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			<title>Vue &amp; Poser 制作雑記 あるいは 途切れがちの日記</title>
			<description>VueとPoserを使ったCG制作のかたわら、気になったこと、考えたことなどを覚書としてつづっています。
本来のGallery である「Stardust Crossing」（ http://webstreet.jpn.org/stardust/ ）の一部として運営しています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>Vue &amp; Poser 制作雑記 あるいは 途切れがちの日記</title>
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			<description>VueとPoserを使ったCG制作のかたわら、気になったこと、考えたことなどを覚書としてつづっています。
本来のGallery である「Stardust Crossing」（ http://webstreet.jpn.org/stardust/ ）の一部として運営しています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing</link>
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		<item>
			<title>さよならYahoo Blog</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/80/53388280/img_0?1210426938&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　突然のことだが、このYahoo Blogから撤退することにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今朝、ブログ記事を更新しようとしたら、またもやあの忌まわしいエラー・メッセージが出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「エラーが発生しました。記事に登録できない文字列が含まれています。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このエラー･メッセージのたちの悪さは以前にも書いたが、禁止されている文字列とやらがどれなのか、全く指摘されないところにある。また、Yahooは禁止文字列に関する情報を公開していないので、予防することも出来ないし、長い文章だとイチイチ検証していられない。つまり、せっかく書いた文章はボツにせざるを得なくなるという超ド級の迷惑エラーである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　初めてこのエラー･メッセージが出たときに、恐ろしいほどの時間を使って、自分が書いた文章のどれが禁止文字列なのか調べたことがあるが、結局、ある外国の地名だった。しかも、英俗語辞典を使って調べても、この地名に特別な意味はない。つまり、禁止されている理由が全く分からないのである。これじゃあ納得がいかないし、禁止されている理由がおよそ予想不可能なら、気を付けようがない。まるで、地雷原の上を目をつむって歩いているようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今朝は、すぐ出掛けなければならないというタイミングだったので、本館サイトの方だけ更新して外出したが、電車の中で段々怒りが高まって来た。そもそもこのYahoo Blogには、開設以来数々の不満があるのだが、引越しが事実上出来ないものだから、我慢に我慢を重ねて今日まで来た経緯がある。そんな過去の恨みつらみが様々に湧き出て来て、もうこの際、過去ログなんぞどうでもいいやという気分になった。ここまで怒りが溜まるのは珍しいのだが、このところのリアルな生活の忙しさも、この怒りに油を注ぐ要因になっている（これは八つ当たりだが･･･）。挙句の果てに「もうこんな不満だらけのブログなんかやってられるか！」という結論になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　で、引越しを考えたのだが、別のブログに移るのはやめようと思った。この種のわけの分からないルールが、他のブログにもあるかもしれないからだ。結局、ブログは一見便利だが、基本プログラムはサーバー管理者側が握っており、充分な情報公開もされていない。先方のルールに拘束され振り回されるのは、もう真っ平だという気がした。というわけで、別のサイトを借りて、この「Vue &amp; Poser 制作雑記 あるいは 途切れがちの日記」の今年分を取りあえず移転し、ボツになりかけた今朝の原稿もアップした。ホームページやめてブログに移る人はあっても、その逆をする人は珍しいかもしれないなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　移転先は以下の通りであり、今のところ急ごしらえなので、今後少しずつ手直ししていく予定だ。暇があったら、今日アップロードしようとして禁止用語が含まれているとされた原稿を読んで、いったいどれが公益に反する単語なのか、推測してみて頂きたい。きっと分からないと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
移転先ＵＲＬ：　&lt;a HREF=&quot;http://stardustcrossing.client.jp/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://stardustcrossing.client.jp/&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
（本館サイトの「Diary」からでもアクセス可能）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それにしても、このブログで知り合った方々ともお別れすることになり、大変残念である。今までコメントを下さった方には心からお礼を申し上げる。Yahooに不満は色々あれど、皆さんとの交流は楽しかった。こうしてまた辺境のサイトに引っ越して、段々世の中から遠ざかっていく気がするなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「うしろすがたのしぐれてゆくか」（種田山頭火）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/53388280.html</link>
			<pubDate>Sat, 10 May 2008 22:42:18 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>人物画と肖像画</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/99/53344099/img_0?1210199300&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　絵画のジャンルに人物画というのがある。人をモデルにして描いたもので、風景画や静物画と並ぶ一大ジャンルである。人物画と一口に言っても内容は多岐にわたっており、画家が女性モデルを題材に描いたピンナップ風のものもあれば、歴史上の人物を活写した大作もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　近代以前の西洋画における人物画の多くは、写真のなかった時代なので写真代わりに肖像画として制作された。なるべく魅力的に描いて欲しいというのが描かれる側の人情であり、生活の糧である貴族や金持ちのこうした要望を踏まえ、画家の方も腕を磨いたに違いない。お蔭で、様々な手法や構図の人物画が編み出され、絵画分野の一角を築いた。もちろんそれらは写真代わりなので、写実的に描かれている。ピカソみたいに描いたら即刻クビだったろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時の人物画は、人物の顔だけを無地の背景に描いたものから、風景の一部に人物を配したもの、乗馬やら楽器演奏やら何かを行っている様子を描いたものまで色々ある。そこはまさに、画家たちの腕の見せ所で、評判のいい画家は貴族や金持ちからひっぱりだこだったに違いない。今みたいに万人が絵を楽しむのではなく、ごく一部の裕福な人々が個人的なパトロンとして画家に付いていた時代だから、顧客から見放されると画家は一気に路頭に迷う。一般庶民が画家から絵を買って家に飾るなんて習慣がないから、お客様は神様だったに違いない。いきおい、顧客の好みが画家の画風に素直に反映する。今とは制作環境が違うのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、そんなふうにして発達して来た人物画だが、私は、近代以前の西洋画における人物画のように、画家自身が個人的に知っている、あるいは思い入れのある特定の人物を描こうとした作品と、近代になって登場して来た、格好のいい女性モデルを頼んで描いた作品とでは、人物の描き方が違うんじゃあないかと思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　後者の場合は、画家はモデルそれ自身に思い入れはない。同じような雰囲気の人なら、別のモデルさんでもいいわけで、花の絵や静物を描くのとさして変わらない。モデルを美の対象として描いているわけで、言い方を換えれば、対象人物の代替が利くのである。だが、前者の場合はそうはいかない。例えば、歴史上の人物を描くとする。源義経を描こうと思ったが、デッサンし始めてうまくいかないので平清盛に替えますということにはならない。何故なら画家は、義経という人物そのものに思い入れがあるからである。孫娘を描こうとしてうまくいかないから近所の女の子というわけにはいかないのと同じである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　思い入れのある人物をモデルに描く場合には、ありきたりのモデルを描くのと違って、その人物そのものを絵として表そうとする。その人の性格や人生を、一枚の絵に盛り込もうとするのである。全ての舞台装置を使って人物を活写するため、絵に深みが生まれる。描く側としては、表情やポーズ、場面、持ち物、服装など細部に至るまで注意を払って設定する。そういうことが出来るのは、画家自身、その対象となる人物そのものをよく知っているからであり、ちょっと頼んだ初見のモデルでは、そんなわけにはいかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こういう深い人物画をPoserでやろうとすると、ちょっと難しい。何より、モデルとなるフィギュアは単なるポリゴンの塊で、実際に生きているわけではないからである。例えば、Victoria4(V4)やAiko4(A4)に人生などないし、性格も好みもモットーもない。絵画の世界で言えば、ちょっとお金を払って来てもらったモデルさんという位置付けである。従って、そのままレンダリングすれば、出来るのはピンナップばかりで、作品に深みはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　じゃあ、こういう無機物のキャラクターを使って、深みのある人物画のような作品を生み出すにはどうすればいいかと言うことになる。手っ取り早い方法は、V4やA4の人生やら性格やらをこちらで考えてやるということだろうか。「そんなバカな～」という意見もあろうが、いやホントの話、これは有効な気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こいつはこういう境遇で生まれ育ち、こんな性格の女性で、今はこういう生活しているんだが、将来はこんな希望をもっている、みたいな人物像をまず決めて、それを画面に表すように舞台設定するのである。勿論そうした設定を文章で解説する必要はなく、むしろそうした諸々の背景が全て分かるように画面作りをすればよい。もっとも、全部が画面から分かるなんてことはありっこないが、そういう心意気で制作するということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人間なんて周りにたくさんいるから、画家が描こうと思えば、人物画なんて幾らでも描けるわけだが、その中で僅かしか傑作と呼ばれないのは、結局そこに込められた画家の思い入れがいかばかりかという点で、厳しいふるいにかけられるからだろう。Poserもテクニックがものを言う部分は大きいが、それだけじゃあない気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、あなたのV4やA4には性格や人生がありますか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/53344099.html</link>
			<pubDate>Thu, 08 May 2008 07:28:20 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>作品更新－風香る</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/38/53282538/img_0?1209860547&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　本館 Gallery に新作をアップした。気候も良くなり、戸外を気持ち良く歩ける季節の到来ということで、如何にも春らしい景色を作ってみた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回作品を作るに当たって、新キャラクターとしてリスを使っている。リスは、コンテンツ・パラダイスが以前無料配布したものを持っていたのだが、ここに使ったのは、今年のMarch MadnessでDAZが安売りしたリスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　話は脇にそれるが、今回のMarch Madnessはかなり自制した。毎年激安価格に釣られてアイテムを衝動買いし、挙句の果てに殆ど使わないままRuntimeのゴミと化すという苦い結末を繰り返して来たが、漸く学習効果が働いてほぼ何も買わずに3月が過ぎた。V4、A4用の髪を危うく買いそうになったのだが、「それをどの作品に使うか具体的計画はあるのか」と自問して思い留まった。偉いぞ、自分！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうした中で、ほぼ唯一の例外がこのリスである。既にコンパラ製のを持っているのにわざわざこれを買ったのは、プロモ画像を見て期待したからだ。何をって?　毛並みである。特に、尾のふさふさ感が芸術的に良く出来ていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私はかねがね感じているのだが、動物キャラをPoserやVueで使う場合の難しさは、毛並みの表現にある。これに成功している作品は少ないし、海外のギャラリーでたまに良く出来た作品を見かけると感動してしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同じ毛でも、人間の毛の表現はここ数年で格段に進化している気がする。特に最近のPoserの髪にはとてもリアルなものがある。今回March Madnessで思わず衝動買いしそうになったのも、そうしたリアル系の髪の毛である。また、毛と同じように表現が難しい草や木の葉についても、相当品質が向上している。Vueだと、EcoSystemの威力も手伝って、本物の森や草原と見間違うようなリアルな情景を作ることが出来る。しかし、どういうわけだか、動物キャラについては、まだまだである。実は、今回のリスも期待外れに終わっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　髪の毛にせよ、木の葉にせよ、表現の仕方はポリゴンの板を何枚か重ね、マテリアル設定で特定の形に型抜きしたうえで、リアルなマテリアルを貼り付けるというのが普通のやり方だと思う。これだとファイル自体は重くなり、木などはEcoSystemがないとたくさん並べられない。けれど動物の毛の場合、そこまで複雑な構成になっておらず、今回のリスの尾も、一つのオブジェクトにマテリアルを貼り付けるという作りになっている。これじゃあ、リアルなふさふさ感は出せないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今のところ、毛のない動物、例えば爬虫類などはかなりリアルな質感を持つものがある。また、毛のある動物でも、ふさふさの毛でなければ工夫の余地はある。馬や犬なんていうのは、マテリアルが良ければそれらしい質感になる。だが、羊だと、これはどうにもならない。毛をポマードで固めたんですか、なんて感じになってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まぁファイルが重くなるのを気にしなければ、それなりにリアルなものは作れるのだろうし、Poser以外の3DCGでは既にリアルな毛並みは実現できているのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　動物キャラを作品に使う頻度が高い私としては、人間様もいいが動物キャラについても、リアル感向上に向けてもう少し力を入れて欲しいところだ。それとプロモ画像は誇大広告にならないよう控えめに･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/53282538.html</link>
			<pubDate>Sun, 04 May 2008 09:22:27 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>さて、3周年</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/02/53235302/img_0?1209569553&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　季節はあっという間に巡り、5月になった。ついこの前まで寒さに身を縮めて歩いていたのが嘘のような戸外の陽気である。ゴールデン・ウィークということで世の中はレジャー一色かもしれないが、こちとら旅行の計画もなく、東京でくすぶっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　5月というのは、このブログの本館である「Stardust Crossing」が産声を上げた月であり、今年で3周年となる。3年経ってもネットの片隅でひっそり営業するマイナー・サイトという立場は変わらないが、栄枯盛衰の激しいネット界において、細々とでも3年も続いたのは、それなりに誇れることかもしれない。私がサイトを立ち上げた頃に色々見て回った老舗サイトの幾つかは事実上活動を停止しており、一口に3年間といっても、PoserやVueを取り巻く人々の様相はそれなりに変わった。3年もやっていると、もはや初心者とは名乗れぬ立場だし、かといって「古株です」というほど経験を積んでいるわけではないが、この界隈の歴史の一片は見てきた気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、毎年開設記念月が来て節目を迎えると、「○周年記念企画」のムシがうずき出す。幸い今年のゴールデン・ウィークはカレンダー通りに休みが取れそうだし、どこか旅行する計画もないから、時間はたっぷりある。「小人閑居して不善をなす」の喩え通り、誇大妄想狂的な企画を思いつきそうで恐い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もっとも、開設1周年で「若き戦士の肖像シリーズ」を立ち上げて痛い目に遭ったので、自制はそれなりに働いており、新たなコンテンツを考えてダウンロード・コーナーを再開しようという思い付きを、かろうじて抑えたところである(笑)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんなわけで開設記念特集もない愛想のない3周年なのだが、負け惜しみ的に言うならば、特段目新しいことをしなくても、地道に制作活動を続けるだけでも価値があるのではないかと思う。長く続ければ続けるだけ、そう思うようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　昔から「継続は力なり」なんて受験勉強の心得みたいなスローガンがあるが、そんな人生哲学や教訓ではなく、作品制作自体、続けているうちに自然と腕が上がり、描ける世界も広がる、みたいな感覚がある。「そんなの気のせいだろ」と思う人もいるかもしれないが･･･(笑)。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　誰しも最初はソフトの操作で青息吐息である。それがやっているうちに慣れて来て、表現力が少しずつ身に付く。表現力が上がれば描ける世界も広がる。心の中の想像の世界をある程度イメージ化出来るようになると、今度は描いたコンピューター･グラフィックス（CG）作品から新たな世界やイメージが生まれ、それが自分なりの世界を広げてくれることになる。いわば、腕前と想像力の相乗効果である。上級者を意識して上を見上げることも時として必要かもしれないが、足元を見て地道に一歩ずつ自分なりの階段を昇る努力も、また大切である。これを3年もやれば、それなりに自分のCGワールドは広がる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　3年やって何も変わっていないように見えるけど、実は随分成長したのかもしれないなあ。それが3周年目の収穫ってヤツですか･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「プロの作家とは、書くことをやめなかったアマチュアである」（リチャード･バック）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/53235302.html</link>
			<pubDate>Thu, 01 May 2008 00:32:33 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>作品更新－遠征</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/94/53165194/img_0?1209168962&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　本館 Gallery に新作をアップした。今回は戦士シリーズからの一枚で、初めてキャラクターにVictoria4(V4)を使った。いわば試作品の位置付けで、この先キャラがV4に変わるかと言うと、そんなこともない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　戦士シリーズには、これまでずっとVictoria3(V3)を使ってきた。V4が出たときに、V4に切り替える方向で考えていたのだが、その後V4用の衣装がパッとしないので、主役交代は見送り続け、今日に至っている。今回は、以前DAZ で安売りしていた「The Destroyer for V4」という戦士衣装を使ってみた。これは、最初見たときに中々いいかもと思ったのだが、よーく見るとそこら中から角が生えているような、やや非実用的衣装だったので、使うのを見送ったままになっていた。と言っても、所詮Poserで使う戦士の衣装なんて、現実にはあり得ないようなデザインのものが多いのだが･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そう愚痴をこぼしつつも、戦士シリーズの今後を考えると、多少迷うところがある。これ以上、V3用の衣装はたいしたものが出ないだろうし、仮に出たとしても、値段にもよるが、今さらV3用のアイテムを充実させることには躊躇する気がする。かといって、いずれ手持ち衣装の使い回しにも飽きが来る時が来る。そのときにどうするか、今のうちから考えてアイテムを物色しておく必要があるとは思っている。ただ、長らくこのシリーズを共に歩んで来たV3に愛着があるのも事実だし、少なくとも、よほど心惹かれる新しい衣装が出ない限り、年内一杯は、引き続きV3を使う気がするなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、今回の作品だが、主題はずばり岩である。それは見ての通りで、お分かり頂けるだろう。特に建物や木などのプロップはなく、ひたすら岩また岩の世界である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　Vueをお持ちの方ならご存知だろうが、Vueには岩を自動で作る機能が備わっていて、ワン・クリックで画面に岩を呼び出せる。ただ、当たり前のことながら、ありきたりの岩しか出て来ない。従って、この絵にあるような奇岩を使おうと思ったら、自分で作るしかない。で、ここでこの前買ったばかりのShade10の登場である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　前にも記したが、私のモデリング能力は著しく低い。建物など幾何学的な直線や曲線で構成されるオブジェクトはShadeの得意とするところなのでどうにかなるが、人体や動物など微妙な曲線を持つものは、ちょっと手が出ない。要するにベジェ曲線を自在に操れないのである。そうなると、この岩はどうして作ったのか。しかも、一つ当たりの制作時間は、驚くなかれ10秒程度である。10分じゃないよ、10秒だよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　実は種明かしをすると、Shadeの中に、「マジカル・スケッチ」という便利な機能がある。これはShadeの宣伝や解説書では子供のおもちゃ並みに扱われていてあまり紹介されていないし、まともなモデリングを志す人からはそっぽを向かれている機能だが、岩を作るのにはかなり心強い武器である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　簡単に言えば、鉛筆で書くように線を描けば、それをそのまま立体化してくれるという面白い機能で、丸を描けば球ができ、三角を描けばおむすびができる。従って、適当に岩の形を描けば、そのまま岩になる。奇岩でも何でも一筆書きで10秒でできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　かくいう私も、今までマジカル・スケッチって面白い機能だが、使いどころが分からなくて放置していたのだが、あるときふと閃いたのである。で、ブログ用の作品として遊びのつもりで岩を作ってみると、これが結構面白い。もう少しコンセプトをきちんと立てて幾つか作って組み合わせたら、結構いい線行くかもと思って試みたのが、この作品である。ただ、一応きちんと作ろうとすると、形を操るのにマウスではきつい。できればタブレットがあった方がよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一点留意すべきは、そうしてマジカル・スケッチで制作した岩って、そのままだと到底岩には見えない。従って、岩に見せるには、マテリアルの工夫が必要である。岩は10秒で出来るが、マテリアルは一応試行錯誤が必要になる。その辺りが難しいと言えば難しいか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　でも、この岩作り、結構面白いよ。マテリアルの腕に覚えのある方でShadeをお持ちの方は、一度挑戦されたらどうだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/53165194.html</link>
			<pubDate>Sat, 26 Apr 2008 09:16:02 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>次なるパソコン</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/42/53116542/img_0?1208874673&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　今の一つ前に使っていたパソコンが調子悪くなったのは、確か去年の2月頃のことだったから、現在のものにパーツを入れ替えてから、かれこれ1年以上になる。パソコンは、1年で陳腐化しかねないナマモノだとかねがね思っているが、最近のパーツ動向を見ていると、それが決して大袈裟ではないかもしれないなぁと思ってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私が昨年初めにパソコン・パーツを買い換えた後に、メモリー価格があれよあれよという間に下がり、5月にメモリーを実質上限の3GBまで増設した。あの時には驚くほどメモリーが安くなったものだと感心したが、今となってはそれも昔話である。東京在住でパソコン･パーツに関心のある方なら、毎週秋葉原のパーツ･ショップの価格動向をレポートしているサハロフ佐藤氏のサイトのことはご存知だと思うが、一応そこそこのチップを載せたPC2-6400のDDR2 SDRAMが、現在2GBx2=4GBで1万円を切っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　安くなったのはメモリーだけでなく、私が現在使っているAMD Athlon 64 X2 5200+(2.7GHz 512KBx2)は、1万円程度。当時の購入価格で、今だとクアッド・コアのAMD Phenom X4 9750(2.4GHz 512KBx4)が買える。ハードディスクについても同じことが言えて、当時の320GBと今の500GBがほぼ同じ値段である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まぁそんなことをイチイチ比較していたら気が滅入るばかりだが、一つだけ慰めになることを言えば、そんなふうにパーツ価格が下がっても、32bit版のWindowsを使っている限り、最先端パーツの能力を活かし切れない時代にそろそろ突入しているということだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　32bit版のOSが扱えるメモリーの絶対限界が4GBだということは前にも書いたし、メモリー価格が下がった現在では、たいていのパーツ･ショップでその旨の注意書きが掲げられている。この4GBは、全てのメモリーの総計、つまりハードディスクやグラフィック･ボードに乗っかっているメモリーも含めた限界である。しかも、32bit版Windowsは、ハードウェアの使用するメモリー領域を先取りしてセットアサイドするため、実際に我々が画面上で認識して利用できるメモリー容量は、3GB程度のものである。それが実質的な限界と見ていいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　だが、パーツの進化は著しく、今やグラフィック･ボードで1GBのメモリーを積んでいるものまである。これだと、32bit版Windowsがハードウェア用にセットアサイドするメモリー領域を超えてしまうことになり、Windowsとアプリケーション・ソフトが使えるメモリー総量は3GBを切る計算になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ハードディスクなど、その他のハードウェア搭載のメモリーはグラフィック・ボードのものよりはるかに少ないが、増加傾向にあるのは間違いない。つまり、我々がOSやアプリケーション・ソフトの操作時に使えるメモリーの容量は、ハードウェア搭載のメモリーの増加によって侵食されつつある。メモリーが幾ら安くなっても、4GBの実質限界を破れない以上、お金をかけても快適さの追求はごく限定的なものとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうは言っても、パソコンをビジネスやゲームなどに使っている限り、このメモリー問題は気にならないだろう。これらのソフトは、そこまでメモリーを使わないからだ。また、クアッド・コアだってよほど激しいマルチ･タスクをしない限り、恩恵は少ないのではないか。MS Wordで文書を書いている背後でセキュリティー･ソフトがウイルス・スキャンをやる程度なら、現在主流のデュアル･コアCPUで充分なはずだ。だが、コンピューター･グラフィックス（CG）をやっている人にとっては、メモリー容量とCPUコアの数は、結構重要な問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　CGソフトは、バージョン・アップするたびに能力が向上し、同時に使用するパソコンのスペックも高くなる。既に私が使っているVue6 Infiniteの推奨環境は、メモリー2GBになっているが、Vue7になると、これが更に上がる可能性が高い。実際、今でもやや複雑な情景を作ると、Vueごと落ちることがたまにある。けれど、32bit版Windowsに留まる限りアプリケーション･ソフトへのメモリー割当ては2GBなので（残りはWindowsが使う）、これ以上はどうにもならない。となると、次は64bit版Windowsへ移行しないと、満足に作品作りが出来ないことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　けれど、いつまでたってもOSの主流は64bitにならない。Windows Vistaになって64bit版のライン･アップが豊富になったものの、市販のVista搭載パソコンで64bitのものは見たことがない。2010年にも出ると言われている次期OS「Windows Seven」に関する情報が、ちらほらとIT系のニュース･サイトに出始めたが、これが64bit標準になるかというと、どうもそうとも思えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　結局、ネット系やビジネス系、あるいはヘビー・ユーザーでない普通のゲーム系のパソコン･ユーザー（ほとんどの人がこれに当てはまるハズ）にとって、OSが64bitである必要などないのである。更に言えば、メモリーが安くなったり、CPUのコアの数が増えたりしたって、これまたほとんど関係ない。パーツのスペック向上を体感できるような使い方など、大半の人はしていない。Windowsそのものだって、この先どれほど豪華な機能を付けようが、一般の人はあまり見向きもしないだろう。時代はクラウド･コンピューティングではないが、ネット上で全てを済ませる方向に進んでおり、個人が持つパソコンは、インターネットにつなげればいいだけになっていくのだと思う。スペックの向上が求められるのは、我々が使うパソコンではなくて、サーバーの方だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　結局CGソフト・ユーザーは、メイン・ストリームから取り残されたのではあるまいか。Windowsがバージョン･アップし、それと共にパーツも進化し、その恩恵をみんなが体感できる時代は終わったのではないのかと思う。依然パーツの進化とそれを享受できるOSの登場を待ち望んでいるのは、我々CGソフト・ユーザーやヘビー・ゲーマーなど、ごく僅かなパソコン・ユーザーだけじゃないかという気がする。そうなるとマイクロソフトも、そんな例外的な人々のためにWindowsを進化させて行っても儲からないという計算になるはずだ。つまり、64bit化なんかよりYahooの買収の方がよっぽど大事ということになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、そうして取り残されたCGソフト・ユーザーの立場を考えると、世の流れに背を向けて、独自に64bit化を図るしかないが、CGソフト以外のアプリケーション･ソフトが32bitに留まっている現状を考えれば、幾ら64bit版Windows上で32bit用ソフトも動くと言ったって、ソフト・メーカー側は64bitでの動作は保証していないだろうから、どこでトラブルが起きるか分からない。それを考えれば、32bitと64bitの二束のわらじを履くしかないことになる。2台のパソコンを持つにせよ、デュアルブートにするにせよ、パソコンを用途別に分けなければならないというのは何とも厄介である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　まぁそんなことを最近つらつら考えるようになったものだから、パソコン・パーツ価格動向にはそれほど一喜一憂しなくなった。今じゃ2万円も払えば、そこそこのチップを積んだメモリーが8GB分買えてお釣りがもらえるような結構なご時世になったが、32bit版Windowsを使っている限りは宝の持ち腐れである。幾ら安くなったところで、目に見える効果のないことをわざわざやるバカはいないだろう。パーツの進化と価格低下の恩恵を、パソコンの体感能力向上という形では享受できないというのは何だかおかしなことだが、それをおかしいと思うのはCGやゲームを趣味にする人だけだというのも悲しい事態だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私は今のところ、Vistaを飛ばしてWindows Sevenに行こうと考えているのだが、さて、その頃のパソコンを取り巻く状況はどうなっているのだろうか。シン・クライエントではないが、誰もがネット上で用を済ませるようになり、パソコンのスペックに重きは置かれず市販パソコンも価格勝負になっているのかもしれないあなぁ。64bit版勢力はさっぱり広がらず、一部のユーザーだけのマニアックな世界になっていたりして･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一つ言えることは、CGソフト・ユーザーは、CGソフトの能力と推奨環境の向上に伴い、市販パソコンを使う人が確実に減るだろうということだ。誰でも気軽に扱えるCGソフトというのは、色んな意味で死語になるかもしれないなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
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			<pubDate>Tue, 22 Apr 2008 23:31:13 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>作品更新－雄王の都</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/62/53059262/img_0?1208564220&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　ようやく週末となったが、今週は実に忙しかった。お蔭で身体も心も疲れた。特に昨日が一つの仕事の山場だったわけだが、きれいには片付いておらず、色々なものを引きずってまた月曜からドーッと疲れそう。貧乏暇なしだな、こりゃ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さてそんな中、本館 Gallery に新作をアップした。こんな状態なのに作品作っているのは、一種の現実逃避かもしれない。今回は伝説シリーズからの一枚であるが、アジアをテーマにした初めての作品である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このシリーズは今まで、題材をギリシア、北欧など欧州中心に取っていて、まれに中南米が登場する程度だった。アジアを取り上げなかったのは、あまり興味の湧く話がなかったということもあるが、何よりエピソードの数が少ないからだ。さすがに歴史を持つ中国・韓国などの神話・伝説はそれなりに厚みがあるが、東南アジアになるとほとんど聞いたことがない。いやそもそも、身近な国なのに、その古代史すら、我々は正確に知らない。近くて遠い国ということかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今まで伝説シリーズの作品を作りながら思ったのは、伝説や神話の面白さはその話の流れや神の体系にあるのではなく、そこに登場する個々のエピソードの不可思議さ、更に言えば、そうしたエピソードが現代の文化や言葉の中に生きているというところにある。例えば、今では科学的に解明されている自然現象を、昔はこういうふうに解釈していたとか、今に残る遺跡･遺構をもとにこういう話を作ったとか、今の生活習慣や文化はこのエピソードがルーツとか、神話･伝説と今を比べて色々楽しむことが出来る。また、星座にまるわる話など、単なる星の並びから、よくもそこまで話を考えたなと思うほど、創造力に富んでいる。そうしたエピソードの豊富さが、CG作品を作るときの源泉となるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところが、東南アジアについては、この種のエピソードが見当たらない。一応伝えられている話はあるが、幹のような部分だけで、話を膨らませていく枝葉がない。仏教やキリスト教、イスラム教といった世界的な宗教が入ってくる前に、東南アジアではどんな神が信じられ、その由来はどこにあるのかについて、一般にはほとんど知られていないと思う。ホントはあるのにその世界に興味のある人が少ないから伝わっていないのか、そもそも存在しないのか、そこすらも曖昧である。それを知ろうとすると、教養というより文化人類学などの学問の領域に入っていくのかもしれない。要するに、ポピュラーではないということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回題材として取り上げたのは、ベトナムの古代王国「文郎国」の支配者「雄王」である。文郎国はベトナムに初めて作られた国家ということになっているが、それを証明するものはない。従って、伝説上の国家に過ぎないという話もある。ただ、おそらく何者かがその時代にその地域を支配し、国の原型を作ったのだろう。その支配者の肩書きが雄王であり、龍がその先祖ということになっている。その話からして、雄王の存在はかなり神格化されていることが分かる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんなわけで、こんな一片の話から作品を作るとなると、ほぼ全て想像に任せるしかない。イメージと言っても遺跡があるわけではないから、アンコールワット風の建物を配することにした。アンコールワットはカンボジアだが、お隣同士だし、まぁ似たようなものだろう(笑)。こんなことやっていると、海外アーティストのCG作品見て、「日本と中国の文化の違いが分かっていない」と抗議する資格はないなと、ちょっと反省。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし、身近な隣人であるはずの日本から見てもインドシナ三国の文化の違いがよく分からないのだから、欧米からすればもっと区別がつかないのかもしれない。いや、そもそもあの辺りの国々の歴史自体、我々はほとんど知らないのではないか。世界史の教科書でも、アジアの歴史について語られているのはごく僅かだった気がするし、大学受験にもそうたくさんは取り上げられていないだろう。試験に山勘を掛ける人は、間違いなく飛ばして勉強していたはずだ。そんなわけで、これらの国々が神話･伝説の時代から、どうやって近代国家までたどりついたのか、おおまかでも説明できる人はまずいないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私もよく知っているわけではないが、第二次大戦前後のインドシナ三国の歴史というのは、何かと暗い影がつきまとう印象的なものである。戦前の欧米列強の進出と植民地化、戦時の日本侵攻と戦後の共産主義化にまつわる数々の悲劇、ベトナム戦争やらカンボジアのクメール・ルージュの大量殺戮など、ずっと不幸の影が差していたというイメージがある。あの明るく太陽の指す熱帯の気候と、その下で繰り広げられた血なまぐさい数々の出来事の対比があまりにちぐはぐで、妙に印象に残る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　何となく思うのだが、欧米人のインドシナ三国に対するイメージって、この辺りの近代史を下敷きに出来ているような気がしてならない。だいたい、インドシナ三国を舞台にした映画というのは、ベトナム戦争を描いたり、クメール・ルージュの殺戮を描いたり、暗くて影にあるものが多い。ベトナム戦争を題材にした「タクシードライバー」「ディアハンター」「地獄の黙示録」のほか、クメール・ルージュを題材にした「キリング・フィールド」など、いずれも名作の呼び声が高いが、そこに漂うインドシナ半島のイメージは、陰影のある複雑な感情が入り混じった独特の世界である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　だが、ホントはそんなじゃないんだよと言うほど、我々日本人もインドシナ三国を知っているわけではない。近くて遠い国･･･、全くその通りかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/53059262.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 Apr 2008 09:17:00 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>ライティング</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/84/53008584/img_0?1208298555&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　私はコンピューター･グラフィックス（CG）作品のレンダリングを、もっぱらVueでやっているので、Poserについて色々語るのは噴飯モノかもしれないが、Poser使用歴だけは長いユーザーとして、日頃思っていることを少々述べてみたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　Poserの良さが活きるのは屋内情景だと思っている。屋外の自然光だとVueのライティングの方がいいと私は思う。景観専用ソフトだけあって、さして手間をかけずに自然な太陽光をシミュレート出来る。逆に、Vueで屋内情景を作ろうとするとライティングに苦労する。初期設定だと太陽光がメインになるから、屋内情景には合わない。海外ギャラリーでVueを使って雰囲気のある屋内情景を制作している人を見ると尊敬してしまう。で、そのPoserの屋内のライティングだが、私が関心のあるのは影の作り方である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　屋内というのは、所詮は狭い閉鎖空間である。どんなに大きな部屋でも限りはある。そこで奥行きを出すとなると、戸外のように地平線や水平線を描くわけにはいかないから、影をうまく使うしかない。そもそも、こんなに部屋の中が明るくなったのは、隅々まで電気が張り巡らされた現代になってからである。それまでは小さな光源で部屋の中を照らしていたから、光の届く範囲は限られ、必然的に影が出来ていた。加えて言えば、西洋人は直接光が苦手なので、今でも部屋の中を蛍光灯が煌々と照らすなんてことはない。間接光中心の室内照明は、やはり部屋の隅に影を作る。この影がうまく操れるようになれば、Poser使いとしてはかなりの達人になれる気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　古来日本画では、余白というものが重視された。画面に作られた余白は、単なる塗り残しではなく、その場の空気を描いたものである。見る人は、そこに色々なものを感じ取る。余白のない絵は息詰まるようで、鑑賞者の心の置き場がない。従って、余白をうまく操れないと一流とは言えない。まぁ最近の日本画には、その余白というヤツがないのが多いのだが･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　19世紀以前の西洋画では、肖像画や屋内情景画には影が付き物である。それは黒く塗り潰された余白ではなく、部屋の一部なのである。見る人は、その闇の中に何かを見ている。濃密な闇は、様々なものを内に隠しており、鑑賞者は知らず知らずのうちにそこに家具やら壁やら、生活の一部を見ている。いや、そう見せることの出来る腕前を持つ画家が優秀なのである。同じ暗色系の絵具を置いても、ヘタなヤツが描くと単なる黒にしか見えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　Poserの世界は、こうした屋内情景画や肖像画に通じるものがあると、私はかねがね思っている。あっけらかんとした健康的なライティングも、テクスチャのリアル感が分かっていいかもしれないが、影を操り画面に奥行きや立体感を出すと、そこに描かれた人物を引き立たせることが出来る。いや、もう少しいけば、人物そのものだけでは語り尽くせぬ背景的な物語を、文字通り背景の影の中に塗り込めることだって出来るはずだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　口で言うのは簡単だが、じゃあやってみせてくれと言われると何とも･･･。そこまで行こうと思ったら、VueやめてPoserに打ち込むしかないなぁ。Poserって、簡単そうでいて、かなり奥行きの深い世界のような気がする。やってない者が言うのも何だが･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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			<pubDate>Wed, 16 Apr 2008 07:29:15 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>作品更新－忘却の丘</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/16/52954916/img_0?1208015209&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　本館 Gallery に新作をアップした。今回は、現代の女性をテーマにしたシリーズからである。ここのところ、リアルな生活の方が何かと忙しいものだから、あまりコンピューター･グラフィックス（CG）に身を入れている余裕がない。お蔭で少々手抜き気味のところもあるが、許して頂きたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ついでに言うと、更新時間も変則的で、従来は朝更新していたのだが、ここ暫くは深夜更新になっている。そもそも、深夜型の私が朝更新するようになったのは、このYahooブログの作りが脆弱で、夜更新しようとすると、アクセスしている人が多いせいか、しょっちゅうエラーになっていたためである。当時のYahooは、アップするだけで虚しく1時間近く費やすのが当たり前の、お粗末な作りのブログだったのだが、今回やってみたら意外とすんなりと更新出来た。さすがにここまでブログが普及すると、Yahooも殿様商売をやっていられなくなって、サーバーを改善したということだろうか。この状況なら、また元に戻って深夜更新に切り替えてもいいかもしれないなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて作品についてだが、題名に深い意味はない(笑)。由来も忘れられた古い遺跡が残る丘という程の意味である。ちょうど日本でも、地方都市に行くと近くの小高い山やら丘やらの上に、放置されたままの城の石垣が朽ちて見捨てられているのを見かけることがある。この絵のイメージは、イタリアやギリシアの古代遺跡といった感じで制作しているが、あちらも多数の遺跡が国中に散在しているから、こうした風景は珍しくないのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こういう遺跡のような無骨な背景と女性との組合せは、何のつながりもないのだけれど、妙に合うなぁと前から思っている。過去にも遺跡・廃墟と女性とを組み合わせた作品を何度かアップしたが、結構自分なりに気に入っているものが多い。遺跡を過去や死の象徴とすれば、女性は現代や未来、そして生の象徴ということになり、互いに対極にあるもの同士が奏でる反響がいい効果を生むということだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同じような効果かどうか知らないが、クールな現代風スポーツカーと古い石造りの街並みなども良く合うと思う。車の宣伝などにもこういう組合せが登場することがあるが、現代風の街並みにスポーツカーを置くよりも、かえって目立って人の目を惹きつけるように感じる。ミスマッチの成功ということではなく、対極にあるもの同士がお互いを引き立てているということではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ところで、海外でもそうだろうが、世の中には、古い遺跡・遺構だということ以外、それがいったい何なのか分からないものが多数ある。以前題材に取り上げたが、ソドムやゴモラの跡と言われている死海周辺の古代都市跡も、ホントのところは何なのかよく分からない。シバの女王のときにも触れたが、中近東の砂漠の中には由来不明の遺跡がたくさん眠っている。更に言えば、ストーンヘンジだってナスカの地上絵だって、何のためのものかは分からない。日本の場合も、有名な高松塚古墳は、誰を埋葬したものか判明していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最近でこそ、そうした遺跡・遺構を科学的に研究・分析し由来を解明していこうという考古学的な検証が行われるようになったが、昔だったら何か分からないものは勝手に話を作って解釈してしまおうということになっていたはずだ。誰かが思いつきで喋り、それが何代かに渡り伝わると、もっともらしい話になる。村の古老などが、人々を集めて聞かせるわけだ。それがまぁ、今日伝わる神話・伝説の源流であり、お蔭で様々なロマンが生まれたわけだが･･･。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただ、現代といえども、科学的解明は万能ではない。色々な分析方法を駆使して調べるわけだが、最後のところは「結局分かりません」という結末になることが多々ある。あるいは、「科学的に解明できました」なんて言いながら、ホントのところはトンでもない勘違いをしているということだってあるだろう（誰も勘違いと分からなければ幸せかも）。やはり遠い昔のことは、タイムマシンを発明して過去に戻ってみなければ分からないものなのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうなると「科学的分析+推理」という方法に頼らざるを得ず、「この遺跡って、こういうもんじゃない」という推測の世界になる。とどのつまりが、昔ながらの勝手な解釈に少々毛が生えた程度ということか。但し、昔の人のロマン溢れる解釈に比べ、科学的根拠に基づく推理というのは夢がないことが多いなぁ。空想というのは、分別ある大人が考えるより、自由な発想の子供が考えた方が奇想天外で面白いのと同じことではないか。いずれにせよ、遺跡・遺構には、今でも何がしかロマンと謎が宿っているということだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そうして考えると、遺跡がかもし出すロマンが、女性の美しさと共鳴して相乗効果を生んでいるということもあるのだろうか。遺跡にせよ女性にせよ、我々男から見れば様々な謎を秘めた存在であり、そこのところは共通している気もするなぁ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/stardust_crossing/52954916.html</link>
			<pubDate>Sun, 13 Apr 2008 00:46:49 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
		<item>
			<title>だまし、だまされ</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e9-b2/stardust_crossing/folder/1496168/38/52908638/img_0?1207753499&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　またもやリアルな生活が忙しくなりつつある。お蔭で海外ギャラリーをのんびり覗く暇もない。そうは言いつつ、こんな駄文を綴っているのだから世話ないなぁ。しかし、人間忙しくなればなるほど、睡眠時間削ってでも趣味に没頭したくなるのは、やはり心のバランスを保とうという本能によるものか。多忙な中にも色々作品制作にまつわる妄想が湧いて来て、何とも救いがたい状態だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さて、その作品制作の話だが、日頃SF、伝説をテーマにした作品や、架空の世界で活躍する戦士のシリーズなんぞを制作しているから、さぞかし神秘的なことに興味を持ち、霊魂やら宇宙人やらを信じているに違いないと思われるかもしれないが、実際には、私は至って現実主義的な人間で、超常現象など信じていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　京極夏彦の小説に妖怪をテーマにした京極堂シリーズがあるが、あの中で、「憑物落とし」の中禅寺秋彦は毎回「この世には不思議なことなど何もないのです」と決めゼリフを発する。私のモットーはまさにそれである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そんなことを言いつつ、どうしてコンピューター･グラフィックス（CG）作品であんな架空の世界をモチーフにしているのかというと、それがどう考えても作り物でしかないと思っているからである。ついでに言えば、超常現象を信じていないわりには怪談話も嫌いではないし、SF小説もよく読む。映画だって、ファンタジー系、SF系、ホラー系など、比較的好きなジャンルである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　やっていることと言っていることが矛盾しているのではないかと思われるかもしれないが、どっこい私の中ではうまく折り合いが付いていて、両者が心地よく同居している。最初からないものだと思っているから、思い切り想像の翼を広げて、夢のある内容にしようと作品の構想を練る。エンターテイメントってそんなものではないかと思う。ないと分かっている世界を、ホントはあるのではないかと思わせるように作る。そこが面白いのである。小説にせよ映画にせよ、読者や観客を如何にうまくだまそうとするかが、作者にとって勝負の要諦であり、それを楽しむ方としては、ひととき心地よくだまされることが快感につながる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　遠い昔、UFOブームというのがあった。UFOはご存知の通り「Unidentified Flying Object（未確認飛行物体）」の略だが、こんな難しい言葉を皆が知っているということ自体、如何にそのブームが一世を風靡したかを物語っていると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　UFOというのが問題になったのは、おそらく第一次世界大戦以降、空も戦場となって偵察やらレーダーによる航空監視が盛んになったからではないか。初期の航空監視能力はレベルが低く、キャッチした飛行物体が何なのかよく分からないといった不備がたくさんあったのだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　正体不明の飛行物体は、あるいは他の国の飛行機だったかもしれないし、大きな鳥だったのかもしれない。もしくは、実際には存在しないものを、能力の低いレーダーが誤って捉えたことだってあったかもしれない。けれど、謎が謎を呼んだうえ夢が膨らみ、そうした不明物体を宇宙人の乗り物ではないかと考える説が出て来た。別にこれに根拠はないのだが、そのうち写真の普及によりUFOの目撃写真が現れ、騒ぎになった。多くの人が注目するようになったきっかけは、この写真の登場ではないかと思う。たちまち話に尾ひれが付いて、こんな証拠もあんな証拠もと、宇宙人の乗り物説が定着した。まぁそんなところだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　けれど、航空監視が精密に出来るようになるにつれて、UFOの話は下火になっていった。最近ではめったに耳にしない。UFOに乗って宇宙人が頻繁に飛来しているのだとすれば、人類が宇宙に進出するようになって観測装置の精度が上がれば、かえって目撃例が増えたり詳細な分析が進んだりするはずだ。しかし、そんな情報は全くない。いったいどうしたことか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　研究者によれば、UFO目撃例やUFO写真の多くは、勘違いかイタズラだという。UFO写真の場合、模型を糸で吊るしたり、窓ガラスに円盤を描いた紙を貼ったりしたトリック写真だと思われるものが殆どだとも聞いた。手品と同じで、トリックがばれなければ見た人は驚き、本当ではないかと思う。撮影した人は注目を浴びて、一躍時の人になれる。そこが面白いと考えて色々なUFO写真製造テクニックを編み出す人が増えたのだろう。つまりは、皆うまくだまされて、ひと時騒いで楽しんだのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　では、その後下火になったのは何故か。私の推理では、写真技術やCG技術の発達で容易にトリック写真が作れるようになって、皆が写真の正体を疑うようになったからではないかと思う。簡単に人をだませた時代は終わり、めったなことでは信じてもらえなくなった。作る方からすれば、労力をかける割には面白くなくなったわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今じゃあ、レタッチ・ソフトを使って素人がデジカメ写真を自在に加工できるし、CGでUFOはおろか、どんなにビックリするような映像も比較的楽に製作できるようになった。それが当たり前になって来ると、超常現象をキャッチした写真や映像など、まずは作り物だと疑われてしまう。それを本物だと証明すること自体が大変な時代になったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　科学が発達し様々な技術革新が進むと、かつての謎はドンドン解明され夢は消えて行く。UFOが宇宙人の乗り物だと考えた時代は遠く去り、UFOにまつまる様々なエピソードは色褪せてしまった。江戸時代の濃い闇は、今では煌々たる灯りに照らされ、異界のものたちの隠れる場所もなくなった。中禅寺秋彦ではないが、不思議なことなど何もなくなってしまったのである。そんな時代だからこそ、まだどこかに残っているかもしれない不思議な世界を求めて、人々の興味が揺れ動く。様々な超常現象を題材にした小説･映画は、そうした人々の求めに応じて、上手に人をだます。そこが魅力ということだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私のCG技術では、あまりうまく人をだませないけれども、それでも自分なりに工夫を凝らして作品を作る。ホントは信じていないのだけれど、実在するかのように作る。だから、投稿ギャラリーで多少リアルさに欠けるCG作品と出会っても、嘘っぽいなんてバカにはしない。なるべく上手にだまされたような気分になって鑑賞する。それはまぁ、CG作品を眺めるときの約束事のような気がする。だって、ホントはそんな世界はあり得ないって、皆分かっているわけだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　CG作品の制作･鑑賞には、ある種の寛容さが必要ではないかと思っている。ちょうど芝居やドラマを見るように、ひとときだまされてその世界に浸る。作る方も見る方も、その嘘を一緒になって楽しむ。UFOが宇宙人の乗り物かどうかなんて、真剣に検証し過ぎると楽しみは減る。ネス湖の恐竜もヒマラヤの雪男も同じである。それが嘘だと分かって、果たして誰かが得をしたのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「芸といふものは、実と虚との皮膜の間にあるものなり。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあったものなり。」（近松門左衛門）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（このブログは、「Stardust Crossing」（ &lt;a HREF=&quot;http://webstreet.jpn.org/stardust/&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://webstreet.jpn.org/stardust/&lt;/a&gt; ）の一部として運営しています。）</description>
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			<pubDate>Thu, 10 Apr 2008 00:04:59 +0900</pubDate>
			<category>その他芸術、アート</category>
		</item>
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