すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

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またこの種の事件か…って言いたくなるような、愚かな騒動。
 

テレ朝投稿サイト「みんながカメラマン」規約、批判受け改訂へ

一般から題材を募集し、それを元にデザインなり番組なりを構成するという種のものは、テレビ局に限らず至る所でみられる。それも一私企業だけでなく、官庁などの公募ものでも同様に。
 
多くの人から意見やアイデアを募集すること自体に反対はしないが、この種の公募ものはどういう訳か、募集する側が妙に高飛車で、応募する側の権利侵害ではないかと思われるものが目立つ。一般的に共通しがちな規約は、大抵こんな感じ。
 
(1) 提出されたデータは、返却しません。
(2) 応募に関する費用は、すべて応募者の自己負担でお願いします。
(3) 提出されたデータの著作権は、すべて弊社に帰属します。
 
実のところ (1) や (2) は今ではまったく当たり前で、議論にすらならない。例えば手書きの作文やデザインの原典であろうがまず返却されない。自分で複写するか適宜コピーを取って応募するのが当然と考えられている。
「これっておかしいのでは?」と感じる(と言うか感じるべきである)のは (3) あたりからである。作品を提出した後、たまさかそれが大ヒットしようが提出者は売り上げの分け前を主張するなどは一切認められない。ビタ一文呉れてやらないから、前もってよく頭に入れておけよというのを応募の前提としているのである。
 
著作権は実質的な放棄が可能な権利だが、それを提出者ではなく公募する側が放棄するよう促し、これを遵守することが応募条件になっている点が痛い。納得できないなら最初っから応募してくれなくていい、と言うか、するなと言いたいのだろう。別にしてくれなくても応募者はお前以外に幾らでも居る…という開き直り。私自身、この種の条項は発案者への合法的な情報搾取を許す常套手段と考えている。
 
さて、今回ニュース記事のような問題が起きたのは更に次の条項があったからだ。
 
(4) 提出されたデータが元で弊社が損害を被った場合は、投稿者が賠償すること。
 
実際のところ、(3) までで随分とまあ高飛車な態度だと鼻つまみものに感じた人もあったに違いない。そこへトドメを刺す最高の出来映え(?)になっている。
この辺りがどういう状況になっているか、以上の条項を元に代弁すると…
 
「応募はお前らの自己負担でやれ。作品は返さないし、著作権すべては俺たちのものにするから、お前は応募後は絶対に権利を主張するな。あと、ロクでもない作品を寄こして俺らが事件に巻き込まれたら、お前らに損害賠償を求める。」
 
いや…率直に言って、盛大なバカである。
美味しいところだけはご馳走になってカネ儲けの材料にする代わりに、面倒なことに巻き込まれそうになったらその分についてだけはお前らに責任を押し付けるぞと言ってるようなものであって…
 
今回の事件では、テレビ朝日だけを批判できない。それってのも冒頭に述べたように、私企業はおろか官庁主体の公募でも未だにこの種の規約を掲げているものが目立つからだ。類似した条項を持つものは、過去にうちの自治体でもあった。
 
「この期に及んでまた「ゆるキャラ」もうお腹一杯。」
 
そもそも、不合理な条件を突きつけられても深く考えず応募する人間が居るから、こういう輩はいつまで経っても学習しないのである。何しろメディアは今や神より強い。勘違い甚だしいと思いたくても、事実として情報伝達能力が高い主体ほど偉いのが今の世の中である。人でもカネでも雑作なく動かせる。
 
そのことを今のマスメディアは熟知している。そうでなければ民放とてネットのニュース配信社とて、こういう横柄な態度には出られないものである。

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夢の細胞と持て囃されたSTAP細胞の雲行きが怪しくなり、連日のようにニュース記事で賑わっている。論文の信頼性に問題があるらしい。

マスコミの伝えることには限界がある。とりわけ期待が多かっただけに失望が大きく、ややもすれば関係者や諸々の問題を暴露するような論調も目立つ。


STAP細胞 「心からおわびする」小保方リーダー、論文撤回の意向

本件に関しては知見がまったくない。それ故にここではこの問題については触れず、むしろこの事件に接して思い出した別の2つの出来事について述べたい。

一つはSTAP細胞の行く末と似た感じがあり、当初”画期的な発見だ”とみなされたものの最終的に誤りだと決定づけられたものである。去年か一昨年だったか、光よりも高速度で伝達する”何か”の存在を仄めかす結果が得られたというニュースがあった。海外からもたらされた情報だったと思う。数ヶ月くらいかなりの騒動になったものの、最終的には数値の誤りは測定法や機器のノイズ等によるものであり、誤りであったとして撤回されたと思う。マスコミの興味と同じで、私自身もうそれがいつの事件だったかも思い出せない。即ち、誤りと判明した後は一気に関心が収束し、ニュースとして取り上げられなくなって私たちの記憶から葬り去られた。

もう一つ、これは前の例とは異なり、当初は論文に致命的な疵があったものが克服され、最終的に”真である”ことが確かめられ華々しい結果を導き出した事件である。Andrew John Wiles によるフェルマーの最終定理(FLT)の証明である。
FLTは内容的にとてもシンプルな整数に関する予想で、きわめて多くの数学者からアマチュアまでが挑戦し、その殆どが頓挫させられたことで有名である。
ある解説書で読んだところによると、Wilesは証明の論文を提出した当初は真に証明できたと確信していた。実際、殆どすべてに関して正しかったのだが、ごく小さな”疵”があるらしかった。しかも哀しいことにその疵は容易には取り除けなかった。彼ももそのことを認め、確か論文は彼自身により撤回されたと思う。
 
そこへ至るまでの段階で既にマスコミが「世紀の未解決問題が遂に証明さる!」の論調で伝えられていたので、証明の不備が指摘されたとき、今まで数多の数学者とが味わわされた挫折と共に「やはりダメだったか…」に傾きかけていた。
 
その後、彼はこの疵を取り除くべく再証明を構成し、提出した。この論文は相当数の研究者によって慎重に査読され、真に疵を持たない証明であることが決定した。その瞬間、約300年にわたってフェルマーの最終「定理」と誤って呼ばれていた未解決問題は、真にフェルマーの最終定理となったのであった。
表舞台には出ないがこの証明の下地造りとして日本人数学者の構成した成果が極めて大きな役割を果たしたことはもっと大きく語られて良いと思う

生物学と数学では、取り組む対象が本質的に違う。方や実際に観察可能な対象であり、他方は人間の造り出した概念である。しかしいずれも私のような門外漢には、それを正しく理解するには基礎的知識と証明の構成法など大変に長いプロセスを要する点では共通している。実際、これらのニュースが一般向けに伝えられようとしたときも、配信社各社は説明にかなり苦労していたようだ。

一連の事件は、マスコミに取り上げられニュースになることで殆ど初めて一般人の目に触れるところとなる。それ以前から研究者が活動しているのは言うまでもないことなのだが、その過程が伝えられることは殆どない。99%以上は表に出ることなく孤独な闘いを日々行っているのだろう。特に数学は抽象の学問なので「それが証明できたからと言って一体何の役に立つのか?」という目で見られやすい。一つの問題に固着し、何としてでもねじ伏せて(証明して)みせるというのは、一般人には想像を絶する精神の闘いである。

何かの書籍で取り上げられていた言葉を思い出した。

「精神の戦いは、ときに人間同士の闘い以上に酷たらしい。」

さて、今の日本および世界でも、ある”宿敵”に対して日々精神の闘いを挑んでいる数学者や研究者は居るのだろうか。
古典的で有名な未解決問題は今でも山ほどある。しかし最近、そのいずれも解決は元より一定の成果が得られたという話を聞かない。あるいはマスコミ自身の伝える努力不足によるものなのだろうか。
 
最初の件に戻れば、いっときは画期的な発見といわれたSTAP細胞の行方は未だ分からない。第三者による検証で再現性が得られないなら、疑義を差し挟まれるのは致し方ない。しかし本件の諸々の問題はさておいたとしても、この事件によって研究者の「追求する姿勢」が萎えてしまうことを一番恐れる。捏造や虚偽は排除されるべきだが、”見つかった!”や”出来た!”が実は勘違いや誤謬を排除する手順に漏れがあったというなら、それは人の成せる所作である。
 
結局のところ、STAP細胞は勘違いで元から存在しなかった…となるなら、それでいい。また一から始めれば良いではないか。その努力の積み重ねで次にはきっと、はじめに想定していたものよりも更に優れた成果が得られるだろうから。追求する姿勢を諦めてはいけない。

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以下の機能は、すべてPC上で操作した場合の話である。モバイルでは見え方が違うとか、まったく別の挙動を示す事例があるかも知れない。
 
(1) トモダチのアクティビティーを逐一TLに列挙する機能
 
前置きしておくことに、この機能自体はきわめて重要である。およそFBが友達を介しての繋がりを重視しているなら、新しい投稿があったとかコメントを書いたなどを簡単にチェックできなければ不便だ。
FBでは友達関係にある利用者の投稿などをまとめて一ヶ所に集めて自動通知する項目がある。その中には、いくら自動通知とは言っても「そんな情報を通知することに何の意味があるの?」と思わざるを得ない過剰なお節介機能が目立つ。
 
その代表格が、自分の友達が他の人とトモダチ関係になった旨を通知する機能だ。
 
「○○さんと××さんが友達になりました。」
 
はぁ?だから何?
○○さんは自分の友達だから、
俺も××さんに友達申請しろよってこと?
 
不要な情報だから放置すればいいのだが、自分の複数の友達が多くの人とトモダチになると目も当てられない。忽ちチェックリストは「トモダチになりました、トモダチになりました」で埋められる。要らないと思うなら一応非表示にはできる。しかしその場限りで、次に再び同ページを開くとまた表示されているのである。
あまりにしつこいので「報告する」の操作をしたこともあった。すると、トモダチの発信したどの情報に問題がありますかとか、スパムとして報告しますか等の項目を問われる。
 
「だから…そうじゃないって。
友達が新たなトモダチを造ることには何の問題もないんだよ。
いちいち通知するFBのお節介機能をどうにかしろって言ってんの」
 
”利用者が必要と思う情報だけをTLに列挙できる”というのがTwitterからの流れと思っていたんだが…この要らないと言うか邪魔なだけの情報を押し付けるFBは、まったくしょうもないことで利用者に疎まれている。
 
(2) 赤の他人なのに「友達になる」ボタンと共に列挙する機能
 
鬱陶しい機能の代表格だ。しかしあろうことか、つい昨日か一昨日のことFBはこの機能を「増強」してしまった。PC版の方はお気づきのことだろう。TLの最上部に「知り合いかも?」と表示したトモダチでない候補者3名のプロフィール写真が拡大表示になった。そして写真の下にはお約束の「友達になる」ボタンが添えられている。
 
まったく余計なことをしてくれたものだ。プロフィール写真が拡大表示になった分、必要な情報が下へ押しやられ、自分のTLを見るにも余計な下スクロールが必要になった。FBには「TLはリソースである」の概念がないらしい。
 
理解していない利用者が殆どだが、FBでは基本的に実生活で面識のない人に友達申請してはならないことになっている。そのことはFBのヘルプにきちんと記載されている。その裏で見ず知らずの人と無秩序に友達となることを推進するFBの仕様は、私にはまったく理解できない。”友達のトモダチは当然トモダチであるべきだ”という前提にたった仕様も同然で、これは「世界は一家、人類は兄弟」を地で行く空恐ろしさである。
 
最近、FBというツールのコンセプトは日本人の生活習慣や思考形式になじまないのではないかと思いはじめている。FBは、情報を迅速かつ強力に伝播させることができる点では紛れもなく秀逸だが、下手をすると本当にそれだけのツールだ。
 
あるメディアは、FBの情報伝達速度や形態を伝染病になぞらえた。少なくとも私自身は”感染症の存在”を認識し、ある程度の免疫を獲得した。FBが利用者の意向に沿った次の方向性を提示しなければ、本当に利用者から”感染を拡げるだけのツール”とみなされ、10代ならずとも利用者の流出を引き起こしてしまうかも知れない。

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以下の機能は、すべてPC上で操作した場合の話である。モバイルでは見え方が違うとか、まったく別の挙動を示す事例があるかも知れない。
 
(1) 発言をカテゴリ分類する機能 / カテゴリ単位でフォローする機能
 
実のところ、この機能が欲しいなどと問題にするのは、いくつかのジャンルに跨る情報をTLで受信・発信したい利用者に限定される。「私はあなたというお人柄に興味があって、あなたの話は何でも聞いていたい」って方にとっては不要な機能だ。しかし実際問題そのような人は配偶者や恋人くらいのもので、自分があまり必要としない情報、興味のない情報も必ず含まれるものだ。
 
それでもリアルで会い、友達関係を締結した人なら興味のない話がたまにTLへ流れて来ても不快感は殆どない。読むだけで「いいね!」を言わなかったりお座なりに「いいね!」だけ言ったり、あるいは本文を読まないでいることができる。問題なのは、興味がないだけではなく耳に入れたくない情報を発信してくる場合である。
 
私は基本的にローカルネタ重視で発信しているが、ニュース記事のシェアや教育観も投稿する。しかしそれらはハッキリ言ってまるっきり読まれていない。FBは時間軸で動いており、読まれなかった書き込みはすぐ過去へ流れ二度と誰も読むことはない。そういう情報を発信するのは時間と労力の無駄である。
無駄になるだけならまだしも、その情報が欲しいかも知れない人には届かず、こんな情報要らないって思っている友達のTLには必ず載ってしまう。現状のシステムではこのような齟齬が不可避な以上、現時点で締結された友達関係の中で「受けのいい話題」だけ発信するようになる。
そしてこの問題こそがいわゆる「FB疲れ」が起きる原因だ
 
同種の現象は、私以外の多くの利用者で散見される。趣味の情報を発信したときには数十人もの友達から「いいね!」を言ってもらいながら、政治ネタになると途端に水を打ったようにしーんと静まりかえる。当然「いいね!」は殆ど言われない。これはフォロワーから次のような暗黙の声が寄せられていると解釈される:
 
「私はあなたの趣味の話だけ聞きたいのであって、
政治の話を聞かされるのは真っ平ご免だ!」
 
FBがこの問題に対処できないのも、利用者をすべて「人」で扱っており、「情報の種別」で送受信する方法をサポートしていないからだ。もしこれがYahoo!ブログのカテゴリ分類のように発言を分類可能で、フォロアーや友達がカテゴリ単位で情報選択できるなら、趣味の話だけをTLに取り込み政治談義を遠ざけておくことができるのである。聞きたくもない話がTLにうじゃうじゃ流れるのは、私ならずとも不快に思うところであろう。何故なら、何度も唱えるように「TLはリソースである」からだ。FBはこの重要な概念を欠いているように思われる。
 
この改訂はシステム的に難しいこととは思えない。その簡単なことをFBは未だにやろうとしない。恐らくTwitterでも実現されておらず、Twitterの機能を拡張する形でそのままFBに情報列挙機能だけを盛り込んだからだろう。
 
(2) フォローされた相手に閲覧レベルを設定する機能
 
(1) の機能の必要性を唱えれば、自ずから (2) も理解できるだろう。
FBは実名主義を取っており、同一人物が異なるアカウントを運用するのを認めていない。したがって仕事もプライベートもなく、いっしょくたに情報発信せざるを得ない環境になっている。
仕事から離れてオフな自分を友達に見せたくても、上司の監視から逃れるには上司自身の友達レベルを下げるか、閲覧対象から外す個別操作が要る。逆に業務情報は上司には必要でも友達には鬱陶しいだけだろう。
 
このような場合にも発言をカテゴリ分類できるなら、業務関係・オフの自分などを切り分けて閲覧できる範囲を変えられる。未だ友達関係にないフォロアーにも発信できるかも知れない。現状では、友達関係にないフォロアーに情報を見せるにはその書き込みを全体公開にする以外ない。そうするとフォロアーでない他の人まで閲覧が及んでしまう。現在の機能では、フォローのメリットが殆ど享受されない。
 
この点について、Twitterは承認システムで近いところまで機能実現している。即ち「あなたの情報を見せてください」という申請をしてきたフォロアーを承認すれば、つぶやきを全体公開にすることなく情報を伝えることができる。この選択機能はFBにも必要だ。
 
ただしFBの場合、閲覧可能範囲を決めるのはフォロアーの申請によるのではなく情報を発信する側である。フォロアーがどんな情報を求めているかは職業やTLの書き込みで推測できるから、関連しそうなカテゴリの情報だけは友達関係ではなくとも閲覧可能な設定にできた方が双方にとってメリットがあるだろう。

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最近、すっかりYahoo!ブログがご無沙汰状態になっている。ネット上のドキュメント制作の9割以上をホームページ関連に割り当て、残り1割をFacebook(以下FBと略記)の情報更新に費やしているのが原因である。
その残り1割のFBも自前で運営しているページの情報発信が主で、あとは自分のタイムライン(TL)へコアネタの速報版などを流すとか、たまに日常生活ネタを書く程度である。こまめにTLを更新し、トモダチの書き込みに素早く「いいね!」と反応するなどの活発な利用を否定はしないが、少なくとも自分はそこまでどっぷり入り浸ろうとは全然思わない。その理由はかなり明白で、即ち「面白くない」からだ。

面白くない理由はいくつかある。TLを流れる情報の量や質とか、操作性の問題とか、即応性などなど…それらは利用者によって誰もが異なるので一般的なことは言いづらい。しかし、FBというシステムそのものは完全に共通である。PCやモバイルで見え方の違いは若干あるものの、誰もが同じ土俵に乗っている。

その「共通する部分」でこういう機能があれば良いのに備わってないとか、こんな機能など要らない…という多くの意見があるなら、利用者の声を元に改訂すれば快適な環境に変わり得る。ところが実際のFB運営者は声を聞く気がないのか、聞いてはいるものの対応を迷っているのか分からない。議論の次元を上げるなら、運営元が今後FBをどういうツールに熟成させたいのか理念が見えない。
この点も含めて個人的にはFBはいわゆるSNSの部類に入らないと考えている

以下、まずは「欲しいのに備わっていない機能」を列挙しよう。

(1) 発言をカテゴリ分類する機能 / カテゴリ単位でフォローする機能
(2) フォローされた相手に閲覧レベルを設定する機能


それから「要らないのになくならない機能」も同様に列挙する。

(1) トモダチのアクティビティーを逐一TLに列挙する機能
(2) 赤の他人なのに「友達になる」ボタンと共に列挙する機能


少しでもFBを使ったことのある方なら、どの機能のことかは察しが付くだろう。書けば長くなるだろうから、これらが「何故必要なのか?」「何故要らないのか?」については後続の記事で詳しく書くことにする。

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