すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

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未だ確証はもてませんが、かなり確からしい気がするので速報的にお伝えするってことで…

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寿橋の架かる真締川の右岸側下流の護岸に、見慣れない排水口が2つ並んでいます。(3つと言えるかも…離れたあの1つは関係あるかどうか分からない

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この辺りは潮の干満の影響を受ける場所で、潮が引けば姿を現します。
下半分は既に土砂で埋もれています。

イメージ 2


左岸側からズーム撮影しています。
目測で直径1m程度、やや奥まって見えることから出水口を塞がないようにコンクリート護岸を造ったようです。

イメージ 4


傍目にもきれいとは言えないこの排水口をカメラを向けていたのも、以前から気になっていたからです。
護岸に何かの排出口が現れている場所は他にもあり、古い雨水管渠だったり昔の下水処理後の排水口だったりします。しかし特にこの場所が気になったのは、半分以上埋もれて明らかに機能してなさそうなことと、見るからに古そうなその外観にありました。

現在、出典強化のため図書館で借りてきた書籍の参照ページなどの情報をホームページ記事に補充する作業を行っています。そのために関連する記述のある部分を食い散らかし読んでいました。書籍は常盤公園関連なのですが、宇部市の歴史を語る部分の記述で、この排水口のことをさす可能性が高い記述に出会いました。

明治42年11月、現在の中国電力宇部営業所の位置に火力発電所が建設された。「宇部電気会社」の創立である。渡辺(祐策)は取締役社長に就任した。そのころタービンの冷却水を川に流した丸い排水口が、今も真締川の石垣に、わずかにその痕跡を残している。

出典: 「ときわ公園物語」 P.46

排水口は、まさに現在の中国電力宇部営業所の建物から出ていた!!

石垣ではなくコンクリート護岸ですが、排水口はコンクリート護岸に埋もれていません。石垣はそのままにして、後からその前面に護岸を拵えたように見えます。

では、これって…明治期に造られた火力発電所の冷却水の排出口ってこと?
そんな古いものが未だに遺っているの?

あの奥はどうなっているんだろう…

まず、塞がれていると思います。元々の火力発電所は100年以上前のものなので。しかし真締川に面するこの部分を塞いでいないってことは、少なくとも敷地跡から市道を跨ぎ、真締川公園の下を通ってここに排出するまでの間は、明治期の埋設管がそのまま遺っている可能性があります。

コンクリート護岸を造るとき、これを塞がず遺しておくことについて意見があったでしょうね。
普通ならコンクリート詰めにして埋設します。護岸に孔が空いているに等しい状態なので、真締川が増水したとき堤が脅かされる要因になるからです。それよりも歴史的価値を重んじてそのままにされたのかも…
もっとも実は単なる勘違いで、昔の汚水管の排出口に過ぎなかったという結末も有り得るでしょう。それ故にFBの「宇部マニアックス」では投稿を見送っています。本当に当時の排出口の跡なのかは聞き取りなど調査が必要です。

同じくきれいとは言えませんが、右岸側には塩田川ポンプ場があります。ここには現在処理水が排出されるのとは異なる排水口が見えています。

イメージ 3


これも何か怪しい…いつの時代のものだろう。
構造的には栄川のところにある排出口に似ています。ちなみに栄川を埋め立て始めたのは昭和11年3月のことで、それ以前は鍋倉山の下まで漁船が出入りしていたようです。最終的に下流の入江付近まで埋め立てられて児童公園および駐車場になったのは昭和49年のことでした。(「なつかしい藤山」 P.47, P.99)

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