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戦地から帰還した達彦は、人が変わってしまったよう。達彦の心を開こうと桜子が二人の思い出のジャズを弾くと、達彦はピアノの蓋をバタンと閉め、言います。 「やめてくれ、そういう音楽は聴きたくないんだ。明るくて騒がしくて、耳障りなその音が嫌なんだ。」「自分たちが何をしたかも忘れて、何をされたかも忘れて、なんでそんな浮かれてられるんだ。こんな世の中をつくるために俺たちは戦ってきたのか。何人も人を殺して、死なせたくない仲間を何人も死なせてきたのか。半年前まであった地獄をみんな綺麗さっぱり忘れとるじゃないか。君もそうだ。なんで笑っていられるのか。ジャズなんて弾いていられるのか。」 激戦地で本隊に見捨てられ、前線で孤立した部隊の塹壕の中で、重傷を負って動けない仲間を残して退却したことを、達彦は忘れられないでいたのです。 録画の「きらり」を一緒に見ていた夫がこのシーンでポツリと言いました。「政治家もこのくらい繊細だったらなあ。」 夫よ、アンタはたまにスルドイことを言う。 達彦のこの問いに対してどう答えたらいいのでしょうか。桜子はまっすぐな思いで答えようとします。「生きてるからだよ。生きてる人間は絶望なんかしとられん。達彦さんといっしょに幸せになりたいからだよ。」一緒に生きていきたい、という桜子のまっすぐな思いが達彦の苦悩を抱えていくだろうということはわかります。人を救うのはやはり人だから。けれどこの「答え」自体はやはり達彦への答えになっていないのだと思います。夫が「政治家は繊細じゃない」と言ったことの意味。繊細じゃない政治家は、苦しむ人間の問いにたいして、もっともらしい答えをお手軽に与えます。「君たちが戦ってくれたおかげで、今の平和があるんだ。」そうして靖国神社に「英霊」をうやうやしく祀ることで、死者の魂を慰めた気になっている。私はこういうお手軽な「答え」が嫌いです。憎んでいる、とさえ言ってもいいかもしれません。だからキリスト教も含め、ある種の宗教が嫌いです。語りえぬものについては口を閉ざせ。重い問いについて、同じだけの重みを持った言葉で答えられないのであれば、答えるかわりに自分もその問いを抱えて黙って生きよ。「なぜなのですか。なぜ彼らは酷い死を死なねばならなかったのですか。なぜ私は人を殺さねばならなかったのですか。」…「日本の自衛のために」などという答えをもっともらしく簡単に与えて慰藉し、今また同じ目的のために「戦争のできる国」を作り上げようとしている政治家を、私は(夫が言ったように)繊細さのかけらも持ち合わせていない、鈍感で厚顔な人間たちだと思います。 達彦の心につかえた鉛を吐き出させたい桜子は、達彦が見捨てたという戦友の姉に会いに行こうと達彦を誘います。遺品を渡しながら達彦が「申し訳ありませんでした。どうかおゆるし下さい」と言うと、戦友の姉である人が言います。「ゆるしません。ゆるしてしまったら弟が浮かばれないからです。この戦争を私はゆるさないことに決めたんです。この戦争がよいこと、正しいことだ、戦うべき価値があるんだと弟を奮い立たせて戦場へ送り込んだ人たちのことも、それを止めなかった自分も。ですから、あなたのこともゆるしません。」 A級戦犯でさえゆるしてしまう日本人は、この朝ドラの台詞にどう感じたでしょうか。ゆるすということは美しいことのように思われています。達彦はゆるしてあげてもいいように思います。A級戦犯だってやむなき事情の人もいたんだろうし、ゆるしてあげてもいいように思います。けれど、そうして戦争そのものも、いつのまにかゆるしてしまっているのではないでしょうか。人をゆるし、戦争そのものさえゆるしてしまった日本人には、ゆるしてくれない中国人や韓国人が不寛容であり、いつまでも敵対的であるように感じられます。 「ゆるします、けれど忘れません」…この言葉を語った人の思いを受けとめて生きていたら、達彦たちの答えられない問いを私たちも黙って抱えて生きていたら、今の日本の隣国との関係も、日本の踏み出そうとしている方向も、全くちがったものになっていたような気がしてなりません。 (※上の画像は季節はずれだけど白梅。「寒さをしのぶ痛みを分け合うことによって始めに友になり、雪の中でいち早く春を告げます」… 達彦の心の重荷を分け合っていこうとする桜子)
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