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佐藤愛子がこんなことを書いている。 まことに女とは常に一生けんめい、一心不乱、必死のもので、そこに女のユーモアが生まれる。つまり、女はマジメゆえにユーモラスになるのであって、それゆえしばしば女はユーモアを解する人ではなく、ユーモアの題材となるのである。
女が題材となったユーモアの例。 年老いた男性が、死の床に横たわっていた。
余命数時間しかない彼は、突然、チョコレートクッキーの匂いに気付いた。 彼は、チョコレートクッキーがこの世の何よりも好きだった。 最後の力を振りしぼり、ベッドから出て、部屋を横切り階段まで向かった。 そして階段を下り、台所の中へ入っていった。 そこでは、彼の妻がチョコレートクッキーを焼いていた。 つまみ食いをしようと手を伸ばすと、妻が手にした木製スプーンで手の甲をピシャっと叩かれた。 「取っちゃダメよ!」彼女は言った。「葬式用なんだから!」 女はユーモアの題材となる(ただし男にかなりの度量とゆとりがある場合のみ、である)が、女自身にユーモアはあまりない(場合が多い)。また女にユーモアは求められてもいない。有名人でも一般人でも時折「おもしろいことを言う女」はいるが、女が「おもしろいことを言う」のは、「女を降りる」危険性を孕んでいる。『だめんずうぉーかー』の人気漫画家倉田真由美(くらたま)は、「オトコにモテるためには、おもしろい女になってはいけない」と書いている。だから「面白系」のタレントやエッセイストは、「女を降りた」こと、「モテないこと」を笑いのネタにし、同性の笑いを集めるのである。面白いことを言う女は、同性にとってもはや「ライバル」ではなく、ジェラシーを感じないですむ安心感があり、好感度がアップする。 一方、「面白いことを言う男」は女性にモテモテである。面白いことを言って女を笑わせることさえできればイケメンでなくても、藤原の紀香とだって結婚できるのである。だから女にモテるためにユーモアのセンスを磨け!なんていう講座まである。逆はない。 これは温暖化で南極の氷河が解けるようにいつのまにか消滅したジェンダー差別のさいごの関門ではないノカ。「知的な女」「高学歴の女」がかつてはタブーだったけど、竹下景子とか紺野美佐子とかが「お嫁さんにしたい女優NO.1」になってからは、それもタブーじゃなくなった。高学歴の女は高学歴の男と結婚し、「格差社会」の「強者連合」を構成して、キャリアと家庭を両立させて子供を私立に行かせたりする。男の側が高学歴じゃなくても、成功してしまえば学歴なんてカンケイないので、スポーツ選手が女子アナと結婚したりする。 しかし「面白い女」はタブーである。たまに大竹しのぶみたいに面白い女が明石家さんまとカップルになったりするが、離婚してしまった。陣内智則が面白いことを言ったとき、藤原紀香はすかさずツッコミで切り返したりせず、「ハハハ」とか「フフフ」トカただ笑い転げているんだろう。面白いことを言う男も女にそういう反応を求めているのであって、自分がせっかく入れたツッコミにツッコミ返してくれないから物足りないとかは間違っても思ってない気がする。 では「面白い女」を引き受けるのはどういう男なのか。女がジョークをかまして男が「ははは」とタダ笑い転げている、というカップルを想像してみるが、あんまり(ぜんぜん)回りには実例が見当たらない。笑いは笑わせられる人の姿勢を崩し、無防備にしてしまう。男は女によって姿勢を崩され、無防備にされるのを好まないのではないか。 疲れた一週間の週末は、やさしい静かな微笑みをたたえながら、ベタベタせず、自分にも相手にも距離を置き、ちょっぴり皮肉のまじったユーモアをさらりと話す同性の友人とすごしたい気がする。 |

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