すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

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何を指す言葉においても、その外観や性質について一般的とされるものをもって定義されます。ヒトに関しては頭脳による思考をもち、五本指を有する手足でモノを扱ったり二本足歩行するなどです。
 
この「標準形」が大多数になればなるほど、そうでない外観を有する人々は忽ち奇異な目で見られます。酷く乱雑な表現で言えば、段ボール箱の中に大量に詰められているミカンの中に一つリンゴが混じっていれば目立つのと同様です。
 
「一つだけ異なっていて目立っている」と感じて視線を向けることは、ヒトのパターン認識の成せる業であり、それ自体は悪ではありません。ところが、一つだけ違っていて「奇妙だ」「不自然だ」「おかしい」などと考え始めると価値観が上乗せされますから、少しずつ歪んだ見方になっていきます。ましてそのことを言及し、あるいは行動に移すことによって歪みは決定的なものとなります。世は、この現象を「差別」と呼び、その特に顕著なものの一形態は「人権侵害」と呼ばれます。
 
こんな記事がありました。
 

男らしさ女らしさって… ありのままの自分でいたいのに

ヒトには男と女と一般的に呼ばれる性差があり、すべての人間はそのどちらかに属する(べきだ)と考えられてきました。中間体のような存在はかつてはまったく例外的で、それこそプラスとマイナス位に異なるものだという教育がなされてきた筈です。
 
そのように言い切れるのも、昭和期(厳密にはそれ以前の殆どすべての時代において)の教育は、一般的な形態を基準にしてそこから少しでもはみ出たり異なったりする外観や思考形式は、ただちに攻撃対象とされてきたからです。そのようなことを言い切れるのも、上記のニュース記事冒頭にあるいくつかの言葉でも充分な証拠たり得ます。読者とて、このような言葉を何度も聞いてきたことでしょう。
 
「めそめそ泣くな。お前オトコだろうが。」
「オンナの癖に料理が嫌いで、嫁に行けると思ってんのか?」
 
これは、男性は人前で涙を見せるものではなく、女性は料理が上手でなければ勤まらないというステレオタイプの代表格です。現代こそ大っぴらには語られなくなっただけで、今なおこの意見を肯定し、そうあらねばならないと考える人は少なくないでしょう。
 
そのすべての原因は、あなたがそう考えるようになった以前にあなたに吹き込まれた教育にあります。現代から考えればある意味、洗脳だったと言えるでしょう。
だからと言って、昭和期に代表されるようなこの種の教育法が完全な誤りではじめから排除されるべきものだったとは言い切れません。当時の世相として、団結心の強さが求められました。現在に比べて相対的に国が不安定であり、平和を脅かすものと戦うには、気持ちを一つにすることが必要です。この団結心の裏返しが、人と異なる振る舞い、更には異なる外観や思想すら否定的な目で見られた原因です。
 
昭和中後期になって国情が安定してきても、この種の教育はただちには変わりませんでした。個性を大きく伸ばすことを否定はされませんでしたが、相変わらず「人と異なることは悪」という染み付いた考えは容易には抜けず、学校や教師、保護者や目上の人などあらゆる前世代の人から同様の教育が施され続けました。私自身が体験したり、見聞きしてきた中で現代なら考え難い事例をいくつか挙げます。
以下は不適切な表現を多く含みますがご了承ください
 
・知的障害者は家の恥とされ、人に知られないように独房のような部屋に閉じ込めて外出させなかった。
昭和中後期において実際に見聞した
・小学校には知的障害児童専用の教室があり、「なかよし学級」と呼ばれていた。学童の間では馬鹿な振る舞いや考え方を指して「お前、なかよしに行けよ」などと平気で言い合っていた。
・私は湿った耳あか(遺伝子レベルの優性)で、全体としては少数派である。小学生時代はそのことを題材に「耳くそが気持ち悪い。あっちへ行け」と虐げられていた。
後に当該本人があれは言い過ぎだったと詫びている
・精神病患者も差別的な見方の対象となっていた。精神病院のある片倉病院を題材にして、頭のおかしい人を揶揄して「片倉行き」などと言っていた。
・中学2年生のとき、自分が日記を付けていることを知った級友が「オンナの交換日記なら分かるけどオトコが書くか?。気持ち悪い」と言われた。
・高校時代全体を通して、人と違うことをする自分に「お前トクシュ(特殊)か?」と心理的圧迫を加えられ続けた。これは誰に対してもまったく一般的に投げつけられる言葉だった。ここで言う特殊とは特殊学級、いわゆる学習遅滞児を教育する学級を指している。人の歪んだ性格はこうして形成され伝播されるという好例である。
・大学時代にケンタッキーへアルバイトに行っていた頃、よりによって肉屋のアルバイトなんか行かなくてもと親に言われた。遙か昔、肉をさばく解体業は穢多(えた)・非人に押し付けられていた職業で、いわゆる部落差別の流れと類を一にする。
・社会人になってからもオトコの癖に酒が飲めないとか有り得ないと、忘年会の席で飲酒を強要された。親自身、うちの家系は誰も酒に弱い奴は居ないから飲める筈だと主張する有り様だった。
物理的に飲めなくもないがこういう背景もあって今も飲酒自体が好きでない
 
一部は平成期に入ってからの事例もあり、私自身の体験をとっても人と違う振る舞いが如何に多くの人々に奇異に映り、更にそのことを面と向かって相手に投げつける習慣が横行していたかが窺い知れます。人生の長い物差しでみればほんの一瞬であり数少ない事例ですが、こういう言葉は確実に相手の感情へナイフの如く突き刺さります。そうなれば対象法は2つしかない…言い返せない自分を弱い存在とみてどんどん内向的になっていくか、弁術を磨いて攻撃してきた相手の出方や必要に応じて逆により強力な言葉のナイフで刺し返すかです。
幸か不幸か私は後年、後者に向かいましたが…
 
時代はすぐには変わりません。ゆっくりと変化しますから、現代においてもこの種の「人と違っているからおかしい」と指摘する現象は散発的にみられます。
例えば私は(Yahoo!アバターやプロフ写真で掲載しているように)髪を長く伸ばしポニーテールにしています。実のところ、高校生時代から髪を長く伸ばしたいという願望がありましたが、当時は校則があるしそれ以前に「少しでも人と違うと攻撃対象にされる」環境に置かれていました。
 
今の歳になって実行したのは、単純に昔できなかったことを今しているだけです。この先あと何年生きられるかも分からないなら、「やりたかったのに遂に実現できなかった」というのを無くしたい気持ちがありました。だから外観は奇異に見えるでしょうが、自分自身は「やりたいことができている」という事実だけで、心理的な圧迫から解放されています。何故に髪を伸ばしたいのかと問うことが無意味であることは以前にも書きました
 
昔なら「オトコの癖にポニーテールとか絶対有り得んわ。気持ち悪い。」と一斉攻撃されるのは確実です。幸い、今は古臭いことを言う人は誰も居ません。内心で気持ち悪いと思っている分は、どうぞご自由にという気持ちです。
その外観が奇特で不快感を与えてしまうかも知れませんが、不潔にしていて悪臭を放ち気分が悪くなるならともかく、視覚的外観だけで奇異を感じ思わず言及せずには居られなくなったとしたら、それは「あなたに施された昭和期の古臭い教育の成せる業」ですから、考えを改めることをお勧めします。
 
いつの時代も、変化に対応しきれなかった個体の先にあるものは、絶滅の二文字のみです。私は古き善き景観や風習を尊重し、継承したいと考え実行している身ですが、半面、悪しき昭和ないしはそれ以前の風習は、歴史的観点からの記録のみ遺し、悪習自体は後世に伝えず積極的に潰して行くべきと考えています。

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