八王子市元八王子町に住み、niftyで清水中世史研究所のブログも書いてます。69歳の男です。歴女の人は是非見て下さいね。清水太郎の部屋では私の今までに書いた「昔書いていた詩」と今新しく「今書いている詩」シリーズを2010年10月2日より書き始めました。これからも宜しく応援してくださいね!
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実際はそのあと10日ほどして生まれたのが娘です。お母さんが退院する6日目から私が育てました。一応母に来てもらいましたが、子育てをしたことがない母では心もとなく、その前に子供を見てくださるベテランの主婦も幸い見つけることができました。学期末採点通信簿付け、夜中の2時間ごとのミルクを産休なしで乗り切りました。そうして育てたのが今の娘です。娘は特に父親が好きで一緒に住みたがり、お嫁さんに出したのにこちらに来るように言われて経済的にゆとりがあった私たちが家を建てて移り住みました。
これが大雑把な私の人生です。
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継父が独立した後事業に失敗して倒産しました。そのとき私は大学に入りましたが、それは実父の方の伯父が受験料や入学金を貸してくれたからでした。(実際は後でお祝い金だよとくれました。)私はアルバイトと奨学金で大学を終えました。貧しかったけれど、大学で学ぶことは楽しかったし、恋もしました。大学時代からの大恋愛の末卒業してから1年後に夫と結ばれました。二人とも栃木県の教員として働きました。その間にひどい流産をして子供ができませんでした。でも夫は「子供を生んでもらうために結婚したわけじゃないから無理しなくていい。」と言ってくれました。そして14年目、生徒のことで相談に行った社会福祉士の方が私を見込んで「明日生まれる予定の子供を引き取ってもらえないか。」と相談に見えました。だめなら施設に行くことになるといわれて大胆にも1日で子供を引き取ることにしました。
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さてどこからお話ししましょう。
私の実父は私が200日くらいの頃に亡くなりました肺結核でした。だから電線を恐れて私には合わなかったそうです。22歳だった母はお嬢様育ちで自分一人で子供を育てようなんて思わなかったそうです。私はまだ後継ぎがいなかった父方の長男夫婦と住む祖母に6歳まで育てられました。
母が再婚したのは裕福だった母の実家が長男の死によって没落した戦争中のこと。それから流産を繰り返して子供ができなかったこともあり、父方のほうで長男が生まれたこともあって、突然母と継父のもとへ送り込まれました。祖母が恋しくて一晩泣いてあきらめました。
お嬢様育ちの母はサラリーマンで社宅住まいの私を私立のミッションスクールに入れました。わけもわからず受験勉強を強いられてもその頃はそんなものって思っていましたが、周囲委は別荘などお持ちの家庭が多くてびっくり、だって別荘のほうが、家たまには家の中の隠居所のほうが私の家より大きいんですもの。でも継父はとても大切に育ててくれたと思います。(続きは孫が寝てから)
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おめでとうございます。
本年もまたこれまでと変わらないお付き合いを、よろしくお願いいたします。
まずは、新年のご挨拶とお願いまで、…
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桃香苺ミルクo(^-^)o
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