すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

ローカル

[ リスト | 詳細 ]

ダムや工業用水、道路、遺構なと個人的に心惹かれる「物件」を踏査し、写真と動画を交えたコアなネタをお送りしています。

お知らせ

連載記事をブログで公開すると可読性が悪いので、現在は下書きおよび速報をFacebookで公開し本編をホームページに記述しています。
この書庫に掲載されている既存の記事もホームページ側に移植後は削除されます。
ホームページはこちら

地域SNSの記事について

こちらの記事 で懸念されていた地域SNSは、利用者減と市の財政事情を理由に閉鎖されました。
掲載していたローカル関連の記事は手元に原典があるので、一部は編集追記してホームページへ移植しています。

記事検索
検索
常盤用水路としてよく知られるのは、国土地理院に水色で表記されている部分であろう。即ち末信の企業局分岐(実のところこの部分が未だ明確に分かっていない)より幾本もの隧道と開渠を経て常盤池のながしゃくりに注ぐまでの区間だ。企業局管理の工業用水導水路とは異なり殆どが開渠なので、思わぬ場所に水路が通っているのを見つけて初見者を驚かせる。

しかし常盤用水路は末信ポンプ所のある場所で厚東川から取水しているのではなく、更に上流の
末信潮止から用水を得ている。そして取水口から末信ポンプ所までは、私たちが「末信バック」と(勝手に)呼ぶ地表に現れる一部の場所を除いてすべてが地下埋設の管渠である。
末信ポンプ所から末信潮止堰までは直線距離で1.2km以上あり、この管渠区間は国土地理院の地図には記載されていない。そのため概ね市道に沿っているだろうという程度の把握振りで、正確に何処を通っているかは殆ど分かっていない。

管渠区間で用いられているコンクリート管は、老朽化で交換されたと思われる実物が現在も末信バック付近にある宇部興産(株)の社有地に転がっている。
2010年撮影の写真である

イメージ 11


直径は1.2m程度で、現在下水道の本管に用いられるヒューム管とは若干異なっている。接合部にカラーがなく、殆ど円筒形そのままである。
ジョイント部分をどのように接合して漏水を防いでいるのだろうか…

末信潮止では取水のために水位を上昇させているので、管渠区間は地下埋設とは言っても厚東川の水面よりは若干高い流下面を持つ。それにしても1km強離れている区間を厚東川に沿って管渠で流すならそれほど大きな縦断勾配を持たせることはできず、落ち葉などが流れ込めば送水の障害になる。恐らくその点を考慮して、管渠区間にはいくつか排泥桝などが設置されている。

もっとも既に知られている桝も存在場所が特定されているだけで、恐らく機能していない。設置はしたものの実際は思ったほど砂塵が溜まらないので放置され
ているといった印象を受ける。
このような構造物は、常盤用水路の管渠区間をピンポイントで特定する助けとなる。多く判明すれば、それだけ管渠区間のコースが精密になる。この記事を書き始める前までの段階で既知の構造物
は、取水口を過ぎて農道と交差する部分、末信バック、末信バック直後の折れ点、次の記事で掲載するコンクリート蓋つき桝がある。桝以外の場所は埋設管で施工後何十年も経っているために地表には殆ど痕跡も遺っていない。

さて、現地踏査の時系列に戻ると、この日は最初に沖ノ山水道関連の遺構を訪れて写真を撮った。実は本命の一つとしていた目的地は、これから訪れる場所だった。
ある仮定の下で「ここに常盤用水路の排泥桝が存在する筈だ」という未調査の場所に気付いたのである。


この場所である。
市道沖ノ旦末信持世寺線を北上している。前方遠くにに見えているのは広瀬高架橋だ。


イメージ 1


大まかな位置を地図で示そう。


末信ポンプ所から厚東川を遡行するように進んだとき、隣接する沢ということになる。ここは結構な水量のある小川が流れており、上流部にはお不動様が祀ってある。そこを掠めるように厚東川1期導水路が橋梁で通過していて、No.26桝を経た後に民家の下を通る(その筋のメンバーには)有名な場所だ。

イメージ 2


沢があって厚東川に注ぐ小川があるということは、常盤用水路の管渠区間はこの下をくぐっていることになる。普通に管渠を布設すれば、管が小川に露出してしまうだろう。防止に何かの施工があるはずだ。また、小川に面しているなら泥水の排除も容易なので、排泥桝が設置されているかも知れない。この小川交差部に何かある筈だ…


市道の傍らに自転車を停めてこの小川に沿って下ってみた
あるいは人の往来もあるのだろうか…淡い踏み跡が見えていた。

イメージ 3


市道と厚東川のほぼ中間点あたりだろうか。
やはり…あった。


イメージ 4


木の葉を被っていて分かりづらいが、正方形の鉄板が埋もれている。
一辺がおよそ1mちょっとだろうか。


イメージ 5


不法投棄物として転がっている鉄板じゃないか…と言われそうだが、まずその心配はない。これは間違いなく常盤用水路の排泥桝と断定できる。この下を管渠が通じている筈だ。

この場所から小川を覗いてみた。
間知石積みになっている。かつては堰板を入れて水位を上げることがあったのだろうか…板を設置する溝のようなものが見えた。


イメージ 6


石積みは下流側で切れていて、そこから先は自然のままの小川になっていた。
ここまでは河床をコンクリートで補強しており、段差がついている。


イメージ 7


この区間だけ河床を底上げしている理由はあれしかない。
この下を常盤用水路の管渠が通っているので、流水で削れてしまわないようにするためだ。同様の施工は末信バック直前の小川交差部にも見受けられる。

もしかしたら河床に管が現れているかも知れないと思い、身を乗り出して確認してみた。
上流から運ばれてくる砂が堆積して隠されているのだろうか…それらしきものは見えなかった。


イメージ 8


鉄板の上に積もっている木の葉を取り除けば、何か参考になる文字など描かれているかも知れない。
それにしても落ち葉は大量で、土もかなり積もっている。その上だけ正方形状に草が生えていないことで存在が分かるほどの放置ぶりだった。手で触るのも憚られ、靴の底を利用して鉄板の上をこさいだ。(←それ方言だろw

四隅がボルトで留められていること以外、何も分からなかった。
この蓋を開閉することは近年まったくないらしい。


イメージ 9


常盤用水路は現在でも常盤池の灌漑用水補給用に使われている。現在も取水口から厚東川の水を取り入れて管渠区間を通水しているなら、定期的にメンテナンスが要るようにも思われる。恐らく当初は排泥桝として使うことを考えて設置したものの、泥が溜まることないので放置されているのだろうか。

この桝の上に立って上流側を撮影している。
当然と言えば当然だが、一面の荒野で施工跡らしきものはまったく見えなかった。


イメージ 10


点の部分が確認できれば、常盤用水路の管渠区間が次第に明らかになっていく。この場所から近接する位置には、以前報告され現地踏査を終えている一つの奇妙な構造物がある。
追加の写真を撮るために、そこへも立ち寄ることにした。
書きかけ状態で放置されていたため公開が遅くなってしまいました…

開く コメント(2)

またしても週末の土日が冴えない天気と分かっていたので、天気の良い金曜日の午後に自転車でちょっと出かけてきました。
白岩公園踏査は概ね一段落し、現在手持ちの写真を整理しつつ記事化を進めている状況なので、久し振りに「黄金の市道」へ向かいました。

”踏査ネタに困ったら、取りあえず末信を目指せ”、何年も前から唱えられ続けた私の中の基本ルールです。より精確に言えば、市道沖ノ旦末信持世寺線の沿線で、実際この市道沿いにはそのすべてを克明に記録し遺しておきたい夥しい遺構や現役構造物にあふれています。現役の工業用水道、上水道向けの暗渠、そして常盤用水路が通じており、水の大動脈とも言える区間です。宇部の水利という歴史を紐解くにあたって、この市道沿いに散在する物件を外しては語れません。自転車ではもう十数回以上走った路線ですが、訪れれば毎回必ず新たな成果を手にしてアジトへ帰るほどに発見の多い場所です。この日(5日)も市道以外の場所も含めて未解決案件のいくつかについて成果が得られました。
速報でご存じの方も若干名いらっしゃいますよね^^;

すべての案件はいずれホームページへ詳細な写真と共に記事化されます。ここではブログの簡便性・機動性そしてコメントによる情報伝達もできる点を利用して速報的にお伝えします。

---

最初に訪れたのは常盤用水路末信ポンプ所…となるところだが、今回は違った。事前に仕入れていた情報に基づき、真っ先に追加の写真を撮っておきたい場所があったからだ。


この場所である。
より精確に言えばこの市道に対して左側、車が停め置かれている外側の敷地だ。


イメージ 1


現地の地図掲載を省略する代わりに、同じ場所から振り返って撮影している。
現在、建屋の工事中で見えないが、この背後に常盤用水路末信ポンプ所の敷地がある。末信ポンプ所反対側にはノ山仮取水場跡の遺構がある。

イメージ 2


また、上の写真で見えている左側の分岐は私道だが、その奥にはNo.27が存在し、企業局隧道行があり、未知の上水関連の遺構があり…の如く極めて興味深い場所ながら様々な事情あって充分な踏査ができていない場所に通じている。

そしてこれからお伝えする案件は、そのものズバリではないにしろ一連の未解決物件に関連するものであることは疑いないと考えている。

ここまで掲載した2枚の写真には、いずれも市道沿いに大判の鉄板が写っている。それも恐らく無関係ではないと思うのだが、本記事の骨子となる物件は市道沿いの敷地にあるこれだ。


イメージ 3


ロープを張られた敷地の中に、正方形のコンクリート桝がある。上部は錆び付いた鉄板で覆われており、一部に空気抜き用らしき開口部がある。

実はこの桝の存在は、かなり早い時期から分かっていて写真も数枚撮ってあった。常盤用水路の末信ポンプ所がすぐ近くにある以上、この付近の地下に送水用暗渠が埋設されているこの桝は排泥用桝の一つではないかと考えていたのである。

イメージ 4


未だ確証は持てないが”あらかじめ仕込んであった情報”によれば、これは常盤用水路のものではないと思う。まあ、後で説明するとして、現地の自分は詳細な追加写真を撮るために敷地へ入った。

縞鋼板の一部は格子状の開口部になっていて、内部を覗くことができた。

イメージ 5



内部の様子。
極めて古めかしいコンクリート材が並べられ、鋳鉄のバルブのようなものが見える。その下は水路状になっているようだが、水の流れる音は聞こえなかった。

イメージ 6


バルブの存在から推測されるように、これは樋門だろう。何処に通じているのかは分からないが、バルブを回すことによって樋門を上げ下げするためのものである。そして推測が正しいなら、これはかつて沖ノ旦や中山を中継して桃山配水池に送っていた昭和初期のノ山上水道の取水跡ではないだろうか。

その連想に至ったのも、最近「宇部市デジタルアーカイブ」に掲載された一枚の写真が、この場所の桝に酷似していたからだ。ぜひ見比べてみて欲しい。

「宇部市デジタルアーカイブ・沖ノ山上水道 取水設備跡
http://archives.city.ube.yamaguchi.jp/detail.php?con_id=161

桝のサイズや上部の縞鋼板、背景に見える厚東川や対岸の様子などはこの場所に似ている。半面、縞鋼板の微細な形状は異なっている。しかしデジタルアーカイブの撮影時期は平成8年であり、今から十数年前のものである。その間に上部の蓋が取り替えられたのでは…とも思ったのだ。

もしこれが取水設備跡なら、厚東川の左岸側に取り入れ口の痕跡なりとも見つけられる筈だ

それで厚東川に面する部分に接近を試みたのだが…
こんな塩梅で、何処まで地面があるやらも分からない酷い荒れ様でまったく寄り付きならなかった。

イメージ 7


この程度で容易に諦めはしない。
隣接する倉庫の横に回り込み、そこから厚東川を眺めてみた。

ここでも酷く生い茂る藪が左岸付近の観察を邪魔した。
取水口付近がどうなっているのかまったく分からない。

イメージ 8


倉庫の裏手はもはやまったく地面が見えないほどの藪天国。
完全にお手上げである。


イメージ 9


私有地かも知れない場所をゴソゴソ歩き回るのも憚られ、それ以上の追求は自重しておいた。あるいは右岸側から眺めれば見えるかも知れない。

デジタルアーカイブに掲載された写真がこの場所とは全く違う場所だとしたら、一連の推測も努力も徒労に終わるだろう。もっとも、この場所に極めて古い樋門らしき遺構(あるいは現役設備かも知れない)が存在するのは確かで、それが一体何であるかは依然として興味の対象となるのであった。

---

以下、同日における踏査ネタが数件続く予定です。

開く コメント(2)

※ この記事は既に地域SNSでメンバー公開されています。しかし現状を広く知って頂くために、地域の恥さらしを覚悟でこちらにも同一内容を公開しました。

---

これはある意味、告発ネタです。
写真をご覧になっているうちに不快な気持ちになってしまうかも知れません。

仕事で中山方面に行きました。
次の仕事先までかなり時間があったので、ちょっと山の空気を吸いたくなりました。医者からも歩く時間を増やすよう勧められていたので、デジカメを持って馬の背堤に行こうと思いました。
 
中山観音の裏からどんどん山手に入っていきます。
蛇瀬川の上流で、馬の背堤にかなり近いところで道標をみつけました。 
 
イメージ 1

 
 
溜め池には興味があるので観てみたいと思いましたが、帰りに立ち寄るということでまずは一度も歩いたことのない左の中山観音コースに向かいました。
 
イメージ 2

 
 
急な坂を一気に登ると、名前をよく知らない小さな溜め池が眼下に見えます。
個人的にも想い出深く、とっても好きな風景です。
十数年くらい前にここへ来たときこれが馬の背堤と思いこんでいた
 
イメージ 5

 
 
中山観音コースは霜降山の登山道の一つと聞いています。しかし今日は頂上を極めるほどの時間はなかったし天気も今ひとつだったので、何処か景色が開ける場所まで行ったら引き返そうと思いました。
 
異変に気付いたのはこの辺りからでした。植生が変わり、登山道の両脇に割と太い幹の樹木が生えているのですが…
 
イメージ 6

 
……コース ガンバッテ

ナイフか何かで幹に刻みつけたようです。
横の小さな文字はよく読み取れない…「観音コース」のように見えます。
 
イメージ 7

 
 
オイデマセ
登山道を整備する人が来訪者を和ませるために刻みつけたのだろうか…
 
イメージ 12

 
 
いや…まさかそんなことはしないだろう。
登山道は頂上まで向かう道ですが、山歩きを味わう人なら目的地の頂上まで到達できれば足りるとは考えないでしょう。道中の景色も味わいつつ歩きます。登山者の気持ちを知っている整備者なら、自然の樹木を傷つけてまでメッセージを伝えようとはしないでしょう。
 
またここにも見つかった。 
 
ガンバレ
刻みつけられた跡は若干古くなっている感じでした。
 
イメージ 8

 
 
どうにも様子がおかしいと思い、ちょっと周囲を見回してみました。
すると…
 
およそ無傷な木の幹がない。登山道に沿って生えた木で、登山者の視線近くにある幹の殆どすべてがこんな感じでナイフで刻みつけられていました。
 
 
山ヘクル人大スキ
気持ちは分かるよ…だけどそれってナイフ使って幹を傷つけてまで登山者に伝える必要があるメッセージ?
 
イメージ 9

 
 
しつこく現れる案内には、およそ真面目な気持ちのないものもありました。
 
主人大切ニネ
余計なお世話…単なる悪ふざけ、ないしは虚しい自己主張。
宣伝ならこんな自然の野山じゃなく街中でやってくれ。
 
イメージ 10

 
 
主人ガ一番ヨ
しつこい…ここまで来るとまったくの自然破壊。樹木虐待。
荒々しく削り取られた幹の肌が痛々しい。
 
イメージ 11

 
 
アイシチョル
山口弁で刻もうが、恥さらしもいいところ。
同じ地域に住まう人間として恥ずかしい…
 
イメージ 3

 
 
延々とこういう光景が続き、視界が開ける気配もないので引き返すことに。
まあ、当初から霜降山まで歩こうって気持ちではなかったし…
 
この周辺を動画撮影しておきました。
 

 
 
引き返すときにも、今度は逆方向から…
 
マタキテネ
 
イメージ 4

 
 
ごめん…
多分、もう二度とここ歩かない。すっかり気分悪くなった。
 
ざっとこんな感じだったんですが…
 
この登山道や周囲の山って、個人の持ち物なんでしょうか。
もしそうなら自分の山に生えている木をどうしようが所有者の勝手です。だけどそうでないのなら、山に生える木の幹にナイフで刻みつけるなど、およそ山歩きを愛する人間のすることとは思えません。最初、誰かが気を利かせて必要なメッセージを木に刻んだものが「悪しき自己増殖」を起こしてしまっています。
 
岩山などで危険な場所を登山者に告知する場合など、露岩にペンキで矢印を描く場合があります。それとて厳密には自然破壊ですが、登山者の安全を護るためであるという存在意義は、見ればすぐ理解されるでしょう。
 
方や、さしたる危険がないこの山道で「ガンバレ」や「主人が一番」などのメッセージを登山者に伝える必要などまったくなく、純粋な自然破壊行為です。こんな自然の山に広告看板がズラズラ並んでいたら興ざめするでしょうが、それと同じです。
 
外部のそれも初めてここを歩いた私如きが意見できる立ち場ではありませんが、霜降山の中山観音コースとして認識されているなら、今の状態はこの登山道を歩く人の顔をしかめさせるかも知れません。

開く コメント(2)

「それは何処だ?」と問われることなど日常生活では有り得ない話だが、私なら下の地図でポイントした周辺と答える。
 

陸路を経て到達するという前提なら
常盤池の岸辺で「もっとも遠い場所」は、にしめの鼻であろう。去年のこと、そこへ行ったことがあるという方から話を伺うまでは岬までまったく道がなく延々と藪を漕ぐ以外ないと考えていた。
 
実際は外周園路としての整備や案内がされていないだけで、岬の近辺まで踏み跡と認識できる道がある。藪が酷い春先や夏は別だが、岬へ到達するだけなら難易度はそう高くはない。そして去年の秋から冬にかけて現地を踏査し、低水位に乗じて岬の先端部分の岸辺をぐるっと回ってきた。
そうは言ってもイノシシなど野生動物との遭遇が有り得るので単独行動は危険
 
しかし上の地図でポイントされた場所は、陸路からのアクセスは非常に困難である。この記事を書いている現時点でもまだポイントされた場所には到達できていないし、今後もその予定はない。

この周辺の入り江や岬を含む地図を掲載する。

イメージ 1


ときわ湖水ホールから逆時計回りに進む外周園路は、東條の入り江の堰堤部分を進み、山炭生の鼻と呼ばれる岬でUターンするような経路をとる。そこからは外周園路は内陸部に入り、常盤スポーツ広場に出るまでまったく常盤池が視界から消え去る。外周園路の枝線を経てときわ湖畔北キャンプ場にて漸く再び常盤池が見えるようになる。
したがって山炭生の鼻から土取の入り江の先端部分までの区間は岸辺に沿った道はない
それどころか外周園路より岸辺に到達する枝線も存在しない。

地図を見ると、この区間には2つの小さな入り江が存在する。それぞれ ab で印を付けている。特に a は普通の入り江のようだが、b は地図で見る限り内陸湖のような形状に描かれている。常盤池本体からは区切られた砂州のような描写だ。

それは自然の内陸湖なのだろうか?
それともかなり昔に誰かが人為的に堰堤を拵えたのだろうか?


低水位の今なら、山炭生の鼻から汀を辿っていく手段が考えられるだろう。しかしそれが遂行不可能なことは去年の段階で検証済みだった。人の手が入らない岸辺は夥しい倒木群で埋もれ、進攻できる状況ではなかったのである。

イメージ 5


道がないなら、外周園路から稜線を越えて直接向かう以外ない。その上で、それぞれの入り江の到達経路を考えていた。

一連の課題は、まず入り江 a に対して去年の11/25に成果がもたらされた。外周園路からはかなり遠いが、この入り江に向かって下る淡い踏み跡が途中までなら存在する。外周園路から若干離れて並行に進む道の痕跡があり、それは後日、外周園路が整備される以前から存在する黒岩観音に向かう参道だという情報が地元住民によってもたらされた。
入り江 a に下る道は、途中から完全にかき消されていて結局は藪漕ぎになった。り江の先端部分になる沢には、かつて田畑か溜め池があったことを推測させる畦畔ないしは堰の痕跡があった。また、入り江には流れ着いたのではなく外部から持ち込まれたと思われる陶管などが転がっていた。大量の網が棄てられており、陸路ではなく小舟で入り江に到達していた痕跡が窺えた。

イメージ 2


撮影後、来た道をそのまま正確に引き返した。

難易度については、入り江 b のがずっと上である。ここはつい最近、今年の1/11になって漸く攻略された。この入り江に到達するには途中までの道すらなく、まったくの見当で外周園路から突入することになる。山の稜線を越える場面があり、そこで植生が変わって藪になった。日の良く当たる稜線部は帯状領域の激しい藪があり、そこを過ぎて半島の反対側にあたる部分を下り始めると、下草は少なくなった。それでも
入り江のすぐ近くに到達するまで殆ど視界が効かない中を延々歩かなければならない。

しかし…
入り江 b には想像を超える光景が展開されていた。

地図の通りの砂州が存在していただけではなく、そこには何十年も昔、明らかな人の営みの形跡があった。波によって最近発生したと思われるゴミも流れ着いている中、時間が止まっているとしか思えない古い遺構が眠っていたのだ。
この入り江は日中も日が射す間が短いらしく、訪れたのは天気の良い午後だったにもかかわらず浅い内陸湖には氷が張っていた。ここで数十枚もの写真を撮りまくった。

イメージ 3


低水位にもかかわらずこの入り江は汀に対して完全に閉塞状態でどの方向にも移動できなかった。元から人が到達しない場所だけに、岸辺は夥しい倒木で埋もれていたのだ。

入り江 b の到達困難性は、帰路においても如実に現れた。まず、私は来た道をたどって引き返すことをしなかった。元から道の痕跡がないので端からその努力を放棄し、往路より少しでも藪漕ぎの労力が削減される経路を考えた。半島部を尾根伝いに歩けば、去年入り江 a を攻略したときの場所に出られるだろうという推測から可能な限り標高を変えず尾根を縦走した。

藪の先に開けた場所が見えたとき、私は外周園路に戻ってきた考えた。ところがいざ現地まで行ったところ、それは道ではなく入り江だった。後から思えばまさに入り江 a の一部だったのだが、自分はそれほど高度を下げず歩いていて外周園路の高さと決めつけていたので大変な混乱に陥った。新たな別の入り江か地図にない自然の溜め池に出会ったのかと勘違いした。方向感は失っていなかったが、高低差の感覚が殆どなくなっていた。

この入り江に到達するまで急斜面を降りてきたので、やむなく再び斜面を登り直し、今まで歩いた経路を元に外周園路と思われる方向へ藪を漕いだ。時間的には確かこのときだったと思う。遠くから視認することができてはいたものの、予想されていた「大変に危険な落とし穴」の実物にまみえることとなった。

イメージ 4


当然、藪漕ぎに入る前からこの場所の危険性について認識していた。ここは普通の野山ではない。至る所無数に脱出不可能な落とし穴が潜んでいる。遙か昔、この近辺に暮らす人々が農作業の合間に石炭を掘り取った痕跡で、炭生(タブ)と呼ばれている。

外周園路沿いの炭生は、転落防止と現状保護のため平成13年にすべて埋め戻されたとされている。しかし外周園路から離れたこのような場所では殆どが自然に任されていて、中には底からの排水経路があるために塞がることなく口を開いている深い炭生跡がそのまま存在する。偶然出会ったこのタブ跡は殆ど完全な形で遺っており、目測で直径が2m強、深さは5m以上あった。内部に蠢く動物の姿が見えたので、タヌキが横穴を掘って住み処の一部にしているようだ。そのために水が溜まらず自然な形が保たれたのだろう。

言うまでもなく最後には安全に外周園路へ出てくることができた。その場所は強引に突入したところから100m程度常盤スポーツ広場寄りの地点だった。

必要な写真は一通り採取したので、当面は再訪する予定がない。この場所は本当に危険だ。厚東川1期工業
導水路のNo.11を訪れたときも道なき沢を下ったが、あんなのはむしろ可愛いものだ。まるで視界が効かない上に藪の密集度も極めて濃い。そして転落すれば脱出不能となる落とし穴が無数にある場所だ。今まで数多くやり遂げたうちで危険度が高い踏査の一つだった。

いずれ一連の発見や過程を記事化する積もりだが、入り江 a はまだしも難易度と危険性の高い入り江 b の記事は限定公開を予定している。そこに見られる興味深いものを簡単に提示してしまうのが惜しいと、常時閲覧できる場所に詳細な記事を置けば、安易に現地へ向かう人が事故を起こしかねないからだ。もちろん自分は当初から絶対安全に帰還するという確信をもって行動していた。軽はずみに外周園路を逸れて踏み込めば、藪の中で迷うだけでは済まない結果が待ち受けている。

とりわけ上記の写真に示したタブ跡は極めて深く、転落すれば脱出する術はない。外周園路からも相当離れており、叫んでも散歩する人の元まで声が届かない。ケータイを保持していればまだしも、誰にも気付いてもらえないまま何年もの間閉じ込められ続けていた…という事態が起こり得ることを注意喚起しておこう。

開く コメント(2)

2013年の元旦はおだやかな朝で青空も広がった。
朝方、琴崎八幡宮の参拝に行って一旦はアジトに帰ったが、この天気が良いのに籠もっているのは勿体ない感じがしたので、今すすめている記事制作の写真撮影も兼ねて常盤池の外周園路を歩いてきた。

終日無料の常盤スポーツ広場に車を停め、デジカメと替えのバッテリーのみポケットに入れて毎度ながら逆時計回りに歩いた。以下、今後の記事化が予定されている物件、既に記事化した物件をダイジェスト的に写真でお伝えする。

---

去年、歩行到達を成し遂げたにしめの鼻
雨が続いたので若干水位が上がっている。それにしても岬の崩れ方が酷い感じ。どんどん岬が後退している。


イメージ 1


楢原の入り江末端部、白鳥大橋に近い側にある植樹記念碑。存在には気付いていたが、このたび接近して詳しく調べてきた。
大正時代に建てられたかなり古いものらしい。植樹の経緯など詳しいことはよく分からない。


イメージ 2


切貫に設置された樋門。
水位が低いので今回初めて池の底まで降りて下から撮影した。

イメージ 3


展望台の下にある基礎の遺構。
これはもしかするとかつて鯉の養殖場だったときの基礎の跡かも…


イメージ 4


噴水の池の横を渡る眺橋
低水位の今でないと分からないのだが、この橋は何とも不可解な構造になっていることが判明した。昭和中期あたりまでは自然の入り江だったのかも…

イメージ 5


常盤公園の正面玄関側とときわ湖水ホールを連絡する常盤橋
昭和39年6月架橋の古い橋である。中央で軽く屈曲しているのは何故だろうか…

イメージ 6


常盤橋は白鳥大橋などとは異なり、完全に常盤池の両岸を連絡する橋である。そのため常盤池以前は深い谷だった場所を何処かで横切っている。
調べた限りでは正面玄関から歩いたときの手前半分くらいは浅く、水底が見える。他方、ときわ湖水ホール側は水の色が濃いので、こちら側が深い谷になっていると思われる。意図的に浅くされるなど改変されていなければ、常盤池の最大水深13mとされる地点は、常盤橋より本土手側の白鳥湖領域にあると推測される

このあたりからちょっと雲行きが怪しくなってきた。

兵右衛門屋敷の入り江近くの汀には、もしかして岸辺に建屋があったのだろうか。
建築ブロックで造られた護岸が軒並み倒壊しており、その一部にはタイルの付着したコンクリートなど、人の暮らしの形跡が感じられる瓦礫があった。

イメージ 7


この場所は以前から気になっていたものの、水位が高く容易に接近できなかった。今回は汀へ降りて下から全容を観察してきた。

再び駐車場に戻るまでに天気は回復し、結局雨に降られることはなかった。

今年は去年末から手がけている常盤池関連の記事整備を集中る。古地図には掲載されていない岬についても踏査し、昔あった道の解析も予定している。汀については殆どを歩き通したものの、未だに土取と高畑にある一部の汀が踏査できていない。そして遺憾ながら接近も対岸からの目視さえも極めて困難な場所がある。昨日は雲行きが怪しくなったので早々に切り上げたが、いずれ日を改めて検討する。

元旦から外周園路の歩行踏査というのも意外な感じだろうが、ホームページに掲載する写真には可能な限り無関係な人物を写し込まないという自主規制がある。元旦なら園内を歩く人は殆ど居ないだろうという考えもあった。実際には彫刻広場周辺はまだしも、外周園路を歩くまたはジョギングする人は意外に多かった。

投稿規制かシステムの不具合なのか、元旦は「かんたんモード」では新規ブログが作成できない状態になっていました。
そうか…「んたんモード」だったのか…^^;

開く コメント(2)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事