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「ダメ教師にはやめていただく」って中川政調会長が言ったけど、中川の思惑は別として、「ダメ教師」っていうのはいるだろうと公立中学校の現場で格闘していると思う。自分が優秀な教師だと思ってゴーマンをかましているのでは間違ってもない。われながらずいぶん向かない仕事を日々していると思う。でも「この線を越えたらダメ教師だ」と思う一線はあって、それは途中で投げ出すこと、キレること、イジけること、感情に走ること、である。教師は最低限オトナでなくてはならない。子供に翻弄されて、キレたり、イジけたり、途中で投げ出したりしてはいけないのだ。
公立中学校の教育現場は、「なんでこんなこと一生懸命やらせるのかなあ」と思うことがいっぱいある。委員会活動、生徒会、学級会、部活。そうした仕事をキチンとやらせることで忙しくて、平和教育も人権教育も、文科省が必死になってる「道徳」さえもやるヒマがない。でも委員会活動一生懸命やっている生徒たちを見ていると、もともとナナメに構えがちなスターとしては、「なんでそんなことを一生懸命やる?世界にはもっと重要な問題があるのよ」なんて個人的には思うけど、「この子たちは市民社会で立派な労働者になるだろう」とは思うワケである。与えられた仕事をきちんと責任感を持って果たすこと、ソッポを向くクラスメートにコッチを向かせて、まとめていくこと、明るくイジケずに、包容力をもって、かつ集団をまとめていくこと、そうした手腕はどっちかっていうと体育会系の能力だ。で、体育会の学生は就職のときに企業から引っ張りだこだって聞いたけど、企業社会が求めているのはまさにそういう人材なんだろうなあと思うワケ。だから学校はいまや世間の信用を一気になくしてるけど、市民社会=企業社会で求められているこういう資質を育てることではなかなかがんばってると思うワケである。スターはブログでえらそうなこと言ってるけど、「いい労働者」とは言いがたいので、仮の姿は教師だけど、中学生といっしょにこーゆーことを日々勉強して鍛えられてるワケである。今までタラタラした高校ばかりに勤めていたので、点呼なんてあんまし取ったこともなくて、生徒の間をフラフラ歩きながら、「えー、○○クンはいるかな、あ、いるね」なんてやってたら、コワイ学年主任に「スター先生、先生は前にいて動かない!生徒に報告させに来る!」なんて怒られた。「気をつけ!前へ〜ナラエ!」なんてのもビビるしなあ。。。労働者としての中学教師と労働者の卵としての中学生が身につけねばならない資質はかぎりなく似通っていて、きちんと提出物を期日までに提出すること、連絡すべきことはきちんと連絡すること、ワガママで身勝手な周囲の奴らの反発を買わずに心をつかんで一つの方向に引っ張っていくこと、そしてそんなスゴイことはできないまでも、せめて難しい人間関係の中でイジメの餌食とならず、うまくやっていくこと、である。子供たちはそういうことが中学生活を生き抜くために必要なことだと本能的に悟っていて、また将来オトナとして社会を生き抜いていくためにもきっと必要なことだと直感している。
いじめの被害者にたいする中学生たちの同情の希薄さは、おそらくこういうところに起因している。他人の神経を逆なでしたり、イラだたせたり、班長や学級委員をやりながら頼りにならないやつ、授業中に当てられてもモタモタして答えないで授業の進行を遅らせるやつは、同情に値しない。コッチもメーワクをこうむっているのだから。これは企業社会と同じ論理だ。もし子供たちを立派な企業戦士に育てたいのなら、こんなところで同情して「いじめはいけない」「みんなちがってみんないい」なんてキレイゴトを言わないことだ。責任感と一定程度の仕事の能力と最低限の人望は、働いてカネを稼ぐためには必要なのだ。子供たちは端的にそのことを見抜き、そんな行動原理にのっとって生きているオトナが子供にたいしてだけ別な行動原理を要求することを鼻先でせせら笑っている。
もちろん、この原理からこぼれ落ちたところに、「憲法」も「平和」も「人権」も「神と人のかかわり」もある。そういうことも教えなくてはならないと多くの中学教師も文科省ですら考えている。しかし中学校の日常を覆い尽くす上の原理とかみあわないのだ。だからたいへんソラゾラしいことになる。第一ヒマがない。「道徳」の授業なんて、ブログでその是非をめぐって盛り上がってるわりには、実際の教室ではロクに教えられていない。今日の道徳の時間も、球技大会の種目決めでつぶれた。集中力のない子供たちを飽きさせない授業の案を練ったり、クラスをまとめたり、きちんと指示を聞かせるためのテクを駆使したり、部活の指導をしたりするのに忙しくて、教師もいっぱいいっぱいである。こんな子供たちに「南京大虐殺」を教え、「日本は隣国にひどいことをしたんだ」と思わせる「洗脳教育」をする余力のある教師がいるとしたら、「ダメ教師」どころではない。「スーパーマン」である。
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