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内田樹(うちだ たつる)は面白い。この人は団塊のしっぽの方の世代で、当時サヨクからもウヨクからも嫌われたらしい。わかる気がする。このところこの人の本を読みあさっていて、『下流志向〜学ばない子どもたち、働かない若者たち〜』、『14歳の子を持つ親たちへ』、『狼少年のパラドクス』につづき、『「おじさん」的思考』を読み始めた。 サヨクからもウヨクからも支持されないだろうな、ある意味わかりやすいんだけど、このわかりやすさって「わかりづらい」んだろうな、と思うような憲法9条擁護論を展開している。 改憲論者たちは9条を「空論」だという。だから、 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」を廃して、 「日本は陸海空軍を有し、自衛のため、国連安保理事会の議決にしたがって、武力を行使することができる」 というふうに変えようとしているけれど、 それって「人を殺さなければならない場合がある」 から「人を殺してもよい条件」をあらかじめ定めておきましょうよ、 というのとおんなじだ、とウチダは言ってる。 で、改憲論者は「現に戦争が行われており、自衛の必要がある」から「戦争は必要ならばしてもよい」と主張している。そして、「もしどこかの国が侵略してきたらどうするのだ」と脅し、憲法9条は「空論」だから戦力の行使を認めろ、という。 それは 刑法199条があるにもかかわらず、毎日のように日本では殺人事件が起きていて、つまり刑法199条は「空論」だから、市民は銃器で武装すべきだと主張するのと同じロジックだ、とウチダは言ってる。 彼らもそんな愚かな主張はしないだろう。 改憲論者だって、市民が全員武装することによって新たに生じる危難の方がいま起きている危難より多い、ということくらいは予測できるからである。 だからこそ刑法199条が「空論」でないのと同じように、憲法9条は「空論」ではない。 憲法9条は「戦争をさせないため」に制定されている。 なぜなら「人間はほうっておけば必ず戦争をする」からである。 ここから先は護憲派が同意しかねる部分かもしれない。 「武は不祥の器也」。これは老子の言葉である。 武力は、「それが汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば、「武力」ではない。ただの「暴力」である。 私は改憲論者より老子の方が知性において勝っていると考えている。それゆえ、その教えに従って、「正当性が認められていない」ことこそが自衛隊の正統性を担保するだろうと考えるのである。 自衛隊は「戦争ができない軍隊」である。この「戦争をしないはずの軍隊」が莫大な国家予算を費やして近代的な軍事力を備えることに国民があまり反対しないのは、憲法9条の「重し」が利いているからである。憲法9条の「封印」が自衛隊に「武の正統性」を保証しているからである。 改憲論者は憲法9条が自衛隊の正統性を傷つけていると主張している。 私はこの主張を退ける。逆に憲法9条こそが自衛隊の正統性を根拠づけていると私は考えている。 どうですか、このヒト。ウヨクからもサヨクからも嫌われるんだろうなあ、いまだに。
でもワタシ、キライじゃありません。。。 |

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