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星新一をきっかけにSF小説に魅入られた私は、あっという間にSFの世界に耽溺していった。ジュヴナイルはもちろん、国内と翻訳とを問わず、SFと名の付くものは片っ端から読んだといってもいい。
その頃SFといえば、なんといっても早川書房、なかんずくハヤカワSF文庫であった。作者名に関わりなく、発刊順に通し番号の付いた、あの淡い青色の地に惑星のマークが入った背表紙。まだ手にしていなかった番号が埋まったときの喜びは、今でも忘れられない。特に番号の若いものには精選された作品が多く、どれを読んでもハズレがなかった。アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、スタニスワフ・レム、ポール・アンダースン……往年の名作は皆この文庫で読んだ。
SF文庫のもう一方の雄は、創元社の創元推理文庫であった。創元推理文庫は、その名の通り海外の推理小説を紹介するために発刊された文庫であるが、推理小説だけでなく、冒険小説や怪奇小説、SF小説も刊行されていたのである。
創元推理文庫で忘れられないのは、フレドリック・ブラウンとレイ・ブラッドベリだ。どちらも(特にブラウンは)現在あまり語られることもないようだが、私にとってはどちらもとても大切な作家である。
もうひとつ、刊行点数こそ多くはなかったが、玄人好みのラインナップで知られていたのがサンリオSF文庫である。今はもう存在しないこの文庫で、フィリップ・K・ディック(「ブレードランナー」や「トータルリコール」の原作者)の多くの作品を読むことができた。
国内の作家では、眉村卓(「司政官」シリーズ)、光瀬龍(『百億の昼と千億の夜』)、小松左京(『果てしなき流れの果てに』)、平井和正(「ウルフガイ」シリーズ)、筒井康隆(『家族八景』)、山田正紀(『神狩り』)、梶尾真治(『おもいでエマノン』)……と手当たり次第に読み漁り、新井素子デビューのあたりからは、ほぼリアルタイムで新作に目を通すようになっていった(コバルト文庫だって買った)。
今、何も資料を見ずにこの文章を書いているのだが、ちょっと思い出しただけでもこれだけの良質な作家と作品群が生み出されていたのだから、まさに日本SFは黄金時代だったのであろう。なにしろSF専門誌が4誌か5誌あったのだから、隔世の感がある(「SFマガジン」「SFアドベンチャー」「奇想天外」「SFイズム」と…あと1誌あったような気が…)。
かくいう私も、高校進学以降はSFからファンタジー、怪奇小説、推理小説、さらには純文学にシフトしていってしまったため、次第にSF小説を読む機会も減っていったのだが……どうも、それと軌を一にするようにして、特に日本のSF小説は衰退の方向に向かっていったような気がしてならない。かつてSF小説が様々に描いていた「21世紀」に生きる我々にとって、「SF」というジャンルの立て方自体、既に意味を失ってしまっているのかもしれない。
もうひとつ理由をあげるとするなら、SFは「感覚だけでは読めない」からだ。SFは荒唐無稽な夢物語ではない。どんなに突飛な世界を描き出していようと、それは前提となる定理や科学的知識を踏まえた上で考え出されたものだからだ。だから、ある程度はそうした知識を共有していないと、そもそも「どこが面白いのか」すら分からなかったりするので……(続く)
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