・あの日のこと

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あの日あの時あの場所で…。過去の忌まわしい出来事。
呪われたりしませんから大丈夫ですよ。
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2005年12月タキソール開始。
タキソール(抗癌剤)はウィークリー(3週連続1週休み)、
アレディア(ビスフォスフォネート剤)は月1。

しかし…。
毎週病院に通ってるのに、白血球の戻りが悪く、なかなかタキソールが打てない。
時々ノイトロジンをうちながらも、結局タキソールは月1ペースで3回で中止。
なんだか…。で、アレディア&ゼローダ(経口抗癌剤)と
セファランチン(造血機能の回復力を高める薬、経口)に変更。
セファランチンは脱毛を抑えるっつーけど無理だったみたい。
せーーっかく伸びてきたのに…。2回目とはいえ悲しい。

この時は坊主にはしなかったので、長い毛の間から短い毛がチクチク。
遠目で見れば髪があるように…見えたかどうか。
少し疲れやすい気もしたが、生活にはさほど支障がなかったと思う。
ゼローダを飲んでない時の方が調子は良かった…かな!?

6月。アレディアからゾメタ(ビスフォスフォネート剤)に。
ゾメタがアレディアより強い薬だっつーのは聞いていたから、悪くなったのかと思ったが
そーではなかったらしい。かといって良くはなっていない様。
しかし点滴時間もグッと短くなって、快適。
強い薬の割には特に何も起こらず、病人かしら?ってな具合。
手帳を見てびっくり。
週5日、6回も海入ってる!!フッ!

花見で東北にも行ったし、夏には沖縄旅行。
9月のPET検査でも進行なし。
平和な日々を送っておりました。

先月までは…。

「そろそろPET検査受けましょうか?」お安いご用です。
4回目だし慣れっこです。
しかし、3回刺すことはないよねー。下手すぎます。

5日後、採血の後、いつも通り診察室に呼ばれ「じゃあ、今日もゾメタを…」
「PET検査受けました。」「そーだったね。」
PCの画面に映し出されたのは腹の断面図。
どこがどんなかはよく分からない。
でも飛び込んで来た。

“著明に増悪しています。”の文字。

「肝臓に影があるね。薬を変えるので、入院しましょう。今度の薬はトポテシンとTS-1…」
影がある?それって…。はっきりと転移とはおっしゃいませんでしたが…。
「2月は仕事の予定が決まってるので3月でも良いですか?」と言いながらボーッとしてました。
今、思うとそんこと言ってる場合でなかったのかも…。
診察室を出る時に看護士さんに「大丈夫ですか?」と言われて
やっぱそう…だよね。と思ったのでした。

外来専用の化学療法室の椅子に座り、点滴をうけながらボロボロ。
友達からメール来て、ボロボロ。帰りの電車でもボロボロ…。
この間まで、何もなかったのに…。

3度目の撃沈。
で、先日の入院に至ります。ゾメタは終了のようですね。


昨晩はちょっと全身の骨が痛いような気がしました。
顔や頭蓋骨も。

それにしてもやはりこのポート、邪魔くさい!

えっと骨転移したとこから。
あ、PET検査の結果では骨転移の可能性が高いとだけ言われてました。
「がっかりしないで…」と言われた。と手帳に書いてありました。

とりあえず検査入院。入院までの間仕事には出ていたけど、日に日に痛みが増強。
歩くこともままならない状況になりました。

だのに、往生際の悪い私は、入院当日にも海に入ったのでした。
やっぱり無理だわ。腰まで痛くなってしまい断念。
あきらめて病院へ向かいました。
昼頃のこのこ行ったら、看護士さん達が心配してました。
「すみません。また来ちゃいました。」
血液検査、CT、レントゲン、骨シンチ、MRIの結果は右骨盤への転移。
なんとか骨だけで済んだようで、少しだけホッとしました。

今後の治療はアレディアとタキソール、放射線。
タキソール…また抗癌剤か…。
転移が早いので、予防の意味でやっておいた方が良いとのことでしたが、
今度こそ子供が産めない身体になってしまうかも…。と思い、少し考えさせて欲しいと申し出て
ひとまずアレディアと痛みを止めるために放射線の治療を受けることになりました。

退院したその足で放射線を受ける病院へ。
「またお願いします。」
骨盤か…。ひょっとして…。
「パンツ脱いで下さい」ああああ…。
あそこにはキッチンペーパーが一枚かぶせられました。美容院でのシャンプーの時のような状態です。
一応、先生も自分で見えないタイミング被せてくれているようですが…。
病気をすると、本当に恥ずかし目にばかり合うのですな。
放射線がすごいのか、4回も照射すると痛みは全くなくなりました。
アレディアも効いたのかな。
1ヶ月もたたないうちに海に入れ、幸せでした。

その病院の先生とも相談した結果、やはりタキソールはやった方が良いということになり、
ひと月遅れで開始したのでした。

タキソール、アレディア、放射線、3つも重なるとさすがに身体がきつい。
全身の骨の痛む感じ、頭痛、倦怠感。しんどかった。

放射線は17回で終了。
うかれて帰ろうとした矢先…。事故ってしまった。
交差点を右折する際に自転車と接触。

病院を出て、最初の交差点ですよ。
右折しようと待っていたのですが、赤になっても対向車が直進してきました。
それをやりすごして、右折したら…。自転車がその車の後ろにいたのでした。
ウソ…。
左にハンドルを切るもブレーキはふめず、街灯に突っ込んでおりました。
そばには自転車のオバチャンが倒れてる…。動かない。
どーーーーーして悪いことは重なるの!?もう終わりだと思いました。
今よ今、ひとつ治療が終わったと思ったのに!

少しして意識を取り戻し、おばちゃんは私の通っていた病院に運ばれて行きました。(オチだよな)
私も当然また、検分やらを終えて病院へ戻るハメに。
警察署に行ったりなんだかだで、夕方一度病院を出たはずが自宅に戻れたのは23時頃だったと思います。
後に自分のことで病院に行くと、先生ったら目撃していたらしい。
「声かけてくださいよ!」

骨盤ヒビが入ったとか、もうなんだかわからない状況になってますが
保険屋さんによると、未だに解決してないようです。
見舞いに行った時には「ご自身もたいへんなのに悪かったわね」
なんて言っておきながら、1年3ヶ月も経ってますけど!

この世は不公平だと思った出来事でしたとさ。

不幸な話のカテゴリーが必要かしら…。
久々に会うお友達には「ネタ満載やね」と言われる始末。
平平凡凡に過ごしたいものです。

術後。

術後、放射線の治療が始まるまでの1ヶ月半位は無治療でした。
抗癌剤で身体が疲れてるからとか言ってたっけかな…?よくわかんないけど。

放射線治療はこちらの病院でお願いしました。
毎日のことなので都内まで通うのは大変だし。
かといって一日10分程度のことで入院するのはもっと嫌!

平日は毎日通いました。
だいぶ慣れっ子になってたけど、やはり乳丸出しは恥ずかしいもんです。
検査やらで出しまくってきたし、大学病院ではまるで見せ物。
ま、見ても嬉しかないよ、ってシロモノですが。
あっ!でも一番恥ずかしいと思ったのは、手術直後に尿管に管が入ってるとわかった時かな。
誰が入れたのさ!と。
坊主頭でストレッチャーの乗せられて帰って来たのも、今思うとちょっとねー。
多分哀れな姿だったんじゃないかな。

とにかくいつも帽子被ってました。
最初はカツラに帽子だったけど、うっとおしくなって坊主に帽子がほぼでした。
この辺の人々はよく帽子を被ってるので、その辺は助かりましたね。
実家の方では帽子を被ってる人は少ないのです。ニット帽など、特に。

で、30回だから、1ヶ月半位かかって終了。
そこからまたしばらく無治療でした。
自分の病理をきちんと把握していなかったので、ホルモン治療ができないんだなと
思ってました。
髪も伸びてきて、身体の調子も良くなり、海にもガンガン入れるように。
月1で病院には通ってたけど、何事もなかったように生活してた気がします。
手術が2004年の12月で、2005年の7月から突然ホルモン治療開始です。
思わず、話が違う!と言いそうになりました。
リュープリンを毎月1回2年とノルバデックス1日1錠を5年の予定で。

結局3、4回やったところで骨転移となっちまったのだから驚きです。
血液検査でひっかかって、PET検査を受けたのでした。
ひょっとして、数ヶ月の無治療ってどーだったの?と思う時があります。
夏の終わりにはもう、右の骨盤が痛かったっけ。でもそれはボードを持ち運ぶときに
骨盤で支えるようにしていたからだと思ってました。
実際よく痣ができていたし。

術後1年と経たずの転移。リンパに転移してたから…かな。
再発や転移の不安は常にあったけど、こんなに早くだなんて。
ショックでした。

手術まで。

最初の病院では手術ができないということで、紹介状を書いてもらうことになりました。
とりあえず、わりと家から近いところの病院にしてみました。
そこで「全部切るかもしれないけど良い?」と言われ、びっくりして
「それしか方法はないんですか?」と聞いてみると「あるかもしれないけど、うちではやってない」と。
あるかもしれないって…。わかんないのか?良いわけないじゃんか!
診察室から出てきた私の顔は青ざめていたそうな。

あるかもしれない…あわててネットで検索しまくり。
内視鏡手術?切らないで良いの?
病院から入院と手術の日が決定したとの電話に「そちらでは手術しません!」キレ気味に断り、
最初の病院でまた紹介状を書いてもらいました。
マシンを持ってて本当に良かった。
病院なんてまともにかかったこともないし、どこでも同じだと思ってた。
ちゃんとガイドラインがあってどこに行っても同じ結果なんだと…。

都内の大学病院にしました。
乳腺外科があり、内視鏡手術もやってるということで。
先生は「がんばりましょう」と言って下さいました。どこでも貰える言葉ではないんですね。

内視鏡手術は腫瘍の大きさに制限があるので、2.5cmと大きく、リンパ節への転移もすでにあった私は
術前化学療法をすることになりました。抗癌剤ですね。
自分にそんな日が来るなんて夢にも思いませんで。
どんな事も、自分は大丈夫と思ってしまう。
そして「なんで私が…」とつぶやいてみて
待てよ?今私、自分じゃなきゃ、他人なら良かったとか思っちゃった?酷い…と反省する。

半年後、しこりは1.5cm程度に小さくなり、内視鏡手術ができることになりました。
先生に波乗りをしていることは伝えてあったので「水着着て入れますよ」という言葉が嬉しかった。
ま、実際に水着だけで入ることはないんですけどね。水着姿なんてとても見せられたもんじゃない。

通常の温存手術とは違います。
内視鏡手術では乳房の腫瘍の所に1cm程度、乳輪に添って1.5cm,脇の下のシワにそって5cm位の傷が残るだけ。
見た目には全然わかりません。入院も5日間で済みました。
1週間後に病院に行くと「海入りましたか?」と先生。私「えっ?入って良いんですか?」
先生「良いですよ」 すげぇーーー!!!!
じゃあってんで、術後半月で入水。2005年元旦は確か波がデカかったんで、2日からリハビリ開始!
貧血がひどいのと2ヶ月以上入ってなかったんで、しんどいのなんの。
でも幸せでした。また入れるなんて…。涙。もともと相当な泣き虫です。

ちょっと前にテレビで乳癌の特集をやっていたけど、内視鏡手術のことは紹介されませんでした。
温存手術での失敗や乳房再建が大変なことなど。乳癌って悲惨!!という印象が残るものでした。
私みたいに見た目には何事もなかったようにも出来るのに…。
と番組にメールを送ったけどどうなったのかしら…?

素晴らしい内視鏡手術。早く標準治療になってほしいものです。

しこり発見!!

ある日突然、右胸に結構大きなしこりを発見!
ぐりぐり…って、なんですか?コレ?

しかし乳癌だなんて全然全く思わなんだ。
ネットやらで色々調べてみると、どーも良性っぽいし。
お付き合いしてる人があんまり病院行けって言うもんで、しかたなく。

触診…「うーん九分九厘大丈夫でしょう」フッ!やっぱりな。
「まあ、一応エコー撮っておきましょう」あらそう。
結果…「多分大丈夫だと思うけど…一応細胞採っておきましょう」あーそうですか。
こんだけ大丈夫って言われたらねえ。結果を聞きに行く気にならず、放っておきました。
しばらくしたある日…「悪い結果が出たんで、病院に来てください」留守電に入ってました。
もう!アタックでしょう。上げて落とす!最悪です!
お付き合いが始まってまだ半年程、超うかれぽんたの時期ですよ。
天国から地獄です。目から大量の涙が…。

一緒に病院へ行ってくれました。先生の口から聞くまでは、半信半疑でしたが
やはりまぎれもない事実でした。診察室から出てお付き合いしてる人の顔を見たら、いよいよ涙が止りません。

がしかし。
その日に入りました。海。ま、キレたっつーんですかね。
最初は泣きながらでしたけど、夢中になってって忘れちゃうんですね。これが海の力なんだとつくづく思いました。
その日はビデオ撮影をして頂きましたので、観る度に「あーこの日に告知されちゃったんだっけな」
と思います。と、同時に「へったくそだわー」と笑ってしまうのでした。

御飯を食べたいので…つづく。

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