すた・ばにら

すたは現実世界の私、ばにらは気ままに野山を駆けめぐる野ウサギ…

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ダムや工業用水、道路、遺構なと個人的に心惹かれる「物件」を踏査し、写真と動画を交えたコアなネタをお送りしています。

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この記事はホームページ移行後もこのまま公開されます。
 
本当はもう少し周辺記事を整えてから書きたかったのだが、現地踏査中に秋口へ差し掛かる今限定のネタに出くわしてしまったので、以前から進めていたダム・発電所関連の連載記事を差し置いて先行公開する。
 
---
 
28日の午後3時過ぎ。私は仕事の用事で船木まで来ていた。
船木を訪れる機会は少なくないが、平日の今の時間はかなり珍しい。
 
用事は短時間で終わったものの、夕方6時から同じ船木地区に用事があったのでトンボ帰りもできず、3時間ばかり空き時間が出来てしまった。
それで最初、ちょっと遠いが美祢までギンナンを拾いに行こうかと思った。
青嶺高校のグランド沿いに大きなイチョウの木がある
 
万倉を経て県道37号宇部美祢線を北上している最中、あの場所をふと思い出した。
 
「もし車を停める場所があるなら、寄ってみよう…」
 
それは以前から…と言うよりは子どもの頃からずっと気になっていて、近づいて眺めたい場所だった。しかし未だ実現しなかったのは長門峡発電所のときと同様に自分の運転ではなかったこともさることながら、その後国道316号が整備されてからこの県道を殆ど通らなくなったからである。
 
詳しいことは後で述べるが、かつて県道37号から見えていたのはとても奇妙な光景だった。幼少期の私はそれがどうなっているか想像はついたし、大人になってからはその成り立ちの理由も理解できた。もっとも、地図で確認した後にはまた新たな別の不可解さを見つけることになったのだが…
 
さて、残念ながら現在では子どもの頃私が見たのと同じ光景は見られない。数十年の経過で周囲の木々が旺盛に伸びてしまったからだ。しかし大方このあたりだろう…という推測を元に、県道を外れた草地を見つけて車を停めた。
 
 
県道より若干高い丘陵部へ向かう山道を100mばかり歩く。
周囲は物凄い藪で、道を外れて歩くことができない程だが、意外に山道そのものは草刈りが進んでいる。
その先に、一部がツタ類で侵食された橋らしきものに出会う。 
 
 
イメージ 1
 
 
接近する。
農道などでよく観られるような橋だ。前後には車のタイヤ跡などは見当たらず、殆ど人や車の通行はないように思える。
 
イメージ 2
 
 
そろそろ、目的物が何であるか推察できた方があるだろうか。
 
 
第一ヒントとして、振り返って今まで歩いてきた道を撮影する。
黄色いガードレールの見えるのが県道で、その向こうに見えるのは中国縦貫道である。
私と同じ興味を共有する読者なら、このショットだけで概略の場所や物件が先読み出来たかも知れない。
 
イメージ 3
 
 
さて、正体を明かすべく先ほどの橋の真上に立ち、南方を眺めよう。
我が市にお住まいなら、間断なく行き交う水色のトレーラーだけでこの道路が何であるか理解されたに違いない。
 
イメージ 4
 
 
宇部興産専用道路である。
 
県外の方のために概略だけ書いておくと、これは宇部興産(株)の所有する道路で、製品や素材などの運搬に使用される専用通路である。一般車両や人の立ち入りは一切できない。
 
「Wikipedia - 宇部・美祢高速道路」
 
疾走するフタコブラクダ(3コブラクダ?の亜種も存在する)はこの道路だけで観られるもので、工業関連の大型車両に興味を持つ向きには結構強い関心を持たれているようだ。
YouTubeに動画を載せると明らかに他の動画よりも高い視聴数が得られる
 
しかし私はトレーラーを眺めに来たのではない。跨道橋なら市内にいくつもある。敢えてこの場所にやって来たのは、他にない奇特なものが観られるからである。
 
そうは言うものの、撮影中タイムリーにトレーラーの上下線離合シーンが採取できたので、その動画を載せておこう。
 
 
 
さて、奇特なものというその答は、この跨道橋の同じ位置に立ったまま反対側を写すことで明らかになる。それは幼少期の疑問とは別に、割と最近地図で確認することで新たに知った疑問への回答でもあった。
 
何じゃこりゃ?
 
イメージ 5
 
 
跨道橋の少し南側から掘り割り区間になっているが、跨道橋から北側は掘り割りの構造が違う。コンクリートの梁が等間隔に並んでおり、梁に遮られて路面が見えない。それが100mばかり続いた先がトンネルになっているのである。
 
 
この場所を地図で示そう。
 
 
 
私は上の地図でポイントされた地点に立っている。ここは宇部・美祢高速道路に唯一存在する伊佐隧道の南側坑口に近い場所だ。この付近は比較的深い山間地ながら県道と中国縦貫自動車道、宇部・美祢高速道路の3線が並走する交通銀座として有名な場所である。
 
県道は、宇部・美祢高速道路と中国縦貫自動車道に挟まれた状態で暫く起伏の少ない高地を進む。三者の並走状態は最初に宇部・美祢高速道路が”脱落”する形になるのだが、その取っ掛かりが極めて奇妙なのだ。
 
残念ながら今では県道から見えないが、かつては割と平坦な高地を走っていながら突然、”沈没していく”宇部・美祢高速道路の姿が見られた。山に向かっていながら、道自体は下っているのである。
やがて上部に張られたネットフェンスのみがその線形を推測させるようになる。そのフェンスも山が始まるずっと手前でぷっつり途切れているのである。
 
ぷっつり途切れた場所で行き止まり…なんてことは、漫画好きな子供心でも考えなかった。峠を越えると、再び宇部・美祢高速道路が県道よりずっと下から現れるので、トンネルになっていることは当時から分かっていた。
 
山岳トンネルは、延長を切り詰めるために可能な限り高度を上げ、もう限界というところに坑口を持つのが普通である。しかしここにあるトンネルは如何にも異色だ。峠に差し掛かるずっと前からわざわざ高度を下げ、地中に潜り込んでいる。県道はこの先で涼木峠(読み方が分からない…)を越えるのだが、伊佐隧道はずっとその手前から始まっている。
 
この奇妙な構造については、実際に万倉側から涼木峠を越えると想像がつく。涼木峠は、それまで走ってきた道中からすれば通過したことが体感されにくいほどの高低差しかないのだが、峠を越えた途端、凄まじい急な下り坂に見舞われる。ヘアピンカーブの2セットを経て100m以上も相対高度を下げる、典型的な片峠なのである。
これが地勢的ネックとなっているために県道の道路改良は絶望的だろう
 
もし伊佐隧道の南側坑口が通常の山岳トンネルの如くぎりぎりまで高度を上げた先から始まっていたら、北側坑口は断崖の途中に顔を出すことになる。安全かつ高速に資材を運搬したいトレーラーが県道並みの悪線形な道を走れる訳もないから、美祢の町まで安全に下って行く道を造るなら、相当に高く長い橋を繋げなければならない。そのために伊佐隧道が長くなることに目をつむって南側坑口手前から高度を下げ、全体の縦断勾配がきつくならないよう設計されているのである。
それでもなお一気に街中まで降りることはできず周囲の山地の高所を伝ってかなり迂回しつつ美祢の工場群に向かうルートを取っている
 
トンネルに向かうまでの間、沈没するような形の掘り割り構造については分かったが、その上部がどうなっているかは航空映像で眺めるまで分からなかった。
先の地図を航空映像モードに切り替えると、梁のようなものが並んでいる構造が観てとれる。
私はこの構造に疑問を持っていたので、近くで撮影したいと思っていた。そしてたまたま接近した跨道橋は、まさにどんぴしゃりの場所だったのだ。
 
 
橋から下を撮影。
梁の太さは1m近くある。
 
イメージ 6
 
 
ちょっと怖いが橋から身を乗り出して真下を撮影する。
路面までの高さは7〜8mくらい。両側はコンクリートで固められた垂直壁になっている。もちろんここから昇降することは不可能。
 
イメージ 7
 
 
通常掘り割りを造るなら、垂直壁ではなく45度の勾配で山を切る筈である。垂直に切っていては、いくらコンクリートで固めても壁が”お辞儀”してしまう心配がある。等間隔で上部に梁を並べたのは、開渠に造られる控え柱と同じ役割だろう。
 
梁構造の理由は分かっても、どうも納得がいかない。何だかわざわざ施工が難しく、後々のメンテナンスも必要な構造に思える。
 
(1) 梁だけで両側の土圧を支えるほどの効果があるだろうか?
(2) 大きなアーチカルバートを据えて埋め戻した方が簡単では?
 
垂直壁を支えるための梁なら、等間隔で上部だけを支えるあの状態で足りるのだろうかと思う。そもそも梁自体も恐らく中身の詰まったコンクリートだから、相当な自重がある。風雨に晒され劣化して、ある日ぽっきり折れて走行中のトレーラーに落下する…なんてことにならないのだろうかと思った。
 
この梁構造が当初からあるのなら、両側の垂直壁を造るのと同時に現場打ちしたのだろうか。施工が相当に面倒な気がする。それよりは堅牢な鋼材でアーチカルバートを造り、坑口手前まで覆った方が早いのではないかと感じた。かつて新幹線の”トンネルドン”問題が起きたとき、坑口の手前に鋼製の防音壁を設けたのと同様な構造で。
完全に覆えば人や動物が転落する危険は無いし、上部の土地を他の目的に使える。今の垂直壁では内部へ吹き込む枯れ葉などの清掃も必要で、メンテナンス上必ずしも有利とは言えない。
 
最初はコンクリート垂直壁だったものの、安全上の問題が懸念されて後付けで設置されたのだろうか。もしそうなら、後補の印となる施工跡が見えるだろう。
 
近くで観察したいのだが、梁への接近が危険なことは素人目にも明らかで、さすがにこの跨道橋からも接近できないようにフェンスが施されていた。いや、それ以前に藪の繁茂が酷く、とても近づける状況ではなかったが。
 
 
跨道橋の手前には坑口側へ伸びる道があった。
 
イメージ 9
 
 
かなり荒れているが、特に藪漕ぎなどは必要なさそうだ。
途中からはコンクリート舗装されているようだ。 
 
イメージ 8
 
 
この梁構造を眺めるだけでなく、トンネルの坑口も眺めたいと思っていた。何処まで接近できるか分からないが、坑口の方まで歩いてみることにした。
 
 

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連絡調整管【2】

(「連絡調整管【1】」の続き)
 
管理道の端に見つけた、No.11 と白ペイントされた鋳鉄蓋。
実はそれを見た時点で、この経路の続きと思われる場所がすぐ想起された。
 
水色の大蛇である。
 
それは今いる管理道から県道に戻り、少し高度をあげたところに存在する。
以前、そこを訪れたとき、管理道の方へ分岐する経路を見つけていたのだ。
 
 
工業用水の物件としては断トツに驚異度の高い「水色の大蛇」を下流側から撮影している。これは去年の初春に訪れたときのもので、草刈りが行き届いているために周囲がよく観察できる。
杣道を少し歩いて鋼管の真上から眺めると、折れ点の近くに枝管が伸びているのが分かる。
日の当たる部分に桝もあるのだがコントラストが強すぎて白く飛んでいる
 
イメージ 1
 
 
鋼管は山の斜面を溝掘して設置されており、周囲の地山より一段と低くなっている。そして先ほどの枝管が伸びる延長上にコンクリート桝が見えている。
 
イメージ 2
 
 
「水色の大蛇」の周囲は、有刺鉄線付きのフェンスで厳重に護られているため接近はできない。しかし初春で草木が伸びないこの時期なら、フェンスの外からでもある程度は観察できる。
 
 
ズーム撮影している。
コンクリート桝の横壁に 13 という白ペイントが見えるのである。
 
イメージ 3
 
 
コンクリート桝の側面にペイントする例は、2期導水路以降に特有である。
1期関連では側壁に白ペイントを噴いてマーキングされたコンクリート桝はない…さすがに昭和初期の構造物に敬意を表してということか…
 
有刺鉄線で囲障されている以上、現地へ至るには工業用水の関係者でもフェンス門扉を解錠しなければならない。桝の側面に施された番号ペイントは、いちいち入場せずとも桝の管理番号を調べるための便宜上のものかも知れない。
 
枝管とコンクリート桝の延長から成る経路は、確かに No.11 の方に伸びている。
そして桝に 13 とペイントされているなら、中間にNo.12 があると考えるのは自然だろう。
 
 
県道まで戻っている。
左へ曲がれば水色の大蛇へ向かうお馴染みの分岐点である。この右手反対側は小さな沢になっている。
 
イメージ 4
 
 
電信柱の補助部分を利用して、青短冊が結び付けられている。
これも比較的早い時期に気が付いていた。
 
イメージ 5
 
 
ここでも視認しやすいように、青短冊だけではなく電信柱そのものにも 12 の白ペイントと位置を示す矢印が描かれていた。
電信柱は一般には中電の所有物…白ペンキを噴けたのは私設線だからかも知れない
 
イメージ 6
 
 
青短冊の周囲は草刈りされており、空気弁と陽刻された鋳鉄蓋があった。
蓋には 12 の白文字があり、先の桝から繋がっていることが判明する。
 
イメージ 7
 
 
そこから No.11 方向は、溝掘されたような帯状領域が観察された。
かつて管を布設した跡かも知れない。
 
イメージ 8
 
 
県道横断部分にも管が布設されたらしい痕跡がある。
これは去年の3月に同じ場所を訪れたとき撮影したショットだ。
車を買い換える以前である
 
イメージ 9
 
 
県道を直角に横切ってアスファルトが切断された痕跡がみられる。
道路横断の掘削を行い、連絡管を埋設した後に舗装復旧したのだろう。
 
 
以上の桝や鋳鉄蓋を元に、一連の経路を地図にポイントしてみた。
番号を描くと見づらくなるので経路と桝の位置のみを示している
 
イメージ 11
 
 
判明している範囲では、この連絡管は水色の大蛇の分岐から県道の下をくぐり、更に1期導水路の下をもくぐって一旦管理道沿いに到達する。そして厚東川の河川敷に最も近づいた地点に排泥用の桝があり、砂塵を排除する経路もあった。
 
一連の番号は発電所に近い側が若く、水色の大蛇に隣接する桝が 13 で一番大きいことから、番号の小さい管理道側から水色の大蛇へ向かうような流れで設計されていると推測される。
 
最も小さな番号は、厚東川に近い場所で見つかった 9 と 10 だった。更に 1〜8 があると思われるが、厚東川発電所構内は進行不可能なので、詳細なことは分からない。
 
それにもかかわらず、この経路の大まかなルートはある程度推測可能だ。 
記事の表題にもある通り、これは小野湖と丸山ダム湖の用水を相互運用するための連絡調整的ルートと予想する。
 
企業局謹製のパンフレットにこの経路について明記されている。
直径4,000mmの鋼管から1,200mmの連絡管が接続されていることが経路図から分かるだろう。
 
イメージ 10
 
 
奇妙なのは、この連絡管が企業局の設置した発電タービンの上流部から伸びている点である。即ち1期導水路とは全く無縁で、パンフの簡略図を見る限りでは交差すらしていない。
しかし今まで見てきた鋳鉄蓋の位置関係からすれば、二度ほど1期導水路の下を潜っている筈である。
 
そもそも No.9 や 10 は厚東川の河川敷に近く、水色の大蛇と合流する地点よりはかなり低い。管理番号の順に流下しているなら、連絡調整管の用水は管理道と同じエレベーションに設置されている鋳鉄蓋の位置から、No.13 の桝に向かって”登っていく”ことになる。
想像だが、パンフによれば連絡調整管の起点が発電タービンより上流側に位置していることから、ダム湖からの水圧を受けて No.9 などの低い位置を経由しても No.13 まで流下できるのだろう。
もしそうなら No.9 あたりの埋設管は内部で相当な水圧がかかっているだろう
 
連絡調整管の役割は、小野湖の水位が下がって圧力隧道および「水色の大蛇」経由で丸山ダム湖に用水を送れなくなったときの補助ではないかと思う。
 
水色の大蛇は、山腹の割と高い位置から現れ、かなりの勾配で山裾を下って再び地中に潜っている。他方、No.13 は「水色の大蛇」が勾配を変え、水平になった部分に接続されている。この状態で用水を自然流下できるなら、ダム湖にある連絡調整管の取水口は圧力隧道の取水口よりかなり低い筈だ。そうなれば渇水で小野湖の水位が下がった場合でも、ここからダム湖の水を取り出して丸山ダム湖に送ることができる。
水色の大蛇との合流点にはバルブが設置されている…しかしそのバルブを開放して連絡調整管経由で用水を送ることがあるのだろうか
 
以上はすべて現地の状況やパンフレットの記述を元にした推測であり、実際のところはどういう役割を持つのかは明らかではない。
もちろん企業局は正しい答えを持っている。今回は No.9 までしか見つからなかったものの、No.8 もしくはそれより小さい管理番号の鋳鉄蓋が存在し、それは(先ほどのサイフォン説を仮定するなら)管理道沿いではなく、それよりも高い山腹に見つかるかも知れない。
 
一連の物件を再検証するのは、遺憾ながらもう少し涼しい時期を迎えてからのことになりそうだ。
それまでは当面、以前撮り溜めた画像や動画などから、再び踏査に適したシーズンに入るまでの予備知識を培っておく流れになるだろう。

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調整連絡管【1】

 
No.1付近にある長大な隧道露出部は、県道の下を潜る直前に小川を渡る。その近くの管理道にどういう訳かフェンスの支柱に青短冊がくくりつけられていた。
 
イメージ 1
 
 
これは1期導水路そのものでないことは明白だ。しかしすぐ近くにあることから何らかの関連があるのではないかと、かなり早い時期から気になっていた。
 
一度は見逃し、苦労して発見された No.11 のときに身体で覚えたように、この青短冊は点検桝のある大体の場所やそこへ至る経路を明示するものであり、まさにこの位置に桝があるという意味ではない。
実際、指示されるマンホールを探すには少々時間がかかった。
 
 
車に戻ろうとする午後の時間らしく、西日がきつい。
逆光で分かりづらいが、先に見た小川を渡る少し発電所寄りに見つけられる。これは管理道の反対側の路肩になる。
 
イメージ 2
 
 
桝は2期で見られるのと同じ鋳鉄蓋タイプだった。
番号は No.11 となっている。
薄くなった文字を消さずに別の部分へ書いているため1111に見える
 
イメージ 3
 
 
種別は排泥弁となっていた。
鋳鉄蓋であるからして、これが設置されたのは1期導水路の桝よりもずっと後の筈だ。仕様からして2期とほぼ同時期だろう。
 
イメージ 4
 
 
鋳鉄蓋の周囲はコンクリートで補強されていたものの、管理道を外れた車のタイヤに踏みつけられることもあったのだろうか。至る所割れていて保護の役目を果たしていない。
 
実は今まであまり注意して観察しなかっただけで、2期と同規格のこの鋳鉄蓋は至る所で見つけられる。例えば丸山ダムの噴水付近やダム堤頂付近の公園で確認されているし、末信接合井から広瀬浄水場に向かう経路中にも存在する。
 
ただしそれらに番号はペイントされていない。ここに見つかった鋳鉄蓋には1期や2期導水路と同様な番号があるので、続きの番号を見つけることができれば、一つの導水経路の存在が示唆される。
 
実はここに No.11 が存在していたということから”あの場所からの続きでは…”と想像されるものがあった。
しかしその方向へ進むことはひとまずおいて、この周囲を調べてみることにした。
 
 
この場所で関連性があるのは当然ダム方向になる。
再び発電所方向へ管理道を進むと、藪の中に別の青短冊を見つけた。
 
イメージ 5
 
 
反対側から写すとこうなる。
特高線鉄塔の No.2 付近にあり、この青短冊も割と早い時期から分かっていた。
空が明るすぎて藪の方がよく写らない。
 
イメージ 11
 
 
藪の方へカメラを向け、明るさ補正を効かせて撮影したもの。
 
イメージ 12
 
 
この青短冊の真下および周辺に桝は存在しない。
初期のうちは絶対見つかる筈だと思いこみ、藪の中まで踏み込み探し回った。
 
イメージ 13
 
 
今なら大丈夫だ。この藪の中にあるとは限らないのである。
この近くとなれば、管理道と河川敷の間か…
 
 
やはり、そこにあった。
この近辺では河川敷への侵入阻止を意図してか、管理道に沿って荒い有刺鉄線の柵が並んでいる。しかしこの場所には柵が綻んでおり、その内側ある桝を容易に確認できた。
 
 
イメージ 6
 
こちらは木々が生えておらず、青短冊を結び付ける場所がないために管理道の反対側の木々に結び付けたらしい。
 
 
大小サイズの異なる鋳鉄蓋で、No.9No.10 だった。
大きい方は通常サイズで、元は仕切弁となっていたものを白ペンキで排泥弁に書き換えていた。
小さい方は見たところ水道メーターの蓋そっくりで、こちらは仕切弁のままだった。
 
イメージ 7
 
 
ここは厚東川の河川敷にかなり近い。
もしかすると、川に向かって配管が顔をのぞけているかも知れないと思った。
 
 
右岸の際に立っている。
左岸のダムに近い部分では、台風で破壊された護岸の修復工事が進められていた。
 
イメージ 8
 
 
護岸を造る石積みの下にそれらしき管が露出していた。
 
イメージ 9
 
 
上から見えるのだが、石垣は意外に高低差があって斜面を降りると登り直すことができないと思い、ここからズーム撮影した。
 
イメージ 10
 
 
恐らく先の仕切弁を操作することで、ここから排水もしくは排泥できるのだろう。
 
そして一連の写真を撮った時点では、深く考えずにここが No.11 から繋がる経路の終点と思っていた。1期導水路などにおける余剰水や泥濘を排除するためと予想していたのである。
 
しかしアジトへ戻ってから考え直すに、次の理由からこれは独立した別の経路ではないかと考えるに至った:
 
1.No.9が端末になるのは不自然。
2.番号付きで管理されている。
3.続き番号ではないかと思い当たる別の桝がある。
 
先に小川の近くで見た桝が No.11 であり、これとの連番なら、まず一連の経路と考えられるだろう。いきなり厚東川へ排出管をのぞけてそこで終わりというのは不自然だ。それは排泥用の枝であり、No.8側に続きを持つ筈だ。
 
続きを考えるなら、それは自然に発電所側へ伸びていると想像される。しかし進行可能な発電所フェンス前まで歩いてみた。
 
この日初めて発電所のフェンスが開いているのを目撃した。
工業用水のあの場所まではここ以外進入路がないので、トラックを乗り入れるために開門したようだ。
奥の発電所建て屋の扉も開いている。
 
イメージ 14
 
 
工業用水からは離れるが、門扉が開いていればどうしても内側を観察してしまう。
あの開いた扉の内側は、どうなっているのだろうか…
 
イメージ 15
 
物欲しそうに開いたフェンスの場所から中を眺める以外なかった。
 
 
想像だが、恐らく先の続きとなる No.8 側はこの管理道に並行してダムに向かっていると思う。
そう考えるに足る資料と現地映像があるからだった。
 
(「調整連絡管【2】」に続く)

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石積みの先で隧道の上に移動し、管理道側に降りる場所を探しつつ戻った。
管理道との位置関係はこんな感じである。
 
イメージ 1
 
 
横断している小川付近で管理道側に降りた。
 
潜入可能なアーチ部分を覗き込む。
ここにも立派なコンクリート鍾乳石が育っていた。
 
イメージ 2
 
 
長さは10cm以上ある。すぐ近くにあるのでちょっと触ってみた。
軽い感じで石というイメージがしない。灰分を含む水が伝って滴るからか、内部が中空でストローのような感触だった。
 
イメージ 3
 
 
導水路が跨ぎ越している小川。コンクリートの開渠になっており、堰板を置いて一段高い田へ水をあてられるようになっていた。
 
イメージ 4
 
 
一連の踏査を行った今年の3月時点では流れる水量は少なめだった。
 
イメージ 8
 
 
この小川が何処から来るのか、現在はおよその見当が付いている。
例の「水色の大蛇」がある奥にある溜め池からだ。
 
かつては自然の小川だったのだろうが、2期導水路工事で小野湖と丸山ダム溜め池の水を相互運用する連絡管が沢を横断して設置されたとき、コンクリート開渠に改修されたようだ。それは溜め池から”水色の大蛇”の上を水路橋で跨ぎ越し、県道部分手前で暗渠に潜ってここへ到達していると思われる。
写真は県道側からその開渠を撮ったものである) 
 
イメージ 5
 
  
3年前の野山時代に撮影した、小川と導水路の交差部。
かつては周囲の草刈りが行われておらず、交差部まで接近できなかった。
 
イメージ 6
 
 
その後、水路に沿って両側の木々が刈り取られて接近できるようになった。 
 
この小川が導水路と交差する場所に関して、不可解な点がある。
これは去年の3月頃に撮影されたショットだ。もちろん合成など、画像には一切手を加えていない。
どこが不自然なのか気付くだろうか。
 
イメージ 7
 
 
流入する水量に比べて、流れ出る水量が
不自然に多いのでは?
 
イメージ 10
 
 
小川の水は県道の下を潜るヒューム管からここの桝に到達する。よく見るとヒューム管から桝へ注ぎ込む水量は僅かだ。それなのに桝から段差を超えて流れ落ちる水量は、明らかに過剰に見える。
 
 
桝の縁に立ち、限界まで腕を伸ばしてヒューム管の奥を撮影している。
径は80cm以下で、2スパン目で折れ曲がっているために反対側の明かりまでは見えない。水は管の底数センチを流れているだけで、流速もそれほどではない。
 
イメージ 9
 
 
実はこの不自然な状況は、アジトへ戻って写真を眺めていて初めて気が付いた。したがって残念ながら用水が一旦溜まるこの桝の状況を詳しく調べていない。
 
あれほどの水量が流れ出るなら、どこか別の場所から用水が流入していると考えられる。ただ、当時の撮影状況を思い出す限りでは、このヒューム管以外に目立った接続管はなかった。
真上を流れる1期導水路から一部の用水を戻している可能性が考えられる。しかしそれなら水量を調整するバルブ類が必要で、そういったものは近くには見当たらなかった。
 
 
振り返って撮影された下流側の様子。
1期導水路から一部の用水を小川に戻して、管理道と厚東川の間に挟まれた田の灌漑用に供給されているのかも知れない。
 
イメージ 11
 
 
桝の底に別の流入経路が接続されていて、底から湧いて出てきているように思われる。そのような接続のされ方は、No.1 から下流側の桝でも見受けられる。
詳細に調べようと桝に接近するなら、今の時期は藪を漕がなければならず気が引ける。再びこの方面を訪れる便があったとき、かつ、この場所のことを覚えていたら…のことになるだろう。
 
 
導水路はこの小川を渡って県道の下に潜り、No.2 で再び姿を現す。
かくして隧道露出区間はここで終了となる。
 
イメージ 13
 
 
さて、車に戻ろうか。
 
しかし…
読者の方はこのまま完結することなく次の話題に進むことができる。むしろそれを意図して、上のショットを撮影していたのだった。
 
上の写真の左端に現れていたものにお気づきだろうか。
 
これは一体何?
 
イメージ 12
 
「何でこんなところに青短冊が?」
 
…と思われることだろう。
目の前を1期導水路が横切っており、それより低いこの管理道に別の導水路があるとは思えないからだ。
 
しかし…
どうもここにあるらしいのだ。
 
(「調整連絡管【1】」に続く)

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(「隧道水位計とNo.1点検桝」の続き)
 
山腹に潜り込んだ1期導水路が再び地表部に現れる場所に隧道水位計があり、そこから先は長大な隧道露出区間になっている。
以下、異なる時期に撮影した写真を適宜選択している
 
イメージ 1
 
 
No.1 より撮影。
隧道露出区間はここで軽く折れ、沢と小川を跨いでいる。
先方に見える黄色いものは、県道のガードレールである。
山口県では県管理の国道および県道のガードレールは橙色となっている
 
イメージ 2
 
 
隧道露出部分は地山から2m程度で、滑り落ちたら登り直すことは出来ないにせよ、大怪我をする高さではない。工業用水の管理者からすれば、この上を歩くことについて恐らく推奨はしないだろうが、立入禁止となっているわけでもない。観察を望む人は、自己責任で眺められる好ましい状態になっている。
フェンスで囲われでもしていたらこの景観は台無しになっていただろう
 
導水路の内部を覗いたことはないが、パンフレットによれば内側の呼び径が2130mmということになっている。恐らく内部はレンガ巻きで、外側をコンクリートで保護しているのだろう。
外側の直径は3m以上にもなるので、隧道の天頂部もカーブが緩やかで、径の細いヒューム管の上を伝い歩きするようなバランス能力は必要とされない。乾いたコンクリートは足掛かりも良かった。
 
 
隧道露出区間は、県道にぶつかったところで再度地下へ潜り込む。この先は、以前レポートした No.2 に向かっている。
 
イメージ 3
 
 
県道まで登り、振り返って撮影。
隧道露出上部と道路との高低差は4m程度あり、間違いなく従来の山岳工法で隧道を掘った筈だ。
ドーム状のコンクリート隧道が伸びる様子は、恰も坑道や豪雪地帯の管理道を思わせるものがある。
 
イメージ 4
 
 
この場所に長い隧道露出部が造られた答は、地図によって得られる。
地形図では分かりづらいが、航空映像モードに切り替えるとよりハッキリする。
 
 
 
地図の中心点に指定された部分に、線状の構造物が写っているのが分かるだろう。10年程度の遅延をもつYahoo!航空映像ではもちろん今のままだし、もう60年以上このままの構造を保ってきたはずだ。
 
地図の縮尺を広域に変えると、この周辺の地形がみえてくる。等高線の形状からして、かなり広い沢を渡っていることが分かる。沢は厚東川に合流する直前で少し窄まっており、県道はその高い部分を利用して高度をあげている。
 
更にこの沢の南西部には溜め池があり、同じ沢を「水色の大蛇」が鋼管で横切っている。沢が小野湖の湛水面よりもずっと低いため、丸山溜池まで隧道のまま通すことができず、鋼管が地表部に現れている。
1期導水路が長い隧道露出部をもつのは、同様にこの広い沢が導水路の流下レヴェルよりかなり低いからである。
 
しかし、よく分からない施工部分もあった。
 
 
No.1桝と県道交差部との中間点付近。
山手側になる写真の左側は地山の斜面になっている。しかし導水路はそこを利用せず、敢えて低い部分を回り込むように通されている。
 
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普通に考えれば、地山を溝掘りする経路を選んだ方が台座部分となるコンクリートが要らないし施工も容易である。現状はわざわざ低い位置に台座を敷いて導水路を通しているように見える。
地山に見える斜面が昔は存在しなかった、沢を渡るこの区間の地耐力がなくどこを通すにも台座による補強が必要だった、などいくつか理由が考えられるものの詳しいことはよく分からない。
 
 
斜面部には石積みが見えている。
自然にできたものではなく、明らかに人の手が入っている。それにしても温見の沢地にあった田の痕跡に築かれた石積みに似て、簡素でかなり古い。
 
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斜面を石積みのまま放置しておくのも、当初はその目的がよく理解できなかった。崩れるかも知れない不安定な状態にするなら、導水路との間にできたこの溝状部分を流用土で埋め戻した方が安定するのでは…とも思われたからだ。
実際はそうでないことは更に後になって気付いた
 
 
隧道露出部上部から石積みの上へジャンプで飛び移るなど、怪我の元である。
詳しく調べるために一旦隧道水位計のところまで戻り、隧道露出部分と石積みを下からから観察してみることにした。
上を歩くのは何度も経験しているし、隧道露出部も容易に接近できる管理道側は一通り眺めていたのだが、山側の溝状部分は足を踏み入れたことがなかった。
 
 
隧道水位計のところから山側へ回り込み、低くなっている地山を歩く。
先方にあるのは No.1 桝である。
 
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No.1 の桝までは、導水路は地山を進んでいるように見える。桝を過ぎると、更に地山が低くなり、露出隧道に特有のアーチ型構造が見えるようになる。
 
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施工順序としては、最初に導水路の実レヴェルを基準としたアーチ型の台座部分を造り、その上に開渠を拵えて最後に巻き立てたのだろう。
この台座部分が導水路の施工当初からあったことはまず間違いないが、上部を巻き立てて隧道形式としたのも当初からなのか分からない。もしかすると、当初は開渠だった…などという歴史を歩んではいないだろうか。
 
1期導水路は、厚東川水路橋を除いて開渠区間が存在しない。地表部近くに現れる場所は数ヶ所あるものの、いずれも上部をコンクリートで巻き立てられている。下関の木屋川送水路で、木屋川サイフォンに至るまでの区間が開渠構造になっているのとは対照的である。1期導水路の場合、民家の裏手など比較的人が接近しやすい場所を通されており、転落などの安全面を考慮して早い段階で隧道化したのかも知れない。
 
アーチ部分付近は、一定の距離を保つように地山が切り取られている。後から気付いたのだが、湧水を確実に排除するためと思う。
土砂が崩れてアーチ部分が塞がったら、湧水はどんどん導水路と斜面の間の溝状領域に溜まる。最後には水圧で導水路全体が台座もろとも沢下まで押し流されてしまう。そのために地山を削って溝状領域を造っているのだろう。
 
 
先方で小川を横断する箇所を除けば、露出区間でこの辺りが一番低い。
石積みの高さは1m程度。アーチ構造は背丈近い高さがあり、足元には水が溜まっていた。
 
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ここでアーチ構造のうちの中を覗いてみた。
管理道側は土砂で閉塞しており、反対側には出られない。
 
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アーチの天井からはコンクリート鍾乳石が垂れ下がっていた。
導水路の用水が染み出て造られたのだろう。
 
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秋芳洞にあるような石灰石由来の鍾乳石や石筍は天然記念物であり、持ち帰るなど言語道断だが、このようなコンクリート鍾乳石は屋外で雨に晒される古い構造物で普通に観測される。滴下する水分に含まれる灰分が少しずつ沈着し成長する原理は同じだ。
 
 
水溜まりを避けて一旦石積みの上に登り、更に先へ進んだ。台座のアーチ構造は続いているものの、溝状領域に土砂が崩れ落ちている区間もあった。
このスパンは小川を横断しており、何やら導水路からL字型のパイプが下向きに取り付けてあるのが見える。 
 
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取り付け位置はちょうど隧道の底にあたる部分である。
すぐ下が小川で接近することはできない。見たところ質感が鋳鉄管のようだ。
 
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これは隧道を流れる用水の一部を小川へ放流することを意図した造りに違いない。その目的は分水ではなく、内部に滞留する砂塵を排除するためと想像される。分水ならもう少し径の太い管を使うだろう。
 
しかしここから砂塵混じりの水を排除するにも、開閉する弁が必要だ。そういったものは見当たらず、どのように使われていたかは分からない。かつてはバルブを回せば内部の泥水がここから流れる機構があったのかも知れない。
 
2枚上の写真で分かる通り、そこから先はもう斜面を伝って歩くことができなかった。
適当なところで導水路を超えて反対側の管理道へ移ることにした。
 

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