| バレンタインデー、やれやれやっと終わってくれたけど、昨今はお父さんにもあげるそうですな。菓子メーカーの貪欲ミエミエ。。。で、その話をある教師が教室で生徒にしたんだそうだ。そうしたら「お父さんのいない子がなんて感じるか、先生は配慮がなさすぎます」って怒られたんだそうだ。(あっあたしじゃないですよ。ホラ、あのミョーに気のあうウヨク教師です。扶桑社の日本史教科書を採択したいって言ってる、ワタシのオトモダチ。。。怒ったのはモチロン管理職よ。) |
| 私の高校の英語の授業。They have impaired hearing.「彼らには聴覚障害がある」という表現が教科書に出てきたので、「これはdeaf『つんぼ』という言葉のPC語(politically correct word…「差別的でない語」)です。」って言ったら、生徒が「えっ?!『つんぼ』っ何?きいたことない。」って言うので、「え〜〜〜?!聞いたことないの?じゃあ『おし』は?」って言ったら、「きいたことない」「あっなんかきいたことあるような」と口々に騒ぎ出した。で、びっくりしたので「『つんぼ』って言葉聞いたことある人」って手を挙げさせてみた。そしたら「きいたことある子」は30人中5人だった。『おし』って言葉をきいたことある子は30人中3人だった。たまげた。。。そういえば前に、別の学校で生徒と雑談してたとき、「私をつんぼ桟敷に置くつもり?」って言ったら、「な、なにそれ?何語?日本語?インドネシア語?」といわれたのは、ムリないな。「つんぼ」をそもそも聞いたことなかったのか。。。 |
| 国語の授業では文学作品のいくつかはもう教えられないそうだ。「差別語」が入っているから。『道』という珠玉のようなイタリア映画は、おしの少女と大道芸人との愛の話だったと記憶してるけど、「おしの少女」という言葉にいとおしさが込められていて、これを「口のきけない少女」と言ったんじゃ、このいとおしさは伝わらない。ドストエフスキーには『白痴』という小説があるけど、これも「白痴」には崇高さすらあって、タイトルが「白痴」だからこそ、知恵とは何か、賢いとは何か、という人間にとって根本的な問いが湧き上がってくるのだ。そして価値の180度の転換の解放感をもたらす。ドストエフスキーの小説を教科書で取り上げるとしたら、『知的障害者』とかってタイトルに変えられるのかな。なんも心に響かない。。。 |
| で、「おし」「つんぼ」ではびっくりしたので、いちおう英語なのでdumb, deafという単語を黒板に書いたあと、「じゃあこれはどういう意味だ?vertically challenged」ときいた。verticallyはhorizontallyの反対語。「垂直方向に障害のある」とでも訳されようか。"short"のPC語だ。私はチビなので、まあたしかに日常生活にかなり不便なことがある。黒板の上3分の1は手が届かないので使えない。その分下に書くと、後ろの席の生徒が「先生、黒板が見えません」と言う。最近の黒板は上下でスライドできるようになっていて、私でも一番上の位置に書くことができるようになったけど、それをまた上にスライドさせるのに力がいるし、いちいちメンドくさい。なので背伸びして上の方に書いてると、クスクス笑われたりする。棚の上のものを取るのにもいちいち脚立を持ってこなくちゃいけないし、いちばん困るのが満員電車だ。息ができない。周囲の乗客の肩やら胸やら背中やらが私の口を圧迫して呼吸をふさぐので、金魚のように天井を向いて、呼吸をする。こういう苦労は背の高い人にはわからないだろうと思う。たしかに"challenged"だ。いつも「見下ろされる」ことに慣れているので、ごくたまに自分より身長の低い人に会うと、「見下ろす」側になって、「えっ?こんなに人を見下ろしちゃっていいのかしら。なんだか優越感を感じるわ。もしかしてゴーマン?いやいや小さい人をいたわらなきゃ」なんて内心ひとりで動揺してたりする。で、「チビっちゃいのにがんばってるね」なんて言われることもある。「チビ」と「がんばっている」は相互に全くカンケーのない別のカテゴリーだと思う。そんなとき「障がい者」の気持ちを実感する。「障害があるのにがんばって生きている」と「健常者」は言うけど、「障害がある」と「がんばる」は別々のカテゴリーだ。「チビっちゃいのにがんばってるね」と言われると、「ああ、これがそもそも差別だなあ」なんて思ったりする。でもそれはなかば冗談。「愛」があるかどうかだね、究極は。「愛」があれば、「チビ」といわれようと「おし」「つんぼ」「白痴」「ばか」でも傷つかない。むしろそんなふうに呼ばれたい。"vertically challenged"ってぜんぜんうれしくない。なんでそんな配慮されなくちゃいけないのかな、と思う。 |
| 「お父さんのいない子」に配慮してお父さんの話を教室で禁止にするのはどんなもんなんだろう。まあ、私だったらやっぱり気にかかるだろうとは思う。tyranny 「独裁政治」という単語が教科書に出てきたとき、例として北朝鮮を挙げるのに、在日コリアン(たぶん北朝鮮籍)の生徒の表情をうかがわずにはおれなかった。でもだからといって話題を回避するのはどんなもんなんだろうと、これは今でもわからない。。。 |
※フェリーニの映画『道』は「おしの少女」ではなく「頭の弱い少女」「白痴の少女」のあやまりでした。なんか他の作品とゴッチャにしてました。文全体の訂正がメンドーなのでこのまま載せます。ブログだし、、、ゆるしてね。
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(tomさんへつづき)アドレスの紹介ありがと。シンデレラは12時にはブログ城から出ることにしてるので、明日読ませていただきますネ。(私はシンデレラよ、わかった?)
2007/2/19(月) 午後 11:54
桔梗さんそうね、私もfatherは使うたびに神経のどっかでストレス感じてますよ。Your homeroom teacherがいちばん問題ないですね。共通して知ってるし。
2007/2/19(月) 午後 11:56
地元の年配の方は「部落」って言葉を使われていますが。。。確か「差別語」だったと思います。。。
2007/2/19(月) 午後 11:58
プリンプリンさん、何年か前にベストセラーになった乙武さんの『五体不満足』を思い出しました。「まあ、かわいい」と言ったお母さんの気持ちが彼を育てたんですね。一方で、この本が「健常者」に受け入れられた根っこの分析とそのことで隠蔽されるものについて書かれたブログ記事がありました。考えさせられました。
2007/2/19(月) 午後 11:59
(プリンプリンさんへ続き)「かわいそう」は差別の裏返しだと経験からも感じています。同情と共感もちがうんじゃないかな。
2007/2/20(火) 午前 0:01
TOCKAさん、「踏み付けられている人の感情を基準にし判定すべきだ」もまた難しいな、とは思います。たとえば歴史認識についていえば私は侵略された側の痛みに耳を傾けるべきだと思うのですが、私自身、大学時代、女性解放運動の女性たちの主張に「解放」とは遠い、他者との対話の拒否、自己の経験の普遍化絶対化に息苦しい思いをしたことがあります。「セクハラだ」と女性が感じればセクハラ、というのはどうなんだろう。
2007/2/20(火) 午前 0:05
人は多かれ少なかれ、みんな違うんです。外見はもちろん、心の中も。この身体は私の身体。私だけの身体。みんなと違うからいいんです♪(↑の“道”心のきれいな・・純粋なこの女の子に感動したなぁ・・)
2007/2/20(火) 午前 0:10
ファピーさん、ありがとう。「チョン」の由来とそれが今どういう意味だと認識されているかの現状、現状から考えるべきだという主張には同感です。「同情」と「人の痛みを知る」ことは似て非なることですね。言葉狩りをしたところで共感豊かな社会になるわけではありません。だからといってどんな言葉を使っていいわけでもない。言葉より心が大事だとは言いますけれど、ある心からはこういう言葉は出てこない、ということはあるわけですから。ただ根っこはやはり「心」だとは思います。
2007/2/20(火) 午前 0:14
(ファピーさんへ続き)「本人に問題があるのだ」と人はよくその人の生きているリアリティになんら内在しないで言いますね。冷たい言葉です。
2007/2/20(火) 午前 0:14
グランピーさん、「ばばあ」はやっぱりヤだな。愛情を込めて「おしの少女」とか尊敬すらこめて「白痴」と言うことはありうるけど、愛と尊敬をこめた「ばばあ」はありえないような気がする。「おばあ」はアリだけど。女性を産む機械にたとえることを批判するのも「言葉狩り」ではないという気がします。で、じゃあ上の記事に書いたいくつかの例とどうちがうのかと言われると、説明がむずかしい。。。
2007/2/20(火) 午前 0:17
アオネコさん、「私には差別の意識はないから」ですまない問題はたくさんあると思います。「無知は罪である」と私も思います。言葉をなげかける側の強さ、傲慢さや主張の強さという意味での強さではなく、現実を認識し他人の痛みを知り、選んだ言葉に自分の主体性と責任をかける強さ、も問われなければならないと思います。
2007/2/20(火) 午前 0:20
トモさん、みいちゅけさん、コメントありがとうございます。明日レスさせてください。おやすみなさい。。。
2007/2/20(火) 午前 0:21
<でもそこに微妙に差別意識がないかどうかというとやっぱりあるような気はします。>ま、由来と使われ方は違いますからね。チョンが朝鮮人の蔑称と認識されている現実ではその現実に従いまして、それなりの配慮をいたします。<「ロスケ」の「スケ」に侮蔑も感じるし。>私の耳にポルースキーがロスケに聞こえるのは聞こえた。TOCKAさん後はよろしく。
2007/2/20(火) 午前 0:36 [ shenggang_qibing ]
私とて中国人に小日本とか言われるの。でも開き直って反論するのよ。 そうさ今の日本は小日本、台湾と朝鮮加えて大日本、台湾は日本の潜在的な領土だぜ!どうだ参ったか!(お前らが小日本といえば言うほど台湾は中国でなく日本のものだって認めることになるんだぜ ざまーみろ)ってね。
2007/2/20(火) 午前 0:39 [ shenggang_qibing ]
トモさん、差別語だからなんだというのでしょうね。。。
2007/2/21(水) 午前 8:27
みいちゅけさんも「道」ご覧になりましたか。フェデリコ・フェリーニの映画いいですね。もう一度、見たくなりました。「私だけのポンコツの身体」…って、いとおしさが感じられます。
2007/2/21(水) 午前 8:29
shenggang qibingさん、私の口調をマネるの、うまくなってきたわね。生徒にもよくモノマネされるの。あらたに赴任した学校でそのつど私のモノマネが流行るの。マネされやすいのかしら。。。
2007/2/21(水) 午前 8:32
そうか、「ロスケ」の「スケ」は「なんとかスキー」から来ているのね。まあ、中国も「中華思想」ですからね、そりゃ差別排外意識はありましてよ。同じレベルに立たないことね、くだらないから。
2007/2/21(水) 午前 8:33
starさんのコメントの裁き方にはいつも感心しています。思考が深いからじゃロウね。行過ぎた言葉狩りは、意味がないですね。「部落」わが村では、いまだに普通に本来の使い方です。差別の意識も何もありません。部落=被差別部落ではなく部落=部落なんです。田舎過ぎて世間の情報が入らんからかな。
2007/2/22(木) 午前 5:11
みやきんさん、おひさしぶりです。ここのところ私も忙しくて訪問できなくてすみません。私も田舎暮らしを4年しましたが、「部落」って言ってましたよ、ふつうに。いや、田舎が世界の中心です。そうじゃなかったら世界はゆがんでしまう。田舎がんばれえ!安倍さん、掛け声だけじゃだめよ!政治家の役割は掛け声をかけることじゃなくて、実質を整備していくことよ、田舎を支えろ! 田舎をこれ以上いじめるな!
2007/2/24(土) 午前 0:19