すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

雑記

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どこの書庫にも入れようがない雑談めいた話題を詰め込んでいます。
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何だか穏やかでない話になったけど、道路を走っているとホントにいろんなドライバーに出くわす。
「許せない!」「非常識だ!」「何考えてやがんだ!」など罵倒文句は様々になるけど、今まで出会った数々の”痛ドライバー”を挙げてみた。
 
・走行車線で車間詰めて後ろから煽る奴
追い越し車線を無意味にトロトロ走って煽られるなら、まだ話は分かる。先で右折でもしない限り、走行車線に戻るべきである。
理由なく追い越し車線をダラダラ走るのは本来は走行通行帯違反
ところが、走行車線を運転している車の後ろにぴったり着けて煽るアホが居る。
「遅いんだよ!速く走れよ!」って意思表示の積もりなんだろうけど、そう思うなら普通はさっさと追い越し車線に出て追い抜くもので、走行車線で煽るのは嫌がらせ以外の何物でもない。ゆとりのすることだ。
 
・自分たった一台だけ追い越してブレーキ踏み左折する奴
私は基本トロトロとは走らない。早く走りたくても軽四だから出足が悪いだけである。それが気に入らない奴が居るようで、背後からいきなりビュンと自分一台だけ追い越し、思い切りブレーキを踏んで左折しコンビニへ入るような馬鹿が居る。走行車線を行儀良く走っているのに無駄なブレーキを踏まされることになる。
何故に待てない?そんなに急ぎたいなら、事故ってお前さんの人生もさっさと結末を急いでくれ。
 
・対向車が来てもハイビームを下げない奴
山口県警では、夜間走行はハイビームが標準であると表明している。
前回の免許更新時に伝えられた…現在も変わっていないはず
もっとも、それは眩惑させてしまう対向車などが居ない上での話だ。しかし狭い道などで隅々まで見えないと不安なのか、単に無頓着なのか、一向にビームを下げないドライバーがいる。パッシングしても何処吹く風。自分さえ見えれば良いのか?
 
・ブレーキが先でウインカーが後が日常茶飯事な奴
ハッキリ言って、これは殆どのドライバーが当てはまる。交差点だろうが道路脇のお店に入るときだろうが、どの車も概して合図を出すのが遅い、遅すぎる。何だか意味不明にブレーキランプが点灯し、後続車が戸惑うのもお構いなし。そのまま路肩にストップしてそこで徐にハザードランプが出るとか。
交差点なら挙動は推測し易いが、直線の道で路肩に停まるときなど、こういうのをやられると後続は運転のテンポを乱され大変に迷惑だ。早めに合図を出せば追い抜くなど出来るものを、状況が分からなければ無闇に追い抜けない。
「合図が先、ブレーキが後」。こんなド基礎なことなのに、もしかして最近の教習所はキチンと教えていないのでは…と感じる。
 
・信号が変わりそうなのにトロトロ走り、後続をちょん切って自分だけ黄交差点を抜けていく奴
信号が変わりそうだからと、猛スピードで突っ切ろうとするのが危険なのは自明である。しかしデジタルでパシッと切り替わる赤信号に対し、車の流れはアナログである。行くか停まるか微妙なタイミングは必ず存在する。その場合は概ね前の車の挙動や信号の変わり具合に合わせるだろう。
前が突っ込んだから自分も…という論理ではない
普通のドライバーは、常に先を見て運転しているから、交差点に差し掛かる前から通るか停まるかを考えている。もう少し速度を上げればさほど問題なく通過できるタイミングがあり、自分のところで停められてしまうタイミングもある。
しかし前を走る車の挙動があまりに優柔不断だと、後続車は戸惑ってしまう。決断し切れないのだろうか…交差点手前で大きくブレーキを踏んで減速したかと思ったら、赤の変わりだてでやっぱり考え直してスーッと自分だけ突っ切るドライバー。後続車両からすれば、嫌がらせで信号待ちさせるために減速したように感じられる。
 
・アパートの駐車場でいつまでもアイドリングを停めない奴
・譲ってくれたお礼ですれ違いざまにクラクションを鳴らす奴
これは路上運転のマナーではないが、大変に迷惑である。
そこに住まないから、どれほど迷惑なのか分からないのである。
アパートの駐車場で、ベランダに布団を干しているのにその方へ車のお尻を向けてずっとアイドリングしている非常識な輩の話を聞いた。排気ガス中に含まれる窒素酸化物などの毒物を布団へ塗りつけているも同然で、間接的な傷害行為である。
 
離合の際の”お礼クラクション”も傍目には微笑ましく見えて、実のところ全くの害悪だ。やってはならない。と言うか、もしあなたにそういう習慣があるなら、今すぐにでも止めて欲しい。やかましい。近隣住民はとっても迷惑している。離合するドライバーがクラクションを鳴らすのは一瞬だが、近隣住民は毎日毎日幾度となく余計な騒音を聞かされつつ暮らしている。どうしてもお礼をしたければ、頭を下げるとか手をちょっと上げれば良いではないか。夜だと見えないのは仕方がない。
そもそも狭い道路で譲り合うのは基本的なことで、いちいちお礼のゼスチャーを示す程のこととも思えない。ちなみに、もしパトカーと離合するとき同じことをやったら、あなたは間違いなくマイクで警告を受ける。場合によっては警笛の用途外使用で違反切符を切られることを申し添えておく。
これも全くド基礎なことで本来なら教習所でキチンと教わっている筈なのだが…
 
こういった迷惑行為の筆頭に挙がるのが”自分のことしか考えていない(ように見える)運転”なんだけど、わざとするのは論外にしても、はからずもそんな運転をやってしまわないように、教習所の段階でちゃんと指導されているのだろうか。
特に交通量が相応にあって前後に車を挟んで縦隊を作って走っているときとか、街中で歩行者や自転車などと交錯する場面の振る舞いとか…
 
教習所でカバーしきれない部分もある。ドライバー自身の資質がそれで、事故や一連の不快な事件の多くが、”先を予測する能力の欠如”に原因があると思う。
 
横断歩道の手前で停車して子どもたちが降りているスクールバスが前方に見えているなら、その横を速度も緩めず通過する無頓着なドライバーも居ないだろう。
これが絶対に居ないと断言できないのも残念なのだが…
それは重大な事故に繋がるだけでなく、万が一にもそれをやってしまったら大変なことになると容易に想像されるからだ。横断歩道など、ゼブラの上は完全に歩行者が保護される領域である。ここで人をはねて殺したら、もうあなたの人生は終わったも同然だ。遺族から「貴様の末代まで祟ってやる!」などと暴言を吐かれようが、悪いのはほぼ100%あなただ。
 
本当はローカルSNSに書きたいのだが、非難どころか記事を削除されかねないので仕方なくコッチに書く。
 
---
 
市会議員選挙の時期である。
週末日曜日が投票日なので、各陣営は最後の追い込みとばかり躍起になって活動している。そして熱烈な支持を訴える”虚しい行為”と言えば、お約束のあれしかない。
選挙カーに乗り、ウグイス嬢を動員しての名前連呼である。
 
理由は後回しにして、まず先に言っておきたいことに、
 
「騒音公害。」
「全く馬鹿げている。」
「時代錯誤もいいところ。」
「一般市民を愚弄するのも大概にしろ。」
 
この件について批判記事を書くのは、少なくともこれで3度目だ。いい加減この悪習から脱却すべきだという最初の記事は今から10年近く前、ホームページ時代に書いた。何ら変わることなく10年経ったことになる。
 
大震災に付随する自粛ムードの流れで、全国で展開されているどの選挙活動でも拡声器を用いた名前連呼はかなり減った。少し前までは被災地でのガソリン不足が深刻な状況にあった。そこへ来てガソリンと騒音を撒き散らす選挙カー活動は、被災地との温度差があり過ぎるからか、自重されてきた。
 
我が市内でも選挙カー連呼は確かに減った。しかし未だ無くなってはいない。名前連呼しつつ選挙カーを走らせた候補者は、何人も居る。
 
候補者に真っ当な思考回路が備わっているなら、名前連呼が有権者の意向に沿う選挙活動とは考えない筈だ。連呼を聞かされたところで、得られる情報は候補者の名前だけである。まさに今、どんな問題点を認識しているか、当選した暁には何に取り組みたいか等の主張が全く見えてこない。名前のみ連呼する行為は純粋に宣伝的であり、生物学に言う”刷り込み”である。
 
有権者が遍く候補者の主張を理解しているなら、名前連呼は最後の手段たり得るだろう。事実はそうではない。殆どの有権者は、各候補者の主張を正しく掌握するには程遠い。精々一部の候補者の名前と顔が一致する程度である。
 
候補者も恐らくその実態を知っているから、小難しい策に訴えるよりは宣伝する方が手っ取り早いと考えるのだろう。とりわけ市政に関心がなかったり、市議一人どうなろうが暮らしが変わるわけがないと考える無頓着な有権者は、誰を選ぶか以前に投票自体、面倒なものでしかない。
 
棄権は後ろめたさがあるから、仕方なく投票所へ出向く。判断がつかない有権者、無頓着な有権者は、取りあえず投票する時点で名前を覚えている候補者を選ぶだろう。全く知らない名前を書く筈がない。名前連呼は、そういった有権者を取り込むのに有効な手段かも知れないが、果たしてそれが民意を反映した選挙活動の一環と言えるだろうか?
 
選挙カーを走らせ、ウグイス嬢を雇い、自分の名前を連呼させるには、明らかにカネがかかる。しかし名前連呼の”刷り込み効果”で、一定の票獲得は期待される。他方、初めて立候補したうら若い候補者には資金面でかなり苦しい筈だ。間接的であるにせよ、これは資力に富む候補者が優位に立つことになる訳で、今後目指されるべき”カネのかからない政治”に逆行する。
 
諸々唱えてきたが、ここで提言したいのである。
 
選挙カーを使って名前を連呼する行為を
公職選挙法で明確に禁止してはどうか?
 
恐らく、一部の候補者からはそんなムチャな…という声が挙がるだろう。
 
では、候補者間ではなく、有権者にあまねく問うてみて欲しい。
 
「あなたは、選挙カーで名前を連呼されたことで
その候補者に投票しようと感じたことがありますか?」
 
あるいは、もっと直接的に、
 
「選挙カーで名前を連呼されて迷惑に感じたことはありますか?」
 
前者が No で後者が Yes という候補者が相当数になる筈だ。迷惑とは行かなくても、選挙期間中だけだから仕方ないと寛容になっているだけである。
 
選挙カーで連呼しなければ広報活動が出来ないだろうか。そんなことはない。場所を変えつつ演説を行ったり、決起集会を開いたり、ブログやホームページで主義主張を唱えたり、Twitterでつぶやくなど方法があるではないか。
 
ここで後者のいくつかは、経費がかからない割にネットの影響力が期待できる優秀な手段であるものの、現在の公職選挙法の枠組みでは様々な制約がある。期間中はTwitterでつぶやくなとか、個人ブログの更新も御法度だなどと意味不明な規定で縛られている。市議選を離れて、一体誰がこの問題に着手するのかと常々思う。
個人的には公職選挙法がネット関連の諸々の問題に正しく対処しない限りこれからの世代の民意を反映したシステム自体絶対に有り得ないと断言する
 
良くも悪くも、今やネットの影響力は否定されない。極論すれば、ネットの影響力を理解できない候補者は、政治の場に足を踏み入れるべきではない。今や庶民の総意という答は、ネットの上に存在する。例えばある問題がネット上に提示され、付随する適切な情報が与えられれば、充分多くの人々が熟考して寄せた主張における多数的意見は、必ず妥当で最大幸福となる解答である。(言うなれば”ネットの神”)
 
事実としてネットを操れない高齢者は、世代交代によって逓減しゼロとなる。マニフェストをブログなどで確認し、付与された ID でログインし投票する人々が大勢となる時代が来る。今すぐではないが、時間を掛けて必ずその変化が押し寄せる。素人ですらそこまで先読み出来るのに、選挙カー連呼など未だ古いやり方にしがみついているなら、選挙活動のみならず候補者の施策方針からして保守的なのではと推測せざるを得ない。
 
ときには保守的な態度も必要だが、古い革袋に新しい酒を盛ろうとしなければ、変える必要あるものまで変わらないだろう。変化がないのは安心できることかも知れないが、庶民の総意が殆ど一箇所に集約しながら、いつまで経ってもそこへ向かわず、むしろ一部の有力者に牛耳られている現状をいくつも見せつけられている私たちにとっては、全く受け入れられない。
 
 
明後日の投票日に私が誰に投じるか、どういう行動を取るかはここでは明言できないが、少なくとも確実に言えることが一つある:
 
選挙カーで名前連呼した候補者には
絶対に票を投じない。
 
古いやり方にしがみ着く人々に用はない。
一票の投票によって何かを変えていくなら、まずそこからだ。
 
選挙カーの名前連呼を、選挙前の風物詩にしないで欲しい。
我々は、カネのかからない、庶民の総意が届く施策を求めている。そのためにシステムを変える必要があるなら、まず誰かが声をあげて欲しいと願う。

風邪引き看病特約?

日常生活の話だけど、さすがにアッチには書けないからコッチに書くことにした(何)
ちょっくらオチャラケっぽいかも…
 
---
 
冷蔵庫の中が空っぽで、何か調理をする気も起こらないので、アジトの近くにあるお店で惣菜を買って済ませることにしました。
そのお店は午後7時半頃からお総菜に半額シールが付き始めます。その頃合を狙ってじでんしゃで出掛けました。
 
店に入ったら、惣菜コーナーに人だかりがしています。どうやらちょうどいいタイミングでシールを貼り始めたらしい。ラッキー…
 
半額シールの付いた惣菜だけ限定してカゴに入れ、残りはまた後で覗いてみようと思い、他のものを買うために店内ぐるっと歩くことに。
 
野菜コーナーで野菜を見ているときに、思わず声を掛けられました。
 
「すたさーんっ」
 
見れば、去年の暮れにカレンダーを持って来てくれた保険会社のおねぃさん(と言っておくねw)のWさんでした。お店で出会ったのは初めてでした。
 
「寒いけぇ夕食の支度するんが面倒なんよー。じゃけ惣菜買いに来た。」
「それがええぃねぇ。今は寒いしねー。独りじゃあ作っても余るし。」
「今、惣菜の半額シール貼りが始まったよ。まだええのがあるかも。」
 
チャブチャブしゃべりながら半額シール惣菜を漁ったり、今晩は何にしよっかなーとかこれどーやって食べるんとか言いながら店内ウロウロ…
まるで主婦みたいやなー
 
「食べるものを料理出来んでもこうやって惣菜買えるけぇねー。じゃけど病気とかなったら困るっちゃらね。」
 
そういう話をしていたら、面倒見のいいWさん、こう言ってくれたよ。
 
「具合が悪ぅて動けんよーになったら遠慮せんと連絡しいやぁ。料理くらい作りに行っちゃげるけー」
「ありがとございますー。だけどそうなったら…本当に健康的にSOS状態かもね。」
「困った時っちゃあ、助け合いじゃからねー」
 
Wさんには生命保険ではなく年金積み立ての方でお世話になっているんだけど、しばし保険の方へ連想が働いてしまいました。
 
「風邪引き看病特約ゲット?」
 
いや…
真面目にケータイへかけることを考える事態があったとしたら、去年の2月に遭った以上に酷い状況だろうねぇ。
 
だけどうちの親へ”助けてコール”する位なら、Wさんに連絡しちゃうかも。
親だと余計な心配をかける上に、食生活がデタラメだとか日頃の健康管理が悪いから風邪引くんだとかお小言をたんまり頂戴することになるだろうからさ。
 
---
 
 
【追記】(0:20)
 
自分のブログながら疑問なんだけど…
雑記」書庫と「日常生活」書庫って、どう違うんだろ?
 
自分で2つも書庫を作っておきながら、ワケ分かんなくなっちまったなー
この書庫も統廃合が必要かも。

続きと言っても別に新しい発見があったわけではない。
今回、上下巻にわたって偶然見つけた竪穴をレポートしたのだが、後から思いだした記事の背景についてどうしても書いておきたいことがある。

この記事のタイトルからして想像がつくかも知れない。
非科学的だと言わず、まあ聞いて欲しい。

---

一連の記事の上巻を書き上げて公開し、下巻の準備を始める頃には日付が変わって12日になっていた。下巻を途中まで書きかけたものの、記事中に貼り付ける写真を準備(リサイズ編集)しようとする頃には午前1時を回っていた。

しかし私はこんな夜更けに核心部分となる竪坑の中を撮影した画像を開いて編集する気になれなかった。
何度見てもおぞましいものを感じる。

寝る前にこのような写真を編集していたら夢で魘されるかも知れない。翌朝明るくなって作業しようと思い、書きかけの記事を仮保存し、画像ビューアも閉じてパソコンの電源を落とした。


床に就き意識が落ちるまでの間、私はいつも今後の踏査計画など将来の楽しいことだけを考えるようにしている。過去のことは振り返らない。特にあの状況では先ほどまで眺めていた画像のことは記憶に上せたくなかった。仮にもあのおぞましい光景が夢に出て来たなら…

…と、そこに考えが及んだとき、布団の中の私は初めて一昨日の朝見た夢との符合に気付いたのだ。


一昨日の夢の中で見たのは、あの深い竪坑だ!



現地を探索しているときにはもちろん、一連の記事を執筆している間もその夢のことは全く頭になかった。床に就いて睡魔の襲来を待つ間に初めて思い出したのだ。

一瞬おののいたが、幸い頭から消し去ろうと努める間もなく眠りに入ることができたし、一昨日見た夢の再来は避けられた。


こう言えば、恐怖心を醸し出すための後付けな話を持ち出したと言われるかも知れない。


私は鮮烈な夢を見て起きた直後、忘れないうちにその内容をブログ記事に書くことがある。一昨日見た夢は、あまりにもおぞましい内容だったので敢えて記事には書かなかった。しかし見た夢の概略を Twitter でつぶやいていたのである。

以下がそのときの投稿である。


子どもの通学路のど真ん中に蓋のないマンホール。覗き込んだ子どもが転落して溺れるって夢を見て起きた。

1月10日 9:27 のつぶやき

何か今年に入ってとっても夢見が悪い。災害とかの夢ばっかり見る。明日は我が身なのかも…

1月10日 9:28 のつぶやき


言うまでもなく Twitter の発言内容や日時は後から改変できない。私は現地であの竪坑を目撃する30時間以上も前に、酷似する夢の内容をつぶやいていたのである!


語るにおぞましい内容かも知れないが、その夢の詳細は以下の通りだった:

冬の寒い日の午後、私は真っ直ぐに伸びるアスファルト舗装路を歩いていた。(周辺の風景からして県道琴芝際波線の沖の旦橋を渡って坂を下った直線路あたりと思う)

小学校の下校時間なのか、私に混じって子どもたちも歩いていた。車は全然走っていなかった。路面には何故かレールが埋め込まれており、小雪が積もっているせいで踏むとよく滑った。

ふと前方を見ると、舗装路のど真ん中に大きな穴が空いている。その周囲はバリケードらしきものが置いてあったから、下水マンホールの蓋を閉め忘れたのかも知れないと思った。

中を覗き込んだ。下水マンホールにしてはかなり深く底が見えない。

追い越した子どもたちがこっちに歩いていたので、私は子どもたちに危険を知らせようと引き返しかけた。
そのとき一人の小さな男の子が、何も知らず反対方向から穴の方へ歩いているのを見た。

私が「危ないっ!」と叫ぶのも聞かず、その子は恰も吸い込まれるように穴へ向かって歩き続け、内部へ転落してしまった。

すぐに穴の近くまで駆け寄ったものの既に子どもの姿はなく、穴の底の方で灰色の水が大きく揺れ動いていた。
穴には梯子らしきものが掛かっていたが、それは大人の私が乗れば容易く壊れて落下してしまいそうなほどか細い梯子だった…

この直後に目が覚めている。


危険な竪坑が出てくる夢を見せられ、それから一両日後に全く偶然に訪れた場所で夢に出てきたのと同じ竪坑を目撃した。もちろん現地を訪れたときには夢のことは全く気づきもせずに…

この事実をどう受け止めるだろうか?
心霊的な現象に少しでも関心を持つ方なら、一連の現象にこう反応するかも知れない。

夢の中で幽体離脱し、あの竪坑を観に行っていたのでは?


私は心霊や超常現象などの類は全く信じず、むしろ積極的に否定するスタンスである。おおよそこの世に起きるすべての現象は科学的に説明可能と信じているし、極端な話、今も未解明とされている不思議の数々は、人類の叡智を超える超越的な存在が造りあげた業ではなく、単にそれを解明しようとする人間の努力不足によるものと考えている。


私があらかじめあの場所に竪坑があることを知って現地へ向かったなら、夢で見た内容に符合するような行動を後から取ることが可能である。しかし現に記事で述べているように、私が車で県道のあの区間を走ったのは紛れもなく生まれて初めてのことで、現地には全く何の土地勘もなかった。精々若山ゴルフ場に炭鉱の跡があるらしいという予備知識を得ていた程度である。


大体、後から思うにもあの場所への訪問自体かなり不可解である。津布田で人に会うのだから、そこから遠くへ離れる必要はなく、むしろ引き返すだけ無駄になる。私が車を先に走らせたのは、待ち合わせまで時間があったことと、一度も訪れたことのない場所で高台から海を眺めてみたいという理由だけだった。実際、車を停めたのも高台近辺で路側へ安全に駐車できる場所という、ただそれだけの条件である。

そこで最初に廃モノの匂いを放つガードパイプを見つけたものの、実際にそこへ足を運び、更には振り返りざまにフェンスで囲まれた謎の構造物を見つけるあたり、偶然ながら出来すぎた話である。むしろ、非科学的と言われるのを承知で、目に見えない「何かの力」によって私があの場所へ惹き付けられ、夢で見たものと同じ光景を見せつけられたと解釈する方が自然に思えるくらいである。


驚愕を覚える最大の原因は、人間の誰もが未来を観に行き、それを現在に反映させることが不可能という普遍的真理に基づくものである。30時間後に自分が発見するものなど予測できないし、まして幽体離脱など一般に受け入れられるものではない。翌日の自分の行動について概略な予想はできても、深い竪穴に遭遇して畏怖を覚えるだろう…の如き具体性を帯びた予見は(夢の後に意図的に該当する場所を訪れる等の作為的なことをしない限り)不可能である。


冷めた見方をすれば、夢に始まる一連の出来事は、確率論によって客観的に説明し得るかも知れない。


人間は意識されないだけで、覚醒時には夥しい情報に接している。朝起きてトイレに行ったなら、あなたは確実にトイレのドアに手を掛けただろう。しかしドアノブの正確な形状やトイレの床の模様などを正確に覚えていないのは、取得したものの重要度が低い情報として捨て去られたからである。

他方、睡眠時でも人間は夥しい夢を見ているとされる。そのすべてを逐一再生できないのも覚醒時と同様に、重要度が低いものは捨て去られてしまうからである。起きた直後は鮮明に覚えていても、時間が経つにつれて揮発油の如く急速に夢の内容が失われるのは、誰も体験済みだろう。

夢の題材になる情報としては、特定の人や建物、場所、テレビの内容など雑多に存在する。そして覚醒時に(無意識に取得するものも含めて)目にする情報も同程度かそれ以上に存在する。夢で何処かの場所や人物が現れたとき、それが過去未来を問わず覚醒時にほぼ同じ環境下で再現される確率は、個別の事象に関しては極めて低い。

しかし極めて低い確率であっても観察回数が膨大になり、かつ夢を見たときからそう遠くない過去未来までも含めて対象にするなら、その中で一つや二つは今回の夢と竪坑の如く奇妙な符合を生じる現象が起こるのではなかろうか。


平たい言葉で言い放ってしまえば、これは「偶然の一致」とも呼ばれる部類である。
発生確率が極めて低い事象でも、充分に長い試行回数を経過すれば示現されることに格別な不思議はないとされる事実である。
(数億に一本しか当選しない宝くじでも「充分に多数回」購入し続ければ一度も当たらず外れ続ける確率の方が低くなるのと同じ)


私が体験した一連の出来事は、やはり単に「偶然の一致」として片付けられるものなのだろうか?


そこには夢という未だ多くを知られていない厄介な存在が介入しているだけに、完全な解明はそのメカニズムからして必要になるものかも知れない。


あなたはどう考えるだろうか?



ちなみにこれも偶然だろうが、Twitterの2つ目のつぶやき(「災害とかの夢ばっかり見る。明日は我が身なのかも…」の部分)についても極めて不幸な形で午前中に示現されたことを断っておく。

(殆ど記事を書き上げていた矢先に今日の大雪で不意打ち的な停電に遭って書きかけの記事すべてを失い、また一からの書き直しと相成った…しかもこの書き直しは当初の内容よりもずっと悪い…)

行き先は風任せで

例によって今日もじでんしゃで出かけました。
まだデータをまとめていないので、久し振りに今日は雑記という形でつらつらと書きましょうか…

---

具体的な場所はまだ書かないけど、昼から東に向いてじでんしゃを走らせました。

元々がポタリングなので、厳密な行き先は決めていません。今回必ず行くと決めている場所と、余力があれば走ってみようという場所の候補をいくつか持っています。予定外に面白いものを見つけ、丹念に調べているうちに時間を喰った…などのケースに対処するためです。

さて、今日は晴れているものの陽射しはそう強くなく、ポタリングには好適な気候に思われました。特に行きはとっても快調。心地よい追い風に助けられて労せずともビュンビュン走ってくれました。


嬉しいようで、実はこれってあまりよろしくない事態なのです。容易に想像つくことですけど

行きが追い風なら帰りは向かい風

ポタリングで走っているのは精々昼からの数時間。その間に風向きが 180 度変わってしまうことなんて普通は有り得ません。また、今のところ輪行を交えてのポタリングを考えていませんから、途中経路をどう選択しようと出発点へ戻るには逆ベクトルの動きが必要です。

それも行きは意気揚々と漕いでいるからまだ元気があるけど、帰りは間違いなく行き以上の疲労を蓄えています。「行きは向かい風、帰りは追い風」が理想的なんですよね。


その意味では、今日は最悪の逆パターンでした。実際、往路が強い追い風だったから防府方面へ足を伸ばすのを見送ったとも言えました。イケイケドンドンで押して行くと、帰りに疲労困憊してしまうという予測が働いたので…


この読みだけはズバリ的中しました。帰りは歩道が整備されていて急坂も少ない往路の国道 190 号を走ったんですが、もう向かい風びぅびぅ吹きまくり。下り坂ですらしっかり漕いでやらないとどんどん減速していく程の風でした。そんなだから、登り坂はパワー2割増くらい必要。


全行程は 45km でしたが、最近ではかなりくたびれた部類に入りました。(と言っても野山時代の峠越えポタリングに比べたらまだまだかわいいものか)

で、思ったんだけど…

ある程度まとまった距離をポタリングするときには
西向き・東向きのプランをいくつか持っておいて
風の強い日は往路が向かい風になるプランを選択する


実際、まだまだ行ってみたいところは各方面に散在しているので、いくつかのプランを立てて準備することができます。

しかしもうあと何ヶ月かすると、気温・湿度が今よりもずっと上昇して、とてもポタリングどころじゃないかも知れないね。

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