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新大陸でインディオを酷使するスペイン人。植民地侵略の手先となったキリスト教の宣教師。 スペイン人の宣教師:「キリスト教徒になれば天国に行けるぞ。」 インディオ:「天国にはスペイン人もいるのかね。」 スペイン人宣教師:「もちろんだ。スペイン人は皆キリスト教徒だからな。」 インディオ:「死んでからもスペイン人と一緒になるなら天国なんてイヤだ。地獄がいい。」 以下はstarが考えたこと。 地獄に堕ちた人々が永遠の業火に焼かれ、苦しんでいるのを尻目に、天国でしあわせに微笑んでいる「神に選ばれし人々」は何と冷たい心の持ち主であることか。 何の苦しみも痛みも煩悶もない天国なんて場所に行ったら、退屈で死にたくなるのではないかしら。しかもそれが永遠に続くなんて。。。 地獄に行ったら、罪を犯さないですむのだろうか。 さしあたりの結論…「天国」をイメージするのは、「時間」や「宇宙の起源」をイメージするのと同じく不可能です。三次元の頭で四次元をイメージするのはできそうもないから。
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私も無宗教につき、死んだら墓も葬式も不要と思ってます。
私が死んだら、そっと土に戻して欲しい。
でも、大切な人が亡くなった時、死ぬ事によってその人の存在が「無」になってしまうのは、とても寂しいことですよね。実際の所どうなんでしょうね。
むか〜し、おばあちゃんが話してました。「あの世ってのは、とっても居心地がよくていいところらしい。あの世に行って帰って来た人はいないからな〜」
2007/12/22(土) 午後 10:39
天国がどんな風にあるのか、どんなではないのか、やっぱり謎ですが、「天国に行ったら神さまになんて言われてみたい?」という質問が僕は大好きです。
2007/12/22(土) 午後 11:04
みいちゅけさん、実は私は死後のことなんかあんまり考えないんです。「神の国はあなたがたの間にあるのだ」
2007/12/22(土) 午後 11:44
axbxcxさん、私もジョン・レノンの「イマジン」、大好きな歌です。芥川の「蜘蛛の糸」もよく思い出します。
2007/12/22(土) 午後 11:49
yoさん、洗礼を受ければ死後天国へ行けると考え、病床に伏してから洗礼を受ける方が多いそうです。そのことを否定するつもりはないのですが、そんな話を聞いたときには「天国って何だろう」と考えてしまいます。
2007/12/22(土) 午後 11:51
kaba先生、風は霊、プネウマでもありますね。宮沢賢治の「風の又三郎」はどうだったのでしょうか。そうか、天国には風が吹いているのか。楽器や歌も風ですよね。身体や楽器の空洞を通って吹く風。
2007/12/22(土) 午後 11:54
ヨハネさん、「悪魔のいる天国」「悪魔のいる教会」ですか…「悪魔」ってニガテだなあ…って当たり前か。。。明日はクリスマス礼拝ですか。よいクリスマスを!
2007/12/23(日) 午前 0:01
白カニさん、私は宗教者ですが、死んだら墓も葬式も不要と思ってます(笑)。「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という歌も好きですし、「散骨」っていうのいいなあとも想ってます。お葬式で「家」や「宗教」が前面に出てくるのはむしろこの世のしがらみのようで。。。
2007/12/23(日) 午前 0:04
ゴーゴーゴーバルさん、、「天国に行ったら神さまになんて言われてみたい?」という質問、アクターズ・スタジオでの俳優への恒例の最後の質問ではなかったでしたっけ?なんて言われてみたいですか?(笑)
2007/12/23(日) 午前 0:07
地獄で脅し 天国というえさで釣る(言葉が悪くてすみません)という手段は 情報のあふれた今の世界では通用しないように思います。
天国も地獄も今の現世の中にある。
でも、救われない不遇の人のために、天国という概念は必要なのかしら・・私には難しいです。
2007/12/23(日) 午後 3:12
ぱーぷるさん、豊かな日本では天国と地獄を信じている人は少ないけれど、経済のグローバル化の中で隅に押しやられているモスリムの中には自爆テロでアラーへの証をすれば天国へ行けると信じている人が少なからずいるようですね。天国はいつも救われない不遇の人のために必要な概念だったのかもしれません。
2007/12/24(月) 午前 0:00
キリストよりお釈迦様の方が先。キリストは仏教を学んだと言う説も在り。当時の男子は髪を無造作に伸ばし髭を蓄えている事は在り得ないと。などキリストの実像はハッキリしていません。宗教は哲学の賜物。生きる意味を必要とする人の為に有るものには違いないでしょう。其れを手段として、この世を支配しようと考える狡猾な人間も同じ人間。悪魔が同じ天使から生まれた様に。つまり根っこは同じ。釈迦の教えの真髄「色即是空」この四文字で語られる。ただそれだけ。
2007/12/26(水) 午前 0:13 [ きさら ]
クリスマスおめでとう!
私はやはりイエス様を信じます。一番怖いのは人間でしょう。
中で欲の深い人間が一番怖いです。支配者は、神も天皇も利用するのです。私は天国を信じます。人智で考えの及ばない世界があると思います。自分で物事を良く知っていると思うほどには、何も知らない。
知らないことのほうが多いのだと思います。
全能の神の存在がなければ出来ないことの多いことを思い知らされました。私は信じられたことが幸せです。
2007/12/26(水) 午前 1:11
お地蔵さまって、イエス様みたいだと思う時があります。
2007/12/26(水) 午前 9:49
仏教者は、天国(極楽)も地獄も語らないのです。エヘン。
2007/12/27(木) 午後 0:36
kisaratoさん、
>宗教は哲学の賜物。生きる意味を必要とする人の為に有るものには違いないでしょう。
kisaratoさんは「生きる意味」を必要となさらないのですか。
ちょっと伺ってみたい気がしました。
2007/12/27(木) 午後 1:03
きもの工房さん、お返事が遅れましたがクリスマスおめでとう!私はこの頃、天国と地獄はこの世に、私たち自身の心のありようとともにあるのではないかと感じています。「地獄に行きたくない」という人は自分自身が今地獄の中に生きているということに気づいていないのではないだろうか。気づかないのならば幸せだとも言えますか。また他人を地獄の苦しみの中に突き落としたのなら、やはり自分も天国を味わうことはできないでしょう。「深いよろこび」を天国とよぶのならば、天国は今、この世にあると思います。
2007/12/27(木) 午後 1:30
Cheeさん、私も道端のお地蔵様が大好きなのですよ。ほんとう、思わず手を合わせてしまいます。クリスチャンなのにね。
2007/12/27(木) 午後 1:32
うしどしさん、あら、そうなんですか。地獄の閻魔さまの絵、お寺で見ましたけど。藤原道長は極楽へつながる五色の糸を握りしめて死んだのではなかったでしょうか。
2007/12/27(木) 午後 1:34
私は小学生のときはずっと、父に連れられて、一般のクリスチャンの方からは異端とみなされる団体に通っていました。
中学生の頃に色々考えた記憶があります。その中で、天国とは、っていうテーマもありました。
死んでしまったら、この私という存在が消えてなくなってしまう、ということは信じられないので、何らかの死後の世界はあるように思っています。ただ、それが、よく言われている、天国とか地獄とか霊界とか...そういう世界なのかどうかはちょっとよくわからない、というか、ちょっとリアリティがないというか。。。
ですけど、私は、まだ私は、信じようと思えば信じてしまうことができた気はしますが、私の母は、絶対に無理だって思いましたし、私の母を救うことのできない宗教は、私には無意味に思えて。。。
中学生にあがったぐらいで、あれこれ考えたあげく、自分から離れました。父の宗教から。。。
2007/12/30(日) 午前 1:03