そのころ、皇帝アウグストウスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行なわれた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなづけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカによる福音書2:1-7)
| 驚きをもって受け止める事実…「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」 |
| 神の子キリストが占める場所がこの世界のどこにもなかったということ、かろうじて人間ではなく馬がつながれている馬小屋の片隅にその場所を与えられたということ。 |
| 華やかなクリスマス。街はイルミネーションで飾られて、赤と緑の鮮やかなクリスマスカラー。太ったサンタがユーモラスに煽り立てるにぎやかでせわしい都会の喧騒。たくさんのご馳走とシャンパン、リボンで飾られた山のようなプレゼント。恋人たちの甘い夜…。 |
| There was no room for them in the village inn. |
| 「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」 |
| There was no room for Christ in this world. |
| 「キリストにはこの世に占める場所がなかった」 |
| カトリック教会は「神」を王のような権力者になぞらえて具象化した。ローマ法王の壮麗な法衣と金の冠、天空を突き刺すゴチック式の教会、金ぴかのサンチャゴ=デ=コンポステッラ… |
| あの金はスペインが「新大陸」を「征服」した時、インディオを鉱山で酷使して略奪したのだ、サンチャゴ=デ=コンポステッラの金ぴかの祭壇に圧倒されながら思った |
| 「奇跡」は私たち人間の想像力を超える |
| 「神の子」が粗末な宿屋の一室さえ与えられず馬小屋で産声を上げたということ、 |
| それが奇跡 |
| キリストがもし今日の日本にいるのならば、このクリスマスをどんな格好で過ごしているのだろう |
| イチゴのショートケーキもローストチキンも食べられないで、 |
| サンタからもプレゼントをもらえないで、 |
| 暖かい部屋、クリスマスツリーの傍で笑いさざめく人々の仲間にも入れてもらえず、 |
| 甘い夜を一緒に過ごす恋人もいず… |
| 都会の片隅で独り寒さに震えているホームレスなのかもしれない |
| 神は奇跡です |
| どうしたら私たちはこの奇跡をとらえることができるのだろう |
| グリム童話の『黄金の鳥』。黄金の鳥をどうしたらつかまえることができるか、狐が王子に教えてくれる。 |
「お城のお部屋をひとつのこらず通りぬけると、いちばんおしまいに、黄金の鳥が木のかごにはいってぶらさがってるお部屋へはいります。その籠とならんで、からっぽの黄金のかごがかざってありますが、あなた、かんじんの鳥を、その鳥のはいっている粗末なかごからだして、金ぴかのほうへ入れかえないようにね、いいですか、そんなことすると、あなた、とんだめにあうかも知れませんよ」
| とてもかんたんでとても難しいこと。黄金の鳥を見たら、粗末な木のかごじゃなくて黄金のかごに移しかえたくなる。神さまを王さまのように飾り立て、威厳を持たせてこの世を支配させたくなる。 |
| 神は人として生まれた最初から、王や皇帝の権威と鋭く対立した。皇帝アウグストウスは全領土の住民に、住民登録をさせようとした。住民登録の目的は税を取り立てること、労役を課すこと。身重のマリアとヨセフが100キロ近い道のりを仮借ない支配者の命令を拒むこともできず過酷な旅をしていく。神の子イエス=キリストは人の住まない馬小屋で、支配者の住民登録を免れてこの世に産声を上げる。 |
| イエス=キリストの生まれたパレスチナでは大勢の人々が殺され、 |
| レバノンでは多くの子供たちが瓦礫の下敷きになって幼いいのちを失った |
| 富と権力を持てる者が持たざる者を残酷に支配できるようさまざまな法律が制定された冬 |
| この弱く貧しい者が、弱く貧しいままで愛によってつながる時 |
| 微力な私たちが微力なままに、平和を築いていく力となれますように |
|
うしどしさん、「預言者は故郷では受け入れられない」とか「地に国籍を持たず天に国籍を持つ」ことの象徴的な表現でもあるんだと思います。故郷で産まれちゃ、聖書の後の物語が全部成り立たなくなります。でも聖母マリアについては別に処女である必要はなかったと思いますけどね。私はイエスが別に男女のセックスから生まれたとしてもどーとも思いません。でも生誕地はベツレヘムの馬小屋でなければならなかった、と思う。
2006/12/26(火) 午前 8:14
ひげたまさん、過ぎちゃったけどメリー・クリスマス!(笑)あっメリー・クリスマス!って叫んだからといって悪をゆるしちゃいけないですよ。私は教育基本法「改正」も防衛庁省昇格もイスラエルのレバノン爆撃もゆるしません!
2006/12/26(火) 午前 8:16
ふ〜ん。イエスが、王族の子としてなに不自由なく育ち、ある日突然、神の声を聞き、浮浪者の中に身を投じたというのもいいと思けどなあー。聖書は本当におもしろいです。いろいろと想像を掻き立ててくれるから。異端がたくさん出てきたのもよく理解できます。マグダラのマリアの福音書をいちど読んでみたい。
2006/12/26(火) 午前 10:10
実家から東京の母教会まででかけ某駅前でケンタッキーの呼び込みの傍ら、賛美歌を歌いました。夜は教会の片隅で一晩休み、クリスマスの朝6時から5人で静かなお祈りのときを持ちました。「この日本にイエスがいるのならホームレスかも知れない」という言葉が胸に響きました。
2006/12/26(火) 午後 5:38 [ meg ]
うしどしさん、それじゃ「貧しいこと」「虐げられていること」は人間の主体的な選択と決意になっちゃうんですよ。貧困と虐げはイエスの選択以前の所与の現実であるからこそ、私たち多くの人間の現実と重なるんですよ。うん、うしどしさんが前に記事に書いてたけど、キリスト教にはダイナミズムを生み出す不安定さがあると思います。私はクリスチャンからしばしば石を投げられます。宗教戦争を生み出しやすい宗教だな。ユダの福音書っていうのはちょっと前に流行りましたがね。
2006/12/26(火) 午後 11:58
megさん、それはよいクリスマスを過ごしましたね。私もできるなら羊飼いたちがイエスの生誕を知るような静かなクリスマスを過ごしたいです。この世でイエスは絶対ヒーローではないと思います。聖人でもないだろうなという気が(勝手に)してます。欠点も多くて貧しくていつも困ってるような、だけど深い瞳の、そんな人を思い浮かべます。
2006/12/27(水) 午前 0:02
クリスマスは・・大切な人と、幸せを分かち合う日。イエス様も、馬小屋だったけど、マリアお母さんの幸せに包まれて誕生したんですよね。そんなささやかな幸せでいいんです。世界中の人が、幸せを感じられる日であってほしい。
2006/12/27(水) 午前 1:14
イマの時代だからこそ、ゼレの「神学」が見直される時期だと思うのですが・・・。いかがでしょうか?
2006/12/27(水) 午前 8:13 [ - ]
凄く説得力を感じました.よろしかったら転載させてください.
2006/12/27(水) 午前 9:53
みいちゅけさん、「ささやかな幸せ」こそ本当の幸せかなという気がしています。
2006/12/27(水) 午前 10:07
GENDAIさん、私もそう思います。ゼレをもっと読んでみたいのです。
2006/12/27(水) 午前 10:08
古草さん、ありがとうございます。クリスマスは過ぎてしまいましたが転載いただくのはうれしいです。
2006/12/27(水) 午前 10:22
記事の最後にジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」と映像のサイトを加筆しました。MGMさんからアドレスを頂きました。この映像を是非ご覧になって下さい。
2006/12/27(水) 午前 10:59
貧困と虐げがイエスの選択以前の所与の現実だから人間の現実と重なる、ですか。ふ〜ん。スターさんがクリスチャンから石を投げられるのは、よく理解できます(^_^)。
2006/12/27(水) 午後 6:24
え〜っ?これは石投げられるようなことじゃないと思うけどな。(不安。。。)
2006/12/27(水) 午後 11:33
記事の中の「黄金の鳥」の話、考えさせられました。確かに神=王のような考え方は・・・。私はキリスト教とは無縁なのですが、記事を読んで初めて知る事ばかりでした。とても勉強になりました。
2006/12/27(水) 午後 11:55
starさん有難う御在います.転載させていただきました.日本人は25日が終ると,皆クリスマスの飾りを止めてしまいますが,キリスト教の他の国から見れば,これは異様なことなのでしょう? ですからクリスマスが終っても構わないと思います.
2006/12/29(金) 午後 0:39
寝不足エンジニアさん、お休みに入って少しは寝不足解消できましたか(笑)。私のような不敬虔者が言うのもおこがましいかもしれませんが、キリスト教会がイエスのありようとは正反対のものになってしまっている部分もあると思います。神の名において戦争をしたり。記事を読んでくださってありがとう。
2006/12/29(金) 午後 5:32
古草さんの考え方は日本のしきたりに囚われないでいいですね。共感してくださってうれしいです。転載ありがとうございます。
2006/12/29(金) 午後 5:34
ご無沙汰してます
イタリアの敬虔なクリスマスは、子供達は聖書の人形劇、家族で聖書朗読、教会でのミサとおごそかな雰囲気でした・・・
2009/12/25(金) 午前 2:57