今日の 出来事
[ リスト | 詳細 ]
|
最近、調子が悪い私。
風邪引いてるわけでもないし、お腹が痛いわけでもないのにね。
いつになったら、晴れるのかな・・・このもやもや。
今日、札幌は雪が降った。
最近、自宅にいる、時間が無い。
夫とゆっくり、話もしてないな。
でも、きっと、そんなことが、理由では無いと思う。
もやもやを晴らそうと、
朝ラン10km走った。
マッサージ60分に3,500円を払った。
大好きなブロッコリーを、夕食に食べた。
長崎五島産
ずいぶんと、遠くから来たんだね〜。
いつもの様に、味噌マヨネーズで食べた。
美味しかったな。
さて・・・風呂にでも入ろう。
|
コメント(18)
|
私は・・・、
小学1年から小学2年の2年間、宮城県松島町の『松島第一小学校』に通いました。
家が、水害で水浸しになり、そのことがきっかけで引越し、
小学3年から小学4年の2年間、宮城県多賀城市の『陸前山王小学校』に通いました。
その15年後、夫と2人で、(北海道)苫小牧からフェリーに乗って、
仙台へ、そして・・・その頃すでにボロボロの松島の家と、
その頃新築だった多賀城のアパートを見に行きました。
その頃とほとんど、変わらず・・・だったのに。
2011.3.11(金) 午後2時46分頃
最大マグニチュード9.0の地震、
震源は三陸沖で、宮城県栗原市で震度7を記録した。
私の住む札幌市は、震度3
その日私は、仕事が休み(有休)で、夫は仕事明けでした。
二人とも家におり、テレビを観て驚いたのです。
海が家を飲み込み、
川が、家を飲み込み、
車が流される映像を観ました。
その中に、何人の人がいたんだろう・・・。
その日から、私達二人とも、複雑な気持ちです。
考えれば考えるほど、苦しくって、頭が痛くなります。
悲しい気持ちでいっぱです。
2011.3.12(土)
札幌駅と大通り駅を結ぶ、
地下歩行空間の開通記念式典が中止になりました。
私は、仕事でした。
今日私は、
仕事明けの夫を迎えに、札幌駅に行き、
その後、大通りまで歩きました。
札幌駅前通地下歩行空間
色々と思うことがあり、
考えながら、歩いてみました。
仙台いちご『とちおとめ』
帰りに、近所のスーパーで買いました。
今まで、時期がくると(あたりまえと思って)、食べることが出来た、
美味しい・・・仙台のいちごです。
現在の札幌は、何も問題が無いように見えます。
携帯が・・・メールが、一時的に繋がりにくいことがありましたが、
今のところ、見た目では、いつもと同じ日が流れています。
しかし、北海道でも、物流の関係で、影響が出てきている様です。
明日、明後日、1週間後、1ヵ月後・・・、
見えない恐怖があります。
ブログは、色々と考え、アップしない方がいいのかな・・・とも思いましたが、
自然に・・・そう思って『今』を載せることにしました。
今・・・出来ることを、
精一杯やりたいと思います。
|
|
前から気になっていたのだけど・・・。
自分の記事を投稿後、検索しても、
yohooブログの記事検索に、反映されていない時がある。 ずっと、気になっていて、原因を知りたいと思っていたら、
今日、その原因が、(少し)わかった。
ど〜も、それが、私のブログ書庫、北海道の温泉に限って、
反映されるのと、反映されないのがあるのだ。
なんだろう・・・。
そっか、NGワードが、原因であることがわかった。
(yohooブログには、検索にはじかれる、NGワードがある様だ)
ならば、私の記事のNGワードは、なんだろうって、探してみたら〜。
無
料
(NGに、ならないように、改行してます)
だということがわかったので、以前の記事を、2、3個修正した。
検索してみたら、(自分の記事を)見れるようになっていた。
いっつも、『ドライヤー』 や 『ロッカー』 という、言葉の前に入れていたんだよね。
今頃、気が付いたのでした。
(う〜もったいないなぁ〜)
|

- >
- コンピュータとインターネット
- >
- インターネット
- >
- ネットサービス
|
以前、手紙っていうブログ記事を入れたことがあった。
それは、末期がんの叔父の話・・・7月4日のこと。
叔父・・・母の弟は、長いこと、病院で看護師の仕事をしていたが、
自分の最後は、病院よりも、ホスピスで死を迎えることを選択した。
病院で、あれこれ、管だらけになるより、
自分らしく生き続けたいと考えたのだろうって、私はそう思う。
ある日・・・そうそう、親戚一同が集まる席で、
叔父は必ず酒を飲み・・・飲みすぎて・・・言いたいこと言い過ぎて、
まわりの人を、泣かしちゃったり、喧嘩になっちゃったりする・・・そんな人だった。
叔父はね・・・たぶん正直な人だったと思う。
人を褒めたり・・・自分を褒めたり・・・そんなことしないんだ。
今日、午後8時56分に、亡くなりました。
多分、57歳。
苦しまず・・・眠るように亡くなりました。
良かった。
あの日、7月4日に、お手紙は渡さず、
電話でお話ができたんです。
まだ、とっても元気(そうな声で・・・)、私は、おいおい、おいおい泣きながら・・・、
「おじさん・・・(子供の頃、孤独だった私は)、おじさんが時々送ってくれた、宝のダンボール、
とっても嬉しかった。いつも優しくしてくれて・・・ありがとう」
|




