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ようやく週末となったが、今週は実に忙しかった。お蔭で身体も心も疲れた。特に昨日が一つの仕事の山場だったわけだが、きれいには片付いておらず、色々なものを引きずってまた月曜からドーッと疲れそう。貧乏暇なしだな、こりゃ。
さてそんな中、本館 Gallery に新作をアップした。こんな状態なのに作品作っているのは、一種の現実逃避かもしれない。今回は伝説シリーズからの一枚であるが、アジアをテーマにした初めての作品である。
このシリーズは今まで、題材をギリシア、北欧など欧州中心に取っていて、まれに中南米が登場する程度だった。アジアを取り上げなかったのは、あまり興味の湧く話がなかったということもあるが、何よりエピソードの数が少ないからだ。さすがに歴史を持つ中国・韓国などの神話・伝説はそれなりに厚みがあるが、東南アジアになるとほとんど聞いたことがない。いやそもそも、身近な国なのに、その古代史すら、我々は正確に知らない。近くて遠い国ということかもしれない。
今まで伝説シリーズの作品を作りながら思ったのは、伝説や神話の面白さはその話の流れや神の体系にあるのではなく、そこに登場する個々のエピソードの不可思議さ、更に言えば、そうしたエピソードが現代の文化や言葉の中に生きているというところにある。例えば、今では科学的に解明されている自然現象を、昔はこういうふうに解釈していたとか、今に残る遺跡・遺構をもとにこういう話を作ったとか、今の生活習慣や文化はこのエピソードがルーツとか、神話・伝説と今を比べて色々楽しむことが出来る。また、星座にまるわる話など、単なる星の並びから、よくもそこまで話を考えたなと思うほど、創造力に富んでいる。そうしたエピソードの豊富さが、CG作品を作るときの源泉となるのである。
ところが、東南アジアについては、この種のエピソードが見当たらない。一応伝えられている話はあるが、幹のような部分だけで、話を膨らませていく枝葉がない。仏教やキリスト教、イスラム教といった世界的な宗教が入ってくる前に、東南アジアではどんな神が信じられ、その由来はどこにあるのかについて、一般にはほとんど知られていないと思う。ホントはあるのにその世界に興味のある人が少ないから伝わっていないのか、そもそも存在しないのか、そこすらも曖昧である。それを知ろうとすると、教養というより文化人類学などの学問の領域に入っていくのかもしれない。要するに、ポピュラーではないということだ。
今回題材として取り上げたのは、ベトナムの古代王国「文郎国」の支配者「雄王」である。文郎国はベトナムに初めて作られた国家ということになっているが、それを証明するものはない。従って、伝説上の国家に過ぎないという話もある。ただ、おそらく何者かがその時代にその地域を支配し、国の原型を作ったのだろう。その支配者の肩書きが雄王であり、龍がその先祖ということになっている。その話からして、雄王の存在はかなり神格化されていることが分かる。
そんなわけで、こんな一片の話から作品を作るとなると、ほぼ全て想像に任せるしかない。イメージと言っても遺跡があるわけではないから、アンコールワット風の建物を配することにした。アンコールワットはカンボジアだが、お隣同士だし、まぁ似たようなものだろう(笑)。こんなことやっていると、海外アーティストのCG作品見て、「日本と中国の文化の違いが分かっていない」と抗議する資格はないなと、ちょっと反省。
しかし、身近な隣人であるはずの日本から見てもインドシナ三国の文化の違いがよく分からないのだから、欧米からすればもっと区別がつかないのかもしれない。いや、そもそもあの辺りの国々の歴史自体、我々はほとんど知らないのではないか。世界史の教科書でも、アジアの歴史について語られているのはごく僅かだった気がするし、大学受験にもそうたくさんは取り上げられていないだろう。試験に山勘を掛ける人は、間違いなく飛ばして勉強していたはずだ。そんなわけで、これらの国々が神話・伝説の時代から、どうやって近代国家までたどりついたのか、おおまかでも説明できる人はまずいないだろう。
私もよく知っているわけではないが、第二次大戦前後のインドシナ三国の歴史というのは、何かと暗い影がつきまとう印象的なものである。戦前の欧米列強の進出と植民地化、戦時の日本侵攻と戦後の共産主義化にまつわる数々の悲劇、ベトナム戦争やらカンボジアのクメール・ルージュの大量殺戮など、ずっと不幸の影が差していたというイメージがある。あの明るく太陽の指す熱帯の気候と、その下で繰り広げられた血なまぐさい数々の出来事の対比があまりにちぐはぐで、妙に印象に残る。
何となく思うのだが、欧米人のインドシナ三国に対するイメージって、この辺りの近代史を下敷きに出来ているような気がしてならない。だいたい、インドシナ三国を舞台にした映画というのは、ベトナム戦争を描いたり、クメール・ルージュの殺戮を描いたり、暗くて影にあるものが多い。ベトナム戦争を題材にした「タクシードライバー」「ディアハンター」「地獄の黙示録」のほか、クメール・ルージュを題材にした「キリング・フィールド」など、いずれも名作の呼び声が高いが、そこに漂うインドシナ半島のイメージは、陰影のある複雑な感情が入り混じった独特の世界である。
だが、ホントはそんなじゃないんだよと言うほど、我々日本人もインドシナ三国を知っているわけではない。近くて遠い国・・・、全くその通りかもしれない。
(このブログは、「Stardust Crossing」( http://webstreet.jpn.org/stardust/ )の一部として運営しています。)
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日本から離れたことないので、わかりませんが、確かに日本にはない景色ですね。映画やドキュメントで見る東南アジアの雰囲気とも違っていて、独創的な発想ですね。
2008/4/20(日) 午後 9:21 [ 辰しゃん ]
コメントありがとうございます。
東南アジアの気候を考えて、雨季の湿った重い大気を表現したかったのです。場面設定としては、夕方のシャワーの後に晴れて来て、夕焼けが見えるといった感じですね。川面に漂うほのかな霧も、小道具としては有効だったのではないかと思っています。
私は何度か東南アジアに行ったことがあるのですが、湿気が苦手な人には少々つらいかもしれません。それと建物の中は思いっ切りクーラーを効かせるので、出たり入ったりしていると体調を崩します。
それでも、欧米の観光地に行くことを考えれば、時差もほとんど関係ないし料金も安いし、なかなかお勧めですよ。
2008/4/20(日) 午後 11:37 [ sta*dus*_*ro*sin* ]