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この訪問時間は失敗でしたね。 夜間はほぼ3時間窓口が閉まっているんですよ。 窓口閉鎖時間を知りつつ訪問したんです。 1回ぐらいは駅務室から出てくるだろうと思ったのですが、甘かったですね。 先にこちらに来たほうが早く帰れた…ギリギリ家に帰れたからよかったものの。 川西池田から能勢電へダッシュして最終に乗れました(汗) |
【JR西】片町線(学研都市線)
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描かれているのは駅近くの藤田美術館。 西南戦争で巨利を得て「藤田組」を設立した明治時代の実業家、 藤田伝三郎男爵(1841〜1912)と長男の平太郎、二男の徳次郎のコレクションを展示する私立美術館です。 1951(昭和26)年、財団法人藤田美術館として法人化され、その3年後に開館されました。 現在の所蔵は国宝9件、国の重要文化財50件を含む約5000点。 藤田家のコレクションの規模の大きさが想像できますね( @_@)/ |
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鴫野は地下鉄・今里筋線の乗り換え駅。 片町線は大阪環状線と交差する京橋が終点になりますが、レールはそのまま東西線へ続いてゆきます。 スタンプは新旧ともに大坂冬の陣古戦場の碑が描かれていますが 今里筋線の駅スタンプもテーマが同じのためここでは割愛(笑) 今里筋線の項をご覧ください( ‥)/ ということで、ここでは「鴫野」の地名に関する話を記しておきます。 この付近一帯は旧・大和川と寝屋川が合流するデルタ地帯で 大和川付け替え工事以降は干拓が進んだ見渡すかぎりの水田地帯となり その水田にシギが群がっていたところから「鴫野」と名付けられたといわれていますが 戦国時代からこのあたりは志宜荘(志宜野)という荘園名で呼ばれていたそうなので どちらの説も納得できますね( ‥)/ また、この鴫野に隣接して城東区内には「新喜多(しぎた)」という地名があります。 上の話の流れからして『「鴫」と「田」の文字を置き換えた瑞祥地名かな?』 …と思うかもしれませんが、こちらは実は人名が由来。 1704(宝永元)年、旧・大和川の河川敷跡に開発された新田で、 新田開発者である鴻池新十郎・鴻池喜七・今木屋多兵衛の名前の頭文字を1字ずつ寄せたもの。 調べてみないとわかりませんね( -_-)/ ↓今里筋線の駅スタンプはこちら↓ http://blogs.yahoo.co.jp/sta_colle/6128148.html 「大阪市営地下鉄全駅紹介 その48」 ↓廃駅となったかつての終点、片町のスタンプはこちら↓ http://sta-colle.seesaa.net/article/176492195.html 「JR東西線 番外編その2」 |
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放出(はなてん)は全国的に有名な難読駅ですが、 関西に住む人にとっては「ハナテン中古車センター」のCMでおなじみ( ‥)/
スタンプは新旧ともに駅近くの阿遅速雄(あじはやお)神社がテーマになっています。 現行の支社印にある草薙の剣伝説は668(天智天皇7)年に発生した草薙剣盗難事件に由来。 新羅の僧・道行が「三種の神器」の1つとなる草薙の剣を持って船で新羅に逃げ帰る時、 突然の嵐に巻き込まれました。 これを神罰と恐れをなした道行は剣を途中の河口に放り投げてしまいましたが、 剣はその後、里人により拾われてこの神社に一時納められたとのこと。 剣は無事に熱田神宮に返還された、とされています。 この「剣を放り出した」行為が地名の由来となったといいますから面白いですね( @_@)/ 神社と府の天然記念物となる大楠は地下鉄の深江橋のスタンプにも描かれているのですが、 神社から深江橋までは離れた位置にあります。 ↓深江橋のスタンプはこちら↓ http://blogs.yahoo.co.jp/sta_colle/5495344.html 「大阪市営地下鉄全駅紹介・その30」(緑橋・深江橋) |
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名前の由来については諸説あるようですが、 「川の近辺に『徳』という名の尼さんの庵が在った」とされています。 行政区の都合で一帯が守口市や東成区となった時もあったこの地は 「徳庵浜」「徳庵堤」という河川の桟橋・集積所(駅)として栄えたそうです。 昔の大坂の交通網は河川がメインだったので徳庵のような町の発展は至る所にあったことでしょう。 現行のスタンプ(右)は秋に催される稲田だんじり祭り。 そして先代のスタンプに描かれていたのは鶴見緑地…ということで、 駅の東西それぞれの見所が描かれたことになります。 稲田は東大阪市内、鶴見緑地は大阪市鶴見区と守口市にまたがることから、 この徳庵の周辺が「各市の境界の入り組んだ所に位置している」ことを再認識できるかと思います。 |



