月読通信

1年近く放置すると、帰ってき難いねぇ^^;

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思い入れのある本や、興味深い作品について、少し掘り下げて書いてみる。ネタばれの可能性あり(未読の方はご注意を)
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幸田文『動物のぞき』

 ワタクシ、この数週間で「年度末」というものの恐ろしさを、初めて知りました^^;
 
 もちろん噂には聞いていたけれど、なんというかもう、巻き込まれ、翻弄されるしかないような、巨大な波のようなものと闘っている内に、気がつけば桜は満開、でも花見酒と洒落込むような余裕もなく……読もうと思って借りた本も、開くことなく図書館に返すハメに。
 
 でも、懲りずに次の本を借りてきてしまうところが、本好きの悲しいサガであります。
 
 で、借りてきたのが、幸田文『動物のぞき』。幸田文といえば、あんごさんなわけです(笑)敬愛するあんごさんが愛してやまない作家の本ですが、実は今まで一度も読んだことがありませんでした。まぁ、単純に縁がなかっただけなのですが……たまたま見かけて借りてきて……もう、一読がつんとやられました!!
 
 いやはや、なんと力のある文章を書く人なのでしょう。
 
 ちなみにこの本は、筆者である幸田文が動物園に行って、様々な動物を間近に見て、それについての感慨をしたためたエッセイ集なのですが……いや、もう、説明するだけ野暮というものです。
 
 実際に読んだ方がよっぽど説得力があるでしょうから、少し長いけれど、引用してみます。
 
 ある朝、きりんを見に行った。開園を待って入ったので、見物人もまばらで、霜柱がざくざくしている。きりんは二頭とも運動場に出ていて、例の優雅に歩いている。いかにも、迫られていないものの歩みである。
 
 (中略)
 
 いつか競馬へ出かけたとき、私は馬の脚に感情を大ゆすぶりにゆすぶられて、おなかの皮から震えて泣いてしまったことがある。話は横道にそれるけれど許して下さい。きりんの脚はその馬の脚をしきりに思い出させて止まなかったのだから私は書きたい。だいたい競馬場の私は、「まるでなっちゃいない行儀」だそうである。娘は私のことを「母さまっていい人ね。こっちから見ているとはらはらするくらい、いい人だわ」という。哀れがって庇っていっているのか、皮肉かよくわからないけれど、いい人だそうだ。

 (中略)

 スタートあとが目茶苦茶で、どれが先頭だろうと、どれが乗り越そうと、わけもわからなく飛び上がってさわいで、勝負が終わったときは「ああ楽しかった」と泣きそうな顔をしていて、そしてささやかなギャンブルに負けたことについては「えへへ」というそうである。なんのことやら、まるでなっちゃいないのであって、いい人、とはここを指すらしいのである。                                            「きりん」
 
                                                               
 そもそも、きりんのことを書いているのです。でも「横道にそれるけど許して下さい」って、である調の文体の中で、ここだけ素直に謝られたら、「どうぞどうぞ」と言わざるを得ないですよね(笑)
 
 それに、「おなかの皮から震えて泣いて」なんて、私だったらあと千年生きても、使えそうもない表現です。
 
 ああ、もっと早く読んでおけばよかった(T_T)

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①エッセイは読みますか?読むとしたらどんな時?
②オススメの作家さんは?
③あたまから読みますか?気の向いたところから読みますか?
④1冊しっかり読み切りますか?(3からの続きですね)
⑤その他、読むシチュエーションや様々なこだわり、逆に読まないとしたら何故?などフリートークで。
 
 あんごさんの記事で、しばらく前にこんな質問を見かけました。おお、こういうテーマなら、最近なかなか記事を書くいとまのない私にも書けるかも……ということで、ちょっと挑戦してみたいと思います^^
 

①エッセイは読みますか?読むとしたらどんな時?

 
 はい、読みますとも。あ、でも、以前に比べたら読書の総量に占める割合は減ってるかも。そもそも読書量自体が減ってるので、少しでも「物語」を読みたいっていう欲求があるからかもしれません。
 どんな時に読むか? そうですね、一番はまるシチュエーションは、「待ち合わせで早く着いてしまって、待ってる時」ですかね(笑)小説と違って、途中で相手が来てしまっても、躊躇なく本を閉じられるし^^
 

②オススメの作家さんは?

 
 やはり澁澤龍彦をあげるべきでしょうが……個人的には別格の扱いというか、他と同列には語れないので、簡単にオススメとは言いにくいです^^;
 恩田陸のエッセイもいいですよ。数が少ないので、レア感もあります(笑)とりあえず、『小説以外』と『恐怖の報酬日記』は間違いないです♪
 村上春樹も、もちろん。ていうか、わざわざ紹介するまでもないですよね^^
 他には、赤瀬川原平・南伸坊・みうらじゅん・ナンシー関・吉野朔実・大槻ケンヂ・鴻上尚二・泉麻人なんか、読んでました。こうしてみると、いわゆる作家のエッセイより、他ジャンルの人たちのそれを、よく読んでたみたい。
 中でもオススメしたいのは、宮沢章夫です。『百年目の青空』とか『茫然とする技術』とか、大好きですね。こう、ものごとを見る「視線」の角度が、たまらなくいい。
 あ、あと、作家のエッセイだと、梨木果歩の『ぐるりのこと』がすごくよかった。
 

③あたまから読みますか?気の向いたところから読みますか?

 
 絶対、という訳じゃないですが、大抵は頭から読みますね。短編集なら、目次を見てピンと来たのから読みますけど、エッセイは……割と、発表年代順に配列されてる場合が多いように思うので。
 

④1冊しっかり読み切りますか?

 
 ③からの続きで^^ 大抵は読み切ります。そもそも、作者に関する予備知識なしでエッセイを読むということがあまりないので(例えば芝居とか、その人の本業が好きというのが先にあるので)、つまらなくて投げ出すってことは、まずないかな。
 

⑤その他、読むシチュエーションや様々なこだわり、逆に読まないとしたら何故?など、フリートークで。

 
 作家のエッセイは、やはりその人が何を思って作品を創り出しているのか、その片鱗が窺えるのがいいですね。それから、単純にファン心理として、その作家が何を好きなのか、何に影響を受けてきたのか、何に興味を持っているのかを知ることが楽しい♪
 恩田陸が、いかにビールが好きか、いかにミシェル・ペトルチアーニのピアノを愛しているか、いかに飛行機に乗るのが嫌いか、などなど、作品を味わう上では不要の情報ですが、知ってるとより楽しめることも確かですから(笑)
 
 なんて、一通り答えてみましたけど、わりとありきたりの結果になってしまいまいしたかね^^
 でも、おかげで、改めていろいろなエッセイを読んでみたくなりました!
 
 あんごさん、ありがとうございます^▽^ノ

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皆さま、あけましておめでとうございます。


 年が改まったとはいうものの相変わらず忙しく、更新も間遠になりがちかとは思いますが、どうぞお見捨てなくおつき合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

                                ☆☆☆

 さて、唐突ですが、皆さんは一体何本の「鍵」をお持ちですか? 家の鍵・クルマの鍵・自転車の鍵・ロッカーの鍵・抽斗の鍵・金庫の鍵などなど……気にしだすと、鍵って本当にいたるところにあるものですよね。試しに数えてみたら、私、なんと10本もの鍵を毎日携帯しておりました!(まぁ、仕事上必要で持っている鍵がほとんどなので、純粋に個人所有の鍵はクルマの鍵と家の鍵の2本だけですが^^;)ともあれ、持ち歩いているだけでこれだけの数があるのですから、家や職場にあるすべての鍵を数えたら、一体何本になるのか見当もつきません(笑)
 もちろん、そうした鍵はまったくの実用品であって、鑑賞や、ましてコレクションの対象にはなり得ないでしょう。そもそも大事なのは、鍵と錠によって守られているものです。守るべきものがなければ、鍵も錠も意味をなしません。しかしそんな実用品も、古いものとなると、また事情が違ってくるようで……日本でもヨーロッパでも、往時は美術品とも工芸品とも言うべき素晴らしい細工の鍵や錠が、数多く作られていたんですね^^
 つまり、中身ではなく「鍵や錠そのもの」に価値が認められるというわけです。

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 そうした様々な鍵と錠を集めたのが、この『世界の鍵と錠』という本です。タイトルの通り、日本をはじめとする世界各国の鍵と錠を、豊富な写真で紹介するとともに、複数の専門家(現役の鍵屋さんや、鍵メーカー出身者)が解説文を執筆しています。つまりこの一冊で、鍵と錠の歴史から、伝統的な産地、それぞれの特徴などを一覧することができるのです(あ、当然ながら、錠前内部の詳しい機構や解錠の仕方などについては書いてありませんので、念のため)。

 これが、滅法面白い。特に、幕末から明治にかけて作られた日本の錠前(「和錠」と呼ばれている)は、写真を見ているだけでワクワクします。今では、時代劇の中でしかお目にかかれなくなった鋳鉄製のごつい錠前から、動物や昆虫をかたどった繊細で遊び心溢れるものまで、眺めていて飽きません。
 ヨーロッパでは、ギリシア・ローマ時代に始まって、ロマネスク・ゴシック・ルネサンス・バロック・ロココとデザイン様式が変遷していくわけですが、鍵と錠のデザインも、当然同じ変遷をたどっていて、順番に見ていくだけで、西洋美術史を通観するかのような楽しみ方ができます(ちょっとおおげさか^^)。
 その上、朝鮮や中国、インドや中近東、さらにはアフリカのものまで紹介されていて、興味は尽きません。
 また解説では、「ペテロの鍵」に代表されるような、宗教的な「イメージ・シンボルとしての鍵」についても言及されているので、そのあたりに興味をお持ちの向きにも、オススメです。


 本書に収録されている、バラエティに富んだ鍵や錠を見ていると、普段自分たちが使っている、実用一点張りの無機質な鍵が、どうにもつまらなく思えてきます。もちろん、現役の鍵は性能と使い勝手の良さが一番に求められるものだし、何より大量生産品ですから、規格外のものが作れないという制約もあるのでしょうが……。
 いっそのこと、デザイン性に優れた昔の鍵を手に入れて、自分の鍵にキーホルダーとしてつけてみようかな(笑)


 それからもうひとつ。紹介されている錠前の中には、本来取り付けられていたであろう扉や箱などから外されたものも多く、それがためにより一層、「何かを守るという現世的目的を失った状態」が際立っているようで、ずっと見ていると、不思議な感覚に襲われます。一体、これらの鍵と錠が今現在守っているもの(あるいは閉じこめているもの)とは何だろうか? なんて(笑)
 そういえば昔、「手に入れた鍵に合う鍵穴を何十年も探し回ったあげく見つからず、結局錠前屋に頼んで鍵に合わせた錠を作ってもらう」という話を読んだ記憶があります。あれは星新一のショート・ショートだったかなぁ……。


 ともあれ、最初から最後まで鍵と錠ばかりが並んだこの本、一見の価値がありますよ♪
 唐突ですが、皆さん、「伊勢物語」を読んだことがありますか。え、私ですか? 私は……恥ずかしながらこれまで「伊勢物語」を通読したことがありませんでした。いや、ありていに白状すれば、読んだことがあるのは、国語の教科書に載っていた「初冠」(みちのくの忍もぢずり誰ゆへにみだれそめにし我ならなくに)と「東下り」(名にし負はばいざ事とはむ宮こ鳥わが思ふ人はありやなしやと)の段だけ。他に知っているエピソードといえば、例の「鬼ひとくち」の話くらいです。
 それが、ちょっと必要があって読まなければならなくなったので、妻Tの本棚から『日本古典文学大系9 竹取物語 伊勢物語 大和物語』(岩波書店、1957年初版、1989年33刷)を引っ張り出してもらいました(Tは国文学科出身なので、こういう本も持っているのです)。

 で、つらつら読んでみると、これがなかなか面白い。在原業平の歌が中心ではあるのですが、様々な短いエピソードが割と脈絡もなく並べられていて、いわば「小説の原初的形態」といった趣です。仏教説話などと違って、説教臭くないところがいいですね。オチもないし、男女の仲、恋にまつわる話(歌)が大部分で、肩もこらない^^

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 さて、今日ご紹介したいのは、実は「伊勢物語」そのものについてではありません。件の『日本古典文学大系』に挟み込まれていた「月報」の方なんです。こういう大系本や全集に月報が付いていることは、皆さんもご承知でしょうが、これって栞代わりに使ったりはするものの、意外と目を通していないことも多いですよね(まぁ書物の世界は広いですから、中には「月報マニア」みたいな人もいるのかもしれませんが…)。
 でも、この「日本古典文学大系月報6」(昭和32年)には、ご覧の通り佐藤春夫が「伊勢物語」に関する一文を寄せているので、思わず手にとってみた次第。
 それによれば、佐藤春夫は18歳で上京した時、古書店で五銭で買った「評釈伊勢物語」を読み、以来「青春の書」「恋愛教科書」として愛読してきたそうです。また、文化学院で国文学史を講じていた頃には、毎週土曜日の夜、自宅に学生を招き、「伊勢物語」をテキストとして勉強会を催していました。そこには、若き日の井伏鱒二の姿もあったといいます。そして、「わが生涯の愛読書「伊勢物語」」と題された、このごく短い一文中、私が一番気に入ったのは、次の逸話です。
 しかしわたくしと伊勢物語との因縁は、もつと初く、まだもの心つかないころからはじまつてゐた。といふのは、父に気に入りの小屏風が一双あつて、銀に歌がるたの読み札と取り札とを交互に貼り交へたものであつたが、聞けば百人一首ではなく、伊勢物語の歌をかるたにしたものだと云ふが、読み札の一枚欠けてゐるのがあつた。父の云ふところでは、わたくしが二つ三つのころ、それを弄んでゐてその一枚を火桶の火のなかへほり込んで焼いてしまつたものであつたとか。より取り五銭のなかからわたくしが伊勢物語を取り出したのは多分、この幼時からの因縁を全うしたものであつたらう。
 家に「伊勢物語のかるたの貼り交ぜ屏風」なんどというものがあるとは、まったくもってウラヤマシイ話です。そういう家に育つと、長じて文学者になったりする……ということなんですかねぇ^^
 それにしても、欠けてしまった読み札がどの歌だったのか、気になるな〜。 
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 月野さん、あざらしさん提案の「時代もの、大好き」への参加記事、第三弾です。
 今回は、干宝著・竹田晃訳『捜神記』(1964年初版、平凡社東洋文庫)です。
 そもそも、この本の原形が成立したのは六朝(りくちょう)時代の中国。西暦で言えば3世紀〜6世紀にかけてのことで、日本はようやく古墳時代といった頃のこと。その日本語訳である本書の初版は1964年。本の内容も本自体も年代物ということで、まぁ「時代もの」といってもよろしいのでは、と。^^
 さて、この『捜神記』、一般の読書子にはあまり馴染みがないかもしれませんので、簡単に内容と成立についてご説明しましょう(もちろん、解説の受け売りですが^^)

 著者とされるのは、六朝晉の史官、干宝(かんぽう)という人物。宝、字を令升、幼少より学問を好み、長じて著作郎となり、また関内公の爵位を賜る。のち、史官に推されて国史の編纂にあたり、『晉書』二十巻を完成させた。官は散騎常侍までのぼったという。4世紀半ば頃の人物である。
 この干宝が著した、いわゆる「志怪小説」が『捜神記』である。この時代の「小説」というのは、現在の小説という言葉が意味するような「作家が創造する物語」ではなく、文字通り取るに足らないような「小さな話」。正史に採録されないような様々な断片的なエピソードの類である。中でも、「不思議な話」「珍しい話」「怪異譚」などを特に志怪小説という。六朝時代盛んに編纂された志怪小説の内、初期のものにあたるのがこの『捜神記』で、後世に様々な形で伝わっていく、物語の原形のようなものが、数多く含まれている。つまり、干宝本人が考えたお話し、というわけではなく、歴史家としての仕事柄、たくさん集まってきたであろう様々な逸話を、収集・編纂したもの。
 元々は三十巻本であったらしいが、現在伝わっているテキストには八巻本と二十巻本がある。本書は、明の万暦年間(1573〜1615)に刊行された二十巻本を全訳したもので、464編の話(というよりも話の断片)が収められている。
 内容は多岐にわたっている。神仙・卜占・土地神・凶兆・天命・妖怪・異類婚姻・再生・幽鬼・報恩等々。短いものではほんの二行、長くとも二、三ページを越えるものはない。

 とまぁ、こういうような本なんです。中身については、464編もありますから、とても一言では申し上げられませんが……あえていうなら、『百物語』や『新耳袋』のご先祖様、といったところでしょうか^^ 何しろ、全編にわたって「オチ」というものがありません。話を集めただけ(といっても、干宝はそれをジャンルごとに編纂してはいますが)なので当然なんですが、起承転結のちゃんとある、いわゆる「娯楽としての小説」を読み慣れている私たちの目には、その唐突な終わり方=途切れ方が、生々しくも異様なものに映るのかもしれません。
 何はともあれ、私の拙い筆でイロイロと描写するより、実例を見ていただくのが一番いいでしょう。ということで、以下にいくつかご紹介します。
  37 東海君
 陳節は神々を訪問してまわった。東海君(東の海神)は織ってあった青い上着を一着、土産にくれた。(巻一)
 全編中、一番短い話。東海君って優しい神様ですね(笑)近所の親戚みたい。
  117 十二人の大男
 秦の始皇二十六年(前二二一年)、身のたけ五丈、足の大きさ六尺という大男が、ぜんぶで十二人、いずれも夷狄(いてき)の服を身にまとって臨洮(甘粛省)に現れた。そこでその大男をかたどった金の像を十二こしらえた。(巻六)
 身の丈五丈って、15メートル超? 確かにすごいけど、なんで金の像?
  267 首無し太守
 漢の武帝のとき、蒼梧(広西省)出身の賈雍(かよう)が豫章郡(江西省)の太守となった。
 彼は神術を心得ていたが、あるとき郡境の賊軍を討伐しに出かけ、賊に殺されてしまった。すると、首がないままで馬に乗り、軍営に帰って来た。部下の者がいっせいに走り寄って雍を見つめた。すると、雍は胸の中から声を出して、
「戦い利あらず、賊にやられてしまった。諸君の見たところでは首のあるほうがよいかな、それとも無いほうがよいかな?」
 と言う。兵隊たちが涙を流して、
「首のあるほうがようございます」
 と言うと、雍は、
「いや、そうでない。首が無いのもよいものじゃよ」
 そう言い終わってから、息が絶えた。(巻十一)
 「首が無いのもよいものじゃよ」というセリフが最高です。
  412 脳の中の蛇
 秦瞻(しんせん)という男が曲阿県(江蘇省)の彭皇野(ほうこうや)に住んでいたが、あるとき、なにやら蛇のようなものが、いきなり脳の中に闖入して来た。蛇が来る前に臭気がただよったかと思ったら鼻の穴からはいって、頭のなかでとぐろを巻いてしまったのである。自分ではわんわんうなっているような気がしたが、実際には、脳のなかでなにかをごそごそ食べている音が聞こえるだけだった。二、三日すると蛇は出ていったが、まもなく帰って来た。手拭いで鼻と口とを縛って防いだが、やはりはいり込まれてしまう。それからなん年もたったが、これという病気にはかからず、ただ頭がうっとうしいだけだった。(巻十七)
 「脳のなかでなにかをごそごそと食べている音」っていうのが怖い^^;しかも「頭がうっとうしいだけ」ってあなた……ちょっとシュールすぎます(笑)

 いかがでしたか? まったく、昔から人間というのはうわさ話、それもちょっと変わった、不思議な、残酷な、怖い話というのが、大好きなんですね。現代日本に流布している都市伝説といったものも、案外その原形は『捜神記』で既に語られているかもしれませんよ。

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