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※このシリーズは旧ブログの「思い出のスタンプ旅行 鹿児島本線編」を加筆修正したものです。 博多から乗ったムーンライト九州、座席に座れない状況がしばらく続きました。 家路へ向かう仕事帰りの方々も多く乗られていましたからね。 その状態は関門海峡を越えた下関まで続く…(-_- ) 下関でも停車時間を利用してスタンプを押しました。この旅ラストのスタンプです。 このあといくつかの駅に深夜停まったはずなのですが、いつの間にか寝てしまい記憶はありません。 目が覚めた時はもう明石付近を走っていましたから( ‥)/ 大阪へ到着した後はおとなしく(笑)帰宅しました。 ほぼ「ただ押して乗っての繰り返し」だった旅でしたが、 初めて訪れる地ばかりでさらに雨に遭わなかったからか清々しい印象が今も残っています。 多くの駅に下車して収集しましたが、すべてのスタンプ設置駅に下車したわけではないので 再訪問を兼ねてまた訪れたいですね( ^O^) |
【旧ブログ再編集】思い出の九州
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※このシリーズは旧ブログの「思い出のスタンプ旅行 鹿児島本線編」を加筆修正したものです。 細かく途中下車を繰り返してようやく博多に到着。 ここからムーンライト九州に乗ったのですが、乗る前の夕食としたのが豚骨ラーメンでした。 やはり。 b( ^ー°) …といっても中洲など屋台が立ち並ぶ所まで行く時間はなかったので駅ビルのラーメン屋へ。 店の名前は今となっては覚えてはいませんが、豚骨ラーメン…美味しかったですよ( ^O^) スタンプの絵柄は博多どんたく。 背景が描かれていないものの躍動感がある絵柄でいいですね。 現在もこの「わたしの旅」シリーズは残っています。 鹿児島本線のスタンプ収集は博多でひとまず終了、 あとはムーンライト九州の発車を待つのみとなりました。 次に紹介するスタンプがこの旅ラストの収集となります( ‥)/ |
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※このシリーズは旧ブログの「思い出のスタンプ旅行 鹿児島本線編」を加筆修正したものです。 夕方のラッシュ時間帯に入って二日市へ。 着いた頃には既に日は暮れていました。 スタンプに描かれているのは太宰府天満宮。 このシリーズで既に記しましたが太宰府天満宮へは中学時代の修学旅行で訪れています。 またフレーズにある「いで湯」は7世紀半ばまで由来がさかのぼる二日市温泉を指しています。 藤原虎麿の娘の瑠璃子姫が流行病にかかった際、 薬師如来のお告げで「次田のいで湯」と呼ばれる温泉につかったところたちまち全快したとか。 この「次田のいで湯」がのちに二日市温泉と呼ばれるようになり、 江戸時代に黒田藩が日田街道の宿場として二日市に本陣を置いた際には 藩主の「御前湯」が開かれています。 これらによって二日市の町は飛躍的な発展を遂げることとなりました。 二日市を出ればあとは博多を目指すのみでしたが、 途中の南福岡などでもスタンプの有無を確認しました。 でも「なし回答」ばかり。今もこの辺りはスタンプ空白地帯のようですね(-_- ) |
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※このシリーズは旧ブログの「思い出のスタンプ旅行 鹿児島本線編」を加筆修正したものです。 つづいて筑後市の中心・羽犬塚へ。 スタンプにはこの地方の伝統工芸品、絣(かすり)が描かれています。 次に降りた久留米のスタンプにも描かれていたので合わせて紹介しておきます。 ※ちなみにつつじは久留米市の花です。 紺色に白が映える絣は江戸時代、有馬藩の頃に井上伝が作り出した織物で200年の伝統があります。 羽犬塚では「わたしの旅スタンプ」(左)が2つ、同じ物がありました。 予備スタンプも日常的に出していたようです。 「2つとも押していいんですか?」と聞くと「よかよかぁ」と駅員さん。 この旅、地元の言葉で接してくれた駅員さんはここだけだったと思います。 あと、この駅にも「DISCOVER JAPAN」のスタンプがありました。 押してからしっかり保管できていなかったのか印影に他のインクがついてしまいました。 なので女の人がウインクしているように見えます(笑) |
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※このシリーズは旧ブログの「思い出のスタンプ旅行 鹿児島本線編」を加筆修正したものです。 大牟田の次に降りたのは瀬高。 ここは国鉄時代、佐賀線が分岐していた駅でした。 ※佐賀線は国鉄分割民営化直前の1987(昭和62)年に廃止されています。 「川(矢部川)が瀬に阻まれて水が溢れやすい場所」であることが地名の由来となっている瀬高。 スタンプには邪馬台国の女王、卑弥呼が描かれています。 邪馬台国があった場所は記録の解釈の違いなどもあり現在もはっきりせず、 奈良県の巻向周辺など諸説ありますが、どれも断定できる決定打がない状況が続いています。 2007(平成19)年に3町が合併・発足したみやま市の中心となっている瀬高ですが、 合併前に所属していた郡の読みが「やまと」(山門郡瀬高町)なので 「山門=邪馬台」ではないかという説が有力視されています。 |



