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あと数時間で、62年前、ヒロシマに原爆が落ちた時間になります。 慰安婦問題で、アメリカ下院は日本政府に謝罪を促す決議を採択しました。それは無反省なこの国に対して当然の突きつけだけれど、原爆についてはアメリカはどう反省するのでしょう。次のサイト。「終戦に原爆投下は必要なかった」米軍神話覆す機密資料。http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-03X702.html 原爆詩人の原民喜を私はまともに読んだことありませんでした。私のたいせつな友だちは、「原民喜の文章が一番好き」と言っていました。「透明感があって…」って。 サイトで知った原民喜の詩を借用します。 「永遠(とわ)のみどり」
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔(ほのお)の記憶に
よき祈りよ こもれ
とはのみどりを
永遠(とわ)のみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉 したたれ
原民喜は、最後の作品「心願の国」の末尾にこう書き残しているのですね。 私は歩み去ろう 今こそ消え去って行きたいのだ 透明の中に、永遠のかなたに そしてこの文章を書き遺した翌日に、逝ったそうです。 人間はいつか死ぬということ、この世で寄留者であるということは、人を殺してもいいということにはつながりません。 透明な光の中に「歩み去る」ためには、この混濁の中をもだえながら「今」、歩み続けていかなくてはならない。 その歩みを支えるのはおそらく出会いであり、歩みを断ち切るのが戦争であり原爆です。 去年の今頃はレバノンに爆弾が降っていました。爆弾と戦争はけっして過去のことではないのに、となぜか遠い過去に押しやられてしまった原爆ドームの写真をみながら思います。
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