キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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ミぶどうさんからケンカを売られたようなのだが(笑)http://blogs.yahoo.co.jp/budou102000/50626427.html、完全に同意してしまったので、ケンカにならない。それどころか、触発されて記事まで書いてみようと思ってしまった。

クリスチャンは聖書の中の次の箇所をどんなふうに読むのだろうか。

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。(…中略) 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。               (コリントの信徒への手紙 一. 12:12-26)


「教会の中には色々な人がいるが、それぞれに役割があり、みんな信徒でありキリストにつながっているのだから兄弟なのだ」ですか。悪いけど私はそんな「なかよしコミュニティ」で完結するほどヒマじゃないんです。この話を「教会内部の話」にするから、教会は退屈なんです。現実の社会では目が手に向かって「お前は要らない」と言って、リストラしてるじゃないですか。「体の中でほかよりも弱く見える部分」が、生活保護を打ち切られ、餓死しているじゃないですか。「一つの部分が苦し」んだって、黙殺しているじゃないですか。


クリスチャンよ、教会を出でよ!



改正教育基本法 第一章 教育の目的及び理念 (教育の目標) 第二条


二. 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

「みんなそれぞれ、なにかしら輝くものを持っている」「その個性をのばして自分にふさわしい職業をさがそう」…そういって幻想だけを与え、現実を整備せず、大量のフリーターばかりを吐き出しているではないですか。


教師よ、学校を出でよ!


勉強のできない子、スポーツも苦手な子にだってもちろん「輝くもの」はあり、能力はあります。「職業及び生活との関連を重視」するんなら、政府はちゃんと雇用を創出せよ!社会に受け皿も作らないで、きれいごとばかり言うんじゃない!


猫も杓子も、分数のできない子も大学へ進学するのは、エリートしかこの社会で優遇されないからだと思う。分数ができなくてもアルファベットが書けなくてもまじめで、他人のことを思いやって生きてる子に、生きがいと居場所を確認できる仕事を与えてあげて下さい。エリートがさらに金を儲けるための道具じゃなくて。エリートは「ノーブレス・オブリージュ」を自覚して、人々のために奉仕して下さい。



子供たち思いの熱心な教師がなぜこの世の中に怒らないんでしょう。敬虔なやさしいクリスチャンがどうしてこの世の中に怒らないんでしょう。怒ってばっかりいるスターは、人間ができていないんでしょうか。。。

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希望格差社会

山田昌弘の『希望格差社会〜「負け組」の絶望感が日本を引き裂く〜』という本を読んだ。背表紙の本書紹介文から。


フリーター、ニート、使い捨ての労働者たち-----。職業・家庭・教育のすべてが不安定化しているリスク社会日本で、勝ち組と負け組の格差は救いようなく拡大し、「努力したところで報われない」と感じた人々から希望が消滅していく。将来に希望が持てる人と将来に絶望している人が分裂する「希望格差社会」を克明に描き出し、「格差社会」論の火付け役となった話題書、待望の文庫化。

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この本は勉強もせずバンドに夢中で、バンドでOA入試にもぐりこもうとしている甥に贈ってあげようと思っている(笑)。「ネット難民」という言葉も「ワーキングプア」という言葉もなかった10年前、「フリーター」は若者の自由な選択肢の一つだった。「このまま意味もなくダラダラ学校に通っていてもしょうがないから、学校を辞めて働こうかと思ってる。社会に出て苦労したら、何かつかめるかもしれない。」そう相談してきた担任の女子生徒に、「今学校をやめて働いたって別に『苦労』なんてしないのよ。若い子のアルバイト先はたくさんあるし、親元にいりゃ生活費もかからないから楽しく遊んで暮らせるわ。責任もないから仕事はきつくもないしね。『苦労』するのは35才を過ぎてからよ。それまでフリーターをやってたら、そこから先働き口はガクっと減るの。バイト口さえ見つからなくなるわ。」

彼女は退学を思いとどまった。オトナに相談してよかったと生まれて初めて思った、と後から感謝された。実際に高校を退学してフリーターになるという生徒はいなかったが、専門学校進学や特に目的のない語学留学などで「一時避難」する「フリーター予備軍」は大勢いた。大学乱立と少子化で、大学入試はえらく易しくなった。入学試験を受けず、推薦状か小論文だけで入れる「OA入試」など、オプションも広がった。専門学校、各種学校もバラエティに富んでいる。声優を養成する専門学校、音楽関係の専門学校。。。語学留学だってお金さえ出せば誰だって可能だ。オープン・スクールに出席すれば、志願者獲得に躍起になっている大学関係者がチヤホヤ迎えてくれる。中学・高校では「個性の尊重」、「自分探し」が奨励され、「誰でも輝くものを持っているのだから、自分の個性をみつけ、なりたい職業をめざすように」と教えられる。

そして20代後半、30代になった彼らの置かれた状況をみるにつけ、宮沢賢治の童話、『注文の多い料理店』を思い出してしまうのだ。山奥に迷い込んだ二人の男が、そんなところにあるはずもない立派なレストランをみつける。玄関のガラスの引き戸には、金文字でこう書いてある。


「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」

 二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走(ちそう)するんだぜ。」

引き戸を開けて中へ入ると、引き戸の裏側には、やはり金文字でこう書いてある。

「ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします」

しかしレストランはどこまで行ってもなかなかテーブルにはたどり着かず、たくさんの扉があって、その扉にいちいち色々なことが書かれてある。髪をとかせ、とか着物の泥を落とせとか、鉄砲を置けとか、メガネを外せ、とか顔や手足にクリームを塗れ、とか。


さいごの扉を開けると、扉の裏側にこう書かれている。

「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
 もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん
 よくもみ込んでください。」

このときになって初めて男たちは気がつく。「注文の多い料理店」というのは、自分たちが料理店に注文するのではなく、料理店が自分たちへ注文してくるのだ、ということに。そして自分たちが料理を食べるのではなく、料理店の方が自分たちを殺して食べてしまうのだということに。



『希望格差社会』は、若者たちの現実認識の甘さだけを批判しているわけではない。「夢」にすがるのは、「夢」しかないからだ、背景にはあるコースに沿ってコツコツ努力していれば報われるという希望が社会から失われているという現実があり、経済構造の変化が若者の意識に反映されているのだ、と説く。こつこつ努力して大学に入っても就職できるとはかぎらず、就職できたとしても倒産したりリストラされたりするかもしれない。努力が報われないリスクの大きい社会にあっては、若者たちは努力を厭い、自分の人生自体を「運任せ」に、ギャンブル化してしまうのだという。(甥のことだ。。。)


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『Always 三丁目の夕日』に描かれた昭和30年代は、今ほど豊かではなかったが、普通の庶民が普通にこつこつ働けばむくわれる、必ず生活が豊かになるという時代だった。そういえば「花の係長」というマンガがあった。うだつがあがらないサラリーマンでも、係長にはなれた。そして「花の係長」は、そこそこ満足しており、「幸せ」で、リストラされずに定年まで勤め上げられたのである。



経済のグローバル化で、企業の海外移転が進んでいる。昨年まで私は自動車産業のブルーカラーに英語を教えていたが、彼らが英語を学ばされる目的はなんなのだろうと疑っていた。彼らが今やっている部品の組み立てなどの仕事を外国人労働者に肩代わりさせるためではないのか。英語を使って外国人労働者に適切に指示の出せる「優秀な」技術者を選別し、その他大勢はすべて解雇するつもりではないのか、と疑った。『希望格差社会』の著者は、グローバル競争に勝ち抜くため、企業は海外移転、正社員の派遣への置き換えなどで、「中核的正社員」を将来、全体の1,2割にまで減らすだろうとみている。


さて、ではどうしたらいいのか。著者は最後の章で論じてはいるが、本全体のインパクトに比べてあまりパッとしない。「農業再生」という案を私は考えるのだけれど。農業をやりたい若者はいる。使い捨ての労働者として一生を終えるより、どんなにか生きがいの持てる仕事だろうか。放棄された農地の有効利用は、日本の食糧自給率の向上のためにも、環境保護のためにもいいはずだ。若者が農業で生計を支えられるような施策をどうして政府は打ち出さないのか。

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昔、リカちゃん人形というのが女の子たちの憧れだった。リカちゃんより前にタミーちゃんというアメリカ産のお人形があった。ある日父が私にタミーちゃんを、妹にタミーちゃんの妹人形のペパーちゃんを買ってきた。たぶんなんか後ろめたいことがあったんだと思う(笑)。父はけっして子煩悩ではなかったから、母の機嫌を取る必要があるときに、子供たちに唐突なプレゼントをした(今思うと。)私はべつに欲しくはなかったし、こんなお人形があるってことさえ知らなかった。石蹴りや缶けりをしたり、竹馬をしたりママゴトをしたりして十分楽しく遊んでいたのだ。貰ってものすごく喜んだわけではないが、次第にそのお人形にハマっていった。タミーちゃんにはカタログが付いていた。着せ替えの服やバッグや靴などの写真が載っていた。すると服やバッグも欲しくなって母にねだった。しかし、その値段が法外だったことを母の反応とともにうっすら覚えている。(母は買い与える代わりに画用紙に下着姿の女の子の絵を描いて切り抜き、洋服とバッグの絵も描いて切り抜いた。そして私と妹はそっちの方が自分たちの好きな洋服を作れて面白いということに気づき、タミーちゃんとはあまり遊ばなくなった。)
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エンデの童話『モモ』にそっくりのシーンが登場する。「灰色の男たち」が高価なおもちゃやゲーム機で子供たちを丸め込み、モモのところにもお人形を持ってやって来るのだ。お人形は内臓テープレコーダーでおしゃべりをするが、いつも同じことしか言わないので、モモは退屈で、どうやって遊んだらいいか途方にくれてしまう。すると様子を観ていた灰色の男が言う。

「どうもきみは、こういうすばらしい人形との遊び方をまるっきり知らないようだね。ひとつわたしが教えてあげようか。」
「あたし、もっといろいろなものがほしいわ」ときゅうに人形が言いました。
「ほら、ごらん、この人形はじぶんからきみにしゃべりかけているんだよ。こういうすばらしい人形と遊ぶには、ほかの人形とおなじやり方じゃだめだ。おもしろく遊ぶには、この人形になにかあげなくちゃだめだよ。いいかい、見てごらん!」

そう言って、灰色の男は人形用のたくさんの洋服や小物を次々とモモの前に投げ出す。人形のボーイフレンド人形とその洋服や小物まで。モモは「さむさにからだがガタガタふるえだ」す。そしてこう感じる。


モモはぼんやりとながらも、じぶんがあるたたかいに直面している、いや、すでにたたかいのなかに巻きこまれている、と感じました。けれどもそれがなんのたたかいなのか、だれにたいするたたかいなのかは、わかりません。

なんの、だれにたいするたたかいなのか。グローバル資本主義にたいするたたかいだろう。


どうやって人にモノを買わせるか。

1.そのモノの消費だけで購買活動が完結しないように、ひとつの買い物でかえって更なる買い物が必要となるような流れを作り出す。
2.それらのモノを買わないと生活していけないように、大きな力によってあらかじめ生活や社会のほうを変えてしまう。

信じられないモノが今、私たちの世界には出回っている。「種の取れない作物」。モンサントなどの巨大アグリビジネスは世界の種子会社を買収して、遺伝子組み換えを施した種を農民に売り、種を毎年買わなければならないように、こういうモノを作った。ターミネーター種子、直訳すると「殺し屋種子」。種子を死滅させる毒性タンパクを作る遺伝子を組み込んで、その遺伝子が2回目の発芽の前に働くようにしたものらしい。びっくりだ。こんなモノを食べて大丈夫なのか。http://www.yasudasetsuko.com/gmo/column/070117.htm

そして遺伝子組み換え種子には特許も取り付けてある。シュマイザーさんというカナダのお百姓さんの作っているナタネ畑にモンサントの花粉が飛んできて、遺伝子組み換えのナタネが出来てしまった。そうしたらモンサントは、「特許侵害だ、賠償金を払え」と言ってきたそうだ。GM汚染をされて、被害者はシュマイザーさんのほうなのに。シュマイザーさんは訴訟を受けてたったけれど、負けたそうだ。


日本の食卓は今、世界から買いあさった何万種類もの食材で埋め尽くされているけれど、「外国産の野菜や肉の方が安いからそっちを買う」つもりが、食のグローバル競争に敗れて日本の農家が農産物を作るのをやめてしまったらどうなるか。そのうち異常気象や世界食糧難で外国産食物が高騰したとしても、「買わないと食べられない」ようになっていくかもしれない。中国産の毒入り野菜や米国産のBSE牛肉しか口に入らなくなってしまうかもしれないのだ。「自由で気ままな選択」のつもりが、ほかの選択肢を不可逆的に絶つことにつながっていることに私たちはそろそろ気づきはじめている。


日本の食糧自給率はついに40パーセント台を切った。http://www.afpbb.com/article/economy/2266288/2016401


主要先進国の食糧自給率
オーストラリア327%、フランス136%、アメリカ127%、ドイツ97%、
イギリス71%、日本39%

EPA交渉しだいでは、さらに食料自給率は12%まで減少するだろうと言われている。(「農業・EPA(経済連携協定)作業部会」で、農水省が提出した試算)
また孫の祖父殺し。http://www.asahi.com/national/update/0823/SEB200708230031.html
こうした事件について知ったかぶって書くのはあんまり気が進まない。少年のこと知らないし。ホントの動機なんてわかんないし。だからメインはこの事件のことじゃなくて、「もしかしたらつながりあるかもなあ」程度に思う日ごろから感じてること。


吉本隆明:現代社会に生きる人は、若い人も壮年の人も老人も、皮膚感覚として、みんな裸のまま社会を生きていて、肌身に何かが直に突き刺さってくるような感じを受けているんじゃないかと思うんです。

内田樹:その肌身に突き刺さるという感じはよくわかります。吉本さんがよく使われている「社会的な個人」と「個人としての個人」という言葉を借りれば、昔は「社会的な個人」と生身の自分を剥き出しにした「個人としての個人」をうまく使い分けることができたのに、今の人はうまくその使い分けができなくなっている気がするんです。

『中央公論』9月号、特集「『親』が壊れている」より


小難しい言い方だけど、ようするに昔は、「親には親の立場があるし、教師には教師の立場があるし、まあそういうのはムリないわな。」とテキトーに聞き流せていた、というのが、「社会的な個人」と生身の自分を剥き出しにした「個人としての個人」をうまく使い分けることができたってこと。そこを親は親で過剰にしつこく子供の神経を逆なでするような言い方で説教しちゃったり、子供もそれを聞き流せないで殺意まで持っちゃうっていうのが「うまく使い分けできなくなった」ってこと。'''

今の子供たちがひどく傷つきやすいということは、前々から感じていた。私も若い頃はひどく傷つきやすかった。だけど今はたいていのことには傷つかない。これは年を取ってよかったと思う最大の収穫だけれど、年をとっても傷つきやすい人はいるようだ。そしてそれはなぜなのか、なぜ私は傷つかなくなったのか、を考えると、上の「使い分け」ができるようになったってことだと思い当たるのだ。

教師なんて仕事をしていると、「仕事」での失敗を容易に「自分という人格の否定」と結びつけてとらえやすい。たしかに人間関係のスキルが必要な職業だし、人の心理を推し量ったりとか自分の感情のコントロールとかそんなことも必要な職業ではある。しかしそうしたスキルに円熟していないことを「自分という人間はダメなんだ」とまで思いつめるのは行きすぎというものだ。長所と短所は裏表である。一方で「自分は善意でこんなに一生懸命やっているんだから、わかってもらえないのはヒドイ」と叫ぶのもおかしい。善意だろうと一生懸命だろうと相手の求めることに応えてなければ評価も感謝もされないのだ。しかしまた翻って(くどくてごめん。。。)、世の中に評価されなかったとしても、それはニーズに応えていなかったというだけの話で、「人格」や「私の存在価値」とはカンケイがない。しかし(くどい。。。)、「人格や存在価値とはカンケイがない」からといってほっといてもイイワケではない。社会の中で居場所を確立し、食ってくためには、なんらか「評価され」「ニーズに応える」接点で世の中と関わっていかなくてはならない。

この適度なバランスが、本人にとっても周囲にとっても居心地いいのではないか。「オレ様は本来こんなところでくすぶってる人間じゃないんだゾ。ホントはビッグなんだ!」とさけばれるのもウザいし、逆に外部評価を100パーセント自己評価としてしまっている人間も、順風満帆な時は「キャリア」や「地位」をかさにきて鼻につくし、失敗して評価を下げると自分を否定されたように思い、思いつめるほど傷ついたりする。

内田樹:今の若い人は、外部評価と自己評価の齟齬に対して忍耐力がない。離職・転職が多いのも、努力と評価が整合していないと思うと、その不条理に耐えられない。だから仕事をやめちゃう。


ところで甥は大学受験を目前に控えながら、ぜんぜん勉強しないでバンドに夢中である。おばは英語教師なのに、ヤツの英語の成績は1である。それなのにヤツは「学校は勉強するところだよ」と言う。嘘は言っていない。ヤツは客観的な事実を語っているのみである。授業中寝てばかりいることを教師に叱られたとしても反抗はしないが、態度を改めもしない。「社会的な個人」と「個人としての個人」の使い分けができてるヤツだ。ヤツがどういうふうにこれから先、世間の荒波をくぐっていくのか見物してやろう。

ピカと宇宙開発

久間元防衛庁長官の「原爆はしょうがない」発言を、中国・韓国はどうとらえたかご存知ですか。axbxcxさんに興味深いサイトを教えていただきました。http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/index.html

「ついに、認めましたね」。 彼らにしてみれば、広島と長崎への原爆投下は自国を戦勝に導いたり、植民地からの解放をもたらした「正義の核」だ。そんな彼らにとって「唯一の被爆国」という日本の物言いは「被害者になりすまし、侵略戦争を糊塗する不当で不愉快な主張」だった。 

イメージ 1yfqsxさんのオススメで、今日『夕凪の街・桜の国』を観てきました。http://www.yunagi-sakura.jp/
「夕凪の街」はヒロシマのこと。この映画のヒロインの女性のように、被爆者であるがゆえに結婚をためらい、自分は結婚・出産をしてはいけない身なのだとあきらめて老齢になるまで独身を貫いている女性を知っています。彼女はその分、エネルギーのすべてを教職にささげました。私のお世話になった大先輩です。



中国・韓国の反応は当然のこと。そしてアメリカの高校生が使う歴史教科書を(日本語訳で)読んだとき、あるページに愕然としました。「ヒロシマへの原爆投下の意義はなんであったか、要約しなさい。」

中・韓の反応も、アメリカの歴史教科書も、あるいは久間元長官の発言さえ、リクツでは理があるのかもしれません。しかしそこには決定的に抜け落ちたものがあって、抜け落ちたものとは、「ひとりの人が生きるということ」「生きるということの手ざわり」


多くをクドクド語るのはやめるけど、「ひとりの人が生きるということ」「生きるということの手ざわり」の前にめまいを感じ、たちすくむことなく、宇宙にまでロケットを飛ばしてしまう発想と「行動力」に、大きな大きな抵抗感を感じます。「宇宙基本法」という法律ができたそうです。http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/3640.html

イメージ 2宇宙の軍事開発というこれまで禁じられていたことにゴーサインを出す法律です。宇宙産業はこれで大もうけをするんでしょう。この地球上でたいていの人は目の前の生活にアップアップで、実際に生活できなくなって路上生活者になったりネットカフェに寝泊りしている人さえいます。ロケットはロマンかもしれないけれど、ロケットどころか今日のシェルターすらない人がゴロゴロいる。それなのに「人類の福祉」と「日本の安全」のために宇宙の軍事開発しようという発想は、「戦争を終わらせるためにピカを投下した」ことを正しいこととする発想と根っこでつながっているような気がします。


ほんとうは軍事開発でなくとも「平和利用」であってもロケットなんか反対です。ニッポンにそんなお金ないもの。「日本の安全のために」宇宙の軍事開発をしようなんて、お金のない我が家が高い契約料を払ってセコムを入れるようなもの。アポロが月に行ったとき、高度経済成長の道を走っていた日本人は、日に日に豊かになっていく自分たちの生活と「人類の夢」を重ねたかもしれないけど、ロケットは今、貧しい人から今日食べるパンを奪って宇宙へ飛ばされる。ピカのきのこ雲の下、そのあと何十年も、どんなふうに人が生きていたかを想像することができなかったら、科学がどんなに発達しても、人間はきっとしあわせになんかなれないと思う。


『夕凪の街・桜の国』、原爆の話もたくさん聞いたし、正直もう聞き飽きたような気がしていた。それなのにポロポロ泣けてきて、「わたしはやっぱりわかってなんかいないんだなあ」と感じさせられました。久間元長官と安部総理大臣にもぜひ見せてあげたいと思った。


宇宙基本法について…シマウマ女さんのブログ。http://blogs.yahoo.co.jp/nithica84/15705947.html

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