| 山田昌弘の『希望格差社会〜「負け組」の絶望感が日本を引き裂く〜』という本を読んだ。背表紙の本書紹介文から。 |
フリーター、ニート、使い捨ての労働者たち-----。職業・家庭・教育のすべてが不安定化しているリスク社会日本で、勝ち組と負け組の格差は救いようなく拡大し、「努力したところで報われない」と感じた人々から希望が消滅していく。将来に希望が持てる人と将来に絶望している人が分裂する「希望格差社会」を克明に描き出し、「格差社会」論の火付け役となった話題書、待望の文庫化。
| この本は勉強もせずバンドに夢中で、バンドでOA入試にもぐりこもうとしている甥に贈ってあげようと思っている(笑)。「ネット難民」という言葉も「ワーキングプア」という言葉もなかった10年前、「フリーター」は若者の自由な選択肢の一つだった。「このまま意味もなくダラダラ学校に通っていてもしょうがないから、学校を辞めて働こうかと思ってる。社会に出て苦労したら、何かつかめるかもしれない。」そう相談してきた担任の女子生徒に、「今学校をやめて働いたって別に『苦労』なんてしないのよ。若い子のアルバイト先はたくさんあるし、親元にいりゃ生活費もかからないから楽しく遊んで暮らせるわ。責任もないから仕事はきつくもないしね。『苦労』するのは35才を過ぎてからよ。それまでフリーターをやってたら、そこから先働き口はガクっと減るの。バイト口さえ見つからなくなるわ。」 |
| 彼女は退学を思いとどまった。オトナに相談してよかったと生まれて初めて思った、と後から感謝された。実際に高校を退学してフリーターになるという生徒はいなかったが、専門学校進学や特に目的のない語学留学などで「一時避難」する「フリーター予備軍」は大勢いた。大学乱立と少子化で、大学入試はえらく易しくなった。入学試験を受けず、推薦状か小論文だけで入れる「OA入試」など、オプションも広がった。専門学校、各種学校もバラエティに富んでいる。声優を養成する専門学校、音楽関係の専門学校。。。語学留学だってお金さえ出せば誰だって可能だ。オープン・スクールに出席すれば、志願者獲得に躍起になっている大学関係者がチヤホヤ迎えてくれる。中学・高校では「個性の尊重」、「自分探し」が奨励され、「誰でも輝くものを持っているのだから、自分の個性をみつけ、なりたい職業をめざすように」と教えられる。 |
| そして20代後半、30代になった彼らの置かれた状況をみるにつけ、宮沢賢治の童話、『注文の多い料理店』を思い出してしまうのだ。山奥に迷い込んだ二人の男が、そんなところにあるはずもない立派なレストランをみつける。玄関のガラスの引き戸には、金文字でこう書いてある。 |
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」
二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走(ちそう)するんだぜ。」
| 引き戸を開けて中へ入ると、引き戸の裏側には、やはり金文字でこう書いてある。 |
「ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします」
| しかしレストランはどこまで行ってもなかなかテーブルにはたどり着かず、たくさんの扉があって、その扉にいちいち色々なことが書かれてある。髪をとかせ、とか着物の泥を落とせとか、鉄砲を置けとか、メガネを外せ、とか顔や手足にクリームを塗れ、とか。 |
| さいごの扉を開けると、扉の裏側にこう書かれている。 |
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん
よくもみ込んでください。」
| このときになって初めて男たちは気がつく。「注文の多い料理店」というのは、自分たちが料理店に注文するのではなく、料理店が自分たちへ注文してくるのだ、ということに。そして自分たちが料理を食べるのではなく、料理店の方が自分たちを殺して食べてしまうのだということに。 |
| 『希望格差社会』は、若者たちの現実認識の甘さだけを批判しているわけではない。「夢」にすがるのは、「夢」しかないからだ、背景にはあるコースに沿ってコツコツ努力していれば報われるという希望が社会から失われているという現実があり、経済構造の変化が若者の意識に反映されているのだ、と説く。こつこつ努力して大学に入っても就職できるとはかぎらず、就職できたとしても倒産したりリストラされたりするかもしれない。努力が報われないリスクの大きい社会にあっては、若者たちは努力を厭い、自分の人生自体を「運任せ」に、ギャンブル化してしまうのだという。(甥のことだ。。。) |
| 『Always 三丁目の夕日』に描かれた昭和30年代は、今ほど豊かではなかったが、普通の庶民が普通にこつこつ働けばむくわれる、必ず生活が豊かになるという時代だった。そういえば「花の係長」というマンガがあった。うだつがあがらないサラリーマンでも、係長にはなれた。そして「花の係長」は、そこそこ満足しており、「幸せ」で、リストラされずに定年まで勤め上げられたのである。 |
| 経済のグローバル化で、企業の海外移転が進んでいる。昨年まで私は自動車産業のブルーカラーに英語を教えていたが、彼らが英語を学ばされる目的はなんなのだろうと疑っていた。彼らが今やっている部品の組み立てなどの仕事を外国人労働者に肩代わりさせるためではないのか。英語を使って外国人労働者に適切に指示の出せる「優秀な」技術者を選別し、その他大勢はすべて解雇するつもりではないのか、と疑った。『希望格差社会』の著者は、グローバル競争に勝ち抜くため、企業は海外移転、正社員の派遣への置き換えなどで、「中核的正社員」を将来、全体の1,2割にまで減らすだろうとみている。 |
| さて、ではどうしたらいいのか。著者は最後の章で論じてはいるが、本全体のインパクトに比べてあまりパッとしない。「農業再生」という案を私は考えるのだけれど。農業をやりたい若者はいる。使い捨ての労働者として一生を終えるより、どんなにか生きがいの持てる仕事だろうか。放棄された農地の有効利用は、日本の食糧自給率の向上のためにも、環境保護のためにもいいはずだ。若者が農業で生計を支えられるような施策をどうして政府は打ち出さないのか。 |
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