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どちらにも鬼太鼓が描かれていますね。 江戸時代中期に干拓によってできた茶屋町周辺は鬼が文化として現在根付いていますが、 もともとは隣町の早島に吉備津彦命に討ち取られた温羅(うら)を祀っていた神社があり、 早島の氏子が干拓された茶屋町に入植したのがきっかけとのこと。 早島から茶屋町へ鬼の文化は移り、鬼に扮して練り歩く祭が戦後も続きましたが それも昭和30年代までで、鬼の文化は絶えるかと思われました。 月日は流れ昭和50年代、茶屋町の人々は鬼の文化を受け継ぐべく立ち上がります。 鬼の躍動感を表現するべく鬼太鼓として復活させ、 現在は倉敷の秋の風物詩になっています。 支社スタンプに描かれている磯崎民亀記念館は駅からすぐ。 (正式には「眠亀」のようです) 美しいござを織るための研究を重ね、 藺草を使った「錦莞莚(きんかんえん)」を完成させた 磯崎眠亀に関する資料が展示されています。 高価だった錦莞莚は明治の最盛期には重要輸出品目となり、 岡山の代表的な特産品になりました。 |
【JR西】岡山支社
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早島はほとんどの快速が停まるので次の列車はすぐにやってきます。 スタンプの絵柄は「いかしの舎(や)」。 「いかしの舎」とは、畳表・経糸の問屋で当時の繁栄を物語る代表的町家、 寺山家(明治末期建築)を改修した建物で、結婚式もあげることができるそうです。 漢字で書くと「五十橿舎」。 明治の歌人で岡山市に在住していた岡直廬(おか・なおり)がここを訪れた際、 寺山家に対して命名したもので「盛りに足りておごそか」という意味だそうです。 |
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開業当初、線路の東側はほぼ海だったのです。 続いての設置駅は妹尾。 児島から岡山へ戻る際の対向列車待ちの際の押印で、比較的余裕を持って押せました。 絵柄は妹尾川沿いの桜並木。 「芳しい塘(つつみ)の楽園」になるようにと名付けられたこの桜並木は、 江戸時代末期から造成され始めたとのこと。 |
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スタンプに描かれているのは宗忠神社。 幕末三大新宗教のひとつ(他は天理教・金光教)となる黒住教の教祖、 黒住宗忠を祀る神社で京都にも同名の神社を持つため「大元神社」とも呼ばれています。 「大元」は教祖生誕地という意味が込められているので、元々の地名ではないのです。 大元の駅自体は開業当初あった鹿田という駅付近のルートを、 西寄りに移設させる際に出来たもので、 新設される駅名は地名の「西古松」となる予定でした…が、 黒住教信者の熱心な運動で「大元」という駅名になった訳です。 駅名の由来を調べるといろいろな発見がありますね( ‥)/ |
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「赤穂線全駅 駅名の由来」というテーマで小冊子が作れそう(すでにあるかも) スタンプに描かれているとおり、駅は港のすぐそば。 ここから小豆島へのフェリーも出ています。 日生は備前市内に位置していますが、 片上より発展している播州赤穂へ向かう住民も多くいます。 県境を越える前後で乗客が減る「県境現象」は 赤穂線にはあまり当てはまらないようですね( ‥)/ 赤穂線の岡山支社スタンプ紹介は日生でおしまいですが、 駅名の由来つながりであと少し記事を続けます。 ------------- 岡山・兵庫の県境を越えてまず最初の駅は備前福河。 所在地は兵庫県赤穂市福浦… 「備前」を冠して所在地は「福浦」なのに駅名は「福河」…不思議な駅名ですが、 赤穂線延伸の際に開業した昭和30年当時の所在地は「岡山県和気郡福河村」。 開業当初の所在地にちなんで作られた駅名というわけです。 開業直後(1ヶ月後)に自治体合併によって所在地は「日生町福浦」となり、 さらに昭和43年に住民の要望によって赤穂市へ越境編入されたのでした。 「福河」という地名は合成地名なんですよね。 西隣の「寒河(そうご)」と一文字ずつ使っての「福河村」だったのです。 越境編入の際、寒河の集落はそのまま岡山県に残りました。 「河」の読み方を変え、そのまま「備前」も冠し、ほんとに備前福河はややこしい。 ちなみにこの周辺の電気供給は中国電力の管轄。 県境でありさらに地方の境界となる備前福河のケースは全国的にも珍しいのでは? ------------- さらに次の天和も駅名の由来が複雑です。 現在の所在地は赤穂市鷆和(てんわ)。 非常に読みにくい所在地ですが、この地にあった真木村と鳥撫村が合併する際に 「真」と「鳥」のそれぞれの1字をとり 「2つの村が和す」ことを願って付いた村名が「鷆和村」。 こんな合成地名の付け方があるのか…と調べて驚いたのですが、 「読みにくい・書きにくい」という事情で同音の駅名になったという経緯にも驚きました。 所在地表記は「鷆和」なのですが駅名以外にも 「天和」の表記を使われるケースが多いようです。 合成地名は使い勝手がいいのでしょうね( -_-) |



