キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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細木数子と江原啓之

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実はどっちもよく知らない。(タイトル立てたくせに。。。)でも今とっても人気があって有名だってことは、週刊誌やワイドショーを見なくても情報が入ってくることでわかる。で、この人気はなんなのだろうと考えてしまう。でも知らないから批判はしない。ただ「占い」とか「霊」とか「スピリチュアル」とかについて考えることを書こうと思う。

私はウチもキリスト教ではなくオトナになってから洗礼を受けたので、中学生のときはコックリさんもやったし、「霊」について考えもしたし、占い師に手相をみてもらったこともあるし、血液型や星座占いの本を買ったこともあったし、「金縛り」に遭って寝室の壁の四隅から「霊」がぞろぞろ出てきたという友達の話に聞き入ったこともあったし、新興宗教に突如ハマッた母親に連れられて教祖様のご託宣を聞きに行ったこともあった。(ふう。。。)

若い頃、街角の占い師に手相をみてもらったことがあった。「貴女は三人の子宝に恵まれる」と占い師は言った。今○歳なので、これから3人一挙に産むのは物理的にムリだ、、、と思う。。。「貴女にはお兄さんがいますね」と同じ占い師は言った。父が母以外の女性との間にひそかに「兄」を作ったのではないかとしばしホンキで疑った。あるTVで、占いは人間以外の生物にも当てはまるのかという問いにたいして占い師は「生まれた年月日と時間がわかり、名前がわかれば占える」と答えた。番組のディレクターはプランクトンのミジンコを持ち出し、「ミンコちゃん」とかなんとかテキトーな名前をつけて、占い師に占わせた。「ミンコちゃんは長生きする」と占い師は言った。ミジンコのミンコちゃんはその数分後、小魚かなんかにパクっと食べられてしまった。占い師はうろたえ、「ミジンコとしては長生きの方でした」と取りつくろった。

「当たらない占い師だったのではないか」「もっとよく当たる占い師だったらちがうことを言ったはずだ」というのは、古代の人々が雨乞いをして、雨が降らなかったときに、「雨乞いの踊りの手順のどこかがまちがっていたからだ」というのと同じだ。雨乞いも占いも「当たらなかった」としても決定的には反駁できないようになっているのだ。

そんなわけで、占いや霊の存在を完全否定することはムリだ。「当たるかもしれない」し「ツイてないのは霊がたたっているから」かもしれない。で、それじゃなんで私は今占いも霊もクソクラエだと思うのかというと、そういうことを信じることが人間を、といって言いすぎならば少なくとも私を自由にしないからだ。何年か前、たしかに厄年だったけど、他人からみれば「不幸」「不運」とよぶんだろうと思うようなことが立て続けに起きた。(プライバシーだから詳細はカンベンしてちょうだい。)ぶったまげたのはその時、「先祖代々の墓」(といっても入ってるのはおじいちゃんとおばあちゃんだけだが)の墓石を父がウン十万だかウン百万だか払って取り替えてしまったことだ。
私:「おとうさあ〜ん、墓石って高いんでしょおおおおおお??????!」
父:「おう、御影石だった。。。」
私:「…」

黒い色の墓石は不運を呼び込むというので、白っぽい色の墓石に父は取り替えた。この話を父の娘に対する愛という美談として語ることもできるのかもしれないが、本人の私がそのときイヤ〜な感じがしたのは、私の経験した出来事を「不幸」「不運」と決めつけるその解釈だった。大人になって遭遇した出来事というのは、「運」もあるかもしれないが半ば自分の選択の結果でもあるし、またその出来事がどういう意味を持つかはいちがいに判断することはできないのである。「人間万事塞翁が馬」ではないが、「不運」が「幸運」に転じることもあるし、「幸運」が「不運」に転じることもある。「幸福」と「幸運」が同じものかどうかもわからない。「不幸」を通して自己や人生や世界についての深い洞察を得ることもある。父の「愛情」はわかる。それだけにこのフクザツな思いを私は胸の奥にたたまねばならなかった。。。

「スピリチュアル」についてもよく知らないのだけれど、血液型と同じで、「背後霊」とか言うより科学的で今風な感じがするんだろう。経験的に「気」を感じることはある。樹齢何百年とかいう大きな木の下を通り過ぎると、身体が「いのちの源」のような「気」を感じて、清々しく、身体の芯からみずみずしくなっていく「気」がする。こういう感覚はけっこう鋭敏で、反対にファミレスとかコンビニとかに足を踏み入れ、食事すると、身体全体も心もズドーンと文字通りむなしく空洞になっていくような「気」がマジでする。(しません?)人間に会った時も「この人はなんだかイヤな『気』を発してるなあ、あんまり近づきたくないなあ」とか「この人はいい『気』を発しているなあ。この人の傍にいると魂が洗われる」と感じることもある。だから江原氏の言ってることが全てデタラメだとは思わない。

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だけどそれじゃあ人間の問題や社会の問題をすべて「霊」や「スピリチュアル」で解決できるのか。あるいは人間と社会の問題はすべて「霊」や「スピリチュアル」や「風水」のせいなのか。アフリカのエイズやイスラエルに爆撃されるレバノンやアメリカのイラク攻撃の映像をテレビで観ながら思うのである。アフリカやレバノンやイラクの人たちはよっぽど前世で悪いことをしたのか、あるいは先祖がよっぽど祟っているのか、あるいはアフリカ大陸の位置が風水から見て、よっぽど縁起の悪い位置にあるのか。


クリスチャンだから他の宗教を排撃しているのだと思われては困る。私は仏教もアメリカ・インディアンの宗教も尊敬している。宗教や思想というものは、いやしくも宗教や思想とよぶかぎり、普遍的なものでなくてはならない。細木数子の占いが「夫がなぜ次々に浮気するのか」「いい年をした息子がなぜ家でブラブラしているのか」を言い当てるというのならば、「アフリカがなぜ干ばつやエイズに苦しまなくてはならないのか」にも答えなくてはならない。
細木数子にきいてみたい。
江原啓之にきいてみたい。
で、なんでみんなきかないんだ???

そんなもんにメクジラ立てなくてもいいじゃないかと思われるかもしれないけど、私たちの視野と関心を私たちの「身近な」日常だけに閉ざしてしまう宗教や思想はやっぱり有害だと思うのである。そしてまた、私たちを自由にしないのではないかと思う。福沢諭吉は「迷信」を試すために、お守り札を便所(「御不浄」?「トイレ」とは当時よばなかった。。。)に捨てたという。長年染み付いた日本的感性のゆえにこの私ですらそういう行為はたしかにためらうところがある。お葬式から帰ってくれば、やっぱり塩を振りかけたほうがサッパリするかなあとか思い、祖先のお墓をきちんとしないと運勢が悪くなるといわれればいい気分がしなかったりもする。(クリスチャンなのに。。。)だけど諭吉と同じで、あえてお守り札を便所に捨てるのだ。「不運」とは何か、「不運」と「不幸」は同じか、人間の「幸福」とは何か、「幸福」になるために私たちは生きているのか、お守り札一つで、あるいは霊のたたりとやらで左右される「人生」とは何なのか、そんなものが「人生」だとしたら「人生」の意味とは何なのか、あと幾ばくも生きないんだから、その問いを突きつめるために、あえてお守り札を便所に捨てるのだ。「祟り」があっても後悔しない。そのハラだけはくくっておこう。。。

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(続き)彼女はイスラム教でしたが、イスラム教では云々と固定された発想で物事を考えていないのは、『イスラムでもキリスト・仏教でも何でも良いので』と言っている事からも明らかで、必ずしも宗教にステレオタイプがあるといった事ではない気がします。机上で話すと型枠に嵌めて話をしたがりますが、人間各々は高々一個人が「これはこれ。」とステレオタイプに嵌め込んで論じる事が出来る程に単純でもなく、starさんの話はそんな意味で私には頷けます。

2007/2/17(土) 午前 3:33 [ hajmo_rakija ] 返信する

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(続き)私は細木さんを知りませんが、スピリチュアルの江原さんの本は2冊読みました。彼は世界の争いをスピリチュアルで解決出来るとかは多分言わない気がします。多分。人間の弱さ等を言い訳にして人生を投げそうな人達にそれはダメとスピリチュアルやらあの世の世界やらの枠組みを利用して語っているだけと思います。日本にはキリスト教の告白の概念が無いので、その分だけ江原さんの本が売れるのかもしれませんね。

2007/2/17(土) 午前 3:48 [ hajmo_rakija ] 返信する

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江原さんみたいに「死んだ人に言いたかった言葉(ゴメンネとか)を伝える」「死んだ人の気持ちを知る」ってな事をやってもらえたらすごく嬉しいだろうなぁって思います。たとえそれがどこまで本当か証明できなくても、生き残った人(=まだこれからも生きてく人)にとっては救われる気がします。スピリチュアルにはあまり興味ないけど、江原さんのあの穏やかさには好感をもってます。

2007/2/17(土) 午後 0:00 [ - ] 返信する

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相変わらずものすごいコメント量ですね(笑) 私見ですが、確かに占いや迷信に自分の生き方を預けるのは違うと思いますね。生きるのは自分であって神ではない。ただ、何かを信じることで人生が豊かになる、ってそういう側面もあるんじゃないでしょうか。宗教原理的に違う文脈になったとしてもクリスマスや盆と正月には、現代にも大きな意味があると思います。

2007/3/6(火) 午後 11:05 [ mel*otr*n77* ] 返信する

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ラキヤさん、長いことコメントくださったことに気づかず失礼しました。コメントありがとう。日本人は組織化された宗教にはたぶん距離を置きたがるんじゃないかなという気がします。神仏習合の伝統の国ですもの。だけどそれじゃあ無宗教かというとちがう気がします。

2007/3/6(火) 午後 11:37 sta*sto*y60 返信する

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。「スピリチュアル」は科学的な装いもまとって、そんな日本人の感性と温度にぴったりくるんじゃないかなあ。キリスト教もね、「癒し」を強調する派は人気あるんですよ。「イエスさまはあなたを愛してくださってる」みたいなね。でもね、わたし「世界観」とならないようなそういう癒しが本当に人生に立ち向かう力となるのかなあ、とギモンに思うんです。そういう癒しをボンヘッファーは「安価な恵み」と言っています。安物はすぐ擦り切れるから、すぐまた癒しを求めたくなるんじゃないかなあ。。。

2007/3/6(火) 午後 11:37 sta*sto*y60 返信する

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ななめさん、なるほど。「死んだ人の気持ちを知る」ですね。下北半島の恐山のイタコに口ききしてもらいたいと昔思ったことがありました、そういえば。信じてるわけじゃないけど、イタコってなんかそそられる。。。「死んだ人に伝えたい言葉」ですか、生きてるうちに言えたらいいですね。でも一昨年亡くなったお姑さんに、「ごめんね」ってときどき言ってます。お仏壇にむかって。。。

2007/3/6(火) 午後 11:43 sta*sto*y60 返信する

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mellotron777 さん、占いや迷信に自分の生き方を預けてしまうと、自分の感性で感じ、自分の頭でかんがえて全的に世界と向き合うことができなくなるような気がします。だから平たくいうと、そんなんでは幸せになれないんじゃないか。幸せって最大限にかんじて自分を開いていくこととイコールだと思うから。またそれが「豊か」ってことじゃないかと思うんですが。

2007/3/6(火) 午後 11:57 sta*sto*y60 返信する

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確かに、なにかにすがるあまりに自分を閉ざしてしまうのは本末転倒でしょうね(笑) 音楽と比較するのもどうかと思いつつ…、僕は「音楽さえあれば生きていける」という人間を信じません。無くたって生きていけるんです。あれば生活が潤う、程度のものだと思っています。ある意味で生きるうえで利用している、というか。それと同じようなもんだと思うんですね。

2007/3/7(水) 午前 0:43 [ mel*otr*n77* ] 返信する

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(つづき)ということで、結局は自分がどうあるか、っていう極めて単純な動機付けに帰結する。…なんだか当たり前の話になってしまいましたがw starさんの発言に岡本太郎がよぎりました(笑 大賛成ですよ

2007/3/7(水) 午前 0:49 [ mel*otr*n77* ] 返信する

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私は宗教について何かをキチンと学んだ訳ではないので、個人的な付き合いと聞き齧りを繋げてコネコネするだけなのですが、キリスト教は癒しに重きを置く訳では必ずしもなく、「告白」でも不干渉というか「聞くだけ」。日本のように何についても裁きを下す雰囲気ではない気がします。告白自体の行為も聞き役が賢者である必要は無く、その相手は電柱柱でも飼い猫でも何でも構わず、「告白」したという事実の方に重きがあると考えている気がします。(続く)

2007/3/7(水) 午前 8:42 [ hajmo_rakija ] 返信する

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(続き)そこに神が云々というのは宗教に鈍感な私等は単なる脚色と理解しがちで宜しくないのですが、日本的な宗教観との違いの1つは恐らくこんな感じではないかと思ったりします。こういう話を海外ですると、偉く興味を持たれますが、私には彼等の真摯さの方が摩訶不思議です。私にしても社交的に話すために少し宗教について考えただけで、それ以上に何か深い思想がある訳でもありませんし・・・。

2007/3/7(水) 午前 8:44 [ hajmo_rakija ] 返信する

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mellotron777 さん、岡本太郎はあんましわかんないんですが(わかんなくてもべつに困りませんが)、「音楽さえあれば生きていける」って人、私も信じませんね。人生あればこそ音楽で、逆じゃないんじゃないかな。だって生きていくなかでのさまざまな感情が織り込まれて、音楽が心に響くんだもの。

2007/3/7(水) 午後 11:48 sta*sto*y60 返信する

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ラキヤさん、カトリックはとくに「告白」を秘蹟とかんがえているから、「告白」したことを神父は裁いちゃいけないんです。殺人犯が「殺人を犯した」という告白に悩む神父を描いた映画がありました。「裁き」をきらいますよ、キリスト教は。私のブログは裁きでいっぱいなんだそうです。そうかい。。。

2007/3/7(水) 午後 11:50 sta*sto*y60 返信する

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starさん、イジケなくても大丈夫。色々な問題について云々する事も、ある意味で諸問題を把握していない自分に対しての「告白」だと思えば、雑音は気にせずに「告白後」の感覚を得られるのではないでしょうか?どう表現すれば良いのか分かりませんが、音源の方が一般的に大変な仕事で、共鳴箱は誰でも出来るのです。もしくは、ブログでチャットするのは、そもそも世俗の出来事で、秘蹟ではないと思えば、裁こうと何だろうとOKなので、これまた雑音は気にならない気がします。大丈夫!

2007/3/8(木) 午前 3:54 [ hajmo_rakija ] 返信する

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ラキヤさん、ありがとう。イジケたふりをしてみただけです(笑)。

2007/3/9(金) 午前 0:18 sta*sto*y60 返信する

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ニャるほど!

2007/3/9(金) 午前 2:43 [ hajmo_rakija ] 返信する

でも、江原啓之さんって、すごいですよねぇ〜!!

2007/12/26(水) 午後 10:37 [ soyokazeno_tabi ] 返信する

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訪問ありがとうございました。共感できるお話が多くてファン登録させていただきました。ホソキサン&エハラサン、エンターテインメントだからと割り切ればいいし、みんなそう思って楽しんでるだけならいいんですけど、どうもそうではないらしい。となるとやはり御本人にきっちり落とし前つけていただかないといけないんじゃないかと思います。

2008/1/6(日) 午後 10:11 [ wavisavi ] 返信する

dvdkowaretaさん、けっこうマジな「信者」いますからね。エンターテーメントならいいけど、「教祖様」なら落とし前つけないと。。。

2008/1/6(日) 午後 10:45 sta*sto*y60 返信する

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