キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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朝、駅のキオスクで買った新聞でこのニュースを知り、これは今日帰ったらブログ記事書こう、と朝思ったんだけど、生徒の「不道徳」的な行為を叱りつけ、ブータレたのをまた叱りつけ、落書きを消させ、なんてやってそのあと一仕事してたら、こんな時間になってしまったわ(笑)。

教科化、見送られてよかったんじゃないですか。東京新聞は次のように解説している。

現在、専門部会では、道徳の時間の指導が形式化して実効性が上がっていないことや、上の学年になるほど児童生徒の受け止めが良くないことなどが問題点として指摘されている。そのため、小・中学校では成長に合わせて道徳の目標を設けることや、高校でもホームルーム活動の中などで人間の生き方について議論するといった改善の方向性が示されている。

解説
…「上から押し付けても効果は上がらない」(中教審幹部)と疑問の声があがった。…今の子どもたちの複雑な人間関係のありようは、ときにいじめという形で顕在化する。地域や家庭の教育力低下が指摘される中、学校の限られた時間、環境の中でどう心をはぐくんでいくかは、大きな課題だ。しかし「一面的なものさしを押しつけても子どもは面従腹背になるだけ」という現場の教員の声も重い。

で、この記事を読んだあと、放課後、部室の壁に3年生の生徒がラクガキしたわけ。「ラクガキ」くらい不道徳じゃないじゃん、って思うでしょ?でもね、今日はさんざん自分勝手をやってきた3年生だけど、それでもいちおうお世話になったんだから感謝をこめて送りなさい、ということで下級生はおこづかいからお花を買って、3年生にごあいさつして、「引退」を惜しんだワケ。で、部室にフックをつけたいという下級生部員の要望で、技術員さん(用務員さん)がわざわざ来てくれて、フックをとりつけてくれるのを見たあと、マジックでラクガキしたワケ。このシチュエーションでのラクガキが私はゆるせなかった。

「たった今、技術員さんがフックをとりつけてくれるのを見たでしょ?!あなたたちがラクガキしてここを出て行ったら、あの技術員さんがわざわざ消さなくちゃならないハメになるのよ。他人の労働をなんだと思ってるの?!この校舎はね、大人が税金払って建てたのよ。生活が苦しい大人もムリして税金出して、それで建てた校舎にラクガキするんじゃない!」


そして自分たちで消させるよう、薬品を取りにこさせた。その途中でまた彼女らはブータレた。「消せばいいでしょ、消せば!この薬品でかんたんに消せるよ。」…「バカ!カンタンになんか消せないのよ。いい?今日は部活の引退の日だったのよ。3年生が下級生にバトンを渡して、これまでの責任を受け渡す日だったんだよ。その場でラクガキしたってことは消せないんだよ、下級生の心にずっと残るんだよ。」


この部活の3年生はワガママだ。部室に置いてある誰かが買った小さな扇風機は首が回るのに、彼女はひとりで風を自分の方にむけ、独占している。たとえ彼女自身が買ったとしても、どんなもんだろうか。1年生にケリを入れ、ニラミをきかせる。対外行事の待ち合わせに30分以上遅れてきても謝らない。


さて、彼女に「道徳」の授業で、「思いやりの大切さ」なんてお話をプリントにして配って、クラスで読んだり、話し合ったり、感想を書かせたら、彼女は「ハっとする」のだろうか。「今まで自分はなんと自分勝手で思いやりがなかったんだろう」と「気づく」のだろうか。


ありえない。。。100パーセントありえない。。。


昨日は学納金未納者に督促状を渡した。学納金(未払い者続出で話題の給食費もこの学納金の一種だ)の未納は、貧困家庭ばかりではない。子供にピアノを習わせている親、高級住宅街で結構な一戸建て住宅に住んでいる親が、貧しい公立中学校のささやかな学納金を収めないのである。子供もワガママで自分勝手だ。



道徳の授業ですか。。。


道徳の授業ですか。。。。


道徳の授業ですか。。。。。。

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敬老の日である。「老人を敬う」日である。「たいせつにする」のでも「いたわる」のでもなく「敬う」のである。これはなかなか現代の日本人にとって、むずかしいことなのではないだろうか。

自分の孫でもない若輩者から「おじいちゃん」「おばあちゃん」とよばれたらどんな気持ちがするだろうかと考える。私は自分が老人になったとき、知らない若い人から「おばあちゃん」と話しかけられたくはない。だから年配者を自分が「おじいちゃん」「おばあちゃん」とよぶことにも抵抗がある。「おじいさん」「おばあさん」ならまだしも、自分よりはるか年上の先輩を「ちゃん」づけで呼ぶことには抵抗があるのである。たしかに「ちゃん」は親しみの表現である。「おばちゃん、これちょうだい」なんて子供が駄菓子屋のおかみさんに話しかけたりする。しかし親しみの表現だからこそ、よく知らない他人から「ちゃん」づけでよばれることには、「無礼」と感じるのである。若い人だって実はそれを知らないわけではないだろう。生徒はたまにイヤガラセのつもりで私を「おばチャン」と呼ぶ。

「おばあちゃん」と呼ばれて、ニコニコ温厚な笑顔を浮かべてフレンドリーに受け答えできるほど私は可愛い「おばあちゃん」になれそうにない。老人になったら可愛くならなければならない…これはこれまで「可愛い」路線から大幅にハズれて生きてきた私にとってはきっと至極むずかしいことである。これまでやってこなかったことを、タダでさえ順応性が弱くなっている老齢になってから身につけるというのは、「70歳を過ぎてからデングリ返しをマスターする」よりむずかしいことのような気がする。


「おばあちゃん」でないならば、自分が年取ったとき一体なんと呼ばれたいのか。
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朝の連続ドラマ『ちゅらさん』でみたような、「おばあ」なんて呼ばれ方は悪くないなと思う。『ちゅらさん』は沖縄の話で、「おばあ」もそれなりに可愛い老女なのだけれど、原始信仰が息づく沖縄の「おばあ」には巫女的要素もあって、電話がかかってくる数秒前にそれを予知したり、と不思議な力を持っている。老人はもともとこういう不思議な力と「知恵」とで敬われてきた存在だった。「もともと」っていきなり何千年もワープするけど、洞窟の中とかで火を焚いて、焚き火の周りに大人から子供まで集まり、「長老」の語る物語に耳を澄まし、心躍らせた、なんて光景が思い浮かぶのである。文字が発明される以前は、人間は聞き落とすまいと人の話をよく聴いたように思うし、文字に書き写して空間を持ち運びすることができないから、「知恵」は老人の身体に抜きがたく結びつき、老人は「知恵」の体現者だった。


「文字の発明」の話からさらに、技術は人間を幸せにしたかどうか考えるワケだけど、こと老人問題に関しては、トータルにいえばプラスよりマイナスのほうが大きかったような気がする。もちろん医療技術が発達したから寿命はここまで延びたわけだけど、それが「幸せ」をもたらしたかどうかは別問題である。短い間だったけど、姑を看取るまで介護して、老人は延命治療で何年でも生きながらえさせることができることを知った。姑は結局「老衰」で亡くなった。それまで「老衰」というのもどういう意味なのだかよくわかっていなかったのだけれど、どこか病気というわけでもないのに身体機能そのものが老いて衰え、食べ物や飲み物を呑み込む力、下腹をいきんで排泄をする力、など私たちが「力」とも特に考えていないような「力」さえ弱くなって死んでしまうことである。胃に入れるべき飲み物が誤って肺に入って肺炎を起こしてしまったり、うんこが自力ででなくて苦しかったり、気管支が細くなって呼吸が困難になったりする。現代医療はこの「老衰」した身体機能を機械で代替させることができる。たとえば飲食物を呑み込むことができなくなった場合、胃に孔を開けて、食べ物を人工の管から胃に直接(口と食道をとおさず)送り込むのである。そのようにしてでも生きていてほしいと願う近親者の情愛を軽視することはできないけれど、自分自身の将来を考えたとき、このような状態で生きながらえるのはイヤだ。姑を看取ったあと、私は「尊厳死協会」に問い合わせて書類を取り寄せ、自分が危篤状態に陥ったとき「延命治療をしないように」という生前遺書(リヴィング・ウィル)を書いた。


「老いる」ことを尊いこととしてみつめられない私。姑は最期のひと月を除いて自宅で介護したけれど、たいせつに心をこめて介護したとは言いがたい。私自身、日々ストレスと戦い、バランスを取ることで精一杯だったのだ。老人を大切にし敬う社会は、若い人たちにとっても幸せな社会なのだろうとは思う。なぜなら「老い」は若い人たち全てにとって「未来」であるから。「未来への希望」=「老いの意味」を根付かせた社会は、貧しくても幸せな社会だと思う。「知恵」が「知識」に代わり、「知識」が「情報」に取って代わられた社会で、私たちは年齢を重ねることの意味をどうしたら再び手にすることができるのだろうか。

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女とユーモア

佐藤愛子がこんなことを書いている。
まことに女とは常に一生けんめい、一心不乱、必死のもので、そこに女のユーモアが生まれる。つまり、女はマジメゆえにユーモラスになるのであって、それゆえしばしば女はユーモアを解する人ではなく、ユーモアの題材となるのである。

女が題材となったユーモアの例。
年老いた男性が、死の床に横たわっていた。
余命数時間しかない彼は、突然、チョコレートクッキーの匂いに気付いた。
彼は、チョコレートクッキーがこの世の何よりも好きだった。
最後の力を振りしぼり、ベッドから出て、部屋を横切り階段まで向かった。
そして階段を下り、台所の中へ入っていった。
そこでは、彼の妻がチョコレートクッキーを焼いていた。
つまみ食いをしようと手を伸ばすと、妻が手にした木製スプーンで手の甲をピシャっと叩かれた。
「取っちゃダメよ!」彼女は言った。「葬式用なんだから!」


女はユーモアの題材となる(ただし男にかなりの度量とゆとりがある場合のみ、である)が、女自身にユーモアはあまりない(場合が多い)。また女にユーモアは求められてもいない。有名人でも一般人でも時折「おもしろいことを言う女」はいるが、女が「おもしろいことを言う」のは、「女を降りる」危険性を孕んでいる。『だめんずうぉーかー』の人気漫画家倉田真由美(くらたま)は、「オトコにモテるためには、おもしろい女になってはいけない」と書いている。だから「面白系」のタレントやエッセイストは、「女を降りた」こと、「モテないこと」を笑いのネタにし、同性の笑いを集めるのである。面白いことを言う女は、同性にとってもはや「ライバル」ではなく、ジェラシーを感じないですむ安心感があり、好感度がアップする。

一方、「面白いことを言う男」は女性にモテモテである。面白いことを言って女を笑わせることさえできればイケメンでなくても、藤原の紀香とだって結婚できるのである。だから女にモテるためにユーモアのセンスを磨け!なんていう講座まである。逆はない。

これは温暖化で南極の氷河が解けるようにいつのまにか消滅したジェンダー差別のさいごの関門ではないノカ。「知的な女」「高学歴の女」がかつてはタブーだったけど、竹下景子とか紺野美佐子とかが「お嫁さんにしたい女優NO.1」になってからは、それもタブーじゃなくなった。高学歴の女は高学歴の男と結婚し、「格差社会」の「強者連合」を構成して、キャリアと家庭を両立させて子供を私立に行かせたりする。男の側が高学歴じゃなくても、成功してしまえば学歴なんてカンケイないので、スポーツ選手が女子アナと結婚したりする。

しかし「面白い女」はタブーである。たまに大竹しのぶみたいに面白い女が明石家さんまとカップルになったりするが、離婚してしまった。陣内智則が面白いことを言ったとき、藤原紀香はすかさずツッコミで切り返したりせず、「ハハハ」とか「フフフ」トカただ笑い転げているんだろう。面白いことを言う男も女にそういう反応を求めているのであって、自分がせっかく入れたツッコミにツッコミ返してくれないから物足りないとかは間違っても思ってない気がする。

では「面白い女」を引き受けるのはどういう男なのか。女がジョークをかまして男が「ははは」とタダ笑い転げている、というカップルを想像してみるが、あんまり(ぜんぜん)回りには実例が見当たらない。笑いは笑わせられる人の姿勢を崩し、無防備にしてしまう。男は女によって姿勢を崩され、無防備にされるのを好まないのではないか。

疲れた一週間の週末は、やさしい静かな微笑みをたたえながら、ベタベタせず、自分にも相手にも距離を置き、ちょっぴり皮肉のまじったユーモアをさらりと話す同性の友人とすごしたい気がする。

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安部首相はどうしてこのタイミングで突然辞任してしまったのか。色々憶測が飛び交っている。まず、ブッシュが北朝鮮との国交正常化をねらっていて、「拉致問題解決」を目玉にしていた安部首相はハシゴをはずされた格好になってしまった、という説。「朝鮮戦争終結」はホラではないのかも。http://www.zakzak.co.jp/top/2007_09/t2007091302.html

もう一つの噂。15日発刊予定の『週刊現代』で、安部首相の脱税疑惑がスクープされるということ。これは上のネット記事および本日のThe Japan Timesに掲載されている。相続税3億円の脱税を暴露する。永田町の政治家の間ではこのウワサでもちきりだとか。確かに現役首相の大金脱税容疑がスクープされたら、すべての議案がふっとんで、国会は審議ストップになってしまう。

『週刊現代』は売り切れ必至だろう。しばらくは日本列島はこの話題で持ちきりなのだろう。けれど、10月1日から郵便料金が値上がりすることを知っていますか。http://blogs.yahoo.co.jp/ff6988m/49024566.html#49024566

「安部退陣の真意」の影に隠れて、郵政民営化の真意が少しづつ姿を現している。郵政民営化はアメリカ資本の要請。簡保の莫大な金が外資に流れる。その上での郵便料金値上げ。ワーキングプアを作り出したのは、小泉流構造改革であり、企業からの27億円もの政治献金、さらに外資からの献金をもよしとしたのは、小泉政権だった。http://blogs.yahoo.co.jp/starstory60/25312986.html

山口百恵のように人気の絶頂でスパっと辞め、今なお安部首相と比較されて持ち上げられてる小泉前首相。小泉のやろうとしたことはなんだったのか、それは今どう進行中なのか、ブッシュのこれからやろうとしていることと合わせて、注意していかなければ、と思う。

安部サンはこれほど叩かれてブザマな姿をさらしたのに、小泉氏はどうして愛されたのか。安部と小泉では何がそんなにちがうのか。営業成績トップのセールスマンとビリのセールスマンでも売っている商品はおんなじだけど、安部さんの売ろうとしたものと、小泉さんの売ろうとしたものはそんなにちがうのだろーか。「ポスト・アベ」は何を売ろうとするのだろうか。


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安部首相辞任

安部首相退陣表明演説→全文はこちらhttp://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070912/shs070912013.htm


テロとの戦いを継続することは極めて重要で私の約束でもあり、国際公約でもある。それを果たしていく上で、私が辞することで局面を転換する方がむしろ良いだろうと判断した。

 −−首相の辞任が、どうして自衛隊活動の継続につながるのか

 何としても改革を進めていかなければいけないとの思いで全力を尽くしてきたが、残念ながら、私が首相であることによって、野党の党首との話し合いも難しい状況が生まれている。今の状況の中では新しいエネルギーを生み出し、そのエネルギーで状況を打開し、場合によっては新法を新しいリーダーの下で推し進めていく方がいいのではないかと考えた。

 −−首相自ら国際公約と言いながら途中で投げ出すのは、無責任という批判を免れないのでは

 もちろん私もそのために全力を尽くさなければならないと考えている。その中で、この約束を果たしていく上でどういう環境をつくっていくかということを考えていた。私が職を辞した方が、そうした環境ができるのではないだろうかと。私がいることによって、残念ながら成立にマイナスになっていくと判断した。

私は安部が辞任しようが、麻生が後を引き継ごうが、そんなことはどうでもいいことなのです。問題はテロ特措法延長を阻止できるかどうか、アメリカのイラク撤退を促せるかどうか、死んだふりをしている共謀罪の息の根を止められるかどうかです。

安部辞任によって、テロ特措法延長の「環境ができる」のだとしたら、喜んでなどいられない。フンドシを締めなおしましょう!(あらっ私は何を締めなおしたらいいのかしら。。。冗談を言っている場合ではありません。)

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