「ついに、認めましたね」。 彼らにしてみれば、広島と長崎への原爆投下は自国を戦勝に導いたり、植民地からの解放をもたらした「正義の核」だ。そんな彼らにとって「唯一の被爆国」という日本の物言いは「被害者になりすまし、侵略戦争を糊塗する不当で不愉快な主張」だった。
yfqsxさんのオススメで、今日『夕凪の街・桜の国』を観てきました。 http://www.yunagi-sakura.jp/
「夕凪の街」はヒロシマのこと。この映画のヒロインの女性のように、被爆者であるがゆえに結婚をためらい、自分は結婚・出産をしてはいけない身なのだとあきらめて老齢になるまで独身を貫いている女性を知っています。彼女はその分、エネルギーのすべてを教職にささげました。私のお世話になった大先輩です。
中国・韓国の反応は当然のこと。そしてアメリカの高校生が使う歴史教科書を(日本語訳で)読んだとき、あるページに愕然としました。「ヒロシマへの原爆投下の意義はなんであったか、要約しなさい。」
中・韓の反応も、アメリカの歴史教科書も、あるいは久間元長官の発言さえ、リクツでは理があるのかもしれません。しかしそこには決定的に抜け落ちたものがあって、抜け落ちたものとは、「ひとりの人が生きるということ」「生きるということの手ざわり」。
宇宙の軍事開発というこれまで禁じられていたことにゴーサインを出す法律です。宇宙産業はこれで大もうけをするんでしょう。この地球上でたいていの人は目の前の生活にアップアップで、実際に生活できなくなって路上生活者になったりネットカフェに寝泊りしている人さえいます。ロケットはロマンかもしれないけれど、ロケットどころか今日のシェルターすらない人がゴロゴロいる。それなのに「人類の福祉」と「日本の安全」のために宇宙の軍事開発しようという発想は、「戦争を終わらせるためにピカを投下した」ことを正しいこととする発想と根っこでつながっているような気がします。
ほんとうは軍事開発でなくとも「平和利用」であってもロケットなんか反対です。ニッポンにそんなお金ないもの。「日本の安全のために」宇宙の軍事開発をしようなんて、お金のない我が家が高い契約料を払ってセコムを入れるようなもの。アポロが月に行ったとき、高度経済成長の道を走っていた日本人は、日に日に豊かになっていく自分たちの生活と「人類の夢」を重ねたかもしれないけど、ロケットは今、貧しい人から今日食べるパンを奪って宇宙へ飛ばされる。ピカのきのこ雲の下、そのあと何十年も、どんなふうに人が生きていたかを想像することができなかったら、科学がどんなに発達しても、人間はきっとしあわせになんかなれないと思う。
『夕凪の街・桜の国』、原爆の話もたくさん聞いたし、正直もう聞き飽きたような気がしていた。それなのにポロポロ泣けてきて、「わたしはやっぱりわかってなんかいないんだなあ」と感じさせられました。久間元長官と安部総理大臣にもぜひ見せてあげたいと思った。
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