すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

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一連の用水路を踏査後に最初の記事を書いて半年が経過し、その間に図書館や郷土資料館などで常盤池に関する資料を熟読した。特に詳細かつ興味深い記述を網羅した書籍に出会ったお陰で、今では半年前に比べて歴史的背景を交えたずっと深い記事を書くことができる。
 
半年前の状況では、市道走破の途中で偶然見つけ、興味本位に辿った水路に過ぎなかった。今では誤解を与えることなく断言することができる。
 
「この2本の水路は、常盤池から流下する
何処にでもあるような普通の水路ではなかった。
常盤池築造後数百年にわたって宇部台地を潤し、
肥沃な土地を育んだ悲願の用水路だった。」
 
宇部台地、特に梶返の先住民たちは、昔から田畑の水確保に苦しめられていた。水量の豊かな河川がなく、しかも皮肉に水はけの良い台地という地勢であることも鑑みれば、そのことは容易に慮れる。こうした背景が常盤池を築造せしめた原動力になっていたのだった。
 
 
常盤池から用水を供給する樋門は、当初から2ヶ所に限定されており、即ち飛び上がり地蔵のある「本土手(ほんどて)」と、常盤神社付近の「切貫(きりぬき)」である。現在はいずれも常盤公園の園内で居住者もないため失われた小字となっている
 
常盤神社付近より流下する水路に関しては、常盤池に湛水開始した後に土手を切り樋管を通す形で施工された。(小字の「切貫」はその施工手法に由来する)
切貫から樋門を介して用水を取り出す部分については、当時の図面として保存されている。
 
イメージ 4
 
 
さて、本土手より流れる用水路を国道横断部まで辿ったのに対し、切貫からのものはまだ市道横断部より先を詳細には確認していない。園内の「ときわミュージアム」横の谷戸で暗渠になっているところまでで終わっていた。
 
一連の情報を念頭においた上で、サクラの花が咲き乱れる4月上旬に常盤公園を訪れ、軽く花を愛でた後で本命となる綿密な再踏査を行った。
 
---
 
切貫を訪れるには、常盤公園の正面玄関ではなくミュージアム横の通用門からの方が近い。車での進入はできないものの、徒歩やじでんしゃなら問題なく進行できる。
ただし園内は自転車での乗車は禁止で押し歩きとなる
 
通用門をくぐると、幅広の園路はゆるやかに常盤神社の方へ下っている。
その脇に雑木や植物を庭園形式で展示する「竹里庵」がある。
今や常盤公園にあっては殆ど知られていない存在かも知れない
 
イメージ 1
 
「竹里庵 ロックガーデン入口」という古びた立て札の先は、かなり急な斜面を降りる階段になっている。
これから訪れる水路は、この意外に深い谷地に吸い込まれているのだった。
 
 
急な斜面を標高差で10m以上は下っていく。
サクラが咲き乱れる季節に、この階段を降りていく来園者など皆無だった。
 
イメージ 2
 
 
急な階段が最後まで続き、谷地の底に以前お伝えしたあの水路と擬似石橋が見えてくる。
 
イメージ 3
 
 
この擬似石橋のところから水路は暗渠になっている。
去年訪れたときに比べて更に水が減っており、アオミドロが増殖してお世辞にも水質は良好とは言えなかった。
 
イメージ 5
 
 
以前お伝えした通り、この場所はYahoo!地図でのこの中心点にあたる。
 

 
後でここに戻ることにして、起伏の多い竹里庵の中を歩き回り、常盤池の切貫樋門を再度訪れた。
 
予想はしていたのだが、サクラ目当ての来園者がもの凄く多い。余計な被写体を入れずに撮影することなど不可能だったし、サクラではなく水路へカメラを向けているだけで思い切り浮いてしまいそうだったので、今回は樋門の写真は撮らなかった。
 
よって次の2枚は去年の初回踏査時の写真を流用している。
 
 
切貫にあるポンプ室。
コンクリートブロック積みのポンプ室からは鋳鉄管が伸び、かつての樋門の代わりを果たしているのだろう。しかし今ではこのポンプ室自体も使われているか甚だ疑問である。
 
イメージ 6
 
 
実際の現地は園路に人が一杯あふれ、サクラが咲き乱れ、かつ常盤池の水位はこの写真よりもずっと高かった。
 
 
これも去年の写真で、園路から水路を見下ろしている。
あらためて気付くことだが、水路自体はかなり低い位置を流れている。予備知識がなければ、あたかも常盤池へ流入する水路のようにも思える。
 
イメージ 7
 
 
園路と水路の底は、目測でも5m以上の高低差がある。現況では明らかに常盤池の湛水面の方が高く、仮に切貫の堤から用水が漏れるようなことがあれば、水路のみならず、竹里庵を含む一帯全部が水没してしまうだろう。
もっとも切貫や本土手の堤が決壊するようなことは歴史的にも一度もない
 
これほど水路高を低くして、梶返一帯に用水を自然流下させることが出来るのだろうかと思える程である。しかし幹線たる水路、間違っても逆勾配になるようなやっつけ仕事をする筈がない。
 
切貫の水路高を上げれば、滞留させることなく効率的に用水を流すことができる半面、樋門自体も高くなる。そうなると常盤池の水位が下がったとき、汲み上げなければ用水を供給できなくなってしまう。この辺りの事情を考慮して、現在の水路高が決められたのだろう。
 
 
さて、これより改めて切貫より流れ出る水路を可能な限り正確に辿る。
 
 
園路から急斜面を下り、堤の裏側を撮影。
去年から殆ど全く変わっていない。干からびてはいないが、完全な溜まり水状態になっている。
 
イメージ 8
 
石垣がやや気になるが、その下にヒューム管が埋設されていることから、これは昭和中期の後補であろう。
 
 
全く水が流れず、しかも気温が上昇してくれば、須く水質は悪化する。
悲しきかな、もはや江戸期から存在していた由緒ある水路という矜恃も情緒もない。水面にはアオミドロが浮き、周囲にヘドロ様の悪臭を放っていた。それは水路の上を通る園路にまで漂ってくる始末だった。
後で述べるのだが…一体この用水路の末路をどうする積もりでいるのだろうか…
 
イメージ 9
 
 
去年見た、水路へ降りる階段に生えた樹木も健在だった。
換言すれば、それほどまでに「顧みられない」水路に成り下がっていたのだった。
 
イメージ 10
 
 
生活に密着している用水路にはよくあることだが、しばしば階段が築かれ、水路面まで降りられるようになっている。
かつてはそこで茶碗を洗ったり、買ってきた大きなスイカを丸ごと漬けて冷やしておいたものだった。この階段がどういう目的で築造されたかは分からないが、竹里庵で木々に撒水するための水を汲んでいたのかも知れない。
 
 
水路自体は切貫まで直線的に通じているものの、実際の踏査は水路沿いには行えない。
竹里庵の散歩道として一部が整備されているだけで、水路沿いに歩行可能な道がないのである。これは私が最初にこの水路を見つけた十数年前から同様だった。
特に水場がある場所から下流側は荒れ放題であった。
 
イメージ 11
 
 
竹里庵の中には水路を跨ぐ経路が一ヶ所あり、簡易な木橋が架かっている。今も安泰に渡れるものの、天枠は骨組みだけになっていて殆どここを通る人も居ないようだ。
 
イメージ 13
 
木橋の上から切貫側を撮影。季節柄、サクラの花びらが水路に散っていた。
少しでも流れれば情緒あるものを、流れが停まっていれば汚らしいだけである。水路両側の草刈りも完全に放棄されていた。
 
イメージ 12
 
 
この木橋から下流側には水路に沿って歩ける小道があり、暗渠の部分まで続いている。
園路は市道へ向かって登りになっており、高低差が拡大しているのが分かる。
 
イメージ 14
 
 
こうして再び暗渠の呑口まで戻ってきた。
 
イメージ 15
 
水路はここでヒューム管に飲み込まれており、擬似石橋の手前で地下に潜る。その先には去年も進入を試みた木戸があった。
 
私はある仮説を元に、今回はもう少し念入りに調査してみようと思い、件の場所へ近づいていた。
 
 

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