キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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やっとこさ出した前期の英語の成績に、保護者からクレームがついた。「無理ないよなあ。私が親でもクレームをつけるよなあ。」と思うクレームである。「中間テスト99点、期末テスト100点でどうして4なのか納得いきません。」…私も納得がいかない。でもそうなってしまうのである。

どうしてそうなってしまうかというと、公立中学校は今、「観点別評価」というもので総合成績を出しているからである。「ペーパーテストの点だけで成績をつけるのはやめましょう。ペーパーテストの成績が悪くても意欲や関心のある子はいるし、一生けんめいがんばっている子もいる。授業中積極的に発言する子もいる。そうした色々な面を多角的に見て、総合的に成績をつけましょう。」ということで、評価を4つの観点から行い、その4観点の総合で成績をつけるのだ。英語でいうと、「関心・意欲・態度」「表現」「内容理解」「言語・文化」である。テストの成績がモロ反映するのはそのうち2観点だけだから、3455だったら成績「4」になってしまうのだ。

そしてまたこれが重要なことなのだけれど、このように保護者からクレームや質問が出た場合に備えて、それぞれの評価は「主観的」であってはならず、「客観的」にあとから説明できるものでなければならない。(ある生徒がたまたま気に入らないからといって「関心・意欲・態度」に悪い点をつけることはゆるされない。)

満点に近い点を取った彼は、ノートを提出していなかった。授業中は真面目にやっているが特に手を挙げて積極的に発言するという性格でもない。それで「関心・意欲・態度」が5段階評価で3だったのだ。伺いたいのだが、「関心・意欲・態度」なんてどう「客観的」に数字化するのだ?「客観的な評価」が不能なので、「ノート提出」という外側に見える形のもので仕方なく点をつけることにした。(ってか先輩教員たちもそうしている。)そのほかに「発言カード」というものを作り、授業中の発言回数をつけて「発言」を成績にカウントしている教師もいる。(といっても、そんなこと授業者が授業をしながらいちいち記載できるはずもないので、カードを生徒に渡して、自分が1回発言するたびに○を1個つけさせる。いかさまをしてももちろんわからない。)私はさすがに気が乗らないので、これはやらない。「印象」で「なんかいっぱい発言してた気がする」でプラス点を上乗せしてる、これだけは。

で、彼はテストがほとんど満点だったのに、「4」になってしまった。ノートを提出しなかったのとあんまりモノを言わなかったせいで。だいたい満点を取っているのだから、教師の命じたとおりのやり方でノート整理なんかしなくたって、理解しているのである。それで満点を取ったのだからノート整理は不要なのである。ノートに書かなくたって彼の頭の中に全て納まっているのである。だから彼の場合、ノートを提出しなくても「よし」にしようかな、と実はずいぶん迷った。しかしそうすると「評価の客観性」が崩れる。

だいたい「関心」と「意欲」がなくては満点なんて取れるものではない。発言が少なかろうが声が小さかろうがノートがどうだろうが、彼が「関心」をもって「意欲的」に勉強したであろうことはテストの点が証明している。しかしそれは「別観点」なのだ。「テストの点で関心や意欲は測れない」から。

もっと「実態を反映した評価材料」を用いれば、「適正な評価」ができたのだろうか。そうかもしれないけど、ものすごい労力がかかる。週たった3時間の英語の授業で、どうやってそんな「多角的な評価」ができるというのだ?「多角的」かつ「総合的」かつ「客観的」な評価が。

これまで勤めた私立の場合はじつにカンタンだった。定期テストの点だけをエクセルにぶちこみ、中間テストと期末テストの点を合わせて平均し、その平均点で「90点以上は5」「80点以上は4」とか自動的につけていた。小テストや単語テストは毎週やっていたが、いっさい成績には加えない。授業態度も加えない。発言も加えない。ノート提出はさせるけど、成績には加えない。みごとに「ペーパーテストの点だけで」成績をつけていた。そういうシステムだった。観点別評価は文科省の命令なので、いちおう文科省提出用にざっとつけるけど、完ぺきツジツマ合わせで、30分くらいでチョロっとつけてた。ペーパーテストの点をもとにつけた成績が5だった子に観点別評価のAをテキトーに振り分けてつけてた。かんぺき文科省提出向け。教師も生徒も「観点別評価」なんて気にしていなかった。テストがすべて。

「ペーパーテストの点だけで関心や意欲は測れない」「ペーパーテストの点だけで人間性は測れない」

では伺いたいのですが、どうやって人間性を測るのですか。

「どうしてウチの子の人間性が3なんですか?」…そう保護者から突っ込まれた場合に備えて、「説明可能な客観的な評価材料と評価基準を用意しろ」と文科省は言うんだろうか。「道徳」の教科化ってそういうことだ。

子供たち若者たちの色々な側面を「多角的に」「総合的に」かつ「客観的に」評価しようとなると、教師はエラく大変で、そのあげく何だかワケがわからなくて、こんだけ苦労してるのに子供にも保護者にもなんだか不満なことになる。

「成績はペーパーテストの点だけでつけるけど、ペーパーテストの点だけで、キミの全てが測られるわけじゃない。だからよくても悪くてもそう気にするな。」おしまい。

じゃダメなんだろうか。。。。

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「関心・意欲・態度」を点数化するのはヘンですよね。そういう内面的なもの(人間性も含む)を測るなんてことは、逆に神様でもない限りやっちゃいけないことなんじゃないでしょうか・・・こっちも人間ですしね。成績は「ヨーイ、ドン!」の徒競走よろしく結果(ペーパーテストの点)だけでつけて、後は先生のおっしゃるとおり、「ペーパーテストの点だけで、キミの全てが測られるわけじゃない」ということを教えてあげるべきなんじゃないかなあ、と思いました。

2007/10/12(金) 午後 7:19 CK

生徒の成績をどう評価するか。教師を悩ます古くて新しい問題ですね。生徒の意欲や学習態度を評価しようという気持ちはわからなくもないですが、私はそんなものは評価しませんでしたね。欠点以下の生徒を救済するために平常点を加算することはあっても、例外的なものでした。だいたい教師ができるのは学力の評価だけです。意欲や態度など評価するなんてとてもとても…。ましてや人間性など評価したら天罰が下ります。それは神の領域です。

2007/10/12(金) 午後 8:55 うしどし

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生徒の評価って難しいですよね。本当に考えさせられる問題ですよね。ちょうど私も、期末考査の採点をここ数日やっていました。なんどか採点を終え、あと平常点(授業態度、課題提出・内容、意欲etc.)を加えるのですが、この平常点が問題ですよね。毎日唸りながら付けています。何が正当かわかりませんが、自分が正当な評価をしているかどうか疑問符が付きますよね。
試験問題を今回全問記述式を採用しました。採点に膨大な時間はかかるし、採点基準が難しいし、かつ試験を返却したら一杯疑問クレームがくるだろうと思っています。しかし、記号や穴埋めでは、本当の理解度を測れないだろうと思っています。今春新しい今の学校に転勤したのですが、どうなるかわかりませんがチャレンジしています。
今年で教員生活25年目になりますが、評価に関しては毎年試行錯誤です。たぶん、これが最高で正当な評価なんてないと思います。

2007/10/12(金) 午後 9:31 tom*yan*959*8

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s mikachoさん、こんばんは。s mikachoさんが生徒時代から社会に興味を持って勉強されてきたのだろうなあということは日ごろのコメントから感じます。観点別だったら「態度・意欲・関心」に5がついたのでしょうね。今は絶対評価です。絶対評価だったら12345のそれぞれの人数や割合を気にしなくていいはずなのに、評価結果を校長に提出し、「1が多すぎる」とか「5が多すぎる」とか言われ、修正を求められます。絶対評価の意味がないと思うのですが。絶対評価で評定をつけ、なおかつ割合が「適正」になるように調整するのに莫大な時間を費やしました。

2007/10/13(土) 午前 0:06 sta*sto*y60

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kaba先生、「学習力」、生きる力、考える力、他者を分かる力を身につけさせるのが教育の目的だというの、そのとおりだと思います。しかしそれらの「力」を12345で評価するとなると、私の能力を超えます。聖書の「毒麦のたとえ」で、毒麦を抜いてはいけない、毒麦だと思っていい麦も引っこ抜いてしまうかもしれないから、というのがありますよね。育つまで待ってみないとわからない、と。教師が今の段階で「いい麦」と「毒麦」を見分けられるのだろうか、ましてや「評価」することができるのだろうか、と思い悩みます。

2007/10/13(土) 午前 0:10 sta*sto*y60

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axbxcxさん、「限定された評価」で、評価される側が評価の限界を承知ならば、お互いに気楽なのだと思うのです。axbxcxさんのお仕事でいうと、「地区限定・期間限定」のアプローチですか。意味がそうないかもしれないけれど、「参考程度」とみなされるようなアプローチ。「さまざまな観点から総合的に評価している」と評価者自身が自信を持ってしまうと、その弊害も出てくると思います。当事者が自分に足りないところと自分の課題を発見するような評価が理想的なのかもしれませんが、学校現場で導入は難しいです。それに学校の評価は上級学校への進学や就職の資料となりますしね。

2007/10/13(土) 午前 0:16 sta*sto*y60

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pingzhongさん、コメントありがとうございます。「この成績がキミの全てじゃないから気にするな」でおしまいにできれば、カンタンなのに。。。「どうしてウチの子のこんないい面を評価してくれないのですか、点数がすべてなのですか」と突っ込まれて、「全ての側面を評価しよう」となるとどうもますますおかしなことになっていくような気がします。

2007/10/13(土) 午前 0:21 sta*sto*y60

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プリンプリンさん、この記事の「彼」のいいところは、学力が高いのに、せこせこしないで、適当に手も抜くような余裕のあるところなのですよ。だからノートを提出しなかったんです。そこは彼のいいところの反映でもあるんです。でもその「よさ」を成績という形で評価することなんてできませんよ。だったら手を抜いているサボってる子の「よさ」をも全て平等に成績にプラス評価しなくちゃいけないことになる。私は十分彼のよさを理解しているんだから、それで保護者がゆるしてくれるといいんですが。。。

2007/10/13(土) 午前 0:25 sta*sto*y60

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CKさん、「ペーパーテストの点だけで、キミの全てが測られるわけじゃない」だけどペーパーテストの点はある目的遂行の観点からみた一つの評価ではありうるのだ、それ以上でもそれ以下でもない。…ということは、オトナになってからも当てはまると思うのですよね。仕事でどう評価されるか、営業成績をどれだけ上げたか、それらの成績と評価を限定つきで素直に受け入れた上で、なおかつ自分の価値はそれらの尺度だけでは測られないとわかっていること、オトナとして世の中を渡っていくために必要なのはそういうことなんじゃないかと思います。他者から観た自分の評価を全否定もせず、全肯定もしないという態度。その態度を養うことこそ学校でしなければならないことだという気がするんですが。。。

2007/10/13(土) 午前 0:32 sta*sto*y60

うしどしさん、「それは神の領域」…同感です。でもうしどしさんの現役時代もすでに観点別評価だったのでしょう?「関心・意欲・態度」の評価はどうやってしていたのですか?

2007/10/13(土) 午前 0:34 sta*sto*y60

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ペッパーさん、英語の評価はまだ気が楽なのですが、社会でしかも「倫理」なんて教科の評価をつけていたときは気が重かったですよ。レポートを書かせてそのレポートを評価するのは、いつも大きなストレスでした。私も「単に哲学者の名前とその哲学者の属する思潮」を暗記しているだけでは「哲学」の理解ではないと思って、レポートを課していたのですが、それを評価し成績をつけるとなると大きなストレスでした。

2007/10/13(土) 午前 0:38 sta*sto*y60

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なるほど、英語はある程度答えがあるから比較的に楽でしょうが、倫理は難しい事柄ですね!その人の考えに点数をつけるなんて、これはすごいストレスになるでしょう。学校教育の難しさを感じました。

2007/10/13(土) 午前 2:03 きのこ

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Starさん、私が書いたのは全員が「自分が評価者」ということです。 本人が気づいて学ばなければ意味がないのですから、最終的な評価者は自分でしかありません。 他の人の評価も、最終的には自分自身の評価として反映されない限り意味がないのです。 またプロジェクトを結果主義で評価することは比較的簡単ですが、プロジェクトそのものも道具でしかありませんからそれだけでは意味がない…。 結局のところプロジェクトに関わった人や組織が自ら学ぶかどうかに掛かっていると…。 もう一つ気になっているのは「ショッピング・リスト」的評価です。 こうすればよいというリストが予めわかっていて、足りないものを挙げるやり方。 これも比較的簡単だしそうなりがちなのですが、前提はただ一つの開発(発達)モデル、そして飛躍ではなく改善しか考えないということだろうと…。

2007/10/13(土) 午前 4:35 [ - ]

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もう読んでおられるかも知れませんが、読売新聞の教育関係の特集が充実しています。 足立区の記事もそうでした。 インターネットのおかげで大きな新聞社の記事をほとんどチェックできるようになったのは本当に助かります。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20071010us41.htm
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20070522us41.htm

2007/10/13(土) 午後 2:38 [ - ]

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きのこさん、「倫理」をどう教えたらよかったのかいまだにわかりません。「倫理」の評価は一番ストレスが溜まりましたね。

2007/10/13(土) 午後 6:15 sta*sto*y60

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axbxcxさん、自己評価する力を養っていくことも大切かもしれませんね。学校教育にも応用できるのでしょうか。子供にもできるでしょうか。この力を養っていくことこそ教育かもしれず、「自己評価」をただちに学校の評価体系に組み入れることは難しそうです。読売のサイトの紹介ありがとうございました。

2007/10/13(土) 午後 6:19 sta*sto*y60

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今は「シラバス」(?)とかいう細かすぎるほどの評価基準・方法があるようですね。評価することは非常に難しいことです。ふと、昔見た林竹二さん(教育学者だったのか?)の超古典的な授業を思い出しました。授業風景のビデオなのですが、子どもたちは1時間の授業の間一言も発せず、ただただ林さんの語りに聞き入るという授業でした。でも、授業の最初と最後では、子どもたちの目の輝き・表情が違うのです。授業とは何なのだろう?と考えさせられました。

2007/10/13(土) 午後 6:24 [ どんぐり ]

その通りだと思います。
クレームはつけに行きませんでしたが、息子も95点で評価4・・その先生は 理科好きで理科係になった息子が、先生の指示を忘れたと怒り(事実は教師の指示し忘れ)ぬれ衣の息子は怒っていたり・・

評価は点数で決めていいと思います。あとは、担任のコメント欄でやる気や態度を褒めてあげるので十分じゃないかな。

2007/10/13(土) 午後 6:26 ぱーぷるふぃんがー

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『モノサシ・ルールをはっきりさせてよ!はじめから!』という話ですね。
「ノート提出を通知票に直接反映させる」と周知していなかったstarさんしかり、「5が多すぎる」という校長しかり。だったら5〜1の人数比と誤差範囲を明確にして貰いたいものです。それじゃ相対評価に逆戻りしそうですけど。

半期で6回ノート・宿題提出をさせ、各回20点の点数を付けて平常点とする、というのはどうでしょう?未提出なら0点、とにかく出せば5点、理解して手抜きなら15点… など独断で採点します。
あ、6回なのは1回オマケです。

これと授業態度100積極的/80平均的/60やや不真面目/30他者の迷惑/0論外 と、これも点数化します。

たとえば 試験が2回とも100点でも、提出物が未提出0点で授業態度「やや不真面目」なら、総合評価65点・5段階評価「3」でも文句は出ますまい。

あとは、いかに考えさせる試験問題を作るか、が先生のタスクです。試験の平均点を55〜60点に入れ込めれば、総合評価の平均が3.5くらいになります。 計算通りにいくかな?

2007/10/15(月) 午前 0:51 寸胴

そんなのきちんとしませんでしたよ(^_^)。確かに、教務規定に従って、テストの点数と、平常点=<出席状況・提出物状況・授業態度(私に逆らわなかったかどうかだけです(^_^)>で成績を評価しましたが、具体的に数字化できるものしか使いませんでした。授業態度については、私に逆らう生徒はいなかったし、関心や意欲については、欠席・遅刻・提出物の回数で代替して評価しましたね。かなりルーズな評価でしたけど、公正だったと思います。

2007/10/18(木) 午前 10:27 うしどし

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