キリスト者として今を生きる

風は冷たいけれど春の訪れを感じます。。。

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チョイスの苦楽

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「チョイス」というのはもちろん「私」が幸せになるためになすものなのである。でもこのごろチョイスするのがメンドくさい。電話会社とかガス会社が始終なんかのお知らせを送りつけてきて、「お得なプラン」を勧めてくるけど、「オトクかどうか」はよく読むとケースバイケースで、「自分がオトクなケースに該当するかどうか」を考え判断するのに、トロい私は時間がかかる。メンドーになり、かといって郵便を捨てるフンギリもつかず、そこらに置いておくうちに、なんとなく「自分はもしかしてソンをしているのではないか」というかすかなストレスが積もっていく。テレビは今の住居にはなくて、別に不自由もしていないんだけど、多チャンネルとかインターネット・テレビとか聞くと、なんだか「スグレモノのツールを私は利用し損ねているのではないか」とまたかすかなストレスが積もる。かすか、だけど。

「チョイスの自由」がなかったら、私のようなタイプの女は生きづらい。それはわかりきってる。裁縫キライでニガテだし、姑や夫にかしずくのもきっとできない。来る日も来る日も繕い物しなくちゃいけなくて、気が狂ってしまうかもしれない。明治時代だったらきっと、私の前に開かれたチョイスは、「気が狂うか、出戻り女として周囲の白い目に耐えるか」しかないだろう。今に生まれてよかった。


しかしそれでも、始終「チョイスすること」を強いられているストレスはバカにならない。昔、日米文化比較かなんかで、日本人の配慮は相手の飲みたい飲み物を察して何も聞かずさっと熱い緑茶を出すことだけど、欧米人の配慮は「コーヒーを飲みたいか、紅茶を飲みたいか」「コーヒーはホットにするかアイスにするか」「ミルクと砂糖を入れるか入れないか」「それを食後にするか食前にするか」たずねることだ、欧米人はそれが親切だと思っているらしいけど煩わしい、と書いてあるのを見て、なるほど、と思ったことがある。ファミレスはその「欧米型配慮」を採用している。いいかげん慣れたけど、それでも「選ぶことを強制されている」というストレスを感じることはしばしばある。

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「適切なチョイス」をするためには訓練と数多くの失敗の経験が必要で、膨大な時間がかかるのである。若くて私が一番きれいだったころ(茨木のり子みたい。。。)、私は洋服の選び方がよくわからなかった。高校、大学くらいになって友達がオシャレを始めているのをみて、私もオシャレしようかなあと思って、とりあえず原宿とか元町とか行ってみたけど、何を買ったらいいのかよくわかんなくて、テーストのよくわからない猫の柄のついたセーターなんか買ってみたりしたけど、たくさんの商品に圧倒されて、ワケがわからないので、途方に暮れてなぜかネコにしたのである。元町まで出かけてわざわざネコを買わなくてもよかっただろうに、と今では思う。試行錯誤を経て、今では洋服を選ぶのはあんまし悩まない。まず肌ざわりである。木綿とか麻とか、肌にやさしいものがいい。パンツはなおさらである。第二に値段である。服に1万円以上かけるのはマチガッテいる。リサイクルとかフリマとか、「時代よ、ありがとう!」むかしはこんなものなかったね。第三に、クリーニングに出さなくてすむことである。たとえ800円のワンピをリサイクルでゲットしたとしても、クリーニング代が1000円かかったのでは、結局高い買い物になるのである。第四になるべくアイロンをかけずにすむことである。そしてもちろん「オシャレ心」を満足させてくれて、安いけど安物にみえないもの。ってキリがないのでやめておく。「自分に何が似合うか」「本当は何が好きなのか」も含めて、今でもまあ失敗はあるけど、だいたい「適切な」買い物ができるようになった。しかしここまで到達するのに40年余りかかったのである。この事実は重い(何が?)。

洋服選びはだいたいわかったけど、化粧品と髪型はイマイチよくわからない。だから行きつけの美容院とかもなくて、テキトーに通りすがって入った美容院で、「アタマが絶壁なので、丸く見えるようにしてください」とか「ブローだけで格好がつくようにしてください」とかカンタンなことだけ言って、「なんか仕上がりがイマイチだなあ」とか思っても、「なんかヘンだけど、どこがヘンなのかわかんないし、まあ、そのうち伸びるからいっか」と美容師さんにやさしい顧客である。

食べる物も洋服ほどポリシーがない。だいたい私には煩悩があるのである。「添加物の入っていない産地直送の自然食品だけを食べる」などという立派なことができないのである。若い頃一度そんなこともやってみようとしたことがあるが、「産地直送野菜まずありき」なので、献立を野菜に合わせなくてはならず、「今日は疲れたし時間もないので鍋物でごまかしたい」と思っても、「さつまいも3本」を使わなくてはとか「小松菜」が萎びないうちに茹でなくては、というプレッシャーがかかったりするのである。かといってコンビニ弁当とかスーパーの惣菜とかは「やっぱり添加物が心配よね」なんて、「手軽さ」と「安全」のハザマでハムレットのように「ポテトサラダ」や「辛子明太子」を手に悩んでいたりする。「安く、手早く、カンタンで、おいしくて、栄養があって、安全で、頑張ってる良心的な生産者を応援する献立」を迷わず選んで作れるようになるためには、あと10年は修行が必要だと思う。それも、これらの条件が相互に矛盾しなければ、の話だけど。

週末だというのでいいかげんダラダラ書いてきたけど、ようするに「適切なチョイス」を迷わずできるようになるためには、試行錯誤の長い長い年月が必要なのである。で、現代生活を飾るすべての物事に「適切なチョイス」が出来るようになったころにはもう認知症になるか寝たきりになってしまっているのではないかとフト思うのである。「いい男」とめぐり合うのを何年も待って年老いていく女たち、「自分にふさわしい職業」を待って離職を繰り返す若者たち(フリーターの全てがそうだとは言わない)。。。試行錯誤にはもちろん大きな意味がある。しかしあまりにも「チョイス」自体に労力をとられるのである。そして不思議なことに、こんなに文明技術が発展してるのに、私たちはいっこうヒマにはならない。パソコンはたしかに学校の成績処理業務をカンタンにしたけど、その分、生徒のいろんな側面を数字化して入力しなくちゃいけないことになった。ガリ版印刷のころは、教科書とは別のプリントなんてめったに出なかったけど、今では毎授業ごとにプリントを作って配る。子供たちはどうなのかな。生まれたときからたくさんの選択肢に囲まれて、何かにつけてチョイスを強いられている(ゆるされている)けど、「適切なチョイスができるようになる」というのは「自分を知る」ということとイコールなんだから、「選ぶ」ことってムズカシイのだ。子供たちにたくさんの選択肢を与えて「個性を尊重」するのは、本当に子供にとってやさしい(親切な)ことなのかな。

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