としては、妥協点は、諦めてます。
 
2018/10/1(月) 午後 7:10 st5402jp 返信する
 
つまり、シャローム氏が書けば必ず全部を批判すると決めたわけではないが、実際は、大方、彼の記事やコメントを見るたびに、また、何を言ってるんだ、ということになり、批判を書くことになっているということです。
 
2018/10/1(月) 午後 7:16 st5402jp 返信する
 
キレ気味の謝罪、社交の謝罪、など、謝罪にも嘘は入りやすいので、安易に分かりました、ではなく、その後の様子を見なければいけないと思っています。
 
2018/10/1(月) 午後 7:19 st5402jp 返信する
 
 
本性あらわる)
 
私も長い信仰の模索の中で、自由主義神学というような事柄にいくらか関心を持ったことはありましたが、やはり生きている現実の中で、自分の問題に葛藤したり、人の問題や悩み苦しみに触れたりしながら、聖書を読みながら、また本を読んだり、いろんな人のメッセージを聴きながら、追求し、感じていることを書いただけです。自由さんもいろんな道を模索してこられたようですね。
 
人や事柄によっては逃げるが勝ち!(笑)ということもありますしね。謝罪だけではなく、批判にも結構嘘が混入してしまいますね。気づきにくいことですが、いろんな防衛機制なども嘘といえば言えるかもしれませんから。
 
2018/10/1(月) 午後 8:24 [ shalom ] 返信する
 
 
わざわざコメントありがとうございます。
でも、これはちょっとまずいかも。
しれっと軽口と批判が混じってる感じがするし、stさんはそういうところに批判的なのかも…
 
2018/10/1(月) 午後 9:10 [ 自由 ] 返信する
 
 
>逃げるが勝ち!(笑)
 
自由さんの仰るとおり、私の予想通り、
シャロームのペテン師ぶり、バカ野郎です。永遠に信頼しない。
シャロームは、何も指摘できていないだろう、
 
2018/10/1(月) 午後 9:32 st5402jp 返信する
 
シャロームの性根を示す、いい記事になります。
 
2018/10/1(月) 午後 9:38 st5402jp 返信する
 
シャロームは、やはり、負けを認めるのが、いちばん嫌なようですね。
私は、もとより、勝ちなど求めていないのに。残念です。
 
2018/10/1(月) 午後 10:59 st5402jp 返信する
 
 
シャローム shalom の名と、
彼のブログタイトル「その名は不思議」を覚えてください。
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita
彼は、悪名高い宗教ペテン師として、有名人になりたいようです。
 
 
(2018年10月02日アップ、同日一部修正)
 
 
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それが人なんです。
しかし、其処はこうなります。
「されど如何、此処に信ぜざる者ありとも、
その不信は神の真実を棄つべきか?
決して然らず。
人をみな虚偽者(いつわりもの)とすとも
神を誠実(まこと)とすべし。
録して『汝はその言葉により義とせられ
審判のとき勝利を得給はん為なり』とあるが如し」
(ロマ書3章3節、4節)
です。
しかし、これは「これを受けし者その名を信ぜし者には・・・」
であって、しかも、これは他人によらず本人自身がこれが真実だと選んで決めることなのです。人は他人の僕ではないからです。

2018/10/2(火) 午前 0:21 [ jonah ] 返信する

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> jonahさん

神や聖人君子にはなれないが、人間は、精いっぱい、正直を志すことが出来ます。そういう人は、白々しい嘘はつかなくなります。神を恐れ、主を愛するからです。

2018/10/2(火) 午前 0:42 st5402jp 返信する

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シャロームの嘘という個別の問題を、一般化しすぎていると思います。

2018/10/2(火) 午前 0:43 st5402jp 返信する

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