すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

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ダムや工業用水、道路、遺構なと個人的に心惹かれる「物件」を踏査し、写真と動画を交えたコアなネタをお送りしています。

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掲載していたローカル関連の記事は手元に原典があるので、一部は編集追記してホームページへ移植しています。

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(「No.20点検桝」の続き)
 
市道に戻るとき、忘れずにもう一つの宿題 - 例の藪に埋もれたコンクリート水槽が何処から水を採っているか - を調べておいた。
 
 
桝の背後には、微かな溝らしきものが見える。
写真では近くに見えるが、藪の繁茂が酷くて到底近づける状況になかった。
 
イメージ 1
 
 
藪の中へ腕を突き出してズームし、何とか収めたショット。
自然石を整列させた簡素な溝が見られる。どうやらこれがコンクリート桝へ用水を供給する水路になっていたようだ。
 
イメージ 2
 
 
以前の記事では、追記で”このコンクリート桝は厚東川1期導水路から取水している”と述べたが、どうやら誤りで自然の沢の水を導引していただけのようだ。
桝の背面に止水栓も見当たらないので導水路からの分岐はないと思う
 
この辺りから温見までは、田畑の面積が広い割には霜降山から厚東川へ注ぐ目立った川がない。
厚東川1期導水路は戦前から通っていたので灌漑用水の分水は可能だったものの、導水路ばかりに依存できない事情があったのだろう。不相応に大きなコンクリート桝は、チョロチョロ流れる頼りない小川の水を確保するための努力だったのだろうか。
現在別系の溝を掘ったのは桝に泥が流れ込まないようにするためか…
 
 
このコンクリート桝に続き、市道を更に数十メートル進んだ先にもう一つの正体がよく分かっていない物件がある。
それは右手山裾にあり、ここだけ市道がコブ状に広くなっている。
 
イメージ 14
 
 
このコンクリート桝も「水利関連の遺構【その4】」として既に記事で紹介している。灌漑用水に関する構造物は間違いないのだが、先の桝とは異なり高い場所にあって接近できないため詳しいことが分からない。
 
イメージ 15
 
 
市道に沿ってヒューム管が前後に接続されているので、ここに貯めた用水を供給する桝なのはかなり確かだ。しかしこんな高い場所に設置して、どうやって灌漑用水を導いているのだろうというのが第一の疑問である。
 
調べるには桝の上部に登る必要があるが、今の藪が弱まった時期ですら全体が酷く草木に覆われている。しかも周囲は急斜面で取り付く島もないという表現がぴったりである。今回もどうにも調べようがなかった。
 
 
この後、No.19 の写真を撮って来た道を引き返し始めた。
しかしアジトへの家路を急ぐにはあたらない。No.20 の発見によって未だ特定できていない No.21 のヒントを得た気がしたのだ。
 
 
以下は、この時点で知られた点検桝と、それを元にした推定経路である。
ピンク色は既知の桝から推測される経路で、途中から引かれた赤線は今回 No.20 を発見する以前に予想していた経路ある。
 
イメージ 3
 
  
当初、No.19-1 〜 22 区間は赤線の経路を想定していた。即ち No.19 から先は×印の谷地を目指して一本の隧道で突き抜け、2つの桝はいずれも No.22 に近い末信の集落内にあると考えていた。
 
しかし実際には No.20 が市道沿いに見つかったため、推定ルートを見直す必要がでてきた。
 
No.20 は谷地と言うよりは、導水路の土被りが浅くなる一地点である。それならば長い隧道を避けるために、少々遠回りしてでも市道沿いに伸び、そこから丘陵地帯の下を隧道でこなして No.22 へ至るのではと考え直した。
 
もしそうであれば、No.20 から市道と平行に進んだ山沿い…末信水源地のある裏手あたりに何か手がかりがあるのでは…と思い始めたのだ。
 
この仮定の下に、今まで踏み込んでいなかった末信水源地の裏手をあたってみることにした。
 
  
末信水源地である。これは先に解説した No.20 より市道を起点側に100m程度戻ったところになる。
これは今回ではなく以前撮った写真
 
イメージ 4
 
 
末信水源地から市道の起点方向は、狭いながらも見通しの良い直線路である。ここには以前はなかったフェンスが設置されていた。割と最近のことのようだ。
 
イメージ 13
 
 
フェンスは単管の控え柱を伴っており、仮設ながらそれなりに頑丈に造られている。その割にはこんな感じで自由に出入りできる場所がいくつもあり、立入禁止の立て札もない。それ故に遠慮なく立ち入らせて頂いた。
 
 
この近辺は市道が山裾から若干離れた場所を通っており、これといった農道もなく踏査しづらい。
 
 
イメージ 5
 
 
草地へじでんしゃを横倒しにして、山裾に向かった。もちろん山道の部類もないので、適当に草地を横断し山裾に取り付いた。
 
 
山裾は斜面ではなく、草地より一段高い平場になっていた。これは平場へ上がった直後の様子である。何の木が不明だが、明らかに植林した形跡があった。
 
イメージ 6
 
 
私はこの一段高くなっている平場がとても気になった。
まるで作業道のような感じでありながら、軽トラも通れないような位置に木が植わっていたからだ。
 
イメージ 7
 
 
ここなど特にそうである。
自然に任せた状態で、こんな具合に一列に木が並ぶ筈がない。また、これが農道とすれば、もう少し路肩に寄せて植えるだろう。こんな中途半端な位置では、ここを軽トラが通るのも厳しい。
 
イメージ 8
 
 
この帯状領域は、何処かの田畑や倉庫へ繋がっている様子はない。よほど古い時代に作られ廃された農道か、そもそも道ではない何かのように思われた。
 
現状を見ると、導水路の保護盛土の跡ではないかと考えたくなった。かつてコンクリートで巻き立てられた導水路が露出していて、強度を保つために後から周囲を埋め戻したように見えるのである。軽トラが通るには不相応な位置への植林も、盛土の補強目的かも知れない。
ただ、導水路が実レヴェルで通されるには、若干高度が下がり過ぎているような気もする。まして浅い位置を通っているのなら、この場所にも例の標識板が建てられているだろう。
 
 
平場を進むと同時に、先ほどまで居た草地の方にも目を遣った。
 
この場所はじでんしゃを置いてきた草地の平場より5m程度高い。
そして…この平場自体、気になるものがあった。
 
イメージ 9
 
 
ズーム撮影。
長方形のコンクリート板と、2基の円筒形の柱が見える。建物か何かの玄関部分のようにも見える。
 
イメージ 10
 
 
導水路と関連性があるか不明だが、この正体が気になったので、帯状領域の先を辿らずに下の平場へ降りた。
このまま上段の帯状領域を辿っていたなら…どうなっていただろうか…
 
 
接近する。
かなり古いコンクリートらしき物体というだけで、荒廃が著しく手がかりになるものがない。
 
イメージ 11
 
 
玄関らしきものの後ろにあった2つの円筒形コンクリート。
内部は中空のようにも見える。これも正体はさっぱり分からない。
 
イメージ 12
 
 
再度、上段の帯状領域に戻るのも面倒だし、じでんしゃから距離が離れるのも嫌だったので、そのまま平場の端に置いていたじでんしゃを取り戻しアジトへ戻った。
 
こうして第四次・末信計画は幕となった。
 
そしてその後…
 
今から思えば、そこからの展開は極めて早かった。この記事に書いた疑義の一部は解明されたし、導水路の経路もかなり明らかになった。
それを今後どう記事にするかは考えるとして、取りあえず本続編はここで閉じよう。
 
 
 

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No.20点検桝

 
藪の間から、既にターゲットは見えていた。
距離は離れていたものの、今回ばかりは一目見るやそれと確信できた。桝の形状や設置位置もだが、お約束の標識板が見えたからだ。
 
イメージ 2
 
 
勿体ぶるようだが、私はすぐには接近せず一旦市道まで引き返した。
藪に埋もれた分水桝だけならともかく、ここに”あれ”が隠れていたのなら、その位置を記事で説明するために写真が必要だ。
前章で掲載した市道の写真はこのときに撮影された
  
 
じでんしゃを置いている場所を振り返っている。
以前はこの辺り一帯が水浸しで、スニーカーでは踏み込めなかった。大きめに掘られた溝によって今は乾いている。
 
イメージ 1
 
 
周囲の状況。
厄介なイバラ系の雑草は少なく、踏み跡はないものの枝跳ねだけに気をつければ問題なく歩ける。藪の程度としては、No.10 と同じくらい。しかし残骸水路のような人の手が入った水路はなく、青短冊も設置されていない。
 
イメージ 3
 
 
枝を振り払いつつ50mくらい歩くと、正面に古い石積みが見えてくる。自然石を集めただけの乱積みで、全体が酷くコケと土埃に覆われており、今まで見てきたどの種の石積みよりも古い。
 
イメージ 13
 
これが導水路と関係あるかどうか分からないが、人の手が入った地という印象を強めたのも No.11 のときと似ていた。
 
周辺の状況はこれで足りるだろう。
さて、獲物を仕留めた如きワクワク感を満喫しつつターゲットに接近する。
 
 
石積みの左手に小川があり、開けた空間の奥に桝が設置されていた。土の斜面にそのまま据えられている感じである。
 
イメージ 4
 
 
一目見て分かるように、かなり古い。
桝の一部は欠けており、標識板は古いタイプのもので、傾いて立っていた。
 
イメージ 5
 
 
今は殆ど見かけなくなった、旧タイプの標識板。
焼け焦げたような表面の茶色は、経年変化か元からなのか不明である。
 
イメージ 15
 
 
標識板は、今では殆どが白色の新しいタイプに取り替えられている。
一昨年の9月頃より業者によって順次更新されていったようだ
左岸踏査にあって最も到達しづらく荒れの酷い No.11 ですら、藪に埋もれながらも標識板は新タイプだったことを思えば、この場所の点検桝はチェックが及ばず忘れ去られているのかも知れない。
青短冊がないので桝の存在場所が分からなかったのでは…
 
 
予想通り、それは No.20 であった。
 
イメージ 6
 
 
以前から怪しいと感じながらも、ここまで踏み込むことが出来なかった。このことは、以前初めて市道沿いにある藪に埋もれた桝を調べたときの記述でも判明する:
 
> この近辺では、右手へ向かう進入路の殆どが、期待通り厚東川1期導水路の
> 点検桝に通じている。
> その一般法則を体得した去年の踏査時、実際にこの土のうがある場所から
> 進入している。しかしこれは山の水が流れて自然発生した洗掘に過ぎず、道では
> ない。実際踏み跡はすぐに消失し、その先は水気の多い自然のぬかるみに
> 導かれるだけで、点検桝は見つからなかった。
 
時期的なものや滞水という悪条件があったから仕方なかったにせよ、この奥にこれほど開けた空間があったことは予想外だった。完全に独立した広場が隠されているも同然だったのである。
 
 
周辺の様子と流下音を採取しておいた。
 
 
 
桝は独立して存在し、分水は行っていないようだ。
そのすぐ下には導水路の上を跨ぐための水路があるが、傾いたり壊れたりしていて殆ど用を為していない。
 
イメージ 7
 
 
桝の足元に気になるものが転がっていた。
 
 
中央に針金状の取っ手が付いた2個のコンクリート蓋。
形状からして何かを覆う蓋であることは間違いなさそうで、厚みがありずっしりと重い。取っ手に手を掛けても持ち上げられなかった。
 
イメージ 8
 
 
これはもしかすると桝に使われていた旧式の蓋ではなかろうか。
2枚を並べれば、サイズ的には一致しそうだ。
もしそうなら、この桝は歴代点検桝のうちでも最も古いものの可能性がある。他の場所で同様の蓋を見たことがない。少なくとも外観からすれば、造られた当初を思わせる古さだ。
 
 
破壊された水路の近くに、これほど古くはないものの気になるものがあった。
 
うち捨てられた長方形の鋳鉄蓋である。
元は”排氣弁(弇?)”と陽刻されていた蓋で、中央から破断されていた。
 
イメージ 9
 
 
半分になっている残りは見つからなかった。導水路と関係があるものはどうか不明である。鋳鉄蓋が要るような構造物を思い付かないから、別の場所から運んで流用されたのかも知れない。
 
この No.20 桝を元に導水路の経路上を歩いてみた。
 
 
桝の延長上に沿って一部コンクリートが現れていた。
導水路の巻き立てコンクリートの一部かどうかは分からない。ここ以外は露出していなかった。殆ど地山に近いレヴェルをもって流下しているようだ。
 
イメージ 14
 
 
下流側に向かって歩き、振り返って撮影している。
経路に沿って軽く盛土しているように思われる。この区間は開削工法で通し、後から流用土を被せた筈だ。
 
イメージ 10
 
 
下流側の山腹へ突き当たる部分は、ちょっと特異な地形になっていた。
写真でもすぐ気付くだろう。
 
イメージ 11
 
 
導水路の経路上が窪地になっている。
 
窪地が形を変えずそのまま残り続けることは稀で、年月が経つにつれて水が溜まって池沼になるか、高い位置にある土砂が雨で運ばれ埋められるかである。
しかしここは直径5m程度の浅い窪地になっていた。ドリーネなど特異なケースを除いて、自然にはあまり見られない地形である。
 
イメージ 12
 
 
開削工法で施工後に埋め戻したものの転圧不足で下がったか、導水路自体の漏水によって空隙が生じ、土砂が流れて陥没したかだろう。ここから下流側は山腹なので、施工時にはこの場所に隧道坑口があったと思われる。
 
 
一番奥の陥没場所から振り返っている。
導水路がある経路上は草木が取り除かれており、線形が明白である。少なくとも最も最近になって明らかになった No.11 よりはずっと開けた場所だ。
雑草すら生い茂っていない…やはり定期的に草刈りされているのだろうか
 
イメージ 16
 
 
これにて、また導水路経路における新しい”点”が一つ確定した。
 
この時点でもう一つ、近接する点検桝で所在が分かっていないものがある。
No.21 である。
 
この日は成果を期待しておらず、そもそも足慣らしだった。予想外に成果を手にできたので、先を追い求めずそろそろ引き返そうと思った。
その代わり、私は既に知られている No.17〜19-1 の位置関係から、No.21 の所在が割り出せそうな感触を得て、帰路に就きながらチェックしようと考えた。
 

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※この記事を書き始めた後に行われた踏査で新たな発見があったので、些か記事構成や繋がりが不自然になっています。ご了承願います。
 
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どのみち見つからないだろうという否定的な予想と共に疑惑の谷地へ入り込んで精密に踏査し、やはり見つからなかった。
まあ、後日の踏査によって今や答を手にしているから一笑に付せるものの、当時現地を走るじでんしゃ隊には納得いかないままの退散だった。
 
 
一連の足取りをマップ上に落としてみた。ピンク色の線がじでんしゃ及び徒歩によって進んだ経路である。
 
イメージ 1
 
 
”疑惑の谷地”を離れた後、一旦高台にある末信集落の小道に向かっている。この細い道は市道末信線で、両側に民家が並んでいる。このときは写真は撮らなかったが、去年の5月にもここを訪れ、以下3枚の写真を撮っている。
 
イメージ 2
 
細い道の脇から霜降山登山道に向かう小道があり、市道そのものは民家の先に突っ込んで急に細くなっている。言うまでもなく車では通れない。
 
 
突き当たりから振り返って撮影している。
 
イメージ 8
 
 
この時は更に念を入れて、ここから細い農道を通って霜降山登山道の方までじでんしゃを乗り入れていた。
 
イメージ 9
 
この農道は遠くから見えていた例の鳥居に繋がっており、先に探りを入れた谷地よりもずっと高い。しかし見晴らしの利く場所なら、眼下に例の標識板を見つけることができるかも知れないという期待もあって踏み込んだ。
 
その目論見は空振りに終わり、何も得るものはなく市道を引き返したのだった。
 
 
民家の横で急に狭くなる市道の先が何処へ通じているのか詳しくは調べなかったし、今回ここを走ったとき(後から思うに残念ながら)左手にお住まいの民家の方が庭先まで出て来られていた。明らかにじでんしゃで通ることが困難な山道へ突っ込み、スゴスゴ引き返すのも躊躇われて、すぐUターンしていた。このことが次回の踏査に決定打を与えることとなった。
 
末信の高台から降り、再び市道沖ノ旦末信持世寺線を北上した。
 
 
末信地区を後にすると、再び山が迫ってくる狭隘区間に差し掛かる。
ここに分水桝と思しき古い遺構があることは、以前この記事で紹介している。
 
「水利関係の遺構【その3】」
 
実はこのショットは諸々に気付いた後で市道に戻り撮り直した写真である
 
イメージ 3
 
 
前回、記事を書いたとき、この精確な場所を説明できていなかった。
目印になるものを撮り損ねていた。
 
 
振り返って撮影。
このカーブを少し戻って50m位先の山手に末信水源地がある。
 
イメージ 4
 
 
さて、私が現地へ到着したとき、時期的なせいもあって踏査の邪魔になる雑木は意外に少なく、困難なくじでんしゃを乗り入れられた。前回は時期が悪く、この分水桝の背面を充分に観察できていなかった。
今なら思う存分とは言えまいが、かなり詳細に写真を撮れそうだ。
 
 
正面の桝へ接近する。
ここも確か前回は詳しく観察できていなかった。
 
イメージ 5
 
 
上部を覆う鉄格子。
上方に垂れ込める枝葉も少なく前回よりは近づきやすい。しかしいくら雑草がなくともこの上に乗る気にはならないのも前回と同じだ。
 
イメージ 6
 
 
桝に直結している鋳鉄管。
この桝の背後から用水を取り込んでいるようだ。
 
イメージ 7
 
 
前回、用水を供給する流れがどこから来るか知るために桝の背面を調べようとして、藪に阻まれ実行できなかった。桝の上流には目立った沢がないので、厚東川1期導水路から分水しているのではないかとも考えた。
実際、長溝用水などではそのような分水設備があることを確認済みであり、ここもそうなのではないかと予想された。もしそうなら桝の背面やその山側に相応な構造物があるのではと思ったのだ。
 
 
足元は悪いがそう労することなく桝の背面へ移動する。
 
イメージ 10
 
 
しかし桝の背面には、格段目立つ構造物や管などは見つからなかった。
 
この付近一帯は少なくとも2度踏み込んでいる。山からの湧き水が極めて多く、スニーカーでは足元がハマって寄り付きならない場所だった。
それが今回は意外に乾き、藪も少ないせいかじでんしゃで一気に乗り込むことができた。
藪が浅いのは時期柄分かるものの、湧き水の少ないのがちょっと解せなかった。ここは今まで殆どいつ来てもジクジクと足元が水っぽかったからだ。
 
 
どうやら、これが原因らしい。
一過性の出水があって洗掘されたのか、それとも周辺一帯に湧き水が広がるのを避けるため人為的に掘ったのか、今までなかった深い溝ができていた。湧き水がここに集まるので他の場所が乾いているらしい。
 
イメージ 11
 
 
最初、例の貯水桝へ繋がっているかと思われたが、この溝は用水路ではなく、単にじでんしゃを乗り入れた場所へ向けての自然排水路らしかった。
 
 
これほどの溝ができているということは、意外に山の水を集める沢がこの奥にあるのかも知れない。
周囲に全く踏み跡はないものの、藪に勢いがないし足元も乾いていたから踏み込むことに困難はなかった。今まで足元が悪く進行できなかった場所なので先を見ておきたいと思った。
 
 
枝を払って道なき道を進み、何やら怪しい感じのするものを目撃する。
明らかに人の手が入り、積み上げられた石垣だ。
 
イメージ 13
 
 
この人の手が入った様子は、以前第3次計画で訪れた No.11 付近の平場そっくりだった。それ故に直感的にとても怪しいものを感じた。
 
 
自然の作った小さな沢の先には、思いの外広い空間があった。周囲を雑木に囲まれており、木の生えないその場所は外部から切り離された広場のように見えた。
 
イメージ 12
 
 
写真を添えつつ文字にすると長く感じられるが、実際はものの数十秒の出来事だったのである。
そこを更に進んだときだった。
 
あっ!!
 
イメージ 14
 
 
(「No.20点検桝」に続く)

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No.22 を過ぎた先の坂道を登りきると、平坦な台地の一面に田が広がっていた。
しかし導水路に沿って直進する道はなく、そこで直角に左へ折れて高台にある集落に向かっていた。
砂利道は集落に沿う細い舗装路にT字路の形で接続されていた。そこは初回 No.22 を踏査したとき通った記憶のある場所だった。 
 
 
初回踏査時の記事に掲載した写真から。
位置的には、今しがた走ってきた農道を振り返った形になる。
 
 
 
初めてここを訪れたときは、下から登ってくる市道末信線を走っており、この砂利道の分岐を見て先へ進もうかと迷っていた。
前回の記事では、こう書いている:
 
> 農道は未舗装であり、しかもうんざりするほど遠い谷地の奥まで伸びている。
> 先に訪れたNo.22桝の位置からして、この直線路が右カーブするあたりに
> 通っていそうだが、ここからは立て札らしきものは何も見えない。
> 徹底主義を旨と成す現地のじでんしゃ隊も、さすがにこの先へ進むだけの
> 気力を蓄えていなかった。
 
> 間違いなく見つかるなら、疲労を押してでも漕ぎ入れるだろう。しかし現況を
> 見る限り、この丘陵地帯の下を隧道で通されている気がする。ここに点検桝を
> 設置したとなれば、今しがたじでんしゃ隊が登ってきたのと同じ深さの桝が
> 必要とされる。
 
この砂利道を進んでも No.22 へ逆戻りするだけだから、先を求めなかったのは正解だった。しかも今しがたじでんしゃで喘ぎつつ登ってこなした高低差は5m以上あるから、導水路がここに広がる一段高い田の下を通っているのも確からしい。
 
さて、集落に沿う市道末信線はこの先若干高度を下げる。そこは厚東川よりも一段高い平坦部で、そこから山側へ比較的大きな谷地を形成している。
 
 
これは先の地図に導水路の推定経路と今までの足取りを描き込んだマップだ。 
 
イメージ 2
 
 
No.22 は集落を貫く市道沖ノ旦末信持世寺線から直線距離で1km以上離れている。それにも関わらず、末信集落の端に見つかる No.19-1 は市道から50mと離れていない。
市道自身も進路を若干東へ振ってはいるものの、これほど近接するからには導水路も市道側へ寄ってきている筈だ。既知の No.22 と No.19-1 を直線的に結ぶと、必然的に鳥居が見えるあの谷地を通過するのである。この区間に No.20 と No.21 が存在するなら、少なくとも一つはあの谷地にあると考えたくなるだろう。
 
 
再び、初回踏査時に撮った写真から。
市道末信線はT字路より若干高度を下げてすぐ左へ折れる。あの鳥居の下にある沢を目指すには、再び砂利道を進む必要がある。
 
 
 
じでんしゃを転がしつつ、T字路からどれほど高度を下げるか観察した。
正確なことは分からないものの No.22 から登ってきた分の半分程度しか下っていないと思う。
 
 
未舗装路は、正面に見える家の前で更に二叉に分かれた。
左の方はある程度地元の車が通るらしくダブルトラックが明白だが、沢へ向かう右の方は殆ど車が進行しないようだ。 
 
イメージ 1
 
 
初めて訪れる場所なら、きっとこの谷地の奥に見つかるだろう…などと心を躍らせるものである。
しかし前編の文末で書いたように些か気乗りしないのは、私にとっては「些か手垢の着いた場所」だからだ。
 
ここを踏査するのは今回が初めてどころではなく、既に少なくとも2度訪れている。それでいて全く成果が得られておらず、その原因が初回に No.11 を訪れたときやってしまったような勘違いに起因するものとは思えないのである。
このときの状況も「周辺部の踏査」として記事にしている。
 
 
あるワケがないって…と、半分以上否定的な気持ちを持ちつつ進行する。
但し”本当に完璧にくまなく踏査したのか?”と問われれば即答はできかねるから、その確度を高めるための調査も同然で、テンションは上がらない。 
 
イメージ 3
 
 
この農道は、一個人のものと思われる畑へ到達して終わっていた。写真を掲載するのは初めてかも知れないが、こことて初回踏査時に撮影している。それも今いる場所から目視するだけではなく、実際に雑木林の手前まで脚を運んでいる。
 
イメージ 4
 
 
畑より先は狭い谷地になっている。
写真を見るだけなら、如何にも見つかりそうな雰囲気だ。しかし No.22 の絶対高度を身体に記憶させている今なら、この畑とて No.22 より3m位高いと言い切れる。
 
ただ、決めつけは禁物だ。高低差を勘違いしている可能性もある。だから今回は念のためにこの畑から奥に伸びる沢を調査してみることにした。
 
イメージ 5
 
 
谷地へ入り込んだところから振り返っている。
前回踏査時は畑からざっと眺めただけで、踏み込んではいない。 
 
イメージ 6
 
 
畑から続くこの谷地は、イノシシ避けのネットがぐるりと張られていた。
 
街中では殆ど見かけないものの、野山ではこのようなネットはしばしば見受けられる。うちの親元でも畑に隣接する畦道に設置している。
電気ショックで追い払うために微弱な電気を流している紐を張ることもある
 
害獣避けの効果は不明だが、取りあえずネットに突進し絡み取られて動けなくなったイノシシを見たことがない。野性の動物もそこまで鈍臭くはないようだ。
 
 
一段上の谷地へ向かうには、どこかでネットを跨がなければならない。踏査目的とは言え、自分は恐らくは他人様の土地へ足を踏み入れている訳だから、慎ましくネットの低い部分から外へ出ようとしたのだが…
 
あっ!!
 
 
ドスン、バタン、ドテドテッ!! εミ(ノ_ _)ノ
  
靴を獲られたよー。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。
 
イメージ 7
 
 
紅色のネットにばかり気を取られていて、薄い白色のネットが併設されていたのが分からなかった。
そこへ脚を突っ込み、バランスを崩して倒れそうになったので慌てて脚を引き抜いたものの、いたずら野ウサギ(?)の靴だけが絡め取られてしまった。
野性のイノシシより鈍くさい人間が一匹居た模様…w
 
イメージ 8
 
 
日頃から敏捷性と足腰を鍛えている野ウサギ(しつこいw)なので怪我はなかったし、ネットが破れることもなかったが、予想外の出来事にかなり慌てた。
大声で「うわわぁー!」などと叫んでいれば、あるいは近くの家まで聞こえていたかも知れないが、野ウサギは滅多なことでは吠えないので(もう分かったからw
 
イメージ 9
 
 
別の安全な場所を経て、ネットの外へ出た。
ここには水量こそないものの、確かに小川がある。土被りが薄いなら、導水路をやり過ごす交差部があってもおかしくはないのだが…
 
イメージ 10
 
 
谷地の底を水が流れているものの、ごつい石がゴロゴロしている全く自然の小川の状態である。
もし導水路が浅い土被りをもってこの下を通っているなら、まずこういう状態では放置されない。洗掘防止で水路部をコンクリートで固める筈である。それは今まで見てきた点検桝を伴うどんな導水路と沢の交差部にも当てはまる。
 
更に高い場所へあるとも思えないものの、勘違いということもある。
”絶対にここより高い場所にはない”と思える場所まで、谷地をくまなく歩き回った。
当然ながら何の手がかりも見つからなかった。
 
 
再び降りてきて、谷地を横から撮影。
導水路はこの近辺を通過しているものの、沢の標高が思った以上に高くて点検桝を設置できなかったか、あるいは当初からその予定がなく、沢の山側を隧道で通過しているとしか考えられない。
 
イメージ 11
 
 
…と言う訳で、
 
ここには点検桝は存在しない。
ゼッタイ、存在しないっ!! (…と思う…←弱気w)
 
空振りのまま、再びじでんしゃに跨ってスゴスゴと農道を戻った。
 
沢は厚東川へ向かって高度を下げる訳だから、点検桝は畑の一番奥ではなくこの農道の途中に設置されている可能性はある。しかし、仮にそうならこの農道に入る前から見えるだろう。
 
そもそも、厚東川左岸のような一般人がまず立ち入らないような秘境めいた場所ですら、点検桝のある場所には漏れなくお約束の標識板が設置されているのである。まして畑へ農作業に向かう人々が往来する農道の近くなら、No.22 のようにかなり目立つ場所へ標識板が立っている筈なのだ。
 
 
再びメインの市道沖ノ旦末信持世寺線へ出るとき、一旦高台にある集落まで上り、そこからはかなりの勾配で坂を下った。
結局、またしても末信集落にこれ以上の点検桝を見つけることができなかった。
 
まあ、いいや…どのみち今日は足慣らしなのだから…と、とりたてて行き先も定めず更に市道を北上したのであった。
何だか手間暇かけて谷地までおちゃらけ♪しに行ったような気が…w
 

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4月3日の午後、私はショルダーバッグにデジカメと補給用のお茶を入れたお約束の出で立ちで、じでんしゃを走らせていた。
 
片道10kmを超える中長距離を走るのは久し振りで、春先を迎えた馴らし運転の積もりだったから、踏査自体に特段の成果は求めていなかった。
 
向かった先は末信方面。これもまたお約束の行き先である。
 
「何処へ行くか迷ったら、取りあえず末信を目指せ。」
 
別にそんなセオリーなどないものの、末信が興味深い遺構や物件を数多く隠し持っている地であることは、今まで量産された記事によって明らかだろう。訪れれば毎回必ず新しい発見があったし、既知の物件でも再度調べ直すことで新たな側面が見えてくることもあった。
 
今回の末信行きは、後から思えばはからずもじでんしゃ使いによるテーマ踏査の原点のような一日であった。先行公開した この速報記事 のように、新たな発見があったし、次回に繋がるヒントを示唆する成果もあった。
 
後付け的だが、今までの記事展開に倣い、今回の一連の踏査を「第四次・末信計画」と名付ける。
前回の連載モノ「厚東川左岸計画」と違って、今回は殆どが一度訪問済みの場所であり、速報で先行公開していた話題以外に目覚ましい成果はない。写真は多めに掲載しておいたので、家に居ながら愉しむバーチャルじでんしゃ散歩の積もりで読んで欲しい。
 
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市道沖ノ旦末信持世寺線を北上し、通称”黄金の十字路”を過ぎてから、私は市道を外れて何となく既知の No.22 に向かっていた。
それは市道から離れた山裾にあるものの、見晴らしの利く田園地帯に目立つ長方形の標識板が存在を教えてくれる。初回踏査時にもすぐ気付くことができた。
 
イメージ 1
 
 
No.22では、欠けていると思われるアングルの写真を若干撮影し、そこから山手に伸びる農道を進んだ。
その先へじでんしゃを停め、振り返って撮影している。
初回踏査時にもほぼ同じ位置から撮影した写真がある
 
 
イメージ 2
 
 
農道はすべて未舗装であり、特に No.22 へ向かう最後の部分は洗掘されていてじでんしゃでは非常に乗り心地が悪い。
それなのにわざわざここまで乗り込んで来たのには、当然理由があった。
 
未発見のNo.20およびNo.21を洗い出したい。
 
この2つは、廃されていないのならいずれも末信地区にあることまで分かっていながら、どちらも未だ場所が確定できていない。
 
末信は、霜降山の南西に位置する集落で、急峻がちな厚東川左岸にあっては比較的平坦部が多い開けた地である。市道沖ノ旦末信持世寺線は平野部を突き進むも、山裾は厚東川から最大1km程度後退し、そこまで田畑が広がっている。
遠く市街地までの自然流下を求められる厚東川1期導水路は、一定の高度を保つため山裾に経路を求める。No.22が思いの外市道から離れている所以である。
 
末信集落の北端は再び急峻な山裾となり、次の温見集落まで続く。そこへ至るまでで現在知られている最初の点検桝は No.19-1 である。
No.19-1 は市道から50m程度しか離れていない。この間にあると思われる No.20 と No.21 が分かっていないので、一体どういった経路によって市道との距離を縮めているのか不明なのである。
No.22 へ至った理由は、既知の場所から丹念に辿ることで経路を洗い出そうという考えからだった。
 
 
No.22 の先の谷地である。
ここには更に沢を遡行する道と、導水路に並行に伸びる道と分岐していた。 
 
イメージ 3
 
 
これはじでんしゃを停めている場所を中心に据えたマップである。
上の写真では、じでんしゃを向けている左側が北になる。 
 
 
 
似たような規模の農道が多くて分かりづらいだろう。
このマップに No.22 と導水路の推定経路を書き込んでみた。
 
イメージ 11
 
 
この農道からスタートすれば、未発見の No.21 および No.20 が見つかるのでは…と考えたのだ。 
 
いや、考えるだけならこれが最初ではない。
その仮定の下に、No.22 を初めて訪れたときからこの北側に No.21 があるはずと睨んでいたし、実際に踏査している。しかし踏査したのが去年の5月下旬、気温高めの暑い日で、それまでに何度も市道と山間部のアップダウンを繰り返していて体力と集中力が落ちていた。それ故に些か粗雑な踏査だったことは否めない。 
 
今回はまだ体力を温存しているし、気温もじでんしゃを漕いでちょうど身体が温まる程度だ。あとは集中力と推理力だ。
 
 
こちら側が北になる。
カメラは水平に構えている。写真からもかなりの上りになっていることが分かる。 
 
イメージ 4
 
 
未舗装路でしかも急坂だから、さすがにきつい。
ローギアでゆっくりゆっくり進んだ。
 
イメージ 5
 
 
坂は農作業小屋のところで平坦になり、左へ折れていた。
鋭角に右へ曲がり谷地へ向かう山道もあった
その先は若干高度を下げ、高台にある集落に向かっていた。
真っ直ぐ進む道はない。
 
イメージ 6
 
 
左へ曲がった道の途中から、先ほどまで居た No.22 の方を撮影している。
一面に田が広がっているが、No.22 の場所からは少なくとも7〜8m程度は高い。
 
イメージ 7
 
 
どう考えても、導水路はこの田の真下を隧道で通過しているはずだ。それも結構な高低差があるから、山岳工法で隧道を掘ったと思われる。
No.22では導水路の実レベルと周辺の地面との高低差が2m以下であり、点検桝のある位置やその下流側にある小屋は開鑿工法の筈だ。かつては No.22 のすぐ手前に田の真下を通る隧道の坑口が顔を覗けていたのかも知れない。
 
 
上の写真と同じ位置から北側を撮影。
田の奥に谷地がある。その更に向こう側には霜降山への登山口があり、鳥居がここからも小さく見えていた。
 
イメージ 8
 
 
やはりあの鳥居がある手前の谷地が怪しい。
現在いる場所より目測で5〜6m低い。そのことは先に掲載した経路マップの等高線からも読み取れる。
 
イメージ 9
 
 
砂利道は、高台にある末信集落を通る市道末信線に接続されていた。
そこから改めて鳥居のある谷地を眺める。
 
やはり、あそこが最大限に怪しい。
 
イメージ 10
 
 
地図では確認済みだったし、現地を見てもそこは明白な谷地を形成していた。
そこに未発見の No.21 があると予想するのは全く自然である。
 
しかし… 
分かっていても、じでんしゃを進めるには気乗りしない事情があった。
 

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