キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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「野生化の時代」さんからトラバをいただきました。http://zaki.seesaa.net/article/44129902.html?reload=2007-06-10T15:16:59
ZAKIさんは、共謀罪反対の国会前集会でよくお見かけしました。こういう元気なおじさん(あたしはオバサン)にがんばってもらいたい。保坂さんのように、市民と国会との架け橋となってくれることでしょう。


(転送歓迎)
28日に正式に9条ネットからの参院選全国比例区、立候補が報道機関に発表されました。

何しろ初めての選挙なので、選対の立ち上げと諸々の手続きや選挙カーやライブの準備などに忙殺され、更新が遅くなっちゃってごめんなさい。^^;
きのう、東京で決起ライブ&交歓会があり、大盛況。(近々動画もアップ)
本格的に活動が始まりました!
歌とビデオで盛り上がり、参院選に臨む決意を叫び上げ、支援の方達が交流しました。
今後、街宣予定の情報をその都度ブログにアップして行きます。
チラシ配り、選挙カーの運転、ネットで広げるなど、協力よろしくお願いたします!

ミレニアムシティーの小野さんがミクシーの応援コミュニティーを作ってくれました。
参加よろしくです!
      ↓
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2263265



     参院選に臨む決意表明     ZAKI


戦争推進法案群を次々と強行採決して行く政府与党の策動に対して、
今こそ国政に対し決起すべき時がやって来ました。
この先、共謀罪法案を通し、
国民がモノを言うことさえ出来ない状況に追い込もうとしています。
さらには金を貢ぐ大企業ばかり儲けさせ、庶民の正規雇用を奪い格差社会化を加速。
教育は改悪され、弱者、障害者切り捨て、儲け主義のための自然破壊は止まる所を知らない。
こんな政治が続けば、日本は、いや人類は確実に滅んで行くでしょう。
国民がこの惨状をリアルに認識すれば、許しておくわけがねえ!!

ミュージシャンとして、この10年の自給自足と自然循環法の実践を踏まえ、
このとんでもない現実をまだ知らない多くの人々に、歌と叫びで訴えかけて行きます!
今後、毎年数十兆という国債の借款が押し寄せて来ます。
すでに完全に破綻している財政が、顕在的に崩壊する可能性も高まっています。
財政破綻による激動と、食料、エネルギー危機にも備えておく必要があります。
その時は、自公政権を全員引責追放するチャンスでもあります!
国民がそれを乗り越えてゆくための道程もしっかり提示して行きたい。

日本国民の、いや世界中の生存権が奪われようとしている。
憲法9条は絶対に変えさせない!
与党の悪政をみんなの力でブッ止めてやりましょう!!



筋金入りのプレカリアートなので、選挙資金がありません。
投げ銭、カンパ、よろしくお願いします!

受付の口座番号
        
郵便振替口座番号  00120−4−704209
口座名義  ノザキマサトシ

銀行口座
りそな銀行(普通)540(茂原支店)1338647
口座名義  ノザキマサトシ 



             政策


・戦争放棄の憲法9条を守り、政府の戦争政策をブッ止める。

・奪われ続ける、若者達、社会的弱者、障害者の人権と生活を取り戻し、
男も女も、大人も子供も、みんなが分かち合い、助け合える社会への転換。

・国民の基本的人権を踏みにじり、言論を封殺する共謀罪の阻止。

・ハート To ハートの、人間性を育み、多様性を認め合える教育。

・財政破綻にともなう混乱、食料エネルギー危機を乗り越える備蓄政策。

・キューバを手本にした有機農、自然エネルギーへの国家的大転換を実現する。

・担い手がいなく壊滅状態の第1次産業の復興と、早急な食料、物資、エネルギーの
自給率アップ、

・自然暮らしを楽しむ自然循環生活への一人一人の転換を促進する政策。

・原発、核兵器の廃絶。


       ZAKI プロフィール

1963年、3月13日生まれの44才、札幌出身。
作曲、編曲家、プロデューサーとして、SMAPや
海外ではMEJAなど多くのアーティストの作品や、CM音楽を手掛ける。
現在は弾き語りを中心とした、半農半漁の自給自足シンガーソングライダー。
海や自然から受け取ったインスピレーションを歌い綴る。
奥さんと子供4人(23才、20才、高1、小4)の6人家族。

取るために与える、利己欲を扇動する資本主義的なギブ&テイクをやめ、
自分に出来ることを世の中に開放し、誰もが受け取れる。
    サーブ            安堵       レシーブ
(供給、仕える、誰もが受け取れる)       (喜び、感謝と共に受け取る) 
の生き方に目覚め、大道芸人や托鉢の僧侶と同じ、
ストリートの投げ銭スタイルで活動している。
現在、沖縄県石垣市の海近くに在住、有機栽培、投網漁などによる自給生活をしながら、
各地で音楽活動を続ける。

環境破壊、お金のための戦争による人類の行く末を憂い、
簡単に出来る自然循環、自給生活の大切さを伝えながら、
政府の戦争推進法案群を止めさせるために、共謀罪、教育基本法改悪、
そして憲法を改悪するための ”改憲手続法” を阻止するために
楽しくプロテストする歌を作り、国会や人の多い駅頭などでの大音量の街宣や、
講演ライブなどに全力を傾けている。
最近ではTV番組の”10万円で暮らせる田舎町”や”銭形金太郎”などに出演、全国に活動が紹介される。


自分に出来ることを世の中に開放し、貧富関係なく誰でも受け取れる。
大道芸人と同じストリートの投げ銭スタイルで生きています。
ギブ&テイクじゃない、”サーブ安堵レシーブ”って何??

        ↓
http://zaki.seesaa.net/article/12334220.html



無料配信している”へんな改憲手続法”の歌、
法案は通されたけど、3年の凍結期間に全国民が聞けば、
本番の国民投票ですごい効果が上がります!
下のURLをクリックで視聴、または右クリックして対象をファイルに保存でダウンロード出来ます!
(歌詞は下のログに書いてあります。)  
          ↓
http://zaki8.net/dl/kaiken-tetudukihou.mp3
または、
http://zaki8.us/dl/kaiken-tetudukihou.mp3
(1日の転送量制限で、それぞれのサーバーが約4000ダウンロードを超えると配信が止まりますが、翌日の配信が午後5時からまた始まります。)

草加耕助さんがこの歌にムービーを付けてくれました!
           ↓
http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?p=359

より広げるために、この曲をDLして自己サーバーから配信してくれるサイトを募集しています。
政府の悪行をまだ知らない人々に伝えて行きましょう!

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ペンテコステに寄せて

去る5月27日は、ペンテコステ(聖霊降臨祭=五旬祭)でした。遅ればせながら、その意味するところについて考えてみたいと思いました。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、

この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。

わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、

フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、

ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。

しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
                                                                (使徒言行録2章1節〜13節)



新約聖書中の上の箇所は、旧約聖書に出てくる有名な「バベルの塔」の出来事に対応しているように思われます。

世界中は同じ言葉を使って、

同じように話していた。

東の方から移動してきた人々は、   

シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。
 
石のかわりにれんがを、

しっくいの代わりに

アスファルトを用いた。

彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。

そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、

このようなことをし始めたのだ。

これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、

互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。

主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、

また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

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                                 (創世記11章1−9節)



「互いの言葉が聞き分けられない」ということを私たちはしばしば経験します。上の聖書の記述はいずれも、文字通り受け取れば、かつて世界共通の言語を話していた民族が、それぞれの言語に分化し、お互いに言葉を聞き分けられなくなったという出来事についての神話的な説明のようなのですが、私は、「同じ日本語を話していても、相手の意味するところが私には伝わらず、私の意味するところは相手には伝わらない」という経験について語ったものとして受け取るのです。私と相手とのあいだに起こるこのような「誤解」は悲しいものですが、どうしたら「誤解」を避け(あるいは乗り越え)、「相互理解」に到達できるのでしょうか。

わたしも最近、このような「誤解」を経験しました。相手を傷つけるつもりではなかったのに、「深く傷つけられた」と言われてしまいました。言葉を尽くして自分の言った意味について説明しましたが、どうしても伝わりませんでした。相手がどのような意味でわたしの言葉を受け取り、どうして傷ついたのかということは理解したように思いましたが、わたしの側のその理解も十分ではなかったのでしょうか。こんなとき、同じ日本語を使って話していても、自分と相手とのあいだに横たわる意味の深淵について考え込んでしまいます。

どうしたら「誤解」を乗り越え、相互理解に達することができるのか。心理学者の河合隼雄(この人は最近、文科省のブレーンのようになって、「?」なのですが、彼が以前書いた本は私は好きでした)は、「主観の共有」こそが、そこに至る道だと述べています。

ある高校生が来て、「うちのお母さんは鬼みたいな人です」というとき、それではお母さんに会ってどんな人か確かめようとはしないのである。私は、その人が「お母さんは鬼」と思っている主観の世界をできるかぎり共有しようとする。もっとも、これは危険きわまりない仕事である。だから、われわれは相手の主観の世界にできるかぎり入りこもうとしつつ、それに溺れてしまわないように訓練されているのだ。

なぜそんなことをするのだろう。ここで、私がその母親に会い、彼女が鬼でもなんでもなく、普通の女の人であると判断して、それをその高校生に伝えたとき、彼はどうするだろう。彼が私の意見に同意してくれることは、めったにないだろう。ものわかりの悪い先生だと思うくらいで、彼はおそらく私のところに来るのを止めてしまうだろう。

私が彼と主観を共有しようとしていることを知って、彼は来談を続けるだろう。そして、あえて主観の共有に踏み切った私と彼とが、話し合い、見直し、考え直しているうちに、主観の世界に見えていたものの様相が変わってくるから不思議なのである。それは、「たましい」への接近の道なのである。

「お母さんは鬼だ」と高校生が言ったとします。「君のお母さんに会ったけど、鬼じゃないよ。君のことを本当に心配して愛してくださっているんだよ」「もう、いいです!先生には僕の気持ちなんかわからないんだ!僕は毎日こんなにつらい思いをしているのに!」「お母さんだってつらいんだよ、なんでそのことをわかってあげようとしないんだ、君は自分の気持ちしか考えてないじゃないか」…想定される会話です。誤解、コミュニケーションの破綻はこのように、「善意」にもかかわらず起こります。

相手を理解しようとすることは、相手の主観を共有しようとすること、相手の生きているリアリティを共有しようとすることでしょう。そのことの重要性を知りつつ、現実に生きているなかでは、そのことの実践はなかなか難しいものがあります。なぜなら私も私自身のリアリティを生きており、そのリアリティを相手にもわかってもらいたいという欲求を抑えつけることはできないからです。「私にはあなたの言葉はこのようにしか受け取れないのだ」と言う相手のリアリティを推し量ることはできます。そのリアリティを支える痛みがあり、痛みと結びついた否定しがたい「現実感」があります。一方で私のリアリティにも、私の生きている状況と抜きがたく結びついた痛みや疲労といった身体感覚があります。河合隼雄のようなカウンセラーならともかく、現実に他者と向きあうとは、私自身のリアリティも背負いながら相手のリアリティとからみあう困難な作業なのです。

私と彼/彼女との言葉がお互いに通じ合わないのは、私たちがバベルの塔を建てようとしたからでしょうか。それではバベルの塔とはいったい何の比喩なのでしょうか。聖霊が降ったとき、人々は自分の国の言葉ではなく相手の故郷の言葉を語りはじめました。相手の故郷の言葉で、すなわち相手の現在を構成する経験に沈潜し、かくして誤解とディスコミュニケーションを乗り越え、たましいに届く言葉を語りはじめました。それは私自身の故郷=私自身の経験とリアリティを切り捨てないでもできることなのでしょうか。ペンテコステに寄せて、そのようなことを考えました。


 

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