キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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朝鮮学校へ行って来た

お久しぶりです。皆さん、お元気?

このごろ挑発的な文章を書くのは疲れてね。。。

挑発するつもりじゃなくてもやけに張り切った反論コメントが入ってくると

「やっぱ挑発してるのかなあ」なんて反省したりして。。。

今日は思いっきり挑発的なテーマ、「朝鮮学校」について書くわよ

ネトウヨの皆さん、お待ちかね!

だって行って来たんだもん、公開授業。

だけどスターはこのごろ「リラックマ」のように穏やか〜に暮らしてるので

いまいち文章にスパイスがきかなんだ

味付けは醤油とみりんよ

いいのよ、地味に生きるわ

ネトウヨの皆さんも「お待ちかね!」じゃなくて、もうこんなブログで遊ぶのに飽きたんだったら

それが何よりね




朝鮮学校はボロかった。。。

お金がないんだな、と語らずともわかった。。。

でも子供たちはピリっとキムチ味で、コチュジャンも利いていた

完璧バイリンガル、日本語と朝鮮語の。

なかなか高度なことやってたわよ

古文が面白かった

『宇治拾遺物語』から百済の川成と匠の話、なるほどねえ。。「百済」よ、「渡来人」ね

英語の教科書の登場人物もチョゴリを着ているの

中学三年生にして関係代名詞バッチリわかってたわ

題材は「中秋の名月」の話、チュソクっていうんだっけ?

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女の先生は皆色鮮やかなチマチョゴリを着てらしたわ

(男性はチョゴリを着ないのね、スーツだった)

女生徒はチマチョゴリの子とブレザースカートの子が混じってる

でもこのチョゴリ、通学の時は着替えてしまうんですって

カミソリでチョゴリを切られたり

学校の前に右翼の街宣車が来たこともあったそうだから



授業参観の後、初等科(小学校)の子供たちが朝鮮民謡「トラジ」を演奏したり

太鼓を持ってかわいい踊りを踊ってくれたり

青い服に赤いスカーフの北朝鮮カラーで「祖国建国60周年」を記念する歌を歌ったりしてくれた



いやー、異文化体験だったわ

「祖国建国60周年」よ

メチャ歌が上手いだけに。。。

朝鮮文化と日本文化のちがいというより

資本主義圏と共産主義圏、全体主義と個人主義の文化のちがいを感じたわ

日本の戦前の学校文化に似てるわね

あたし、嫌いじゃないのよ、子供が教科書をピンと伸ばした腕と直角に持ち

「サイタサイタ サクラガサイタ」「ススメススメ ヘイタイススメ」なんて大きい声で読むの

いくら文科省が教員のシリを叩いたって

いまさら日本の子供たちにあんなに高らかに「君が代」は歌わせられないわよ

うらやましいかしら、安部さん、麻生さん。。。

高等部の修学旅行は祖国北朝鮮

軍服の若者と交流している写真が何枚も貼ってあったわ



教室の廊下には日本語の読書感想文が貼ってある

「キムの十字架」とか「むくげの…」とか日本の植民地支配の下での悲哀を綴った本

こういうのをみて右翼はムカつくんだろうな

右翼にかぎらずウチの妹みたいなのも

「日本人は原爆を落としたっていまだにアメリカを恨みはしないのに中国と韓国は執念深い!」って怒るから、妹もムカつくかも。。。

わかるのよ

「若者なんてほっとけばファッションや音楽に夢中になって

過去の戦争にも植民地支配にも関心を持たないんだから、無関心にさせるのがイチバンの平和」って考え

多くの人がそう思ってるわよね




校庭からのぞいた職員室には金日成と金正日の肖像画が掛かってたわ

私は権力者の肖像画を壁に掛けるのはキライです

金正日でも天皇でもローマ法王でも

でも肖像画は職員室と校長室以外からは撤去されたそうだ

以前は正面玄関にも教室にも掛かっていたけど

保護者の意見で取り払われたそう

ここらへんは「北朝鮮」と一括りにしているあたしたちには見えづらいけど

日本人も色々のように北朝鮮の人たちだって色々なんだろう

日の丸君が代に感激するスポーツ選手から、それがイヤなスターまで色々のように

金正日の写真を掛けるのがイヤな朝鮮人もいるんだろう



ね、醤油とみりん味の「リラックマ」みたいな記事になっちゃった

このごろ考えが「政治的主張」に収斂していかないのよね

授業参観後の全体集会では、朝鮮学校への政府補助金を要請する講演が延々と続いたけど

金正日の肖像画を掲げながらそれはやっぱりムリだろうなあと思いながら聞いていた

戦前の日系アメリカ人が現地に日本人学校を作ったとして

皇国史観を教え、教育勅語を読みながら

アメリカ政府に教育助成金を要求するのはやっぱりムリだったろう



ただ、朝鮮学校に子供を入れている保護者の方には同情する

朝鮮学校は日本政府により「学校」と公認されていないので

定期に学割もきかない

日本の公立学校はおろか私立学校への補助金程度の助成ももらえない

(アメリカンスクールなど欧米系の学校には補助金が降りているのに)

朝鮮学校を卒業しても高校卒業資格が取れず、大学に進もうと思ったら「大検」を受けるしかない

そんなわけで朝鮮学校の運営はほとんど寄付金でまかなわれている

しかし寄付には税控除が認められない

(在日朝鮮人は日本国に税金を払っているのだけれど、税控除はないので割高な税金を取られていることになる)

そんなわけで、子供を朝鮮学校に通わせたくても経済的負担が大きいので

朝鮮学校の生徒在籍数はここ数年で激減してしまったということだ



「じゃあいいじゃんか、日本の公立学校に通わせればOKじゃん」

それでもそう言って割り切れないのだ、私。。。

在日朝鮮人が胸を張ってこだわりなく生きていけるほど、日本社会は成熟していないからだ

成熟していない社会は他者への想像力を持たない

そんな社会で生き延びるにはマジョリティに同調するしかない

成熟していない社会は自分たちが世界の中心だと思っている

かつて勤めていた東北の学校

中学校の修学旅行で東京に行くと、東北の子供たちは寡黙になってしまうと聞いた

「東北弁は恥ずかしい」と思ってしまうから

あたたかく豊かな東北弁

その自信と自尊心を持って生きていくこと

同じように在日朝鮮人が自信と自尊心を持って生きていくこと

それを応援するのが民族学校なのだろう

朝鮮学校を排斥するのなら、民族学校の力を借りずさまざまな少数民族の誇りを受け入れて

大河のように豊かに流れる度量の大きな国家になってみろ、ニッポン!

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最後の記事

「神はこの世と関わらない決断をしたんだ」と言った人がいた。

アウシュヴィッツ、南京大虐殺、ヒロシマ、ナガサキ、いじめられている子供。親に虐待されている子供…

「神はどうして黙っているんだ?!」と誰もが思う現実。。。



「神はこの世の不正を正すことを人間に委ねたんだよ」

私もそう思う。

だから私たちは平和を祈りつつ、行動していかなくてはならないのだ。

それは私たちの責任だから。

神がもし強権的な支配者としてこの世に介入し、不正を正すとすれば、

私たちは教師の前ではいじめをしない子供たちのように振舞うだろうけれど、

それは神の望むことではないから。



「神はこの世と関わらない決断をしたんだ」

私はこの言葉を半分肯い、半分肯わない。

神は強権的な支配者のようにこの世と関わることは放棄したけれど、

神が私たちひとりひとりとかかわって下さることを私は信じている。

神は私たちひとりひとりのそばにおられ、

私たちが祈るとき、

私たちを支え、導いて下さる。

十字架上のキリストは、

私たちすべての苦しみを理解し、

私たちのために泣いて下さる。

神はallではなく、everyにかかわって下さることを私は信じている。


私たちの奥深くに住みたもう御霊(みたま)の願い。

人に裏切られても裏切られても葬り去ることができなかった御霊の願い。


つつましく、おだやかな、あたたかい主の光があなたを満たしますように。

私たちはどう祈るべきかを知りませんが、

御霊が切なるうめきをもって

祈らせて下さいます。


神はこの世と関わらないけれど、

私ともあなたとも関わって下さいます。


エンマヌエル。

Living God.


アーメン。

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皆さま、これまで有難うございました。

自分が日常生活で感じたこと、政治や社会について思うこと、キリストとともに生きるということ、さまざまに思うことをブログに綴ってきました。

それを読んで受け止めてくださる方がいるということ、いろんな意見交換ができるということ、

ブログは貴重な交流の場でした。

その思いは変わらないのですが、この度、思うところがあってブログを閉鎖することに致しました。


starはブログをやめてもリアル世界でいろんなことを感じながら生きています。


そうそう、電子ピアノを買いました。歌は好きなのですけれど、ピアノは子供の頃挫折して以来、少ししか弾けないのです。でも大人になって練習すると楽しいの。バッハやモーツァルトって、どうしてあんなに美しいのに、やさしい指使いでも弾けるような曲を作れたのかしら。聖歌や賛美歌の伴奏くらいは弾けるようになりたいな。

学校も。学校での出来事についてはブログにいくつか綴ってきましたが、「私」という一人称からみたかぎりでの「現実」を綴ることに限界を感じたことは事実です。政治について書くことは比較的やさしかった。しかしより身近な「学校」での出来事は、読者がその場に居合わせていないだけに、「私のとらえた現実」だけを一方的に書き、読者は多かれ少なかれ割り引いたうえでもそれを「学校における現実」ととらえる。そのことの問題点を指摘されたら、何も書けなくなりました。

私は「客観的なこと」よりも「私にとっての現実」を綴ることのほうに興味があるのですが、「私にとっての現実」を絶対視しているわけではありません。それは「他者にとっての現実」とイーヴン(等価)です。

もし私に小説家としての才能があったら、「他者の視点」を小説に織り交ぜて書いたかもしれない。

でもそんなヒマもエネルギーもないので、書くこと自体を当分やめようと思っています。書くのをやめたからといって、感じることをやめるわけでも、他者や現実とかかわることをやめるわけでもないのですから。

二年近く続けてきたブログの最後の記事が転載記事というのもナンなので(笑)、1つ記事をアップしてから去ります(笑)。

しばらくしたら書庫を全部閉じるつもりでいます。
(加筆訂正…書庫を閉じたら記事も自動的に全部閉じられるのかと思ったら、そうではないんですね。いちいち全部の記事を「非公開」に修正するのもメンドーなので、このまま置いておくことになりそうです。管理できないので、荒らされると困るのですが、仕方ないか。。。)


どうか元気でいて下さい。これまでホントにありがとうね。

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中国餃子の事件

「中国製餃子の事件」について、以前の上司からコメントが届いた。下記のように転載する。

qisensun君

元気でご活躍していると思うが、このようなニュースを見ると、いつも考え込むqisensun君は、また眠れなくなるじゃないの?!

今回の中国餃子事件は、単なる農薬による食中毒事件でないことは、ほぼ明らかだ。実に不思議な事件で、次の2点で常識から外れている。


1. 中国野菜が危ないという非常識

日本の食卓は中国野菜抜きには成り立たない状態が10年近く続いている。もし、餃子に含まれた野菜に農薬が残っていたために中毒になったとするなら、もっと以前に大量の中毒症状を訴える人が大勢出たはずだ。


2. 事件の発生が不自然で、ニュースの展開も不自然

ニュースになっている中毒の発生現場は3つある。そのうちの2つは千葉県で、一つが市川市で起きた。1月22日にCO・OPの冷凍食品「手作り餃子40個入り」を一家5人が食べたところ、全員が中毒症状を訴え、そのうち5歳になる女の子が一時重体となった。

千葉県のもう一つの現場は千葉市稲毛区で去年の12月28日に購入したやはりCO・OPの冷凍食品「手作り餃子」を食べた母親と女の子が嘔吐と下痢の症状を起こした。購入したその日に食べたようだ。

もう一つは兵庫県の高砂市で、1月5日にやはりCO・OPの冷凍食品「中華deごちそう ひとくち餃子」(20個入り)を食べた夫婦と息子が同様に発症し、10日間から2週間入院した。(以上1月30日16:06と17:30のMSN産経ニュース及び1月31日付日経新聞、同読売新聞記事よりまとめた)

千葉県警と兵庫県警ではそれぞれ餃子を鑑定したところ、有機リン系薬物「メタミドホス」が検出された。これらCO・OPの冷凍食品は商社の「双日食品」が中国の食品工場に発注し、「ジェイティフーズ」が輸入したもの。その生産工場が同一で、しかも生産単位番号も同一だったことから、このバラバラに起きた食中毒が一つの事件となって警察から発表になった。

この時点の報道では、千葉県警では餃子から「メタミドホス」が検出されたとし、兵庫県警では餃子のパッケージから「メタミドホス」が検出されたとなっていた。ともに包装に穴が開けられた形跡がないとしていた。(同産経ニュース)。

ところが、本日(2月1日)13:23のMSN産経ニュースでは兵庫県警の科学捜査研究所がさらに詳しく調べたら、31日夜に餃子のパッケージに長さ約3ミリの穴と、トレーにも約1ミリの穴が見つかったというのだ。

さらに、同じ報道で、兵庫県の夫婦と息子で食べた20個入りの餃子は、食中毒を起こす前にもその息子がそこから5個を食べたが異常はなかったという。

一方、千葉市稲毛区で起きた餃子からは高濃度のメタミドホスが検出されたと、本日の夕刊で報道された。

3か所で起きた事件の一番最初は千葉市稲毛区の12月28日だ。次が高砂市の1月5日、次が市川市の1月22日。発生時期が違う食中毒があたかも一気に起きたように1月30日にニュースとなった。

ニュースとなった時点で、そういえば自分もおかしかったと全国で400件以上の通報が新聞社などにあった。あっという間にジェイティフーズが輸入した先で作られた冷凍食品全部がスーパーの店頭から姿を消し、その翌日には被害件数がさらに伸び、スーパーからは作られた工場の品だけでなく、中国製の冷凍食品がどんどん店頭から引き揚げられた。

どんどん姿を変えるニュースになっているが、この手のニュースは第一報が正確だったりすることが多い。鍵は、兵庫県の中毒では餃子本体ではなくパッケージにメタミドホスが発見された点、千葉県の中毒では餃子本体から検出されたことになっていた。これだけでは解明できないが、ここからわかることは2つ。

ひとつは、原因は中国野菜である可能性が低く、包装段階か出荷後にメタミドホスが混入された可能性が高いということ。

もう一つは、兵庫県警と千葉県警では早くから中毒の原因究明手法が違っていたということ。兵庫県警はメタミドホスの注入を問題視し、千葉県警は食品中毒を問題視した可能性が高い。両県警で見方が分かれていたために長いことニュースにならなかったのではないか。恐らく、そのままニュースにならなかったことも十分考えられる。それなのにニュースになったのはなぜなのか。この点はよく分からないのだ。兵庫県警が発表したのか、それとも県警を統括する警察庁がしたのか、はたまた保健所サイドからの情報で厚生労働省が動いたのか。

中国の生産工場に非難が集中しているが、どうしてそんなことがいえるのか、どうも中国バッシングが一番ニュースになるという観点でニュースが独り歩きしている感は否めない。

日本でひとつの食品をマーケットの軌道に乗せるには大変な努力と資金が必要だ。今回の中国餃子も同様のはず。それが、一夜にしてマーケットから放り出され、さらに関係のない中国商品までもが追い出しを食らうというのだから日本のマーケットは異常と言える。

同時に、報道機関を操れば、日本全国を一夜にして塗り替えることができるという事を証明する出来事になった。この事件は意外な方向に進むのではないだろうか。

転載元転載元: 友情の架け橋

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「闇金ウシジマくん」7巻から9巻、「宇津井シリーズ」は救いがあるのだった。

35歳フリーター宇津井優一はパチスロにはまって借金を重ねる。

実家に居候しているのに、母親を「ババァ」と呼び、時に家庭内暴力。

母親は早期退職した「無計画」な夫と無気力な息子との生活に将来の不安を感じ、内緒で株に手を出したことから闇金のカモになる。

母親の借金から宇津井家は持ち家を失うことになり、公団に移った両親にも拒絶され、優一はホームレスに転落する。

ここで宇津井は非行少年のホームレス狩に遭い、死んだかのように見える。

しかし宇津井はこの死の淵から這い上がり、更生するのだ。

「こんなオレでも雇ってくれる人手不足の介護の現場」に就き、訪問介護先の老人たちに慕われる存在となる。

おばあさんにもらった鶏肉で、貧しい公団で鍋を囲む宇津井家は幸せそうである。

自己破産した上、ウシジマの「慈悲」で月々5万円づつ一年間払えば借金がチャラになるという光明もあってのことだ。

「宇津井はなおひどい貧困の中にいるだろう!」という指摘も読んだ。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/ushijima9.html

ワーキングプアの問題が宇津井シリーズのラストで解決されたとは思わない。



それでも、宇津井の物語からは、人がこの社会でまっとうに幸せに生きていくとはどういうことなのかを考えさせられるのだ。(「まっとう」とか言うと途端に反発するヒトもいそうだけど。)

「まっとう」という言い方が気に入らないなら「しあわせ」でもいいけど、

しあわせになるために必要なのは、金でも能力でもポストでもないと思うのだ。

宇津井はたしかにカネがなくて、闇金に追われて「不幸」になったかのようだけど、

彼の不幸せは、まず第一に母親を「ババア」と呼んだ時点から始まったと思う。

親に寄生しているクセに、親を軽蔑している。

同じように派遣先の上司も同僚もすれ違う通行人も、すべての他者を宇津井は尊大に見下ろしている。

「この宇津井様がな、」と。

宇津井がパチスロと闇金にハマっていくのは、「他者」が存在しないためである。(「他者」を黙殺しているためである。)

他者は私たちの自由を制限するものとして現れ、私たちに限界を知らせる者として存在する。

それは不愉快なことにはちがいないが、この不愉快を引き受けることなしに、大人になっていくことはできないのだ。

宇津井を「ホームレス狩り」する非行少年は、そういう意味で宇津井の過去の姿であり、非行少年たちの行く末は彼らが痛めつけているホームレスの宇津井である。

非行少年たちはホームレスの宇津井を「存在しない者」にしようとするけれども、もし宇津井という他者をしっかり見つめるならば、自分たち自身の現在の立ち位置を認識させられたことだろう。

そこに「不幸」から「しあわせ」への扉があったはずなのだ。

尊大な者は他者の存在を認めない。

他者の存在を認めない者は、他者を鏡にして自分の立ち位置を知ることができない。

(今日は何だか説教くさい記事になってしまったけど、「ババア」なんて呼んじゃいけない。)

「闇金ウシジマくん」にはさまざまな不幸な人々が描かれているけれど、

彼らの共通点は「他者への想像力を持たない」ということだと思う。

「思いやり」とまでは言わない。「想像力」である。

風俗嬢に騙されたストーカー男にウシジマは言う。

「相手を思いやる想像力がねェーから、テメェーは風俗嬢に騙されンだ!!」

たしかに「思いやり」とは「相手の立場に立って考える」ことだけれど、

「相手の立場に立って考える」ことが、「相手の腑に落ちない言動」を見抜く洞察力にもつながる。



他者は時に「うざい」ものだけど、存在論的に有難いものなのかもしれないのだ。いや、きっと。

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